MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

枝垂桜と土地の歴史を語る100歳老女

2015年04月21日 | あらかると

先日、以前に撮影した地元の枝垂桜を撮りに行った。
時期的には遅すぎて、ほとんど葉桜状態であったが、
桜の木の下の菜の花が満開で、それなりに撮る事が出来た。

桜を撮っていると、乳母車を押して散歩にやってきた老女に声をかけられた。
私は撮影をやめて四方山話になったのだが、
その枝垂桜の由来や敷地のことについてよく知っており、
話し込むことになった。


近所の人で、昔からこの地に住んでいるといい、
いまは側溝となって汚れた水が流れている小川は、
昔は澄んだ水が流れ、良く洗濯に行ったと言う。
膝近くまで水に浸かり洗濯をしたが、気持ちいいほど汚れが落ち、
時々やってくる雑魚類も手掴み出来るほど泳いでいたと言う。

農家なので、春がやって来ると早起きをして田畑に出ると気持ちよく、
農作業は辛いこともあったが、春だけは楽しかったのだと言う。

桜のある1000坪(3300㎡)ほどの空き地は、
もともと大農家の屋敷畑(家の敷地の中にある畑)で、
空き地の隣にある竹林(こちらはもっと広い)は屋敷林と言うことだった。


昔は広大な屋敷だったが、兄弟間でいろいろあって、
一時期は漁師も住んでいたことなどを、
事細かに教えていただいたが、その経緯はとても覚えられるものではなかった。

話が古いので「まだ武蔵野線も無かった頃ですよね」と問うと、
「電車なんてとんでもない何も無かったよ、
その辺の住宅はもともと畑とか田圃だったし、
国分川周辺は全て田圃だったよ」と・・・・

さらに、年はとっているが毎日が楽しいとも。
子達や孫達は優しいし、良くもしてくれるし、
暇があればTVを見るのが楽しいという。
毎日の散歩も楽しいという。
年齢を問うと「幾つに見える?」と言うから「100歳くらいですか」というと、
否定しなかったので、100歳ぐらいだったのかもしれない。
言葉もはっきりしており、まだまだ長生きしそうなおばあちゃんだった。

「長生きしてくださいね」といって別れたが、
「あなたもね!」と言う言葉が返ってきた。
何気ない言葉だったが、その言葉には、
日々優しさに包まれているおばあちゃんの優しさが感じられた。

見送りながら、失礼とは思いつつ思い出のために1枚取らせていただきました。


おばあちゃんの生きてきた時代や近隣のお家騒動や、
昔の光景などは、映画とか小説になりそうな世界だった。

下の写真は同じ場所の2011年4月撮影の枝垂桜。
僅か数年で幹が3倍近くになっており、
当時は菜の花の数も少なかったことが写真から判断できた。
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