ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

ふたたび「自由と民主政治の概念」について

2024年06月04日 | ニュース・現実評論

 

ふたたび「自由と民主政治の概念」について

 

私のブログ「作雨作晴」の今日の「このブログの人気記事?」の中に、「自由と民主政治の概念」という昔に書いた論考が上がっていた。あらためて見ると、2006年1月30日に書いた論考である。改めてその内容を確認しておきたいと思った。

その記事の論考で主張したことは、まず

1、日本国民のすべてが、日本国の国家理念として「自由にして民主的な独立した立憲君主国家としての日本」を自覚し、追求すべきこと、

2、「自由党」と「民主党」の二つの基本的な政党が、それぞれが国民政党として、「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての日本国の実現を目指していくべきこと、

この二点である。

当時の政治的な状況は、与党においては、自民党が小泉純一郎氏を党首として、首相の地位にあって、「郵政の民営化」を実行しようとし、その一方では、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏たちが結党した民主党にあって、前原誠司氏や岡田克也氏らがこの野党の政党幹部として、与党の政策に対決していた。

先に掲げた日本国の国家理念からも、日本の政党政治を健全なものとしていくためには、独立した立憲君主国家を追求する国民政党が日本の政治を担ってゆく必要があり、そのためには、まず民主党の内部から社会主義者や共産主義者たちの「全体主義」を清算して、当時の民主党を国民政党として生まれ変わらせる必要があることを訴えたものである。

民主党は、その党内に横路孝弘氏や赤松広隆氏など旧社会党出身者たちを多く抱えており、その一方では西村慎吾氏と松原仁氏らも同じ党内に所属していた。

この論考をブログに上げてから、すでに20年近くの歳月が過ぎようとしている。かって社会主義者や共産主義者の隠れ蓑となっていた「民主党」はすでになく、今はその系譜が「立憲民主党」という名前で生きながらえている。

私がこの論考で主張したことは、かっての民主党の国会議員の誰一人の耳にも届かなかったようだ。多少は期待した前原誠司氏などは、今は国民民主党も追い出されて政界をさすらっている。

その一方で、安倍晋三元首相が暗殺されていなくなった自民党はすっかりリベラル化して、保守党としての性格を失ってしまった。

日本国の国家理念が「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」にしかありえないことは、今ももちろん変わりがない。そして、日本国の政党政治が、いずれもが国民政党である「保守自由党」と「民主国民党」によって担われるべきであるという主張にも変わりがない。この二つの政党によって、「自由にして民主的な独立した立憲君主国家としての日本」を追求していくのである。

 

 

 

 

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