柴又訪問の続き。
寅さん記念館を訪れました。
ちょっと駅と離れたところにあります。
入館料は、格安。
入口には、寅さんの雪駄が。
はじまりの部屋。
映写機が回り、
寅さんをイメージして描かれた絵画を投映。
なかなかいい趣向。
プロジェクションマッピングのおかげで、
どんどん映像表現の幅が広がりました。
説明の必要もないと思いますが、
「男はつらいよ」は、1969年から1995年まで製作された、
映画シリーズ。
2本を除き、山田洋次監督が監督しています。
1996年、寅さんを演ずる渥美清さんが亡くなったため、
48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995年)で打ち止めになりました。
その後、
渥美の生前の映像を使用した2作が作られ、
合計50本に。
(世界一の長編シリーズとしてのギネス世界記録は全48作となっている)
柴又帝釈天参道を再現。
寅さんの実家のだんご屋「くるまや」を再現。
実際に撮影したセットを
大船撮影所から移設。
置かれたテレビで、
このお茶の間で撮影した名場面を見ることができます。
この階段は、寅さんの居室、2階へ続くもの。
「くるまや」の1/16スケールの模型。
なお、当初店の名前は「とらや」でしたが、
映画の舞台に使用した団子屋が、
実際に「とらや」に屋号を変更したため、
第40作から「くるまや」に変わったといいます。
私の記憶の中では、「とらや」だったので、
「くるまや」は違和感がありましたが、
ようやく謎が解けました。
裏にあったタコ社長の「朝日印刷所」を再現。
寅さんはここに行くたびに
「労働者諸君!働いているか」とのたもうて、
いやがられていました。
帝釈天参道をジオラマで再現。
昔懐かしい昭和テイストの町並み。
タッチパネルでいろいろなものを見ることができます。
クイズもあり、
初級篇・中級篇・上級篇と分かれ、
試してみたら、
初級篇は5問全問正解、
中級篇は4問正解。
上級編は1問だけ正解。
撮影に使った小道具などを展示。
昔の駅舎を再現。
駅員が切符を切っていた時代。
SUICAなど、発想さえありませんでした。
寅さんがした鈍行列車の旅。
エピローグは、
↓の3つに分かれ、
全作品ポスターギャラリーでは、
第1作のポスターに続き、次々とポスターが集まって、
最終的に50作分のポスターが並ぶ、壮観さ。
「歴代のマドンナ紹介」では、
マドンナが次々と加わり、
最後はカラーになります。
そして、「さくらの言葉と共に故郷を歩く」では、
さくらが寅さんを心配してつぶやくセリフの数々。
「今度はいつ帰るの。
桜の咲く頃、それとも若葉の頃?
みんなで首を長くして待っているわ」
「お兄ちゃんがいないとね
ご飯食べてテレビをボーと見て、
おやすみなさいと寝るだけなの。
いつだって
お兄ちゃん、どうしているかと
みんな思っているのよ」
「お兄ちゃんはさ、
カラーテレビもステレオも持ってないけど、
その代わり、
誰にもない素晴らしいものを持ってるもんね」
結局、「男はつらいよ」は、
寅さんとさくらの愛情物語だったのですね。
このコーナー、続けて2度見てしまいました。
胸がつまりました。
そして、このドアが開く。
外へ。
思わず涙ぐんでしまうような、
なつかしさにあふれた展示物の数々。
寅さんファンなら、感動の記念館でした。
なお、
渥美清さんの病気については、
1991年に肝臓癌が見つかり、
1994年には肺への転移が認められ、
主治医からは、第47作への出演は不可能だと言われていたがなんとか出演し、
第48作に出演できたのは奇跡に近いとのことでした。
1996年8月4日午後5時10分、
転移性肺癌のため文京区の順天堂医院にて死去。
68歳でした。
「戒名はつけるな」
「最期は家族だけで看取ること」
「世間には荼毘に付したあと、知らせること」
という渥美の遺言により、家族だけで密葬を行い、
遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付されました。
8月5日に山田監督が駆け付けた時にはすでにお骨になっていました。
見事な末期。
さくら役の倍賞千恵子のもとへは8月6日の夜中に連絡が。
訃報は8月7日に松竹から公表されました。
8月13日に「渥美清さんとお別れする会」が
松竹大船撮影所第9ステージで開かれました。
柴又の江戸川土手を模した祭壇の前に献花台が置かれ、
参列者の行列は1キロ離れた大船駅まで続いたといいます。
併設の山田洋次ミュージアム。
寅さん記念館のチケットで入ることができます。
というか、誰もチェックしません。
山田洋次監督の数々の映画にまつわる展示。
なにしろ、91本の映画を撮り、
今も現役の監督。92歳。
大船撮影所のミニチュアもあります。
松竹入社以来、一貫して松竹大船撮影所のみで仕事をした47年間。
ここは、映画館風に作られたコーナーで、
この機械で、山田洋次監督の全作品の予告編を観ることができます。
私は、一番好みの第6作「純情篇」 (1971) を観ました。
マドンナの若尾文子さんに失恋した失意の寅次郎が柴又駅から旅立つ時、
見送りに来たさくらに、
16歳の時の家出の際、
泣いていつまでも追いかけてきたさくらの話をして、
お互いに感慨にふけった後、
発車間際、
「つらいことがあったら、いつでも帰っておいでね」
というさくらに対し、
「そんな考えだから俺はいつまでも一人前に……」
と言葉に詰まり、
「故郷ってやつはよ、故郷ってやつはよ」
と言う寅次郎のその後の言葉は、
電車のドアに阻まれてさくらには聞こえない。
という心に残るシーンのある作品です。
京成電鉄は初回より撮影に協力。
日本の鉄道事業者で初めて鉄道施設内での撮影を可能としました。
当時は日本国有鉄道(現JR)でも
鉄道施設内の撮影は例外を除き認められていなかった時代です。
柴又の一角にあるこの二つの施設、
映画ファンなら、一度は訪れるべき場所だと思いました。
来てよかった。
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