「ガオーのおじちゃん」 と言うだけで、わが家の孫たちは、じいちゃんの弟の事だと分かるのです。
ガオーのおじちゃんの家に遊びに行くと おじちゃんは等身大のトラのぬいぐるみを出して遊ばせてくれました。
大きな本物そっくりのトラは動物園の檻の中で横たわっているような姿をしています。
自分達より大きなトラのぬいぐるみを
孫たちは 最初は怖がっていましたが、
怖くないとわかったら、跨って馬乗りしたり、パンチしたり、又 引きずったり、背負ったりして大きなトラのぬいぐるみと一緒に遊んでいました。
近くの浜に潮干狩りに・・・・・
おじちゃんはバケツの中に貝堀道具、マテ貝用の塩など入れて、貝堀りグッズを何人分も準備してくれていました。
おじちゃんはいつもにこにことして我が家の孫達を大歓迎してくれました。
もうこれから、何度遊びに行っても おじちゃんと会うことができないんですね。
お医者さんからはかなり厳しい状況を告げられていたのですが、
奇跡が起こりますように・・・・・奇跡を・・・・・と家族みんな願い続けながらも、
弟の辛い状況を目の当たりにする、悲しい現実もありました。
弟(義弟)が亡くなったのは 平成29年2月28日
福岡の弟夫婦と私は、1ヶ月間、家に帰っていない弟を「おかえりなさい」と迎える為に一足先に家に帰りました。
お正月過ぎという事もあり、
床の間には中国の紅梅の大きな掛け軸が掛かっていました。
取り外さないといけないですね。
後には、父さんと私、車遍路で四国八十八箇所を巡っての御朱印で作られた掛け軸を掛けました。
二軸共とも 父さんと私から 日頃の感謝の気持ちでプレゼントしたものでした。
お布団は・・・ お布団は・・・ 弟が使っていたであろう布団に綺麗なカバーをかけて
弟の帰りを待ちました。
変わり果てた弟は、病院から自宅へ。
薄茶色の芝生 草はなく相変わらず綺麗な庭です。
自分のお気に入りの場所、手入れの行き届いた五葉松の傍、畳1枚ほどの平たい庭石が置いてあります。
その石に腰掛け、庭を眺めながら、ゆっくりのんびりタバコをのめる弟の憩いの場所だったのです。
そこを横に弟は、お縁からお家の中へと運び込まれました。
訃報を聞きつけた人々がお参りに来てくださいました。
嫁ちゃんは15年ほど前、建てた自分達の家で ゆっくり過ごさせたいと、
28日夜 仮通夜を自宅で。
ほとんど病院の待合室での生活で、
悲しみ疲れ果てた嫁ちゃんが弟の枕元に お布団を敷きそっと横になる姿が余計に悲しいものでした。
3月1日 本通夜を 近くの斎場で、弟の人柄を忍ばせますね。
たくさんの方、本当にたくさんの方々が駆けつけて下さいました。
おじちゃんにかわいがって貰った 甥っ子、姪っ子、我が家の長男、長女の家族も集まりました。
孫たちもガオーおじちゃんに「ありがとう」とお別れにきました。
東北に住む我が家の次男は 1、2,3日とお休みを貰って 遠いこともあり一人だけ来ました。
お通夜の夜は斎場が近いので 弔問客が少なくなる、夜10時位になると弟を自宅へ連れて帰ることにしていました。
もう一晩、皆と一緒に過ごせてよかったのです。
嫁ちゃんはその夜も 弟の傍にお布団敷き 一緒に横になります。
黄泉の国へと旅立つ弟に 持たせてあげたい物を 嫁ちゃんと二人の息子が準備します。
タバコが 好きで止められなかったのですね。
あれほど止めてほしいと願っていたけれど
棺の中にはたくさん持たせてあげたいといくつもタバコを用意していました。
焼酎、背広、大好きだったチョコレート 頂いた、たくさんのお花、
我が家の次男の家族が「ガオーのおじちゃんが元気になりすように」と願って折った虹色の千羽鶴も一緒に。
私は 弟に 持たせてあげたい物の一つに般若心経の写経をしてほしいと皆に提案しました。
半紙と筆ペンを用意して 「字が上手下手 気にしないで、気持ち一筆でもいいので書いてね」と。
極楽浄土へ 迷うことなく行けますように この方はたくさんの人々の為に良い行いをされた人です。
私達が保証します、そんな気持ちですね。
残された親族からのお守りになれば・・・ そんな願いと思いからの提案でした
皆で書いた、半紙4枚の般若心経の写経を三つ折りにしたのを、白紙の半紙に包んで、棺の中に収めさせて頂きました。
お葬式は3月2日 午後1時から
地域的に 朝の内に火葬されるのです。
嫁ちゃんは喪服を着ます。
一人の姪っ子が髪を整えてくれました。
私は着物の着付け担当です。
その日は夕方まで着ていなくてはいけないので 念入りに着付けをします。
朝9時出棺です。
その前にお坊さんが来て お経を唱えてくださいます。
その日の朝は雨が降りましたね なみだ雨です。
でもその後は 陽がさし、
朝7時過ぎでしたね。
誰かが「虹が出てるーーー」と叫びました。
僅かな時に消える虹を見たいが為に、私は裸足で飛び出してしまいました。
西の空に 大きな 大きな虹が架かっていたんです。
弟を極楽へと、何方かお迎え来て下さっていたんでしょうかね。
霊柩車に乗った弟は元いた職場と両親と住んでいた場所を廻って
火葬場へ・・・・・・・・・・・。
お葬式にはたくさんのお花、籠盛り、を頂き、たくさんの方々が参列してくださいました。
まだ 今でも 弟が この世にいないのが 信じられないのですが、
一七忌 二七忌 三七忌 四七忌 五七忌 六七忌 七七忌 四十九日を迎えます。
にこにことした遺影を前に、弟にいいお導きがありますように・・・・・と
七日毎にお線香をあげに車を走らせました。
嫁ちゃんは少しづつ元気になっているように見受けられますが、
自宅にお参りに来て下さる方がいたりとか、
まだ、仕事をしていて突然の不幸だったので、
いろんな書類が送ってきたり、書いて出したり、
「頭が回らないんですよ・・・」と
人が亡くなるというのは色々手続きがあって悲しんでいる間がないようですね。
本当に寂しく悲しくなるのはこれからなのでしょうね。
初孫も出来たので今年の五月頃からじいちゃんとばあちゃんと一緒に暮らそう そのような計画もあったようです。
甥っ子たちは、5月の連休頃、お引越しして 一緒に住むような段取りをしてくれるようです。
大きなお家で嫁ちゃんの一人暮らしは寂しいですから、
私たちは一安心です。
3兄弟 一番最初の海外旅行、行きたい先候補は イタリアでした。
でも、実現できたのは、香港、マカオ、ドイツ、スイス、フランス、台湾 国内も 行きましたね。
3夫婦 6人で 飲んで 食べて 笑って とっても楽しい 楽しい 旅でした。
よく 行く先々のツアーの方々から、
「兄弟3人、 それも嫁さん3人一緒の旅行いいですねー」とお声を頂きました、
6人での楽しい時間は台湾旅行が最後となりました。
福岡の弟が「いつか絶対イタリア行こう・・・」と言っています。
きっと、又、いつの日か、いつの日か、 イタリア行 計画立ててくれることでしょう。
その時は弟(写真)も嫁ちゃんも勿論一緒です。
実現できますように・・・・・・。
平成29年 1月 楽しい台湾旅行から帰って 10日後の出来事で、
それから1ヶ月後、主人の末弟の悲しい死でした。
お彼岸にお寺参りの時、近所の方に会いました。
「身内を亡くした様に悲しい」と涙して下さった方もいました。
私は長男の主人と結婚して 両親の住む町と離れていて暮らしていました。
弟達が同居することになり、
介護認定4の認知症の母と頑固者の父と両方とも亡くなる3ヶ月前まで、一緒に生活してくれました。
楽しいことも 又 それ以上の辛いことも みんな 弟と嫁ちゃんで受け止めてくれてのでした。
40数年、たくさんの関わりがあって、感謝を言葉にするとまだまだ書きたりないほどです。
誰にでも分け隔てなく優しく、とっても素晴らしかった弟との縁に感謝し、
ありがとう、ありがとうの気持ちを添えて ほんの一部綴らせて頂きました。
陽春院廣篤清岳居士
残された私たちは
貴方の事を、春になれば思いだし 夏になっても思いだし 秋になっても思いだし 冬になっても思いだし、
生涯忘れることなく、決して忘れることはないでしょう。
残された貴方の家族 、特に初孫ちゃんと甥っ子のお嫁ちゃん これからも、 私達はそっと見守っていきたいと思います。
どうぞ 残された家族の安泰をお守りなされませ。
どうぞ、安らかに お眠りください。
ありがとうございました 貴方とご縁がありました事を心より感謝しております。
追記
昨日、七七忌 四十九日の法要を無事終えることが出来ました。
甥っ子、姪っ子達、我が家の孫達もみんな集まった事に
「おじちゃんが喜んでくれる」と嫁ちゃんはたいそう喜んでくれました。
我が家の次男は遠くて来れないですね。
lovely長崎の息子なんで、本当は来たかったでしょうね。
写真は我が家の庭に今咲いているお花です、
エリカ、ラナンキュラス、クリスマスローズ、ストック、撫子、金魚草、都忘れ、シンビジューム、
斑入りギボウシ、アジュカ、カランコエ(福岡の弟から貰った花も一緒に)
小さくても一輪でも 自分で育てたお花を飾るのが好きな私は、
弟に喜んで貰えるようにと頑張ってアレンジして
仏前に供えさせて貰いました。
話が重複したり、前後したりの文章で
読みづらい所も多々あったことと思います。
ご訪問頂き、最後まで目を通して下さいまして、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
こちらこそ、ありがとうございます