ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

為替相場を予想してみよう ニュースと数字の読み方 全国学生対抗円ダービー2020

2020年05月04日 | 政治・経済
 

日本経済新聞社

為替相場を予想してみよう ニュースと数字の読み方
全国学生対抗円ダービー2020

2020/4/25 2:00
日本経済新聞 電子版

 

外国為替相場を示すボード(東京・日本橋)

外国為替相場を示すボード(東京・日本橋)

外国為替相場(がいこくかわせそうば)と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? ニュースで「円安・ドル高になった」と聞いて、通貨の値段が上下するのを不思議に思ったことがある人も多いでしょう。家族旅行を計画するときに「今年は円高だから海外に行こう」と相談したことがある人もいるかもしれません。

 

ここでは外国為替市場(略して外為市場=がいためしじょう)のあらましと予想の仕方について、できるだけ簡単に解説します。日本の円や米国のドルといった通貨は、その国の中では買い物のための道具ですが、外為市場では「国の経済力を表す指標」として値段がつきます。そして外為市場にはオンラインショッピングをする個人から国境を越えて貿易する企業、銀行まで様々な参加者がいます。

 

以下では「外国為替とは何か」「どんな要因で動くのか」といった基本的な背景を抑えた上で、具体的な予想の方法も紹介します。皆さんが全国学生対抗円ダービーへの参加を通じ、経済や政治に関わるニュースや数字に少しでも親しんでもらえたらと思います。

 

▼全国学生対抗円ダービーの応募はこちらから。詳しい条件は関連記事「第20回 円・ドルダービー 全国学生対抗戦」をご覧ください。

 

<1.外国為替市場の基本>

 

■為替は「遠くの相手とのお金のやりとり」

 

まず「為替(かわせ)」という耳慣れない言葉の意味から確認しておきましょう。為替は簡単に言うと、「離れた場所にいる相手と、お金を実際には移動させずにやりとりする仕組み」を指します。なかなか難しいですね。しかし実際に用いられる場面は案外、身近なところにもあります。

 

カードやスマホ決済などを経由して遠くにいる人に支払いができるのはなぜ?

カードやスマホ決済などを経由して遠くにいる人に支払いができるのはなぜ?

 

インターネットで買い物をしたことがある人は多いでしょう。ネットで商品を買うと、クレジットカードやコンビニの伝票を使ってお金を支払いますよね。実はこれも為替取引の一種です。皆さんが実際に現金を持っていかなくても、カードや伝票を通じて遠くにいる人にお金を支払うことができるのは、為替が機能しているからなのです。

 

為替は銀行などの金融機関の存在によって成り立ちます。ネット通販の例では、皆さんがカードで支払いを約束すると、その人の持つ銀行口座から、商品を送ってくれる業者の口座へとお金が移動します。為替はある銀行の口座から別の銀行の口座へとお金が移動する仕組みとみなすこともできます。

 

■ネット通販と外国為替

 

さて外国為替でも、為替の基本的な仕組みは変わりません。日本にいるあなたが米国の通販サイトでしか売っていないTシャツを買うとしましょう。あなたは米国までお金を持って行けませんから、自分の銀行口座から米国のTシャツ業者の銀行口座にお金を振り込むことで取引を成立させることができます。

 

外為市場によって異なる通貨を持つ世界各国が取引できている

外為市場によって異なる通貨を持つ世界各国が取引できている

 

しかし1つ大きな問題があります。あなたは日本で使える円を持っていますが、米国の会社は自国で使えるドルで支払いを求めてくるからです。Tシャツを買うためには円をドルに替えなくてはなりません。

 

ここで登場するのが外為市場です。あなたが口座を持つ日本の銀行は外為市場を通じて円をドルに替え、米国の銀行にドルを振り込みます。そして外為市場でついた円やドルの値段を外為相場と呼ぶのです。「市場」は交換の場、「相場」は市場でついた値段と覚えておけばいいですね。

 

さて外為相場は日々刻々と変化しています。通販サイトで40ドルという表示が出ていたTシャツは、1ドル=110円なら日本円で4400円(=110×40)ですが、1ドル=120円になれば4800円(=120×40)に値上がりしてしまいます。(逆に1ドル=100円になればどうでしょう? 計算してみて下さい!)どうして同じ1ドルの値段が上がったり下がったりするのでしょうか。この理由を考え、1ドルが1~2カ月先にいくらになるかを予想することこそ、皆さんが参加する学生対抗円ダービーです。

 

■為替の値動きは普段とは逆

 

さて円ダービーに参加する上で、基本的なことをもう少しおさらいしておきましょう。

 

注意が必要なのは、外為相場の上がり下がりは通常のモノの値段とは逆に表示されることです。先ほどのTシャツの例のように、1ドル=110円だった相場が、1ドル=120円になったとしましょう。このとき110円だった1ドルが120円に値上がりしているので、「10円のドル高になった」と考えます。これは裏返すと円の値段が下がったということなので、「10円の円安になった」といいます。数字は110円から120円に増えたのに、外為市場では「円が安くなった(円安)」と考えることに慣れておきましょう。

 

為替相場はありとあらゆる理由で変動する

為替相場はありとあらゆる理由で変動する

 

円相場の動きは新聞、テレビ、インターネットなどで知ることができます。例えば日本経済新聞では、朝刊1面左下の「MARKETS」欄に前日の終値(おわりね)を掲載しているほか、「マーケット総合面」で詳しい解説を読むことができます。日経電子版では「為替・金利」のコーナーで刻々と変化する円相場の状況を追うことができます。

 

為替・金利
https://www.nikkei.com/markets/kawase/

 

<2.為替相場を動かす要因>

 

■需要と供給から考える

 

ここからは円やドルの値段が変化する理由を考えてみましょう。円相場を動かす要因はいろいろなものがありますが、まずは基本的な「需要と供給」という考え方から紹介します。

 

マスクは世界で奪い合いになり、値段が上がっている(バンコクの街頭)=小高顕撮影

マスクは世界で奪い合いになり、値段が上がっている(バンコクの街頭)=小高顕撮影

 

モノやサービスの値段が「買いたい人の数(需要)」と「市場に出回る量(供給)」で決まるという考え方は、教科書などで目にしたことがあるかもしれません。買いたい人が増えれば値段は上がりますし、少なくなれば値段は下がります。市場に出回る量の増減によっても値段は上下します。

 

最近では新型コロナウイルスの感染拡大を受け、マスクの値段が上がりました。多くの人が感染を防ぐためマスクを欲したのに対し、生産が追いつかなかったためです。逆に外国人観光客などの「供給」が急減した結果、ホテルなどの宿泊料が下がる現象も起きました。

 

マスク11.3%上昇、宿泊料1.4%下落 23区3月物価
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57303090X20C20A3EAF000/

 

■外為市場の需給

 

実は外為市場でも、通貨に対して需要と供給の原理が働いています。

 

まずは貿易がわかりやすい例です。例えば日本から米国への自動車の輸出が増える時に、通貨への需要はどう変化するでしょうか。

 

輸出する自動車が増えると為替相場はどう動くのか(横浜港)

輸出する自動車が増えると為替相場はどう動くのか(横浜港)

 

日本の輸出企業は米国企業に自動車を売った代金を、最終的には円で受け取らなければなりません。ドルを持っていても日本国内では仕入れの代金や従業員への給料を払えないからです。つまり輸出が増えるときには、日本企業がドルを円に替える、つまり円を買う需要が膨らむことになります。このため日本の輸出が輸入を上回る(貿易黒字が増える)局面では円の需要が増え、相場は円高・ドル安に動きやすくなるのです。

 

投資も相場を動かします。生命保険会社などの機関投資家やヘッジファンドは、私たちから預かったお金を運用して増やすため、国境を越えて株式や債券を売買します。投資家は例えば日本の株価が下がると見れば、日本企業の株を売って米国企業の株を買おうとするでしょう。このとき貿易でモノが売り買いされるのと同じで、投資家は株式を買うドルを手に入れるために円を売ります。円の売りが増えれば円安が進む要因となるのです。

 

このように貿易や資産運用にかかわる企業や投資家の行動により、外為市場の需給は変化するのです。

 

為替が動くワケ 政策が左右、外貨運用はリスクも
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58155300W0A410C2PPD000/

 

個人投資家も外国為替証拠金取引(FX)を通じて外為相場を動かしている

個人投資家も外国為替証拠金取引(FX)を通じて外為相場を動かしている

 

企業や機関投資家だけでなく、個人投資家も外国為替証拠金取引(FX)を通じて外為相場を動かしています。特に日本の個人は「ミセス・ワタナベ」と呼ばれ、市場への影響力が強いことが海外でも知られています。

 

FX取引、3月は異例の1000兆円超 逆張りチャンスが頻発
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL16HF6_W0A410C2000000/

 

■金利――中央銀行に注目する

 

金利とは誰かにお金を貸したとき、1カ月後や1年後につく利息のことですね。あなたが友達に1万円を貸すとき、1年後に1万1000円で返してもらいたいと思ったとしたら、あなたの友達への貸出金利は年利10%となります。

 

金利は外為相場を短期的に動かす最大の要素といえます。なぜなら金利は1カ月や1年後のお金の価値を表しているからです。たとえば米国の金利が3%で、日本の金利が1%なら、あなたは日米どちらの銀行に余分なお金を預けたいと思いますか? 銀行に払う手数料や細かい条件を抜きに考えれば、米国と答える人が普通でしょう。

外為市場でもこれと同じく、お金は金利が高い国に流れる傾向があります。日本では低金利が続いており、預金をしてもほとんど利息は付きません。これに対し、外国の通貨で外貨預金をすれば、もっと高い金利がつくことが少なくありません。日本円でお金を預けるより外貨で預金する方が得だと考える個人や企業が増えれば、円が売られてその国の通貨が買われる、つまり円安となるのです。

 

米FRBの本部(ワシントン)=ロイター

米FRBの本部(ワシントン)=ロイター

 

各国の金利が決まる上で重要な役割を果たしているのが中央銀行の金融政策です。日本の日銀や米国の米連邦準備理事会(FRB)は各国の市場に出回るお金の量を増減させることで金利の水準に影響を及ぼしています。お金の量を増やす金融政策を「緩和」といい、減らす政策を「引き締め」と呼んでいます。中銀が金融緩和をするとその国のお金の量は増え、お金を借りやすくなるので金利は下がることになります。

 

たとえば日銀が金融緩和をしたとすれば、日本の金利は下がります。対してFRBの金融政策が変わらなければ、日本の金利が下がった分、米国への投資が有利になりますね。したがって日銀の金融緩和は円を売ってドルを買う取引を増やし、円安につながる傾向があります。

 

追加緩和観測で円が一時107円台 決定会合前倒しで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56818440W0A310C2MM0000/

 

■物価――インフレは円安要因に

 

物価はモノやサービスの価格全体のことで、消費者物価指数などで測ります。一般に物価が上がる「インフレーション(インフレ)」が起きるとその国の通貨は下落し、デフレが進む局面では通貨価値は上昇します。なぜでしょう。例えば、モノの価格が高くなるということは、同じ100円で買えるモノの量が減ることを意味します。つまり裏返すと、インフレで物価が上がっているときは、お金の「モノを買う力(購買力)=お金の価値」が下がっているのです。デフレのときは「お金の価値」が上がっているので円高になりやすいと言えます。

 

購買力平価の指標としてマクドナルドのビッグマックが用いられることも

購買力平価の指標としてマクドナルドのビッグマックが用いられることも

 

さらに物価から為替相場を占う場合、「各国の物価水準をそろえて比較する」という発展した考え方もあります。日本と米国でモノの値段は異なりますが、日本と米国で同じくらいの量や品質のモノを買える為替レートを仮定するという方法です。そして仮定した為替レートに比べ、現在の円相場が円高ならば円安に動くと考え、逆に想定レートより円安ならば円高に動くと考えます。この仮定レートは長期的な為替相場の水準を決める有力な指標として「購買力平価」と呼ばれています。大学生以上のチームは一度は調べてみるのがいいでしょう。

 

購買力とは 賃金やハンバーガー…物差し多様
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO53150460Q9A211C1EA2000/

 

<3.いかに予想するか>

 

■ニュースの先を読む

 

さてここからは実際に円相場を予想する方法を解説していきましょう。予想のやり方は大きく分けて、「ニュースやイベントから予想する」「数字やデータをもとに予想を立てる」という2つの方法があります。

 

まずはニュースやイベントに注目するやり方です。円ダービーでは1~2カ月後の為替相場を予想するわけですから、ただ日々のニュースを拾っていても意味がありません。大切なのは「為替相場を動かすようなニュース」を集め、どのように動くかについて仮説を立てることです。

 

たとえば各国の中銀が次にどう動くかを考えるのは為替相場を予想する上でとても大切です。日銀もFRBも年に8回、重要な政策をきめるための会合を予定しています。日銀の場合は金融政策決定会合、FRBの場合は米連邦公開市場委員会(FOMC)と呼んでいます。会合が近づいてくるとその場で何が決まるかについて多くのニュースが出てくるようになります。まずはダービーの予想期間に会合が予定されているかどうか、日銀やFRBのウェブサイトで確認してみるのがいいでしょう。

 

日銀の金融政策決定会合=共同

日銀の金融政策決定会合=共同

 

新型コロナウイルスの感染拡大による市場の混乱を受け、中銀は予定していなかった緊急会合も開いています。こうした会合も為替相場にとって大きな意味を持ちます。金融政策に関わる記事は少し難しいですが、わからない言葉を調べたりしているうちに経済への知識は飛躍的に増すことでしょう。

 

米欧中銀、信用収縮回復へ 金融市場が逼迫
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57049020Q0A320C2MM8000/

 

■データで先を読む

 

次に為替相場を予想するために数字(データ)を使うというやり方があります。

 

統計やデータを役立てるのです。先に為替相場は政治経済のあらゆる要素から影響を受けると紹介しましたが、金利にしても物価にしても株価にしても、経済指標の動きはデータとして官庁や日銀などのウェブサイトで公表されています。

 

経済産業省のホームページにはビッグデータやAIを活用した経済指標がある

経済産業省のホームページにはビッグデータやAIを活用した経済指標がある

 

そうしたデータを予想に用いる第一歩は、為替相場と「似た動き」をする指標を見つけることです。似た動きをするということはどういうことでしょう。まずわかりやすいのは、為替相場と同じ時期に同じような方向に動いている指標です。日経平均株価や実質金利といった指標がこれに当てはまります。同じ時期に為替相場と全く逆の動きをしている指標にも注意が必要です。為替相場と何度も反対の動きを繰り返している指標を見つければ、その指標の動きも為替相場を読み解く上で参考になるからです。

 

こうした「似た動き」に注目する考え方は、統計学を勉強したことがある人ならば「相関」という言葉でおなじみでしょう。過去の学生対抗円ダービーでは、ユニーク賞の受賞者の多くが相関を見つける方法を採用しました。受賞者の中には米国の防衛費や東京ディズニーランドの来園者数など、プロの審査員も驚くような指標に注目した例もあります。皆さんも是非、独自のデータを予想に生かしてみて下さい。

 

なお主に大学生以上の参加者を対象に、相関を見る上での注意点を1つ挙げておきます。それは単に為替相場と同じような動きをしている指標を見つけるだけでなく、さらに突っ込んで「1カ月後の為替相場」への影響を調べてみるということです。具体的には統計学で習う回帰分析を用いる際は、1カ月先の為替相場との相性を確かめてみるべきでしょう。ユニーク賞でハイレベルな競争となった際には、こうした細かな点も審査の対象となります。

 

基本的なデータを見つける際には、日経新聞・電子版の「ビジュアル・データ」のコーナーが参考になります。金利や物価について最新のデータが更新されているので、1度のぞいてみるのもいいでしょう。

 

経済指標ダッシュボード
https://vdata.nikkei.com/economicdashboard/macro/

 

■予想の仕方に「正解」はない

 

外国為替の予想は奥深い世界で、プロの間でもいまだに完成された方法はありません。みんな工夫を重ねながら、様々な方法を試しているのです。みなさんも、ぜひ独自の予想方法を編み出してください。

 

このニュースは為替にどのような影響を与えるのかを考えてみる

このニュースは為替にどのような影響を与えるのかを考えてみる

 

また、どんなニュースや指標に注目すればいいのか、それらがどう動くのか、知恵を絞って考えてみてください。中高生は、社会科だけでなく数学などで習った知識が活用できるかもしれません。大学生は経済学のほか、工学なども役に立つかもしれません。たとえ予想が的中しなくても、為替の動きを通して世界の動きが見えてくるはずです。

 

▼第20回円・ドルダービー 全国学生対抗戦への応募はこちらをクリックしてください。1回戦締め切りは5月末。中学校から大学までの学生が対象で、同じ学校に所属する3人以上でチームを組み、指導教員がつくのが条件。1人の教員が複数チームを担当してもかまいません。3人に満たない場合や教員がいない場合は失格。参加時の応募番号をなくしても失格になることがあります。予想方法や予想の根拠は、別途、電子メールで添付ファイルとして送ってください。電子メール=yendb@nex.nikkei.co.jp くわしい募集要項は関連記事「第20回 円・ドルダービー 全国学生対抗戦」をご覧ください。

 


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日銀総裁「異例」の辞任の読み方

2013年02月06日 | 政治・経済

日銀総裁「異例」の辞任の読み方


さて、次の総裁はだれが適任か

高橋洋一:嘉悦大学教授

政治・経済 高橋洋一の俗論を撃つ!

2013.2.6 12:45

5日、官邸での経済財政諮問会議が終了した18時過ぎに白川方明日銀総裁の辞任のニュースが流れた。はっきり言って、筆者は別に驚かなかった。むしろ遅きに失したといっていい。

為替市場は、辞任ニュースが流れると、一気に円安に向かった。金融緩和に一番慎重だった人の辞任ニュースなので、すぐ反応したわけだ。

今回の辞任を政府の圧力と関係つける報道はピントがずれている。なにより日銀総裁辞任で、経済が良い方向に向かっているのは何とも皮肉なモノだ。


実質的には「ゼロ回答」だった
前回の日銀の政策決定会合の決定

1月22日の政府・日銀の共同声明、日銀の政策決定会合については、23日付け本コラムで書いたように、筆者は共同声明の方向性は評価するものの、政策決定会合は評価していない。

共同声明ではインフレ目標2%といいながら、政策決定会合では、今年は従来通りで来年から「資産買入等の基金」を10兆円増やすというのでは、インフレ2%達成にはほど遠い、ほぼゼロ回答だった。共同声明を出しておきながら、面従腹背の政策決定会合を出すくらいなら、もっと早くやめるべきだ。

次期総裁候補の報道は財務省・日銀からのリーク

安倍政権が誕生した時、白川総裁は自らが4年以上やってきた金融政策が否定されたのだから、その時点で辞めてもいいくらいだ。

たとえて言えば、親会社の社長が前任者とまったく違う方針の人に代わったとき、子会社の社長はどうするか。一つの方法は、心を改めて親会社の新しい社長の方針に従うことであり、もう一つは方針があわないのだから辞めることだ。

実際にやったことは、辞めないが、親会社の新しい社長の方針にも従わなかった。これまで4年10ヵ月、インフレ目標を否定しながら、最後の2ヵ月間にそれを訂正できなかった。すぐに辞任すればいいものを、インフレ目標2%に賛成するそぶりを見せて総裁ポストに2ヵ月間固執したともいえる。今回の辞任は、その最後の2ヵ月間を1ヵ月間に短くしただけだ。

実際は、5年前の日銀総裁の国会同意人事でもめて1ヵ月任命が遅れたのを元に戻しただけにすぎない。もし4月まで総裁を続けていれば、3月19日までに新副総裁2人が決まって、白川総裁は最後の1ヵ月間やりにくかっただろう。

もともと総裁・副総裁の3人の人事はセットであり、政府としても3人提示するはずだったと思う。そうした政府と日銀とのあうんの呼吸だろう。ただし、そこで後任人事が決定したというわけでもないだろう。国会同意人事なので、政府と日銀だけで決められるものでもない。

あえてこの時期に辞任したことを勘ぐれば、ほとんど痛くない1ヵ月の前倒しで、日銀への同情を誘うかもしれない。異例の任期途中で辞任、潔い決断などの報道が目に浮かぶ。ただし、辞任で円安に振れるくらいなら、もっと早く辞めておくべきだったというほうが説得力がある。


次期総裁候補の報道は
財務省・日銀からのリーク

今回の辞任で、一気に次期総裁・副総裁選びが加速するだろう。今マスコミに流れているのは、ほとんど財務省・日銀から流されている話ばかりだ。例えば、武藤敏郎・大和総研理事長(69歳)、黒田東彦・アジア開発銀行総裁(68)、岩田一政・日本経済研究センター理事長(66)、渡辺博史・国際協力銀行副総裁(63)、伊藤隆敏・東大大学院教授(62)らだ。これをA面という。
一方、マスコミがあまり注目していないが、渡辺喜美・みんなの党代表が安倍晋三首相に伝えたのが、中原伸之・元日銀審議委員(78)、浜田宏一・エール大教授(77)、岩田規久男・元学習院大学教授(70)、竹中平蔵・慶大教授(61)らだ。これをB面と言おう。

なお、参院(総定数242)は欠員があるため現在236。通常議決に加わらない議長を除くと過半数は118。自公で102議席なので、同意人事案可決には16以上の賛同が必要。その場合は民主(87)か、みんな(12)・日本維新の会(3)・新党改革(2)との連携が必要である。


日銀人事ではだいたい3条件が出されている。ただし、3条件のうち2つの英語、組織マネジメントはどこも同じで、3番目で違いがある。麻生財務相は財務相就任前に「金融の理解」、財務相就任後に「健康」と言うようになった。民主は「独立性」をあげ、みんなの党は「博士号」と言っている。

最終的には安倍首相の判断になるが、民主と組む場合、麻生財務相の意向で【A面】が提示され、それに民主党が乗る公算が強いと思う。

その逆として、みんな・日本維新の会・新党改革と組む場合には、【B面】のベースになってくるのではないか。


為替介入の特権を死守したい財務省

【B面】のほうが市場には歓迎される。その理由は、財務省関係者の場合、財務省が為替を所管しているので、どうしても為替には及び腰になってしまうからだ。

実は、財務省の国際畑の人は、外為特会の利権を失うまいと必死になっている。今回のアベノミスクでわかったように、為替は介入で変動するのではなく、通貨の交換比率で動く。つまり、二国の金融政策の差を反映する。二国間の通貨量の相対的な差に着目すると、相対的に少ない通貨のほうに希少性があるために、相対的な価値が高くなるという原理で、為替の変化の大半は説明できる。

ところが、金融政策で為替が決まるという事実は、財務省による為替介入は効果がないという話になる、その結果、為替介入は不要とわかってしまう。実際、先進国では変動相場制であり、日本ほど為替介入の結果である外貨準備高の大きな国はない。しかし、為替介入は民間金融機関に運用ビジネスを与えており、それで財務省は天下り利権を得ているので、この為替介入を手放すことはできない。

こうした利権が背景にあるので、【A面】の人は、為替についてあまり語らない。中には1ドル75円でも円高ではないと主張する人もいる。そうした人は、インフレ目標2%と1ドル75円でも円高でないという議論を、どのように折り合いをつけるのだろうか。

みんなの党の3条件は、世界では当たり前だ。むしろ財務相就任後に3条件を変更した麻生財務相のほうが奇妙だ。麻生財務相が学者はダメだと言っているが、G20のうち7割は博士号所有者で、学者系の中央銀行総裁だ。学者はダメと言っていると世界から遅れる。安倍政権が次元を超えた金融政策をしようと世界に向けて発信するなら学者のほうがいいい。

なお、中央銀行総裁のパフォーマンスは、どれだけ物価を目標に近づけたかで判定できる。インフレ目標の上下プラスマイナス1%は合格としよう。白川総裁の場合、とりあえずインフレ目標1%とすれば57ヵ月中12ヵ月が合格で、打率2割1分。一方バーナンキFRB議長はインフレ目標2%で、83ヵ月中54ヵ月が合格で、打率6割5分。

ちなみに、白川総裁のときに新しいインフレ率2%であったとすれば、57ヵ月中6ヵ月が合格で、打率1割となる。

これではもっと早く辞任すべきと言われても仕方ないだろう。

https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/8/9/-/img_89312120a98b741fc7fa01e79733791547230.gif

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メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立

2012年07月04日 | 政治・経済



メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立


ロシアのメドベージェフ首相が日本の北方領土である国後島を訪問したそうだ。日本の国際競争力の低下、経済の低迷によって国際的な地位がさらに低下して行く一方で、小沢一郎氏が民主党を離党して、野田首相があわてふためいている。こうした国内事情を見透かしたように、ロシアの実効支配を見せつけるかのようなメドベージェフの示威的な訪問だった。

自民党政権時代末期に軽量級のリリーフ首相が年毎に交替したあと、民主党政治家たちによる「子供たちの政治ごっこ」はなお継続している。こうした日本の現在の状況を見れば、諸外国からこれほどの侮りの扱いと軽視を受けたとしても、身から出た錆として文句も言えないのではないか。「一国の政治はその国民の民度の現れに過ぎない」というのは、言い古された西洋の諺である。

ロシアは首相や政権幹部たちの相次ぐ訪問によって、北方領土を日本に返還する意志のないことを明確にした。もういい加減にロシアに対して「北方領土返還という幻想」を日本も捨て去ったらどうだろうか。ロシアには日本に領土を返還するつもりはさらさら無いのだから。

それとも「もう一度日露戦争をやるつもりか」とロシアに領土返還を迫れるかどうか。さもなければ北方領土は戻ってこないと思った方がよい。北方領土返還は幻想に終わる。「本気になって北方領土を取り戻す気も能力ももはや日本人にはない」とロシア人は見透かしているからである。それとも第二次日露戦争をやり抜く覚悟が現代の日本人にあるか。

太平洋戦争の敗北で腰を抜かされた敗戦後の日本が、今なお国家の体を為していないことは言うまでもない。北朝鮮に拉致された同胞をですら半世紀近くも放置したままで、ミサイルを撃ち込んでも拉致された国民を取り返そうという気概すらも見せないような国家と国民を他国が尊敬するはずもない。メドベージェフらが見下げたとしてもやむを得ないのではないか。

とは言うものの、第二次世界大戦であれだけの国家総力戦を戦って敗北した極東の小国が、辿らざるを得なかった戦後の運命にはやむを得ない面もある。国家の面目と栄光を回復するには、一世紀や二世紀は要するのかもしれない。それも民族の資質次第である。

戦後のGHQ政策と共産主義によって、国家への信頼を完全に喪失した世代が去り行き、舞台からいなくなるまでは真の国体は戻ってはこない。その国家回復の象徴とは、アメリカ駐留軍の国内からの完全撤退である。日本の国内からアメリカ兵士が一名たりともいなくなるまで、それまでは日本の敗戦後は終わらない。

北方領土の回復も現状では絶望的であり、それ以上に困難なことは日本の真の独立である。日本国の独立と北方領土の回復がいずれも幻想に終わらないことを祈りたいものである。これら幻想を現実にする障害になっているのはもちろん日本国憲法とアメリカとである。アメリカ合衆国の一州としての日本の属国化はアメリカの国策だった。

それでも一縷の望みがあるとすれば、それはアメリカの国家財政の破綻である。経済の破綻によって「世界の警察官」としての役割をアメリカが放棄せざるを得なくなるとき、極東や欧州からアメリカ合衆国が駐留軍を縮小し撤退せざるを得なくなるとき、その時こそが日本が真に独立を回復する時である。

中国の共産党政府が崩壊して中国大陸が民主化され、旧ソ連が崩壊したときのようにチベット、ウィグルなどが独立したとき、そしてアメリカが財政破綻して、アメリカ国民が国外に軍隊を駐留させる意欲と気概を失うとき、かってのモンロー主義のようにアメリカが北米大陸に回帰せざるを得なくなるとき、そのときこそが日本国の独立回復の好機である。日本国の真の独立のための条件を、こうした国際情勢の変化に見据えて、静かに長き忍耐をもってその準備を万端に整えるべきである。そのときまでは、メドベージェフに交渉のテーブルにつかせることはできない。



メドベージェフ首相、国後島へ到着 「ロシアの領土にとって重要な一部」http://sankei.jp.msn.com/world/news/120703/erp12070316260006-n1.htm


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ピーター・ドラッカー 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

2012年05月08日 | 政治・経済

ピーター・ドラッカー 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

Peter Ferdinand Drucker
ピーター・ドラッカー
生誕 1909年11月19日
オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没 2005年11月11日(95歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 クレアモント
職業 経営学者・社会学者

ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker, ドイツ語名:ペーター・フェルディナント・ドルッカー 1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人[1]経営学者。「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management) の発明者?。

他人からは未来学者(フューチャリスト)と呼ばれたこともあった[2]が、自分では「社会生態学者」を名乗った。父・アドルフ・ドルッカー(ウィーン大学教授)と母・ボンディの間の子で、義理の叔父に公法学者・国際法学者のハンス・ケルゼン(母方の叔母・マルガレーテ・ボンディの夫)がいる。ドラッカーの自著によれば、父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった[3]。

もともと、ドルッカー家(ドラッカー家)はオランダにいたポルトガル系ユダヤ人(セファルディム)の家系で、後にオーストリアに移住した。

目次

1 経歴
2 思想など
3 著書
3.1 単著
3.2 編著
3.3 共編著
4 影響
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク

1 経歴

ウィーンで裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれる。1917年に両親の紹介で、同じユダヤ人の精神科医ジークムント・フロイトに会う。

1929年、ドイツ・フランクフルト・アム・マインの『フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー』紙の記者になる。1931年にフランクフルト大学にて法学博士号を取得。このころ、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)のアドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッベルスからたびたびインタビューが許可された。

1933年、自ら発表した論文がユダヤ人を嫌うナチ党の怒りを買うことを確信し、退職して急遽ウィーンに戻り、イギリスのロンドンに移住。ジョン・メイナード・ケインズの講義を直接受ける傍ら、イギリスの投資銀行に勤める。1937年、同じドイツ系ユダヤ人のドリス・シュミットと結婚し、間もなくアメリカ合衆国に移住した。

1939年、処女作『経済人の終わり』を上梓。1942年にバーモント州ベニントンのベニントン大学教授となった。

1950年から1971年までの約20年間、ニューヨーク大学(現在のスターン経営大学院)の教授を務めた。

1959年に初来日し、以降たびたび来日。日本画のコレクションを始める。1966年には勲三等瑞宝章を受勲。

1971年にカリフォルニア州クレアモントのクレアモント大学院大学教授となり、以後2003年まで務める。1979年に自伝『傍観者の時代』を、1982年には初めての小説『最後の四重奏』を著す。

2002年、アメリカ政府から大統領自由勲章を授与される。2005年にクレアモントの自宅にて老衰のため死去。95歳没。

2 思想など

ユダヤ系だったドラッカーは、ナチスの勃興に直面し、古い19世紀的ヨーロッパ社会の原理が崩壊するのを目撃し、危険を悟りイギリスを経てアメリカに家族とともに逃れた。

そこで彼が目にしたのは20世紀の新しい社会原理として登場した組織、巨大企業だった。彼はその社会的使命を解明すべく、ゼネラルモーターズを題材にした著作に取り掛かる。それが、『企業とは何か(英語版)』に結実することになるのだが、当時の副社長だったドナルソン・ブラウンが、『産業人の未来』(原題:The Future of Industrial Man)を読み、それに触発されてドラッカーに声をかけたことが発端である。『企業とは何か』は組織運営のノウハウすなわちマネジメントの重要性をはじめて世に知らしめ、フォード再建の教科書としても使われた。

彼は「分権化」などの多くの重要な経営コンセプトを考案したが、その興味・関心は企業の世界にとどまることを知らず、社会一般の動向にまで及んだ。「民営化」や「知識労働者」は彼の造語で、後に世界中に広まる。特に非営利企業の経営には大きなエネルギーを費やした。1990年には、『非営利組織の経営』(原題:Managing the Nonprofit Organization: Principles and Practices)を著している。

彼の著作には大きく分けて組織のマネジメントを取り上げたものと、社会や政治などを取り上げたものがある。本人によれば彼のもっとも基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。そのためには個人としての人間と社会(組織)の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ドラッカー自身が選択したのは後者だった。

また、著書の『すでに起こった未来』(原題:The Ecological Vision)では、みずからを生物環境を研究する自然生態学者とは異なり人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定している。

ドラッカーの思想は、組織や企業経営の分野にとどまらず、個人のプロフェッショナル成長の分野にも及んでいた。いわゆるナレッジワーカーが21世紀のビジネス環境で生き残り、成功するためには、「自己の長所(強み)」や「自分がいつ変化すべきか」を知ること、そして、「自分が成長できない環境から迅速に抜け出すこと」を勧めていた。新しい挑戦こそが、プロフェッショナルの成功に貢献すると主張していた[4]。

ドラッカーの著書の日本での売り上げはダイヤモンド社刊行分だけで累計400万部余り(ドラッカー博士を悼んで)。

『産業人の未来』『傍観者の時代』などによると、エドマンド・バークの保守思想の影響があるとされる。

大学入試のために書いた論文「パナマ運河と世界貿易におけるその役割」がオーストリアの経済誌の目にとまり、その編集部から招待され編集会議に参加する。そこで、当時の副編集長で後の経済人類学者カール・ポランニーと出会い、以後長い交友関係を結ぶ。ドラッカーの記述によれば、アメリカのベニントン大学の教授職をポランニーに紹介し、彼の『大転換』執筆のきっかけともなったとあるが、後の検証によればその記述は誇張や誤りだらけであり信憑性に欠ける[5]。

3 著書

3.1 単著

『経済人の終わり――新全体主義の研究』(東洋経済新報社、1963年) - 1939年著作。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺や独ソ不可侵条約を予言。これに対して、当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが激賞。
『変貌する産業社会』(ダイヤモンド社、1959年)
『明日のための思想』(ダイヤモンド社、1960年)
『明日を経営するもの』(日本事務能率協会、1960年)
『新しい社会と新しい経営』(ダイヤモンド社、1961年)
『競争世界への挑戦――日本の経営に提言する』(日本事務能率協会、1962年)
『経営とはなにか』(日本事務能率協会、1964年)
『産業にたずさわる人の未来』(東洋経済新報社、1964年)
『創造する経営者』(ダイヤモンド社、1964年)
『現代の経営(上・下)』(ダイヤモンド社、1965年) - 1954年著作。目標管理を提唱。マネジメント・ブームに火をつける。
『産業人の未来』(未來社、1965年)1942年著作。この著書をきっかけにゼネラルモーターズから会社組織の変革と再建を依頼され、大成功を収める。「改革の原理としての保守主義」という副題を付けられてダイヤモンド社から1998年に復刊。
『会社という概念』(東洋経済新報社、1966年) - 1946年著作。「事業部制」など企業の組織戦略について分権化の概念を提唱。
『現代大企業論(上・下)』(未來社、1966年)
『経営哲学』(日本経営出版会、1966年)
『経営者の条件』(ダイヤモンド社、1966年)
『ドラッカー経営名言集』(ダイヤモンド社、1967年)
『知識時代のイメージ――人間主体社会を考える』(ダイヤモンド社、1969年)
『断絶の時代――来たるべき知識社会の構想』(ダイヤモンド社、1969年) - 知識社会の到来、起業家の時代、経済のグローバル化などを予言。1980年代にイギリスのマーガレット・サッチャー政権が推し進めた民営化政策はこの著書が大きな動機を与えたといわれる。
『知識社会への対話』(日本事務能率協会、1970年)
『マネジメント――課題・責任・実践』(ダイヤモンド社、1974年)
『見えざる革命――来たるべき高齢化社会の衝撃』(ダイヤモンド社、1976年) - 高齢化社会の行く末を暗示。『年金基金社会主義』なる造語が使われている。
『企業の革新』(ダイヤモンド社、1978年)
『イノベーションと企業家精神――実践と原理』(ダイヤモンド社、1985年)
『新しい現実――政府と政治、経済とビジネス、社会および世界観にいま何がおこっているか』(ダイヤモンド社、1989年)
『非営利組織の経営――原理と実践』(ダイヤモンド社、1991年) - 非営利団体 (NPO) の台頭を予告。その衰退をふせぐ方策にも言及。
『未来企業―生き残る組織の条件』(ダイヤモンド社、1992年)
『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』(ダイヤモンド社、1993年)
『未来への決断――大転換期のサバイバル・マニュアル』(ダイヤモンド社、1995年)
『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』(ダイヤモンド社、1999年)
『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』(ダイヤモンド社、2000年)
『チェンジ・リーダーの条件――みずから変化をつくりだせ!』(ダイヤモンド社、2000年)
『イノベーターの条件――社会の絆をいかに創造するか』(ダイヤモンド社,、2000年)
『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』(ダイヤモンド社、2002年)
『実践する経営者――成果をあげる知恵と行動』(ダイヤモンド社、2004年)
『企業とは何か――その社会的な使命』(ダイヤモンド社、2005年) - 1946年著作『会社という概念』の新訳。
『テクノロジストの条件――はじめて読むドラッカー』(ダイヤモンド社、2005年)
『ドラッカー20世紀を生きて――私の履歴書』(日本経済新聞社、2005年)
『ドラッカー――365の金言』(ダイヤモンド社、2005年)
『ドラッカーの遺言』(講談社、2006年)
『ドラッカー わが軌跡』(ダイヤモンド社、2006年) - 自伝『傍観者の時代』の新訳。ピーターが生涯知り合ったさまざまな人物とその人生およびその時代背景を描いた作品。主な登場人物にはフロイトやGM中興の祖スローン、雑誌『TIME Life』の創刊者ヘンリー・ルースなどがいる。

3.2 編著

『今日なにをなすべきか――明日のビジネス・リーダー』(ダイヤモンド社、1972年)
『非営利組織の「自己評価手法」――参加型マネジメントへのワークブック』(ダイヤモンド社、1995年)

3.3 共編著

(G・J・スターン)『非営利組織の成果重視マネジメント――NPO・行政・公益法人のための「自己評価手法」』(ダイヤモンド社、2000年)

4 影響

岩崎夏海の小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』は、高校の野球部の女子マネージャーが、偶然に入手したドラッカーの『マネジメント』の内容を、部の改革に活かす内容で、日本でのドラッカーのブームに一役買った。NHK総合テレビジョンでアニメ化(2011年4月)、映画化(同年6月)もされている。

コピアポ鉱山落盤事故に遭遇した作業員たちのリーダーであるルイス・アルベルト・ウルスアは、ドラッカーの愛読者である[6]。

5 脚注

^ 日本経済新聞社『ドラッカー20世紀を生きて -私の履歴書-』
^ 講談社現代新書の『アメリカ情報コレクション』内の枝川公一による「フューチャリスト」の項などで、アルヴィン・トフラーやダニエル・ベルなどと並んでフューチャリストに挙げられている。
^ 自伝『傍観者の時代』
^ バシャラ pp.25-26.
^ 『傍観者の時代』あるいは『ブダペスト物語』(栗本慎一郎)
^ http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1011/25/news015.html

6 参考文献

セルダル・A・バシャラ 『あなたの年収アップ力と人間力を引き出す99の話 ―How to Imagine Your Future― [単行本(ソフトカバー)]』 東京図書出版会 2010年 (ISBN 978-4862234346)

7 関連項目

上田惇生:ドラッカー学会代表。「もっとも親しい友人」「日本における分身」と呼ばれ、ドラッカーの著書の翻訳・編集の際にはファックスで頻繁にやり取りをしていた。
柳井正:ユニクロでドラッカー経営を実践している。
自己啓発
自己啓発セミナー

8 外部リンク

Claremont Graduate University
The Peter F. Drucker and Masatoshi Ito Graduate School of Management
Drucker Archives
ドラッカー学会:Drucker Workshop
ドラッカーの翻訳家・上田惇生ホームページ
はじめてのドラッカー/ほぼ日刊イトイ新聞(翻訳家・上田惇生の語るドラッカー・糸井重里との対談)
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9 カテゴリ:

ドイツのジャーナリスト
オーストリアの学者
アメリカ合衆国の経営学者
大統領自由勲章受章者
美術品収集家
クレアモント大学院大学の教員
ニューヨーク大学の教員
ベニントン大学の教員
セファルディ系ユダヤ人
ユダヤ系オーストリア人
ユダヤ系ドイツ人ドイツユダヤ系
アメリカ人
ウィーン出身の人物
1909年生2005年没


出典(※一部変更あります)

ピーター・ドラッカー 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC




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フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2012年05月05日 | 政治・経済

フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

1 略歴
2 業績
2.1 景気循環理論
2.2 投資と資本
2.3 経済計算論争と市場メカニズムの特性
3 思想
3.1 古典的自由主義
3.2 「理性主義」批判
4 邦訳著作
4.1 単著
4.2 共著
4.3 編著
4.4 全集
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク

1 略歴

1899年 オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンの学者家庭に生まれる。
第1次世界大戦の兵役を済ます。
ウィーン大学に入学。
1921年 法学部の学位を取る。
1923年 経済学で二つ目の博士号を取得する。
1923年 渡米し、ニューヨーク大学で研究助手として働く。
1924年 ウィーンに戻り、ハーバラー、マハループ、モルゲンシュテルンらと共に私的なセミナーを開く。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに見守られ研究サークルを作る。
1927年 オーストリア景気循環研究所の所長となる。
1929年 ウィーン大学の講師となる。
その後、ライオネル・ロビンズにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)での講演に呼ばれ、これ以降、LSEの教授職になる(以後18年間)。
1938年 英国の市民権を取得。
1944年 発表した「隷属への道」(The Road to Serfdom)は社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる
1947年 リバタリアニズムに立脚する学者が集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めたモンペルラン協会を設立。
1950年 シカゴ大学の社会科学ならびに道徳科学の教授となる。
1962年 西ドイツのブライズガウにあるフライブルク大学の経済政策教授となる。
1968年 フライブルク大学を退官。その後、9年間オーストリアのザルツブルク大学で教える。
1974年 ノーベル経済学賞受賞。田中清玄と親交を結び、ノーベル賞授賞式には唯一の日本人としてメーンテーブルに招待した。
1977年 ザルツブルク大学名誉教授。
1991年 ブッシュ大統領により、アメリカの民間人へ与えられる最高の栄誉賞である大統領自由勲章を受章。
1992年 逝去の報に際して、ブッシュ大統領は直ちに追悼声明を発表し、「現代の最も偉大な思想家の一人」と称している。

2 業績

2.1 景気循環理論
詳細は「:en:Austrian business cycle theory」を参照

ハイエクの初期の業績は景気循環に対する貨幣の影響を分析する貨幣的景気循環理論への貢献としてよく知られている。これはミーゼスなどのオーストリア学派の伝統を受け継ぐだけでなく、クヌート・ヴィクセルの累積過程のアイディアにも刺激を受けたものであった。生産財と消費財の価格比率の中から現れる財市場の均衡をもたらす水準としての自然利子率と、実際の利子率との関係により産出量と雇用量が決定されるというのがその理論の骨子である。具体的には利子率が自然利子率に比して低い場合に過剰な投資が生じバブルを発生させるが、やがて産出水準が投資と消費財への需要の双方に見合わなくなり生産財が不足してバブルが崩壊するというものである。1931年のPrices and Productionはこの方面での彼の代表作である。なお1930年にはジョン・メイナード・ケインズが同じ分野でTreatise of Money(『貨幣論』という邦訳で知られる)を刊行しており、この後両者は景気循環を巡る論争へと突入することになる。この論争はハイエクの当時所属していたLSEとケインズを擁するケンブリッジ大学とのより大規模な論争の一局面であった。

2.2 投資と資本

ハイエクは自身の貨幣的景気循環理論を深化させ、投資と資本蓄積のメカニズムについての分析も行った。Pure Theory of Capital(1941年)はPrice and Productionの延長線上に資本蓄積の理論を構想したものである。彼の資本理論は後にアバ・ラーナーやトリグヴェ・ホーヴェルモによって検討され、ジョン・ヒックスの晩年の業績にも影響を与えた。なおラーナーとヒックスはLSEにおいてハイエクに師事したものの、後にケインズの『一般理論』を巡ってハイエクと袂を分かつという経緯の持ち主である。

2.3 経済計算論争と市場メカニズムの特性

ハイエクは1920年代から40年代にかけて盛んになった経済計画論争、或いは経済計算論争と呼ばれる論争に積極的に関わった。この論争は社会主義経済の実行可能性を巡るものであり、生産手段の私有(私有財産)を認めない社会主義経済の下では生産財に価格をつけることが出来ず、価格の存在しないところでは効率的な資源配分は達成されえないとするミーゼスの主張[1]に端を発している。これに対してオスカー・ランゲやラーナーは、潜在的な交換の可能性があればシャドウ・プライスという形で擬似的、便宜的に価格をつけることが可能であると主張した[2]。

その上でランゲはワルラス流の一般均衡理論の枠組みに則って多財の需給の連立方程式の解を求めることで、効率的な価格付けと資源配分を達成することが出来ると考えた[3]。

一方ハイエクの立場はたとえそのような計算が技術的に可能であるとしても、この計算を実施する中央計画当局は計算に必要な需給に関する膨大な情報を収集せねばならず、そのような情報の収集は不可能であるというものであった。これはその情報量の膨大さもさることながら、計算に必要な情報は主として経済主体にとって自身しか知らない私的情報であり、現代流の言い方をすれば個々の経済主体が情報を正しく伝達するインセンティヴを持つとは限らないからである。ハイエクは必要な情報の収集に成功し効率的な価格付けと資源配分を行えるのは分権的なメカニズムとしての市場メカニズムだけであるという展望を示したのである[4]。

この経済計算論争や論争におけるハイエクの情報に着目するアプローチは後にレオニード・ハーヴィッツを刺激し、メカニズムデザインと呼ばれる分野の1つの源流となった。ハーヴィッツは1960年の論文[5]で任意の経済主体がその主体の情報のみを用いて意思決定を下すことが可能であり(情報分権性)、最小限度の情報の交換だけで済み、かつ資源配分の効率性を満たす性質を情報効率性と定義した。そして1972年の論文[6]で競争的市場メカニズムが情報効率性を満たすことを示した(情報効率性に関する厚生経済学の第一基本定理)。

さらにジェイムズ・ジョーダンが1982年[7]に情報効率性を満たす資源配分のメカニズムは競争的市場だけであることを証明した。(情報効率性に関する厚生経済学の第二基本定理)ハーヴィッツらのこの結果はある意味ではハイエクの主張を定式化し立証したものであると言える。

3 思想

3.1 古典的自由主義

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

さらにハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

3.2 「理性主義」批判

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的[8]合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。

よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。また、ケインジアンを批判する一方で、新古典派経済学やシカゴ学派の多くが前提とする合理的な個人像に対しても疑問を投じている。基数的な効用に対しても否定的である。

4 邦訳著作

4.1 単著

『貨幣と景気変動』(高陽書院, 1934年)
『資本の純粋理論』(実業之日本社, 1934年)
『価格と生産』(高陽書院, 1939年)
『景気と貨幣――貨幣理論と景気理論』(森山書店, 1941年)
『隷従への道――全体主義と自由』(東京創元社, 1954年、新装版1992年)
『新自由主義とは何か――あすを語る』(東京新聞出版局, 1976年)
『科学による反革命――理性の濫用』(木鐸社, 1979年、新装版2004年)
『市場・知識・自由――自由主義の経済思想』(ミネルヴァ書房, 1986年)
『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社, 1988年)
『ハイエク、ハイエクを語る』(名古屋大学出版会, 2000年)

4.2 共著

(今西錦司)『自然・人類・文明』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1979年)

4.3 編著

『集産主義計画経済の理論――社会主義の可能性に関する批判的研究』(実業之日本社, 1950年)

4.4 全集

監修西山千明、古賀勝次郎、気賀健三、矢島鈞次(後者2名は第Ⅰ期のみ)
『ハイエク全集』(春秋社、1986-90年、新装版2007-08年)
1巻「貨幣理論と景気循環、価格と生産」
2巻「利潤、利子および投資」
3巻「個人主義と経済秩序」
4巻「感覚秩序」
5巻「自由の条件(1)自由の価値」
6巻「自由の条件(2)自由と法」
7巻「自由の条件(3)福祉国家における自由」
8巻「法と立法と自由(1)ルールと秩序」
9巻「法と立法と自由(2)社会正義の幻想」
10巻「法と立法と自由(3)自由人の政治的秩序」
別巻 「隷属への道」(1992年)
池田幸弘・古賀勝次郎・嶋津格・八木紀一郎(編集委員)

『ハイエク全集 第Ⅱ期』(全10巻・別巻1、2009年1月より刊行)
1巻「致命的な思いあがり」
2巻「貨幣論集」(未刊行)
3巻「科学による対抗革命」(未刊行)
4巻「哲学論集」
5巻「政治学論集」
6巻「経済学論集」  
7巻「思想史論集」
8巻「資本の純粋理論(1)」
9巻「資本の純粋理論(2)」(未刊行)
10巻「社会主義と戦争」
別巻「ケインズとケンブリッジ経済学への反駁」(未刊行)

5 脚注

^ Mises, L. (1920) ``Die Wirtschaftsrechnung im sozialistischen Gemmeinwesen," Archiv fur Sozialwissenschaften, 47
^ Lange, O. (1936) ``On the Economic Theory of Socialism: Part One," Review of Economic Studies, 4, pp. 53 - 71
Lange, O. (1937) ``On the Economic Theory of Socialism: Part Two," Review of Economic Studies, 4, pp. 123 - 142
およびLerner, A. P. (1944) The Economics of Control., New York: Mcmillan.
^ 晩年のランゲはコンピューターによる解の導出の可能性を信じていた。Lange(1936), Lange(1937)ではオークショニアが任意の価格からスタートし、経済主体の最適化行動の結果需給が均衡するまで価格の設定を繰り返すというワルラス流の模索過程を計算問題の解法として提案した。
^ Hayek, F. A. (1945) ``The Use of Knowledge in Society," American Economic Review, 35, pp. 519 - 530
^ Hurwicz, L. (1960) ``Optimality and Informational Efficiency in Resource Allocation Processes," in Mathematical Methods in the Social Sciences, ed. by K. J. Arrow., S. Karlin., and P. Suppes., pp. 27 - 46. Stanford: Stanford University Press
^ Hurwicz, L. (1972) ``On the Dimensional Requirements of Informationally Decentralized Pareto Satisfactory Processes," mimeo. Reprinted in K. Arrow and L. Hurwicz eds., Studies in Resource Allocation Processes Cambridge: Cambridge University Press, 1977.
^ Jordan, J. (1982) ``The Competitive Allocation Process is Informationally Efficient Uniquely," Journal of Economic Theory, 28, pp.1-18.
^ ここでいう進化は社会進化論の文脈による進化とは異なる。

6 参考文献

西部邁「自生的秩序への途 - フリードリッヒ・フォン・ハイエク」『思想の英雄たち』所収、文藝春秋、1996年、229-243頁、ISBN 9784163509006

7 関連項目

サッチャリズム

8 外部リンク

フリードリッヒ・フォン・ハイエク - Yahoo!百科事典


○カテゴリー

リバタリアニズム

1 起源と歴史

古典的自由主義
アナキズム

2 理論と理想

カウンター経済
論争解決組織
経済的自由
平等主義
自由市場
自由社会 ・ 自由貿易
自由意志 ・ 結社の自由
自由契約
ホームステッドプリンシプル
個人主義
レッセフェール
解放 ・ 小さな政府
方法論的個人主義
自然権
夜警国家
不可侵原則
不干渉主義
非政治 ・ 非投票
参与型経済
多中心主義法 ・ 財産
私設防衛機関
自治 ・ 自己所有権
自生的秩序
非国家社会
主観的価値論 ・ 税抵抗
契約財産所有権移転理論
自主管理
組合
自発的社会

3 学派

アゴリズム ・ 無政府資本主義
無政府共産主義 ・ オーターチズム
キリスト教 ・ 帰結主義
保守主義 ・ 共和立憲制
クリプトアナーキズム ・ 義務的
自由市場 ・ ジオリバタリアニズム
緑 ・ 左翼 ・ マルクス主義
最小国家主義 ・ 相利共生
パレオリバタリアニズム ・ パナーキズム
プロパータリアニズム ・ 右翼
社会主義 ・ ボランタリズム

4 人物

デヴィッド・フリードマン ・ マレイ・ブクチン ・ リチャード・エプスタイン ・ ケビン・カーソン ・ ゲーリー・シャルティエ ・ フランク・コドロー ・ ノーム・チョムスキー ・ エド・クレーン ・ ジョセフ・デジャック ・ ブライアン・ドハティ ・ ミルトン・フリードマン ・ ヘンリー・ジョージ ・ ニック・ガレスピー ・ フリードリヒ・ハイエク ・ ヘンリー・ハズリット ・ スティーブン・ホロウィッツ ・ ステファン・キンセラ ・ ローズ・ワイルダー・レイン ・ ロデリック・ロング ・ カール・メンガー ・ ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス ・ ジェフリー・ミロン ・ アルバート・ジェイ・ノック ・ ロバート・ノージック ・ イサベル・パターソン ・ ロン・ポール ・ アイン・ランド ・ レオナルド・リード ・ シェルドン・リッチマン ・ ミュレイ・ロスバード ・ ヨーゼフ・シュンペーター ・ ハンス・センホルツ ・ ヘンリー・デイヴィッド・ソロー ・ レフ・トルストイ

5 政党

リバタリアン党 (アメリカ)
ロシア・リバータリアン運動
保守党 (デンマーク)

6 関連項目

反国家 ・ 反戦
アナルコサンディカリスム
市民リバタリアニズム
市民ソシエタリアニズム
立憲主義
自由市場環境保全主義
連合主義
緑のリバタリアニズム
自由主義民主主義
自由主義共和主義
自由主義トランスヒューマニズム
市場自由主義
客観主義
小さな政府


出典
フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF





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ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2012年05月05日 | 政治・経済
ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

1 人物概要
2 経歴
3 思想
4 財政政策批判
4.1 大恐慌
5 主張した具体的政策
6 邦訳著作
6.1 単著
6.2 共著
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク

1 人物概要

「巨匠」や「異端児」、「小さな巨人」など数々の通り名を持つ。20世紀後半における自由主義的経済学者の代表的存在。戦後、貨幣数量説を蘇らせマネタリストを旗揚げ、裁量的総需要管理政策に反対しルールに基づいた政策を主張した。 1970代までは先進国の各国政府は「スタグフレーション」で悩んでいたが、スタグフレーションのうちインフレーションの要素に対しての姿勢、政策を重視した[1]。

2 経歴

「マネタリズム」も参照

ハンガリー(現在はウクライナの一部となっている)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。

奨学金を得て15歳で高校を卒業。ラトガーズ大学で学士を取得後に数学と経済どちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしシカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。またアーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。

後に反ケインズ的裁量政策の筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職はニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった[2])。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[2]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。しかし、第二次世界大戦が終わり連邦政府の職を離れるまでの経済学上の立場は一貫してケインジアンであった。

1975年にチリを訪問、1980年から中国を訪問など世界各国で政策助言を行い、日本では1982~1986年まで日銀の顧問も務めていた。

シカゴ学派のリーダーとしてノーベル賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の裁量的な財政政策に反対する。政府の財政政策によってではなく貨幣供給量と利子率によって景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。議論好きで討論に長けていたことで知られる。主著は『A Monetary History of the United States, 1867-1960』、『資本主義と自由』。

1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1988年にはアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与されている。

2006年11月16日 、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。

3 思想

フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であり、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への規制は排除されるべきと考えた(自由放任主義)。そのため、新左翼勢力は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在と位置づけた。「新」が付くのは、自由放任論からの脱却として現れた、国家管理・官僚統制型ニューリベラリズム(New Liberalism)に基づくケインズ経済学を、再び古典的な自由主義の側から批判する理論だからである。

フリードマンは大麻の合法化を唱えていたことで知られており、麻薬政策についてフリードマンは麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争(麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したのですが、懸念した通りになった」と語っている[3]。

4 財政政策批判

政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[4]が正しいとすると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたフリードマンらマネタリストの重要な論拠の一つになった。また、経済状況に対する政府中銀の認知ラグや政策が実際に行われるまでのラグ、および効果が実際に波及するまでのラグといったラグの存在のために、裁量的に政策を行っても適切なものと成り得ず、却って不要の景気変動を生み出してしまうことからも、裁量的な財政政策を批判した。

4.1 大恐慌

フリードマンは主著『A Monetary History of the United States, 1867-1960』の中で、大恐慌はこれまでの通説(市場の失敗)ではなく、不適切な金融引き締めという裁量的政策の失敗が原因だと主張した。

5 主張した具体的政策

ミルトン・フリードマンは著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、もし現在政府が行っているなら廃止すべき、下記の14の政策を主張した[5]。

1. 農産物の買い取り保障価格制度。
2. 輸入関税または輸出制限。
3. 商品やサービスの産出規制。
4. 物価や賃金に対する規制・統制。
5. 法定の最低賃金や上限価格の設定。
6. 産業や銀行に対する詳細な規制。
7. 通信や放送に関する規制。
8. 社会保障制度や福祉。
9. 事業・職業に対する免許制度。
10. 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
11. 平時の徴兵制。
12. 国立公園。
13. 営利目的の郵便事業の禁止。
14. 国や自治体が保有・経営する有料道路。

6 邦訳著作

6.1 単著

『資本主義と自由』日経BP、2008年、ISBN 978-4-8222-4641-9
『消費の経済理論』(巌松堂, 1961年)
『貨幣の安定をめざして』(ダイヤモンド社, 1963年)
『インフレーションとドル危機』(日本経済新聞社, 1970年)
『価格理論』(好学社, 1972年)
『実証的経済学の方法と展開』(富士書房, 1977年)
『インフレーションと失業』(マグロウヒル好学社, 1978年)
『政府からの自由』(中央公論社, 1984年/中公文庫, 1991年)
『貨幣の悪戯』(三田出版会, 1993年)

6.2 共著

(W・W・ヘラー)『インフレなき繁栄――フリードマンとヘラーの対話』(日本経済新聞社, 1970年)
(N・カルドア, R・M・ソロー)『インフレーションと金融政策』(日本経済新聞社, 1972年)
(ローズ・フリードマン)『選択の自由――自立社会への挑戦』(日本経済新聞社, 1980年/講談社[講談社文庫], 1983年/日経ビジネス人文庫, 2002年)
(ポール・A・サミュエルソン)『フリードマンとサミュエルソンの英文経済コラムを読みとる』(グロビュー社, 1981年)
(ローズ・フリードマン)『奇跡の選択』(三笠書房, 1984年)
(ジェームズ・M・ブキャナン)『国際化時代の自由秩序――モンペルラン・ソサエティの提言』(春秋社, 1991年)
(アンナ・シュウォーツ)『米国金融史7章 大収縮1929~1933』 (日経BP, 2009年)

7 脚注

^ 経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動および長期のインフレーションに決定的な影響を与えるとした。特に、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方は、インフレーション抑制が求められる中で支持を得た。
^ a b The Boston Globe "Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16
^ Milton Friedman on the War on Drugs Thursday, July 31, 2008
^ 消費は、現在の所得の関数ではなく、将来に亘って恒常的に得られると期待される所得(恒常所得)の関数である、とする説。
^ 『資本主義と自由』第2章 自由社会における政府の役割 85~87ページ(日経BP社刊行)


8 関連項目

負の所得税
市場主義経済
レッセフェール(自由放任主義)
金融政策
貨幣数量説
マネタリスト
新自由主義
反共主義
グローバリゼーション
グローバル資本主義
アウグスト・ピノチェト
ジェームズ・トービン
フリードリヒ・ハイエク
フランク・ナイト
デヴィッド・フリードマン

9 外部リンク

ミルトン・フリードマン Milton Friedman
HOOVER INSTITUTION
PBS フリードマン
ミルトン・フリードマン

10カテゴリー

シカゴ学派

○活動

リバタリアニズム
ネオリベラリズム
ネオコンサバティズム
積極的不介入


○組織

ケイトー研究所
リーズン財団
ジョージ・メイソン大学
自由経済図書館


○信条

マネタリズム
新古典派経済学
帰結主義的リバタリアニズム

○人物

デヴィッド・フリードマン
ミルトン・フリードマン
ローズ・フリードマン
フランク・ナイト
ロナルド・コース
ロバート・フォーゲル
ダグラス・ノース
ゲーリー・ベッカー
ロバート・ルーカス
ジョージ・スティグラー
フリードリヒ・ハイエク (随伴)

○理論

比較優位
消費者物価指数
経済成長
経済的合理主義
効率的市場仮説
フリードマンルール
フリードマンKパーセントルール
ゲーム理論
国内総生産
経済人
国際経済学
国際金融
国際貿易
ラッファー曲線
金融経済学
公共選択論
貨幣数量説

合理的エージェント
合理的選択理論
合理的期待理論
対称インフレーション目標

○アイディア

中央銀行
民営化
規制緩和
経済的自由
経済統合
経済的相互依存
経済自由化
為替レート
公正取引
不換紙幣
自由市場
自由貿易
外貨準備
グローバリゼーション
調整インフレ
インフレターゲット
知的財産権
レッセフェール
市場化
負の所得税
公開市場操作
私的所有権
民営化
教育バウチャー
共同市場
減税
税制改革


○トピックス

反資本主義
アルテルモンディアリスム
反グローバリゼーション
資本主義の見解

出典
ミルトン・フリードマン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3



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民間給与3年ぶり増加

2011年09月16日 | 政治・経済

民間給与3年ぶり増加、平均6万円増の412万円 2010年
国税庁調査



2011/9/16 20:33

ニュースソース

日本経済新聞 電子版


 民間企業に勤める人が2010年1年間に支給された平均給与は412万円で、前年を6万1千円(1.5%)上回り3年ぶりに増加したことが16日、国税庁の民間給与実態統計調査で分かった。景気回復が反映されたとみられるが、調査期間は東日本大震災前で、専門家はこうした回復基調が続くかどうかは不透明とみている。



 調査は国税庁が民間企業約1万8千社を抽出し、パートや派遣労働者を含む約26万人の給与から推計。給与の内訳では給料・手当が1.2%増の353万9千円、賞与が3.6%増の58万1千円でいずれも増加した。



 業種別では「電気・ガス・熱供給・水道業」が前年比10.5%増の696万円でトップ。「金融業・保険業」が589万円で続いたが、前年比では5.8%減った。一方、民間企業に昨年1年間勤務した給与所得者の女性は1823万人で、過去最多だった。



 ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次主任研究員は「景気回復が給与にも反映された結果だが、震災の影響や世界経済への不安感が広がっており、今年分の所得改善は難しいだろう」と指摘している。


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国政リンク集

2011年06月11日 | 政治・経済

 

国政リンク集

政府

   官邸

   財務省

   内閣官房 http://www.cas.go.jp/index.html  


  官公庁 http://www.kantei.go.jp/jp/link/server_j.html  


  政府インターネットテレビ http://nettv.gov-online.go.jp/  


  政府統計の総合窓口 http://portal.stat.go.jp/  


  世論調査 http://www8.cao.go.jp/survey/index.html

  国立社会保障・人口問題研究所

  社人研データアーカイブス

  内閣府

厚生労働省

  独立行政法人労働政策研究・研修機構

  賃金構造基本統計調査

 

NIKKEI

   統計データ

   景気ウオッチ

    景気を語るこの指標

日本経済研究センター

士業検索.com

各種助成金、給付金

企業経営管理

 

 

 

 

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戦後の欺瞞と日本国の独立の回復

2009年02月11日 | 政治・経済

 

戦後の欺瞞と日本国の独立の回復

日本国の長い歴史のなかで、日本国がその独立を失った期間はきわめて短く例外的である。四方を海に囲まれるという地理上の位置が幸いにして、独立を失って他民族の支配をうけるという経験はこれまでの歴史上ただ一度あっただけである。しかし、残念なことには、その日本のたった一度の従属国家、被支配国家の経験が、私の生存中の出来事だった。

あまり誰も言う者がいないので、再度言っておこうと思う。戦後六十余年、経済的にはGDPで世界第二位を占めるまでに至っているけれども、国内に外国駐留軍の存在を放置したままであるということである。自国の安全と独立を他国に、それも太平洋戦争の敵であったアメリカ軍に依存したままであること、ここに戦後日本の欺瞞性の根幹がある。

日本が軍事的にも独立を回復することなくして、国家の概念は実現せず、日本国と日本国民の欺瞞性、虚偽性、偽善的性格も解消しない。そこから文化的な退廃、国民の植民地的性格も生じる。この状況も、人間の年齢でいえば還暦を迎えて、本卦還り(ほんけがえり)を迎える歳月を経過してもなお続いている。

世界史の現時点においては、軍事力なくしては国家の独立を確保することができない。したがって、もし日本国が憲法前文の理想にいう「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自国の軍事力を保持しないとするならば、その「理想」を選択する結果として、現実においては日米安保条約によって、同じく自由と民主主義を奉じるアメリカ軍の駐留による軍事力によって、日本国の安全と平和を確保せざるをえない。しかしその結果として、自国の独立の防衛を他国に依存するという最大の退廃が生じる。そして、このことが太平洋戦争後の日本国と日本国民の虚偽、欺瞞性の根幹をなしている。この国家の独立という根幹における虚偽を放置したままにして、どのような国民教育も文化も経済的な発展も政治も真実なものではありえない。

憲法第九条擁護の原理主義者たちは、現在の世界史における国家相互間の独立と平和が軍備なくしては保証されないという現実を見ようとせず、自分たちの身勝手な「理想」に陶酔したいがために、その結果として自国の独立と安全の保証を彼らの多くが毛嫌いをするアメリカに依存せざるを得なくなっている。

労働組合の多くは米国原子力航空母艦ジョージ・ワシントンやロナルドレーガンの日本への寄港に反対しているが、これらのアメリカの航空母艦が日本に寄港し、また沖縄や座間、三沢などに米軍基地が存在するのは、軍隊の保持を禁じた憲法第九条の存在のために、日本が独立して自国の防衛を果たすことができないためである。この現実を彼らは見ようとしない。

日本国独自の軍事力で自由と民主主義の体制を守ることができるのなら、日本国内にアメリカ軍基地を認める必要もなく、アメリカ海軍航空母艦の日本寄港に反対する必要もない。

だからといって憲法九条擁護論者や労働組合が自力国防を主張するかというとそうでもない。彼らは憲法の第九条の擁護を狂信的に主張し、自衛のための軍事力を保持することすらひたすら反対しながら、アメリカ軍の駐留や空母の寄港にも反対する。もっとも、彼らの本音は日本国が北朝鮮や中国のような国家になることだから、日本国の独立などどうでもよいのである。

しかし、もし日本国と日本国民が本当の品格を取り戻そうとするなら、大日本帝国憲法下の時代の日本がそうであったように、自国の独立の保証を自国の軍備に求めざるえない。この国家の独立に対する国民の義務の根幹を放置したままでは、どのような経済発展も、政治も、文化も、教育も、その国民の欺瞞性を覆い隠すことはできない。

 

 

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国家による失業、貧困からの解放

2008年12月14日 | 政治・経済

 

この秋の9月15日、アメリカの証券会社リーマンブラザースの破産に端を発した金融危機は、その後いっそう深刻化し、単に英米経済圏のみならず世界中の実体経済に深刻な影響を及ぼしつつある。

金融恐慌や経済不況の実体は過剰生産恐慌によるものである。それは社会的な生産活動と私有財産制との矛盾によって生じ、社会的な生産活動によって可能になった大量生産が、その供給に見合った需要を見いだせないためである。生産における剰余価値の搾取によって、需要を支える購買者の賃金総額がその供給量を消費しきれない。

このような状況は市民社会の形成以来から存在し、フランス革命や共産主義革命などによって、その解決をめざして歴史的にもすでにさまざまな試みが行われてきた。共産主義運動は、生産手段の社会的な所有によって、この問題の解決に取り組もうとした。マルクスなどはブルジョア国家性悪説にたち、プロレタリア独裁国家によって人類から貧困と失業の問題の解決をめざしたが失敗した。

共産主義運動は、それが資本主義の矛盾に対する反対勢力として活動している間は一定の意義を持った。しかし、みずからいったん権力を獲得すると、解放のための権力が、市民社会の自由を抑圧する権力に転化し腐敗した。それは共産主義運動の官僚テクノラートと一般大衆とのあいだに、資本主義以上の深刻な矛盾を引き起こすことになった。市民社会の生産力を解放することにも失敗して貧困の一般化を招き、二〇世紀末には歴史の舞台から退場することになる。

それ以来今日まで、社会的な生産活動と私有財産制と競争原理にもとづく市民社会の自由な生産活動によって引き起こされる過剰生産恐慌の矛盾を解消する理論も実践も生まれていない。今日に至るまで、市民社会の貧困、失業の問題は、恐慌として深刻な循環を繰り返しながら人類を業病のように悩ませている。

こうした景気局面においては、国家による貧困と失業の救済と調整とが必要十分に機能しなければならない。しかし、それを十分に実現しえている国家は未だ世界のどこにもない。階級矛盾の解決は、プロレタリア独裁国家によってではなく、プロテスタント国家、プロテスタント政府の手によって実行されなければならない。ただ今のところその可能性をもっとも近く秘めているのは、残念ながら日本ではなく、やはり北欧諸国やアメリカであるようだ。オバマ政権と麻生政権は、それぞれの国家の本質を見極める上でそのよい比較になる。

2008年金融危機(14)

 

 

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