若いころ、
肉体は自分そのものだった。
まず、
顔を見れば自分だと思った。
髪の毛は黒いだとか、
白人の女の子が金髪で憧れるだとか、
鼻が短くて不細工だとか、
背が低くてもっと伸びたいとか、
あいつ走るの速くて、かっこいいなあと感心したり、
なんだかんだと、
外見の判断が人そのものの価値になることがほとんどだった。
ところが、❗
心は自由になって、肉体に関して無頓着になってしまった。
肉体は自分そのものではなくなった。
少なくとも、
顔の造りがどうだとか、
歯の並びがどうだとか、
皺が増えてきたとか、
そんなことはあまり気にならなくなった。
いつしか、肉体は自分そのものではなくなっていたんだ。
だが、
肉体は相変わらずに、私の生命を支配している。
今回、
突然の病を発して、生命の危機を感じた。
生命の危機とは、肉体の危機を指している。
そのまま静かに安らかに亡くなるのであれば、
すーっと行っても良いかも?なんて思った。
だが、呼吸困難に陥って、
苦しみながら亡くなると、これは困ると思って、救急車を呼んだ。
ところで、
私の母方の祖母の兄に当たる方が、65才で心不全で亡くなっている。
私と同じような生き方の人だったので、
以前から、
この人の「運命の反復」を自分が繰り返しているのではないかという危惧を抱いていたが、
人生のサイクルとか、心の状態から見て、
多分、「生命の危機」期間に入っているだろうことは感じる。
今回の件で、それは多分間違いないと思う。
これを「運命の洗い出し」現象と呼んでも良いかと思う。
運命を疑似的に、おのれの人生上に出していくことで、
決定的な宿命が動くところを変えてしまう。
それが今回の入院騒ぎとなったと私は解釈している。
人はさまざまな関係の中で、人生を生きている。
生きるとは、他人との関係を持つということだ。
そして、
関係を持つことは、他者との因縁とつき合うということだ。
そして、
他者の持つ「気」というものと接していくことだ。
他者の気の質や内容や強さや、
そんなものの影響を受け続けることだ。
病気の元は「ストレス」にあるという。
それに負けることが、ストレスにやられるということなのだ。
気の圧力とでも言おうか。
だから、
人は「気」の質や内容や強さが高められなければならない。
これは、人生を逞しく、そして成功するためには、必要なことなのである。
そこで、
- 因縁解脱の行は、結論として、運命の洗い出しも行ってくれるんだと、改めて実感しているしだいだ。
🌟 人生成功には、因縁解脱は必須の行である。❗
【今回の教訓】
肉体は精神の乗り物であると同時に、我そのものでもある。
大事にしよう!