42の3『岡山の今昔』江戸時代の三国(17~18世紀の藩政改革・美作)
この時期の津山藩の藩政改革でいうと、その名がつくものとしては、まず「宝暦の変革」がある。
これが実施されたのは、1759年から1761年にかけての、松平氏の治世になってからはや半世紀余り、もはや先代森藩からの宿題を云々することはできなかったであろう。
その狙いとしては、「徹底した財政問題に絞った」(「津山市史」第4巻、近世2、松平藩時代)とされている。
手始めになったのは、10人もの大庄屋の更迭であった。しかも、それまで帯刀を認められていたの剥奪されたのにとどまらず、平百姓を申し付けられたというのだから、驚く。
なぜなら、改革というのなら、彼らの上に立って実際を取り仕切っていたであろう武家の面目をなんと心得ていたのか、責任転嫁と言えなくもなかろう。
その実は、10万石から5万石に減封になったことに加え、江戸鍛冶橋門内(現在の東京駅)の上やし屋敷が全焼したことによる再建など諸々の「御用向き」があったのだと、大方には解説されているようだ。
やがて、松平康哉の治世になると、先代の長孝が行った「新法」を吟味してみたという。先代では、庄屋制度を廃するなど藩政改革を行なうことで藩財政などの再建を目指したという。けれども、実績が上がらないまま、重臣たちがとりあえず続けたのかもしれない。
そして迎えた1771年(明応8年)の康哉は、父が始めた新法による改革を一旦廃し、新たな決意で藩政改革を行う。先代改革の全てが失敗したというのではなくても、領民から搾り取るばかりではいけない、と判断したのではないか。
その正式な触れ、それに家中向けとしては、「申渡十一時箇条」、「問九ケ条」と「郷中御条目」なりが出ていて、なかなかの体裁にちがいない。
これに至るまでには、江戸にいるときは、上杉治憲や細川重賢らに教えをこう。彼らに倣い、機構改革、それに大村庄助や飯室武中といった、家柄にとらわれない有能な人材を登用したりで、藩政の刷新を目指す。
また、税徴収の増加を目して、社倉や義倉孝行者に対して褒賞を出す、育児法を制定するなどの、社会福祉的な政策をとる。ほかにも、藩校を整え、学問を奨励、武道を励ますなど、多様な取り組みを行う。
それでも、全体として実効性の確保ができないうちに改革が終わったのには、上意下達ではなく、下からの声を積み上げるやり方をとらなかったことが少なからずあったのではないだろうか。
(続く)
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この時期の津山藩の藩政改革でいうと、その名がつくものとしては、まず「宝暦の変革」がある。
これが実施されたのは、1759年から1761年にかけての、松平氏の治世になってからはや半世紀余り、もはや先代森藩からの宿題を云々することはできなかったであろう。
その狙いとしては、「徹底した財政問題に絞った」(「津山市史」第4巻、近世2、松平藩時代)とされている。
手始めになったのは、10人もの大庄屋の更迭であった。しかも、それまで帯刀を認められていたの剥奪されたのにとどまらず、平百姓を申し付けられたというのだから、驚く。
なぜなら、改革というのなら、彼らの上に立って実際を取り仕切っていたであろう武家の面目をなんと心得ていたのか、責任転嫁と言えなくもなかろう。
その実は、10万石から5万石に減封になったことに加え、江戸鍛冶橋門内(現在の東京駅)の上やし屋敷が全焼したことによる再建など諸々の「御用向き」があったのだと、大方には解説されているようだ。
やがて、松平康哉の治世になると、先代の長孝が行った「新法」を吟味してみたという。先代では、庄屋制度を廃するなど藩政改革を行なうことで藩財政などの再建を目指したという。けれども、実績が上がらないまま、重臣たちがとりあえず続けたのかもしれない。
そして迎えた1771年(明応8年)の康哉は、父が始めた新法による改革を一旦廃し、新たな決意で藩政改革を行う。先代改革の全てが失敗したというのではなくても、領民から搾り取るばかりではいけない、と判断したのではないか。
その正式な触れ、それに家中向けとしては、「申渡十一時箇条」、「問九ケ条」と「郷中御条目」なりが出ていて、なかなかの体裁にちがいない。
これに至るまでには、江戸にいるときは、上杉治憲や細川重賢らに教えをこう。彼らに倣い、機構改革、それに大村庄助や飯室武中といった、家柄にとらわれない有能な人材を登用したりで、藩政の刷新を目指す。
また、税徴収の増加を目して、社倉や義倉孝行者に対して褒賞を出す、育児法を制定するなどの、社会福祉的な政策をとる。ほかにも、藩校を整え、学問を奨励、武道を励ますなど、多様な取り組みを行う。
それでも、全体として実効性の確保ができないうちに改革が終わったのには、上意下達ではなく、下からの声を積み上げるやり方をとらなかったことが少なからずあったのではないだろうか。
(続く)
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