さかのぼること江戸時代
俳句と言えば、庶民が遊びで始めたものらしいとどこかで読んだ記憶
「どうだい、最近は?」
「いやね、や・かな・けり ってやつを始めてね~」
なんて挨拶を交わしていたんだとか^^
「や・かな・けり」とは俳句の切れのことである
その庶民の遊びから始ったものを文芸として確立したのが
誰もが知るところの芭蕉であった
私が俳句をかじりだして間もない頃
句友(角川に常連で入選していたけど、今は句から離れている)に
連れられて行ったのが滋賀県の「義仲寺」であった
そのお寺には芭蕉が眠っているのである
夏休みでもあったので2人の女学生に出会い
芭蕉のお墓の前で写真を撮ってと頼まれた
お墓の前で?私はギョッとしたのであった
金色に染めた髪、耳にはピアスの彼女たち
お墓の前でピースのポーズ
夏休みの課題であるのかしら、ノートに何やら記していた
いやはや、芭蕉さんもさぞかし驚いたことでしょう^^
風ひとつない蒸し暑い日であった
小さな池には夏萩がこぼれて浮かんでいたが水は濁っていた
こぼれ萩はピクリとも動かないのが思い出される
そこで句会も行われているようで小さな建物の中には机が並んでいるのが
ガラス越しに見えていた
縁の下が丸見えで瓦が積まれていたのが何故か印象的だった
友はもう一つの土蔵のような建物の中の「黴」をじっと見つめて
何やら1句浮かんでいる様子であった
後に句会でそれを投句して先生に〇を貰っていたことも思い出される
その頃、私はカメラも持たず、ましてや今みたいにブロガーになるとは
夢にも思っても見なかったことであった
携帯には写メったのですが、その携帯も過去のもので
今は何台目やら忘れるほどになっている
「makoちゃんも、お墓の前で写真を撮ったら?俳句が上手くなるかもよ」
恐れ多くてそんなこととても出来ませんです、ハイ
受付には扇風機が回っていたが誰も居ず
中に向って声を掛けたら年配の男女が出ていらっしゃいました
パンフレットを読むと「義仲寺」の歴史や芭蕉との関わりが書かれていて
興味深いものがあった
玄関脇に「芭蕉」の木が植えられていて大きな葉は裂けていた
義仲寺を一歩出れば、ショッピングセンター「パルコ」が見えていた
何とも不思議な世界にいたのであった
さて、この画像
びわ湖の中に浮かぶ、その名も「浮御堂」
今回の熟女四人衆の旅の一日目はここであった
芭蕉は度々ここを訪れていたようで句碑もあった
「何て書いてあるの?makoさん」
・・・解りません・・・テヘ^^;
パンフレットにはこう書いてありました
『比良三上 雪さしわたせ 鷲の橋』
三上山とは近江富士のことで
雪の時期にこのびわ湖から観える近江富士を詠んだらしいということは解ります
さすが、芭蕉さん、大景はこのようにして詠むのですね
投句箱も設置されていて
makoさん、一句詠まなくっちゃ、って誰かが言ってたけど
ムリ、ムリ、未だにここでの句は出来ていません
義仲寺での出来事は何度か詠みましたが句会でも没
でも、あるとき、ふとよみがえり、佳句となることを願っている訳でございます
此度の旅は義仲寺でのことも含めて
近江はまだまだ旅してみたいところであると再認識したのでありました
ふふ、食べ物紀行ばかりではありませんので、念の為ね^^v