うめちゃんのグダグダな日

希望はないけど、不安がある。
面倒くさいで、自己完結。
眠ったままで、目覚めないことを希望する。

半分降りたら心に平安

2020-01-11 14:42:48 | 日記

何もかも、そう、自分の心すら、意識の思い通りに操れない〜〜

「『私の心よこうなれ、こうなるな』と心に命じて

支配することはできない」

 

つまり、「思い通りに支配できない」→「勝手に変動する」→「しかし

意識には思い通りでないとイヤだと言う欲があるため、不満足に陥る」

 

人生で究極まで満足がいって、「もうほかに何もいらない」と

完全なる心の平安に至ったことなどないはずで、どんな良い人といても、

どんなに良い環境得ても、必ず「もっとここをこう変えたい」と感じ

不満足すなわち苦しみに陥ってきたはずです。

 

心は「幸せになりたい=満足したい」ように設定されてる一方で、

自然に変動して(無常)、思いに従わない(無我)

ゆえに必ずや不満足に戻る(一切皆苦)

仕組みになっているということ。

絶対にかなわぬゴールを目指す不条理なゲームを、

生きている限りやらされているようなものですね。

トホホー

この人生というゲームが絶対クリアできない

いわば無意味な”クソゲー”なのだと見破って

ゲームそのものから半分降りることによってこそ、

心の平安を見出すことを勧めているのです。

(釈迦による教え)小池龍之介

 

 

この言葉は新聞に載っていたのですが、私の腑に落ちました。

どんなに楽しくとも、悩んでいようとも

その人の死によって一切合切の決着がつきます。

 

悩んで苦しい時、クソゲーから降りたら、

平安が半分ぐらいは戻るそうですよ。

どうにもならないことに固執するあまり、

考える自分はエライと思わないことです。

鼻歌の方がエライに決まってます。

(皺うめの補足)