六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

素戔嗚命は世界の王!(Ⅱ)

2021年12月20日 20時40分13秒 | 未来

❝八雲立つ、出雲八重垣妻籠みに、八重垣作る、その八重垣に❞
そう素戔嗚尊は歌われたという。

そこで、ふと思い出したことがある。
『古事記』における素戔嗚命は、
七頭を持った八俣大蛇を、
草薙の剣で退治したという話は有名だ。。

ところが、
その話は中東にある話が原型だというんだね。
そして、
その両親に当たる伊弉諾・伊弉冉の命の話も同様に、
伊弉冉が加具土命を生んだ時、
その火にほどを焼かれて亡くなってしまった。
その後、
伊弉冉は黄泉の国へ旅立った。

ところが、
夫の伊弉諾は亡くなった妻に会いたさの余り、
妻を追いかけて黄泉の国へ行ってしまった。
そこで、
伊弉諾は妻の伊弉冉に再会した。
懐かしさのあまり、
伊弉冉の名前を呼んだところ、
振り返った妻の顔は、
見るも恐ろしい顔になり果てていたという。

伊弉冉は自分の醜いを顔を見てしまった夫を許さないといって、
髪を振り乱して、伊弉諾尊を追いかけた。
伊弉諾尊は、
追っ手に対し、櫛の歯や桃の実を投げて退散させたという。

その場所は、古事記では比良坂という名前の場所になっている。
だが、
実際の場所は、
高橋良典氏に言わせれば、
アフガニスタンにある、
へラサカイトという場所なのだそうだ。

なるほど、
そして、須佐の王というのは、
スーサの王という意味になるようである。

つまり、
イランにスーサという都があるでしょう?
現在もあるが、
そのスーサから来ていると考えて、
まず間違いないと思う。

それらを統合すると、
『古事記』神話は、
中東にある話がモデルになっていると見える。

本来が中東から来ているスサノ尊やイザナギ・イザナミの尊たちは、
日本国を成立させるための神話を、
彼ら本来の故郷である中東から持ってきているのと考えられるのだ。

それらの話を、
あたかも日本にあったかのように作り上げていると解釈すれば、
辻褄が合う。

なるほど、
素戔嗚尊は、日本の出雲地方の神様だと思われているが、
実際はそうではないんだ、
中東をまたにかけて活躍した偉大な神々の話をモデルに、
日本建国の神話である『古事記』は作られているということなんだよ。

これでわかった。
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素戔嗚命は世界の王 !

2021年12月17日 09時46分07秒 | 未来

この本の中に、
秘密が書かれてある。
著者は高橋良典氏、
これまで書いた著作物は約20冊にも及ぶ。

あるインスピレーションに導かれて、
高橋氏の著作物に出会ったのは、
2017年1月のこと。

私はそれまでに十年以上、
古代文献を調べてきていたが、
一冊一冊の内容はある程度頷けた。
しかし、
それらの説を統合して一枚の絵図にしようとすると、
まったくそれぞれがばらばらの状態で、
一枚の絵にならなかった。
それぞれは一片のピースではあっても、
相互に補う一枚の絵にはならなかったのだ。

これではしようがないと考えて、
もうこんな作業は止めてしまおうと、
本は放り投げてしまった。

ところが、
正月も過ぎた1月中旬、
私の机の上に積んでいた本を何げなく見た。
そして、
ある本のタイトルをふと眺めていた。
そこでおもむろに、ある本をふと取り上げて、
ペラペラとめくってみたのだ。

うん?
一息入れて、その開いた頁の文章を読んだ瞬間、
これだ!
頭の中で、
ピーンくるものがあったのだ。
バットに球が芯に当たったような感覚があった。

占術でもなんでも同じなのだが、
本物に出会ったときに感じるヒット感覚。
それが高橋氏の本だった。

本を一冊読んで、
改めてこれだなと思ったのだが、
それでも念のために、
高橋氏のこれまで書いた本を読んで
検証するという作業を2年かけて行った。

高橋氏の本は、多岐にわたっていたので、
全体のイメージを掴むまで時間がかかったのだ。
間違いないという結論を得て、
私は知り合いに紹介を始めた。

私が一番に高橋氏の本を評価するのは、
これまで大前提とされている歴史がすべて、
ひっくり返ってしまうことなのだ。

私たちが教科書で教えてこられた歴史の内容は、
すべて捏造だったということ。
嘘だったということ。

それを未解読の碑文に記された文字から、
高橋氏は読み取って、
それを明らかにしたのが、
一連の高橋氏の著作物の内容である。

そして、
それらが白日の下にさらされると、
世界の歴史の評価はすべて変わってしまうということなのだ。

今回、
11月21日出雲大柴燈護摩供が大成功の裡に無魔行満したが、
そこでは、
世界の神々が集まり参加したという。

少し不思議に、
あなたは思わなかっただろうか?
なぜ出雲という、
日本のローカルな地で、神々をご供養申し上げる法要に、
世界中の神々が参加され供養を受けられたのか?

その答えが、
高橋氏の書かれたものを読むと理解できるのだ。
特に、
私は素戔嗚雄大神が、
単なる出雲のローカル神であることを許せなかった。
そんなことはことは、
とにかく許せなかったのだ。

神界の王であるはずの素戔嗚雄大神が、
そんなに低いところにいるはずがない。
そうおもっていたところに、
高橋氏の著作物に出会った。
そこには、
スサの王としての歴史的な業績が描かれていた。


やっぱりという想いだった。
古事記で描かれている母親を思って泣き続けるような
そんな未熟な男性ではない、
凛々しい、
そして、
人格の高い立派な人間としての指導者が、
歴史上の人物として、
そこには描かれていた。

多くの人々を救い出し、
幸福へと導いていった大いなる指導者。
それが素戔嗚雄大神として描かれていたのだ。

素戔嗚雄の魂が生き生きとして描かれていた。
そこには脈々として流れる素戔嗚雄の魂が記されていたのだ。

その素戔嗚雄の魂が、日本の国を創り上げたのだということに、
私たちは心から誇りを持ちたいと思う。
日本人であることに、
私たちは心底からの誇りと自信を持ちたいと思うのだ。

それが、
本当の歴史を学ぶということなのだと、
私は思う。
嘘の歴史からは、
自己のアイデンティティも得られないし、
自分に嘘をつきつづけることでしか、
自分自身を維持することはできないのだ。

高橋氏の業績に私は大いなる拍手を惜しまない。
凄い方であると称えます。
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心の解脱、身体の解脱!

2021年12月17日 02時40分07秒 | 仏教

ある言葉の意味を確かめるため、
インターネットを検索していたら、
中傷批判で有名なあるサイトに当たってしまった。

見てみると、
◎◎さんは何歳でなくなったとかいう記事が載っていた。
長寿を全うしてないと言いたいんだね。

一般の人がこういうことを書くのは、不勉強なんだから仕方ないと、
まあ許せるんだが、
こういうのを、
「生悟り」というんだと思う。

やはり知らないんだなあと。
そもそも、
宗教というのは、心の問題を追及する。
魂の解決を目的とするものである。

だから、
人は内面に意識が向いて、
心の面を重要視する。

だが、
相変わらずに、
私という存在は肉体を持っている。
肉体をともなった自己が、
そこには存在している。

そして、
肉体は変化する存在である。
生⇒成⇒衰⇒滅
というようなプロセスをたどって、
肉体は老化現象という名前で、
死へと向かい、
やがてこの世を去ることになる。

それは必然なのであるから、
違和感を唱えても仕方のないことなのだ。
魂・心は四次元の法則に従うのだが、
肉体は三次元の法則に従う必要がある。

だから、
解脱を追求する場合には、
肉体の健康を維持しながら、
魂・心の解脱を追求する必要がある。


魂・心は時間を越えて引き継がれていくけれど、
肉体はこの世という限定された時間に縛られるのだ。

考えて見ると、
そんなことは当たり前の事である。
それを「おかしいじゃないか」と異論を自体がおかしいのだ。

肉体=物質と、魂・心は別物である。
肉体は魂の乗り物だと喩えられる。
まさに肉体は、
魂の意思を実現するための乗り物であり、
手段だと考えることが大事だろう。

心の幸せを追求するあまり、
いつの間にか、肉体の限界に被けないで、
その追及に夢中になる人がいる。

その結果、
運気が落ちたような時期に、
その人が本来持っている肉体の弱い部分が故障を起こしたり、
または死滅したりする。

宗教はあくまでも、
魂・心の平安や幸福を追求するのだが、
そのためには、
肉体の事情を考慮しながら、
健康を維持して、
健全な肉体というものを保っていく必要がある。

病気になったり、その結果死亡に至ったりした人には、
自分自身を大切にするようにねと言うしかないね。

そして、
この世での使命を終えた人には、
長命だろうが、
短命だろうが、
全く関係ないということだ。
肉体はこの世だけのもので、
もう用済みなのだから。
もし次の人生を望むなら、
次の肉体を求めればいいのだからね。

そうやって、
人々は生き死にを繰り返してきたのだ。
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今だ、立て!

2021年12月09日 12時53分54秒 | 未来

寒中、滝の中、
声が響いてきた。

今だ立て!
そういう声が、
師の頭の中で響き渡ったのだった。
一瞬、
師は周囲を見わたされた。
だが、
誰もいなかった。

仏様の声だった。
一体どういうことだろうか。
立てと言ったって、
一体何をすればいいのかわからなかった。

それが来る日も来る日も、
滝行の間、
聞こえてきたのだ。

腹を括るしかなかった。
やれと言われたらやるしかないが、
途中で失敗しても俺のせいじゃない。

そう観念して、
師は因縁解脱の修行を始められたのだった。
やると言っても、
自分には、
若い時から研鑽してきた運命学しか持ち合わせていない。

その運命学を使って、
人助けから始めるしか他には方法がないと決意した。
そして、
一軒長屋を借りて、
弟子と二人で、出家修行のようなものを始めた。

それが真実の宗教=阿含仏教、
そして完全宗教を立てられた師の出発だったのだ。

弟子の私もそこから始めるしかないのだろうか。
そう自問自答する。
初心に戻って、
一から始めるのが、
一番確かな道なのではないか。

師よ、
今一度ご指導を仰ぎたい、
どうか、
我に新たな道を指し示し賜らんことを。
今一度、道を示したまえ!
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12月8日、John・Lennon命日

2021年12月08日 16時24分40秒 | 未来

12月8日と言えば、
ジョンレノンの命日ですね。
ふと思い出して確かめましたよ。

最近、
ジョンの曲を聴くことがあって、
改めて思ったのは、
ビートルズ時代の曲には、
ポールとの共作が多かったですけどね、
印象に残るギターフレーズにしても、
私からすれば、
この音効いてるなあという意味で、
やっぱりジョンなんです。

そして、
ビートルズ解散後のソロアルバムでは、
Isolation(孤独)とかMother(マザー)、
Love、Imagin,など、
とてもシンプルでリアルです。

これは人の《想い》に深さを与えているように思えます。
そして彼の深い経験から生まれた切実さを感じさせます。

Love(ラブ)などはその最たるものでしょう。
Love is real, Love is feeling, Love is touch, Love is free, Love is reaching,
Love is you,you and me, Love is living, love is wanting to be lived,

ざっと列挙してみたんですけど、
言葉が実感そのものですよね、
そして、
彼の誠実さがあふれている。
心から洋子さんを愛していることが分かる。

それをシンプルに歌い上げることで、
彼はその真実味を表現したんだとわかる。

だから、
彼は詩人でもあったんだと思える。
単なる歌手なんかではなかったんだと。

そしてわかるのは、
彼の言葉は前世において培われたものだということ。
前世での体験が、
彼を詩にして表現せしめているんだ。
そう思わせる深い言葉のように感じるのだ。

以上のような想いを抱きながら、
彼の来世はどのようなものになるのだろうか?
そう思ったりもするのです。

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