♪♪・・・アートイルミ・・・♪♪
これは、アートイルミネーション。センタリングとシャッタースピードの成せる業。でも、アートの基本。
さて、昨日は久しぶりにゆっくりと俳句誌・角川俳句・9月号に目を通してみた。
と言っても、作句前のほんのウォーミングUP程度のことで一冊を事細かに網羅したことはない、一度も^^;
で、特集記事に目が行った。
「惜しかった句」の選者先生別のワンポイントアドバイス。
朝妻 力先生は・「声を出して読んでみる」
五十嵐秀彦先生は・「地声の聞こえる句を」
井上泰明先生は・「もう一歩前へ」
今井 聖先生は・「母の日の母」と「孝」
岩岡中正先生は・「本当の感動を」と題して
それぞれの観点でアドバイスをしてくださっていました。
で、読み進めてゆくうちに、びっくりしました。
岩岡中正先生は、9月号で私の句を採ってくださっていた先生です。
その先生のアドバイスの句に、こんな句が引き合いに出されていました。
ほんと、びっくりしました^^;
引き合いに出されていた句はこうでした。
「母の日の母を叱りて母を抱く 黒澤正行」
うわぁ! この句、いいなぁ~、私の句と似ているけど、この句の方が愛情が深くていいなぁと感じたのだった。
だけど・・。
何と目を疑った^^!
このように書かれていたのです。
「母を抱く」まで言うのは言い過ぎ。これを省略して、「叱ってしまひけり」で止める。
俳句は過剰を嫌う。
と書かれていて。
あら、私の句、そのものではありませんか!
・・・って、私、盗作したってこと?、何これ?
母の日の母を叱ってしまひけり mako
落ち着け・・・mako よ。
私の句は、投句したのが6月であって、つまり、この記事の掲載される3か月前のこと。
句意も、母を叱った積りはなかったけど、
本人がそうとったのは事実で、後に父との会話の中で「makoに叱られた」と本音を漏らしていたのだった。
「私の存在を無き者にされた感覚が悲しかった」ことを今も記憶している。
もう、「参らして貰いたいわや」は、何と悲しい言葉。
実母を幼くして亡くし、その上、養母の思ってもみなかった悲しい言葉。
精一杯の反抗の言葉で、何を言ったか憶えていないけど、「叱られた」と母は思ったに違いない。
ドのつく素人の私ですから、ただ感覚だけで、感性だけで作っていて、
叱ってしまった理由やその後の行動については読者に委ねる、そう「委ねる俳句」、得意の分野です^^v
岩岡先生が、このワンポイントアドバイスを書かれるにあたって、
私の句を引き合いに出してくださっていたのだと確信した次第です。
偉そうに、ですね^^;
「秀逸」で採ってくださった意味も判りました。
岩岡先生に感謝ですね。
という、俳句日誌でした^^v
たまには、手前味噌^^;