アバンダンティアの体験談
2006年3月 Dさん
古いヨーロッパの石畳と教会が見えました。
誰かにピアノを習って楽しく演奏していました。
幼くて貧しい様子でした。
次に湖のそばの古い時代の小さなお城のような建物が見えました。
音楽学校か修道院のようでした。
そこでピアノを習っていたのですが、幼い頃と違い、身なりも美しく、良い服を着ていました。
故郷に置いてきた年老いた母親か祖母のことが気がかりで、1人だけ良い暮らしを送れていることに罪悪感を抱いていました。
父親は貴族であるなど、母親と少しだけ身分の違う子どもだったようです。
外に作った子供だったので、最初は母親と貧しい暮らしをしていたのが、途中から父親の意向で貴族の娘の教育用の修道院に入れられたようでした。
結局そのあと結婚させられ、故郷に戻ることはなく、母親と会うことができず、豊かさを分け与える機会もないまま亡くなったことを後悔していました。
罪悪感を抱いていたし、母親も多少は恨めしく思っていたようで、それが今世にも影響が出ているようです。
どうすれば豊かになれるか聞いたところ、楽しむことに罪悪感を抱くのではなく、こんなに楽しいって素晴らしいねと口に出したり態度に表して、人と共有していいのだと知ること。
豊かだと思えばおすそ分けする。その相手は誰でもいい。
共有することが大切なのだから。
ただし義務に思ったり無理に分ける必要はない。
楽しいの先にある共有が必要なのだ。
また、家族のために犠牲になっている、またはなるべきと感じることがある。
それは、過去生で1人だけ幸せになったと思った罪悪感から、無意識に自己犠牲する癖がついているようなので、今の人生は家族といろんな思いや体験を共有することを学びにきたと意識して、家族に遠慮せず、お母さんはこれをしたいからする、とシンプルに伝えればよい。
あなたが考えるほど家族はあなたの自由を責めたりはしないから。
とあり、そのことを伝えて、
楽しい時に楽しいと口に出し、1人では無理と思えば助けを求め、誰かに我慢させるくらいなら自分ご我慢すると思うところを、10のうち一つか二つは
あなたが我慢しない方を選んでください
と伝えました。
Dさんは、
子供の頃からピアノを習っていた。
お母さんもピアノを習っていて、小さい頃はお母さんに教えてもらったことを思い出した。
一緒にピアノを弾くと楽しかった。
けれどプロになるわけでもなく、生産性のないことなので、途中からやめてしまったけれど、ただ楽しむために、また弾きたくなりました。
意識していなかったけど、誰かを犠牲にしたくないと強く考える癖があったことに気づきました。
なるほど、10回に1回から2回は自分が我慢しない、ということをやっていこうと思いました。
と語っていました。
今の環境は豊かで幸せなので、こんなはずはない、私だけいい思いをしてはいけない、とどこかで思っていた気がするので、シンプルに、今の環境に感謝して楽しみたい、とも。
人にはそれぞれの人生があり与えられるものもそれぞれです。
全ては自分の魂が選んでいることと、それに適した課題、それをクリアするために与えられる課題、と、課題もケースバイケースなのです。
豊かさも経済的なものだけではないのです。
実はお母さんは森で暮らしていた魔女と呼ばれる人でした。
なのでお金より自然と調和することの方を望んでいたのです。
娘さんはそんなお母さんの仕事があまり好きではなく、貴族的な生活に憧れを抱いていた。
つまりは価値観が違っていたのですが、そのことに当時は思いは至らなかったようです。
自分に与えられた環境に感謝することが大切で、それができればそれでよし。
人の苦しみまで背負わない。
人それぞれの価値観があり、豊かさも幸せも違うのだと知る。
ということかな、と思いました(^-^)