遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

前世が見えたこと その4

2019-03-21 19:25:22 | 遊月作ファンタジー物語
前世療法で見た映像は、幼い頃から何度もぼんやり浮かんでいたものからはじまり、一瞬でひとりの人生の物語になりました。

セラピストさんに何か質問されると、それはこうですと、一瞬で口から言葉が出てくるのに驚いていたました

しゃべっている自分とそれを見ている自分が分離している感覚がありました

どっちもわたしなのだけど、片方は質問の答えを知らないから、口から出てくる言葉に驚くのに、もう片方は質問の答えを知っていて、それはあたりまのこととしてわかっていてしゃべっているのです。

自分が二層になっているのに、どっちにもわたしの意識が入っている。

イメージとしては、透明な風船のようなものがふたつあって、その両方にわたしの意識があって、同時にわたしとして存在しているというか。
すごく不思議な体験でした。

見えていたインディアンの少女の映像も、それまではなんとなく浮かんでくるとりとめもない雑多なワンシーンに過ぎず、いつかどこかでテレビとかで見たのかもしれないといったレベルでしか認識していなくて。

でも、改めて考えると、それは物心ついたときにはあった気がします。

実はそういうものがいくつもあって、だけどまさか前世の記憶なんて思いもしなかった。
その前世療法を受けるまでは。

ホピの少女は幼稚園に上がる前から自分の中にしっかりとありました。

ひどくはっきり浮かんできたのは、父が西部劇を見ていた時と、兄が大学院生だったころ、半年ほどアメリカに研修に行っていて、その時のおみやげにインディアンが作ったという木製の筆入れがあって。

そのおみやげを見ると、なぜか旗めいている布と、三角の布のテントみたいなものが浮かんでくるのが不思議で。

兄はどうしてもグランドキャニオンが見たかったと語り、その頃はネットなどもなく、グランドキャニオンと聞いてもどんなものかもピンとこなくて。

前世療法で自らをホピと名乗り、改めてホピのことを調べて、グランドキャニオンに近い場所にいたと知って、兄もインディアン時代に一緒にいたので、兄もどこかで前世を覚えているのかもしれないと思いました。

そういうことひとつひとつが自分の中に蓄積されていき、前世療法を受けて、それまでわたしが思い込んでいた知識が間違いで、前世のビジョンで見たほうが正しかったと知った時から、あれは前世かもしれないと信じることができるようになった気がします。
それが、人の前世らしきものを見ることができる根底にあるもので。

そして、兄がグランドキャニオンをなぜかずっと見たかったと語ったように
人は前世のことをどこかで無意識に覚えていて、どうしてもその目で見たいと言い出してしまうのだとも思います。

前世を知る意味は、何度も書いているけれど、どうしても同じ傾向、同じ癖を持って生まれてくるわけだから、やり残したこと、後悔したことを知ることで、同じ過ちを繰り返さなくなるし、やり残したことを今度は体験することができるようになること。

ちなみにインディアンだった前世では、居留地にいたようで、自由がない、世界を旅してみたい、という感覚が強かった気がします。

もし生まれ変わるなら鳥になって山を越えたい。
何度もそう願ったみたいで。

わたしは、山に登ると、頂上から景色を見たとき、登ってきたルートとは別の道に進みたくなる。
山を越えて知らない場所に行きたくなる。

知らない場所に行きたい衝動はこどものころからずっとあって、きっと一生、知らない場所に行きたいと願い続けるような気がする。

あの頃自由に行きたい場所にいけなかったことがつらかったのなら、いろんな場所に行くことこそが、願いだったと思うから。

それともうひとつ、動物や植物の声を聞き伝えること、夢を見て精霊の声を聞き、悩んでいる人に答えを教えること。

それがホピの頃にしていたことが今も生きているなと思うこと。

北海道に生まれたのも、自然がいっぱいで、動物も植物もエネルギーが濃いからなのかなって時々思う。


ということで続く(笑)




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