何を言っているのですか。
楽天家がこの世界を明るくしているというのに、楽天家に楽天家でいることをやめろだなんて、世界から明かりを消し去ろうとしているとしか思えません。
パンドラの箱を開けたとき、たくさんのものが外に出てしまったけど、希望だけは臆病で表に出るのを嫌い、そこに留まったではありませんか。
希望。
ペシミストたちはあなたが楽観的に笑い、大丈夫だよと励まし続けることを、やがて非難しはじめるでしょう。
この非常事態になにを笑っているんだ。ふざけるな。
でも考えてみてください。
あなたが笑うのをやめたら、地球から笑い声がひとつ消えるのです。
それが地球の望むことだとあなたは感じますか?
地球が、あなたを生み出し育て、愛を持って包み続けている母なる地球が、あなたに笑うことを禁じると、ほんとうにそう思いますか?
母なる地球。
そう、母だと考えたら答えはわかるはずです。
あなたのお母さんは、あなたの笑顔を非難するでしょうか?
あなたが笑顔でいることに対し、苦虫噛み潰すような顔をして、冗談じゃない、ふざけるな、二度と笑うなと、そう言うでしょうか。
あなたが病の苦しみにあえいでいるときも、なんとかあなたのクチビルを上にあげようと、楽しいことを言ってくれませんか?
あなたの笑顔を見たいために、大丈夫よと微笑んできてはくれませんか?
あなたが母ならばこどもにどうしますか?
それでもなお、楽観的にいることを、今日も笑っていることを、母なる地球は責めていると、望んでいないと感じますか?
今日も笑ってください。
明日も笑えるような自分でいてください。
明日地球が消え去ると知っていても、今日は笑っていられる、その瞬間まで笑っていられる、地球に最後まで明かりを灯し続ける。
そう覚悟してください。
笑顔がこの地上に増えたとき、
美しい花が増えるように、輝きが少しずつ増すでしょう。
明かりが消える代わりに、明かりが増すのです。
隣の友人が微笑むと、さらに輝きは増すのです。
それでもなお、もう笑っていられないと、楽天家を責めますか?
彼らは何も知らないのではない。
彼らは無関心なのではない。
彼らはすべてを知ってなお、今日も笑っているのです。
それでも世界は大丈夫だと。
それでも宇宙を信じていると。
それでも地球を信じていると。
それでも明日を信じていると。
だから笑っていられる強さを持っていられるのです。
悲しいときに悲しい顔をして、困難に対してムリだと諦めるのは簡単です。
悲しくても、悲しみのむこうにある喜びを見つける目を持ち、微笑むこと。
困難でも、必ず乗り越えられると信じて突破口を見つけるまで探し続けること。
これが本物の楽天家のしていることです。
ただのおばかさんで笑っているのとは違います。
強いから笑っていられるのです。
張り裂けそうな悲しみを胸に、困難にくじけそうな自分を励ましながら、大丈夫だと笑っているのです。
だけど彼らは知っているのです。
大丈夫だと微笑み続ける限り、ほんとうに大丈夫なのだということを。
希望がなければほんとうはすべて簡単なのかもしれない。
絶望しかない世界なら、何か起きても簡単にあきらめて、そこで終わって行けばいいのだから。
下手に希望が残ったがために、私たちは何度も立ち上がらなければならなくなった。
そういう見方もあるでしょう。
でも私は、転んでもまた立ち上がり、あの夕陽を見たいのです。
たとえ世界が滅んでいく日でも、美しい世界を見ていたのです。
そして明日がないと知っていても、やっぱり朝日の美しさをもう一度みたいと思うのです。
だからつい何度も立ち上がってしまう。
それは世界が美しいから。
そしてそんな美しい世界に生まれてきたことがどこかでうれしいから。
だから私は希望を失うことなく、今日も笑って言うのです。
大丈夫、大丈夫、絶対大丈夫。
世界は今日も愛に満ちているから。
すべては愛の中でしか起きないから。
だからやっぱり大丈夫って。