とある日

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心を置いて飛んでゆく 2016.12.17.

2016-12-19 10:28:27 | 舞台
ながめくらしつ。
土曜日の夜の回へ。
前回の印象は吹っ飛んでとっても良い舞台でした。
セリフのない演劇のような舞台作りで見やすかった。
もともとジャグリングの技巧的なことには興味がないので、
どこまでのめり込んで見ていられるかを決して安くない観劇料に対して感じてしまう。

今回は高台の舞台ではなく地続きの床が舞台で、のびのび広くぐるぐる。
音楽担当の3人が絵画のように後ろに同列に並んでおり、それぞれの上にオレンジのライトがポツンとあって、
それだけでも雰囲気が良いのに、音楽が物凄く良かった。
以前聞いた坂本さんのギコギコしたよくわからない感じではなくて、ピアノとドラムが入るとジャズのセッションみたいでまさに好みの音楽。
気持ちよくなった上にきれいな動きの人たちと、輪っかがぐるぐる回っているから余計にゆったりとする。

そんな中で界くんとハチロウさんが核となるような、長く舞台の中心になっていろんな動きを醸し出すのですが、
それはきっと見る人それぞれに技術的にハッとしたり、見入る瞬間がありそうだけど、
その後のリングマンにしても、私はその3人が普段演じているモノを特化させた、執拗に突き詰めた形に見えて、
ちょっとコメディ的な滑稽さを感じた。
それがサーカス?クラウン?

で、ラストのエアリアルもキレイというよりも布が蜘蛛の巣のようにごちゃごちゃしていて、
せっかくのお二人の美しさが見えにくく、イラっとしたのだけども、これもその執拗さなのでしょうか。

ジャグリングの舞台というとキメどころの失敗が心配でしかたない瞬間を想像してしまって、ハラハラドキドキするかと思ってしまうけども、
こうして音楽の生演奏と合体(二つが対等な感じの位置付け)させたものだと楽しいし、どんな人も見やすいと思う。
あとはちょっとした芝居要素かなぁ。演劇のようになったからこそ。
何か物足りない。
Twitterで流れてくるものを見る限り、舞台では言葉では何も言っていないし説明していないのに個々の解釈やら意味するものがあったりで、
どうしてそんな風にわかったように書けるのかがわからない。私が緩慢なのかな。
受け取り手の自由と言えばそうなんだけど、題があるとその題がなるほどと思えたらと。。。

森田さんは歯医者さんみたいな衣装でした。