お正月、お盆、春と秋のお彼岸 その他数日、夫の両親が亡くなってからも 日帰り、又、お泊まりで 良くお世話になりました。
義弟(弟)は車のエンジンの音が家の前で止まるのを聞きつけ
「おかえりぃー」とニコニコしていつも出迎えてくれました。
その優しい弟の姿をもう二度と見る事が出来ないのです。
2月25日、弟のかわいい初孫ちゃんの初節句のお祝いを無事済ませ、
午後の面会時間に間に合うように急いで病院へ駆けつけ、眠ったままの弟に楽しい節句の祝いの席だった事を報告しました。
その日は私達も、福岡の弟達もそれぞれ家路に着きました。
そして、27日の午後7時頃 甥っ子から危篤の知らせ
私はいつでも運転できるようにアルコールを禁止していましたが、
前日の26日は2人ともアルコールを飲んでいた(私も)のです。
連絡のきた、この日は飲んでなくて本当によかった・・・のです。
荷物を急いで取り纏め 私の運転で2時間程の道程を走りましたね。
病院に着いたのは午後9時回っていました。
ICU室に通して貰い弟に声かけますね。
「姉ちゃんと兄ちゃんが会いに来たよ」
福岡の弟夫婦が着いたのは深夜12時過ぎていましたね。
その時もICU室に入れてもらって
悲しく皆だんだん言葉少なく ただ穏やかな顔をして横たわる弟の両手、両足、顔をそれぞれがさすってあげるのでした。
次の面会は深夜3時頃と言われ、皆、待合室で少し横になります。
午前3時の面会の後、「次は6時頃ですね」と言われていたのですが、
6時前でした。 心拍の乱れる様子から看護師さんには死期が近い事がわかるのでしょう
「皆さん中へお入りください」と 弟が横たわるベットの周りに椅子を用意して下さっていました。
救急車で搬送されてから約1ヶ月
弟は初孫の節句の祝いまでは頑張ってくれていたのでしょうか、
お祝いを済ませた3日後の朝
2月28日 朝 7時 頃でしたね。
弟の嫁ちゃん、2人の息子、福岡の弟夫婦、そして私達の見守る中、
心拍0ーーーーー少し脈打って 0ーーーーー
穏やかな顔をして横たわっている弟の姿は何も変わってない
「エッ? どういう事?」信じられないそんな思いでした。
弟は、とうとう天国への階段を登り始めたのです。
弟の額に嫁ちゃんが自分の額を重ね「お父さんありがとう、ありがとうね」とつぶやく姿が忘れられません。
「痛かったねー」「しんどかったねー」「きつかったねー」
「悲しいよー」「寂しくなるよー」「ありがとうー」「ありがとう」「ありがとうね」
「嫁ちゃんの事は心配しなくていいからね、これからもずーと仲良くしていくからね」
みんなは手足に触れながら代わる代わるそして弟の耳元で言葉をかけるのでした。
ベットの枕元にはICU室に入室できない、幼い初孫ちゃんの写真。
そして虹色に綴じられた千羽鶴
東北に住む、我が家の次男の家族が「遠くてお見舞いに行けないから」と
息子と嫁ちゃんと、3年生のはーちゃんと、年中さんのちーちゃんと、2才のすーちゃん、
皆でせっせと、おじちゃんの回復を願って折り鶴を折って送り届けてくれたのでした。
千羽鶴も悲しく見えます・・・。
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