今まで、
沸々として自分の心の中にあった問題。
組織と個人の生き方について、
煮え切らなかったものがあるんです。
それは何かというと、
「組織と個」の在り方の問題です。
これまでの日本人の生き方は、
働く会社=組織に忠誠を尽くして生きる。
そうした生き方をもって、
安全を安心を得て、
家族を養い自分自身を養ってきた。
その生き方が今、
大きな問題を以って、
日本の国に跳ね返ってきている。
そう感じるのです。
なにを以って、そう感じるのかというと、
日本人の大半が?、無自覚な生活を送っている。
人々は大衆的な「羊」です。
多くの無自覚な、
上からの指示に対して無批判に、判断できない人々です。
その良い例として、
定年退職した男性は、
日がな一日、何も思わずテレビを見続けて、
食事をして、その日一日が終わる。
奥さんは、たまには外に出かけて、
気晴らしでもすればいいのにと、
内心、主人の在宅を煙たがっている。
こうなってしまったのも、
長い歴史を見る必要があると思いますが、
明治維新以来の政府の政策・指針に原因があるように思われます。
外国からの外力による開国要請を、
どうかわしていくか、
日本を外国の列強にどう対していけばいいのか?
それに対して、
日本政府は優秀な官僚を育成するための教育システムを導入した。
日本国という組織をとりあえず、
作り上げることを最優先課題とした。
企業はその人材を使って、
企業戦士に仕立て上げ、利益を上げることに血眼になって
活動してきた。
それが現在の日本人の生きる指針、
あるいはモラルまたは生活規範としたわけです。
その挙句に、
今の日本のていたらくぶりがあるわけです。
今の日本のていたらくぶりがあるわけです。
何を言いたいのかというと、
個人の自立した生き方について、
日本人は大きな問題を抱えているように思われるのです。
自分の人生をどう生きていくのか、
悔いない人生を生きていくための自立的な人生の在り方を、
日本人はやれているのだろうか。
家族を養うために懸命に働いて、
そして、子供たちが家を出ていったあと、
妻を置いて会社の仕事に精出して、
定年を迎えて、
もぬけの殻のようになってしまっている男たち。
社会的な責任をどう果たしていけばいいのか、
それさえも分からない、
無力な一人の男となり果てていないか。
これまで、
日本という全体のために、日本人一人一人は使役されてきた。
ところが、
その強いられてきた日本人の生き方・考え方が、
今の無力な日本といういう国にしてしまったのではないか?
そう思うのです。
日本を愛する者の気持ちからすると、
これは由々しき問題です。
組織という全体を重んじてきたことが、
個人という各細胞の健全さを考えないで、
全体が成熟することはないでしょう。
いろいろと論じられてきたけれども、
心の底から日本を愛し、日本人を愛して、
政策を実行しようとした政治家は、
なかなかいなかったのではないか?
そう思うのは、
内海聡さんの本を読んだからです。
本当に人を愛するとは、国を愛するとは、
どうすることなのかと、
教えてくれたのが、
今回の都知事選挙だったように、私は思うんですね。
これからの日本を、未来の日本をどうするべきか、
それが今問われているように思うのです。
(つづく)
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