とある日

大道芸、喫茶店、蝋梅、街歩き、映画、京都など。

この世界の片隅に

2016-12-30 22:38:39 | 映画
シンゴジラ以降に久しぶりに見に行った映画なのに感想を書くのを引き延ばしてきた。
公開後すぐにun-paさんがTwitterで絶賛されており、必ずや行こうと思ったのです。
私の母は広島出身で黒い雨の体験者でもあり、親戚も広島に居るので、小さい頃から広島に何度となく行っていた。
小学生の時に平和記念資料館に連れていかれ、強烈な衝撃を受けた。
見ないでいいのならばとできれば避けて通りたいような忘れたい思いもあった。
でも、それは忘れてはならない現実だった。
繰り返すようなことがあっては決してならない。
絶対に。絶対に。

ただ、映画の印象ですが、今もきっとTwitterでは絶賛の嵐なのでしょうが、ピンと来なかった。
映画の後半は確かに涙が止まらず、しばらく赤みが引かなかった。
でも、どうも気が散ってしまう。ストレートに入ってこない。
そこが、深刻にしないのがあの映画のよさなのだろうけれども、他の人がいつまでも引きずる熱情は沸いて来なかった。
やはり緩慢な頭を持つ私だけなのかもしれないけれど、最近になって何故私が絶賛する人たちの仲間に入れないのかと思った時、
あの映画の少しエロいところが引っかかるのかもと気付いた。
やわらかい画風と言い、傘の話とか、再会した人との夜とか、そっちがやけに頭に残っちゃって。
きっと私だけですね。
さりげなく淡々とと言いながらも、戦争が始まってからの生活や深刻さは伝わる描写なのに、何故なんだろう。


近年一番泣いてどうしようもなかったのは、今はなきシネパトスで見た「3丁目の夕日」だった。
目が赤みどころではなく、赤くて赤くて立ち直れなかった。
今も土手で夕焼けを見るシーンなんか思い出したらどうしようもない。
あの家族みたいにニコニコ眺めてなんていられない。
夕焼けなんて人生の終盤のお知らせみたいなもんに見えてしまう。
人情やら家族の暖かさや近所の人たちとの一体感とかベタだけれど、遠く記憶にある懐かしい感情がよみがえる。
はかなさをそこに感じてしまう。
て話がそれてしまうばかりだけれど、世界の片隅にを見て、他の映画を思い出す私でありました。