ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

腰抜け国家、日本の行方

2009年05月28日 | ニュース・現実評論

北朝鮮制裁 臨検強化など焦点に 国連安保理で調整本格化(共同通信) - goo ニュース

腰抜け国家、日本の行方


北朝鮮がふたたび核実験を行った。アメリカやロシア、中国は前回の北朝鮮の核実験の時よりは、北朝鮮に対して厳しい批判を行っているようである。しかし、北朝鮮の暴走をくい止めるだけの牽制力は、アメリカのみならず中国、ロシアのいずれの国にもない。実質的に北朝鮮の金正日体制を崩壊させることのできるのは、アメリカと中国しかないが、この両国は現在の金正日体制の崩壊を事実上望んでいない。そうである以上、金正日体制が当面さしあたって崩壊することはない。したがって金正日体制はなお存続してゆくものと考えなければならない。また金正日が核カードこそが最貧国北朝鮮の国際外交における唯一の交渉カードであると信じている以上、北朝鮮が核弾頭のミサイルを完成させる時が必然的に来る。それを予想しておかなければならない。

そうした状況に立ち至ったときに日本国民がどのような態度をとるか、それが問題である。その時日本と日本国民が自由と民主主義の自らの国家体制を守ろうとすれば、北朝鮮に対する軍事的な対抗手段を―――核武装や敵ミサイル基地に対する先制攻撃を含む――を構築する以外にない。これは独裁国家体制の北朝鮮を地勢的に隣国に抱える日本の宿命である。

拉致及び核に関する北朝鮮問題の根本的な解決は、金正日体制の崩壊以外にないことは明らかである。北朝鮮において、金正日の先軍国家体制が継続するかぎり、拉致問題も核問題も根本的な解決をみることはない。そして、現在の北朝鮮の金正日国家体制を支えているのは、事実上、中国でありロシアでありアメリカである。中国は北朝鮮との貿易関係によって実質的に金正日体制を支えている。

日本国民が先の太平洋戦争の敗北によって、とくに、アメリカ軍による原爆投下によって、実際に国民の国家の独立に対する精神が崩壊させられている事実については、先のいくつかの論考で明らかにしてきた。それほど、先の太平洋戦争における日本国民の戦争に対するトラウマが深刻なものとして刻まれているということである。先の大戦の結果として、すでに日本国民は独立の気概も、戦争に立ち向かう精神も失ってしまったのである。

中国、ロシアは言うまでもなく、もはやアメリカの国益からも、アメリカの核の傘もほころび始めたと考えるべきだろう。果たして、その時に孤独な日本国と日本国民は、自らの自由と民主主義、伝統と文化と独立をどこまで真剣に守る覚悟が出来ているか、それが問われる時が来るのである。

アメリカや中国、ロシアに、北朝鮮の暴走をくい止める努力をどこまで真剣に取り組ませることができるか。それは、北朝鮮の核武装に対して、国家の防衛と存続に日本国民がどれほどの覚悟をもつか。それを国際社会に対して、とくにアメリカ、中国、ロシアに示すことができるかにかかっている。


自己決定権のない国家
http://anowl.exblog.jp/8215603

北朝鮮とアメリカの猿芝居
http://anowl.exblog.jp/5700638

北東アジアの夢―――六カ国協議の遠い行方
http://anowl.exblog.jp/4827679

北朝鮮の核武装
http://anowl.exblog.jp/3977934




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忌野清志郎さんの死と日本の戦後民主主義の死

2009年05月05日 | ニュース・現実評論
 

 

武田鉄矢 天国の清志郎にメッセージ

天国の清志郎にメッセージ

忌野清志郎さんの死と日本の戦後民主主義の死

最近のニュースに由れば、ロック歌手の忌野清志郎(本名  栗原 清志)さんが亡くなられたそうである。享年五八歳だったという。だから、忌野清志郎さんは団塊の世代といってよいか、そのすぐ後の世代に属するといえる。良くも悪くも世代的にも、典型的な戦後世代の植民地文化を一身に体現した人であるということができる。「昭和の、戦後の申し子のような方」だったそうである。

しかし、私のように「戦後の日本文化」を日本の歴史上においてもっとも不毛と荒廃の文化と捉えているものにとっては、忌野清志郎さんの死は、「戦後の日本文化の死」の象徴のように映る。また、そのようにあって欲しいという願望につながる。むしろ戦後世代の死とその世代の交代によって、日本の長い歴史の歳月においてふたたび、日本の歴史を通じたより普遍的な正統的な日本文化への復帰の傾向が強まるのだろうと思っている。またそれを期待もしている。

「昭和の、戦後の申し子」たちは、自分たちの生育した時代と環境を相対化できず、それが自明で普遍的なもののように主観的には思いこんでいるかもしれない。しかし、悠久の日本の歴史からすれば、むしろこの「戦後の申し子の時代」こそが異常で特殊な時代であったことが、やがて理解されるだろう。

ただそのためには、この世代は、若気の過ちから自分の身体の全体に刻み込こんでしまった入れ墨を消し去るような、七転八倒の苦しみを通じることなくして、古来の水脈である伝統の本流に回帰することがむずかしいのだと思う。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西尾幹二氏論(1)

2009年05月01日 | ニュース・現実評論

 

西尾幹二氏を論ず(1)

Ⅰ.西尾幹二氏の飢餓感

現代の思想家、評論家で、私にとって興味と関心の持てる一人に西尾幹二氏がいる。西尾氏の思想や言論には教えられる点や共感できる点も多く、おこがましくも私も同じくするテーマで折に触れて論じてきたこともある。

至高の国家型態

「朝まで生テレビ」を見る

そして、最近になって西尾氏の2009年4月26日 日曜日のブログ記事「私の飢餓感」を読んで、ここで今一度、断片的ではなく、人間としての西尾幹二氏について全面的に、それも出来うるかぎり深く論考して行きたいと考えるようになった。もし神のお許しあれば、二年あるいは三年、可能であれば五年十年の歳月を掛けてでも、少しずつでも私の人間研究の一環として西尾幹二氏について論じてゆきたいという希望をもっている。

思想家、評論家としての西尾氏の印象をはじめて私に残したのは、多くの団塊の世代の人たちがそうであるように、講談社新書の『ヨーロッパの個人主義』という本によってである。 もう昔に読んだ本で、今も探せば見つかると思うが、若き西尾幹二氏がドイツに留学した時のヨーロッパの印象や感想を記録した本である。内容はおおかた忘れてしまっているが、西尾氏の著作家としての思想的な出発点がここにあるらしい。

西尾氏は学生時代にニーチェ研究を専攻しており翻訳や研究書も多い。また、最近になって知ったことであるが西尾幹二氏は学生時代に内村鑑三に連なる無教会のキリスト教徒学者の小池辰雄氏に学び、その薫陶も少なくなかったようである。それらが西尾幹二氏の思想的な核になっているように思われる。

その意味でニーチェがヨーロッパの伝統的な精神に対して批判的であったように、もともと西尾氏にはヨーロッパの思想や個人主義を崇拝する精神はなかったし、西洋のキリスト教的な精神に対する西尾氏自身の批判のみならず、戦後日本人の精神的な風潮についても批判的なスタンスをとっていた。この出発点がやがて「新しい教科書を作る会」の運動やさらに現在の「GHQの焚書」による「戦後日本の思想統制」批判などの言論活動につながっているのだと思う。

戦後の日本人が戦争の敗北によるコンプレックスのゆえの反動もあって、戦前の日本の集団主義や「全体主義」、その滅私奉公の「封建的な」意識に日本人は自虐的なほどに批判的で、その一方において、西洋の個人主義や自由主義に対する日本人の無批判で盲目的な表面的な模倣と崇拝の傾向がある。

そうした西尾氏の現在に至る旺盛な言論活動のなかにあって、西尾氏が「私の飢餓感」 を表明されておられることに私は興味と関心を引かれた。思想家、著作家としての華々しいご活躍のなかでの西尾氏の「飢餓感」の実体とはいったい何なのだろうかと。

西尾氏ご自身は、この「飢餓感」については次のように告白せられている。

>>

「何か本当のことをまだ書き了えていないという飢餓感がつねに私の内部に宿っている。それは若い頃からずっとそうだった。心の中の叫びが表現を求めてもがいている。表現の対象がはっきり見えない。そのためつい世界の中の日本をめぐる諸問題が表現の対象になるのは安易であり、遺憾である。何か別の対象があるはずである。ずっとそう思ってきた。そして、そう思って書きつづけてきた。
 結局対象がうまく見つからないで終わるのかもしれない。私は自分がなぜたえず飢えを覚えて生きているのか、自分でもじつは分らないのである。」

>>引用終わり

およそ誰であれ、その人の本質を知るためには、その人が自覚しているか否かを問わず、その人の人生観、世界観がどのようなものであるかを問う必要があるだろう。もっと簡潔にいえば、その人間は何をもって人生の目的としているか。西尾幹二氏はご自身の人生において何を究極的な目的とされておられるか。

西尾幹二氏は思想家であり著作家である。決して政治家でもなければ、企業家でも経営者でもない。思想家、著作家として、あるいは文学者、評論家として生きることがさしあたっての西尾幹二氏の人生の目的である。もちろん、さらにその奥には、「国家の概念」を明らかにしようとする衝動が氏にはあるように思われるが、西尾幹二氏はそのことを明確には自覚されてはおられないように思われる。

また、氏にはこれらの目的が十分に達成されていないという感覚、意識があって、そのことが現在の氏には「飢餓感」として半自覚的な危機意識として現れている。西尾幹二氏には国家や人間や世界についての絶対的な必然性についての自覚がなく、それが生まれるまでは、とくにニーチェ研究家に終始した西尾幹二氏には、この飢餓感はおそらく充足されることはないのだと思う。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする