掃除をしながらふと気づくと、言葉や思いが零れていることがある。
手だけを動かしてぼんやりすしているうちに、頭は昔のことを思い出していたらしい。
あの頃、ずっとどこかでもがいてもがいて、答えを必死で探していたような気がする。
この苦しみから逃れられる「明確な答え」を見出すことができれば、私も耐えることができたのだ。
方法がわかれば、たとえそれを今すぐ実行できなくても、いつかは乗り越えられるのだと、希望を見出すことができたのだ。
でも答えを探すはずなのに、私の思考はいつも過去へと戻っていた。
何故私はあの時、あの迷路に気付かずに森に入り込んでしまったのだろう。
なぜ、私は今、こんな状態になっているのだろう。
そうして永遠に答えに辿り着けない迷路へと落ちていく。
だけど、本当はわかっていた。
ただ目の前の課題に取り組んでいった先に、いつか終わりが来ることを。
だけど、苦しくて、今すぐ終わってほしかったのだ。
乗り越えなくては次に進めないというシンプルな事実を見つめたくなくて、私はあえて、思考の迷路に落ちて、何故なのと繰り返していた。
かつてはそんな日々だった。
そんな日々を振り返って改めて思うのだ。
そもそもどうすればいいなんて「明確な答え」など最初からなかった。
どうすれば合格できるよ、苦しみが一発で消えちゃうよ。
なんて、そんな答えなんてひとつも存在しないのだ。
あるとすればたったひとつ。
「経験するために生きている。だから経験せよ」
それだけのことだ。
こうなりたいと未来を自分で決めること。
ただ、目の前にあるすべきことをしていくこと。
与えられた環境の中で最善を尽くすこと。
そのうちに、きっと苦しみは苦しみではなくなる日が来ること。
ぼんやりとだったけど、最初からそうわかっていた。
だけど苦しみにうんざりして、そんな現実から逃げたかった。
だけど私は、苦しみながらも、たくさんの人や目に見えない何かに導かれるように、ちゃんと前に進み続けてこれたらしい。
だから気が付けば、苦しみは苦しみではなくなり、ただそこに生きているだけでよかったと、本気で思える自分になっていた。
あんなに苦しかったことも、少しずつ、もがいてがんばっているうちに、ひとつ、またひとつと問題が消えていった。
そしてその分ひとつずつ賢くなり、強くなり、優しくなっていった。
過ぎてしまえば。
ほんとうに、過ぎてしまえば。
私の中のなんて大きな財産となったんだろうと。
本当に心から、そう思えるようになっていた。
どんな経験もすべて自分の糧になっていくものなんだな。
神様、いつもありがとうございます。