何もかも、そう、自分の心すら、意識の思い通りに操れない〜〜
「『私の心よこうなれ、こうなるな』と心に命じて
支配することはできない」
つまり、「思い通りに支配できない」→「勝手に変動する」→「しかし
意識には思い通りでないとイヤだと言う欲があるため、不満足に陥る」
人生で究極まで満足がいって、「もうほかに何もいらない」と
完全なる心の平安に至ったことなどないはずで、どんな良い人といても、
どんなに良い環境得ても、必ず「もっとここをこう変えたい」と感じ
不満足すなわち苦しみに陥ってきたはずです。
心は「幸せになりたい=満足したい」ように設定されてる一方で、
自然に変動して(無常)、思いに従わない(無我)
ゆえに必ずや不満足に戻る(一切皆苦)
仕組みになっているということ。
絶対にかなわぬゴールを目指す不条理なゲームを、
生きている限りやらされているようなものですね。
トホホー
この人生というゲームが絶対クリアできない
いわば無意味な”クソゲー”なのだと見破って
ゲームそのものから半分降りることによってこそ、
心の平安を見出すことを勧めているのです。
(釈迦による教え)小池龍之介
この言葉は新聞に載っていたのですが、私の腑に落ちました。
どんなに楽しくとも、悩んでいようとも
その人の死によって一切合切の決着がつきます。
悩んで苦しい時、クソゲーから降りたら、
平安が半分ぐらいは戻るそうですよ。
どうにもならないことに固執するあまり、
考える自分はエライと思わないことです。
鼻歌の方がエライに決まってます。
(皺うめの補足)