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ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

憲法義解8

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 解法者氏による解説 ■■■


◆◆◆ 明治憲法と現行憲法との人権制約の基準 ◆◆◆

(1)
(第二十八条関連)
 現行憲法では「憲法が保障する国民の自由・権利については・・・国民は乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う(12条)」、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り・・・最大の尊重を必要とする(14条)」と定めております。

 この「公共の福祉」と「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限り」とは、どのような違いがあるでしょうか。
 判例は、利益衡量の考え方を採っているといわれております。これは、権利と権利がぶつかり合う場合に、これを調整する機能として「公共の福祉」を考える。例を挙げて説明しますと、ある宗教団体Aが他の宗教団体Bの排斥を求めて街頭宣伝活動に出て、その宗教団体Bの本部の前で宗教団体撲滅運動を繰り広げた場合、宗教団体Bが宗教団体Aは<信教の自由>を侵すものだといい、宗教団体Aもこの街頭宣伝活動は<信教の自由>の範囲に属し<表現の自由>の範囲内の行為にある、と主張したとします。

このような場合に、<信教の自由>とは、自己の宗教の拡大を目指すことは宗教として内在する目的に合致するが、他の宗教を排斥するなどの独善的な権利までも保障したものではなく、それによって宗教団体Bが蒙る損害と比較すればとうてい認めるわけには行かない。と判断した場合の<他の宗教を排斥する権利(信教の自由)>と<それによって蒙る損害を宗教団体Bが排除する権利(信教の自由)>との比較においてなされるもので、これの判断基準が「公共の福祉」であるというものです。「公共の福祉」の具体的内容については憲法に定めがありませんから、抽象的な表現でしか言い表すことができないのは致し方ありません。憲法の解説書でも「公共の福祉」を明確に言い換えているものはありません(「日本国憲法〔第2版〕」松井茂記 有斐閣、「憲法〔第2版〕」 辻村みよ子 日本評論社、「日本国憲法論〔第3版〕」 吉田善明 三省堂)。

そして、利益衡量の基準となるのが、「明白かつ現在の危険の原則」です。つまり、「明らかに現在行われていて、しかも重大な害悪が発生する危険性」ということです。
先の例を見ればこの原則が適用されることが理解されるでしょう。

(2)
 それでは、この「公共の福祉」と「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限り」とは、異なるのでしょうか。
 これは、同じです。「公共の福祉」を言い換えたに過ぎません。
 これについては、「公共の福祉」の方が、厳格に国民の権利の制限基準を定めたものであるという考えが成り立つかも知れません(ただ、これに言及してる憲法解説書は見当たらなかったー例 前掲書)。「安寧秩序」にしても、表現は今の感覚ではすこし<おどおどしい>感じはしますが、<国民の完全と秩序>という意味ですし、「臣民たるの義務」にしても、<他人の幸福を奪ってはならない>という意味です。正に、「公共の福祉」
そのものです。

 ところで、「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限り」とする<制約>は、「法律の定めるところに依り」という<制約>がありませんから、「法律」に依ることなく「命令」でも<制約>できます。これを以て、明治憲法を非難するものがおりますが(松井茂記・辻村みよ子―前掲書)、《大きな誤り》です「公共の福祉」も同じです。むしろ、「法律の定めるところに依り」という<制約>の方が、権利の保護に<厚い>ということになります。

 こう考えれば、明治憲法のように<ほとんど>の臣民(国民)の権利の制限を「法律の定めるところに依り」という<制約>を設けた方が、臣民(国民)の権利の尊重したことになります。「公共の福祉の範囲内で」と規定した「現行憲法」の方が、国民の権利の制限をよりし易くしたものと考えることもできます。このことは、現行憲法で認められている「国民の権利」はすべて(法律の規定なく)「公共の福祉」によって制約されるという考え方さえあるのです(美濃部達吉、判例もこの立場―こちらも同じ)。
 このように、憲法学者のほとんどは、明治憲法より現行憲法の方が<人権主義>に貫かれていると説いていますが、明治憲法の理解が不足しているとしか考えられません。

 なお、「オウム真理教」事件、<信教の自由>の尊重などと言っているうちに、このような戦前では見られなかった<宗教的惨禍>をもたらしたのではありませんか。これが、明治憲法下でしたら、とっくに「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背いた」として芽が摘まれていました。
今だに「オウム真理教」が跋扈しているのですから。<人権>とは誰の<人権>でしょうか。憲法学者にはこれについての言及もなく、反省も一切聞こえて来ません。
 なお、「公共の福祉」などの「共同の利益」で、人民の権利を制約するのは珍しいことではなく、フランスの人権宣言(1789年)でも認められております。

(3)
 法律は議会によって制定されます。議会は国民の代表ですから、ここで制定された「法律」によって臣民(国民)の権利が制限されますから、すこぶる民主的であると言えます。
もちろん、法律を含む総てのものによって国民の権利が制約されないなどと定めていたり、運用されている国はどこを探してもありません。

 先に説明したとおり、権利と権利が衝突しますから、どちらかの権利を制約しなければなりません。権利は両立しがたいのです。これの<制約理論>が「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務」であり、「公共の福祉」などなのです。世界の憲法を見ても、ドイツでも「他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に反しない限り」、フランスでも「社会的有害行為については法律を以て禁止できる」(フランスでは、権利に関しては先の人権宣言(1789年)が最高法規となっている)、アメリカでも先の説明のとおり「明白かつ現在の危険の原則」によって制約される、イギリスでも「法律」による制約が排除されていない(例 「自己帰罪拒絶特権」の制約)。韓国でも日本と同じく「公共の福祉」によって制約される、となっております。
 
ところで、明治憲法ではどうして「信教の自由」のみが、「法律」ではなく、「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に反しない限り」とされていたのでしょうか。
 それは、伊藤博文の「憲法義解」において述べている次のことにあります(この現代語読みは、HISASHIさんのhttp://www.nn.iij4u.or.jp/~yoshida0/index1.html)から引用します)。

 <信仰帰依は専ら内部の心識に属すと言っても、更に外部に向って礼拝・儀式・布教・演説及び結社・集会を行うに至っては、もとより法律又は警察上、安寧秩序を維持するための一般の制限を遵は無い事は出来ない。そして、何れの宗教も神明に奉事するために法憲の外に立って国家に対する臣民の義務を逃れる権利を持たない。故に内部における信教の自由は、完全であり一つの制限も受けない。そして外部における礼拝・布教の自由は法律・規則によって必要な制限を受け、及び臣民一般の義務に服従しなければならない。これは憲法の裁定するところであり、政教が相互に関係する界域である>

 これについて、国家が神道を強要した根拠になったと非難する者がおります。確かに、そうような現象はありましたが、どうでしょうか。
いわゆる「オカルト教団」や宗教に名を借りた政治への干渉、これが社会に与える害悪と比較すれば容易に結論が導きかれるはずです。
この伊藤博文の考え、現在にも当てはまる立派な理論です。

 つまり、彼は「信教の自由」を法律によって制約することが可能ではあるが、「内心の自由」に属するものであり、これを法律などによって制約するに際し、その指針となるものを提示したものと考えることができると思います。<法律などによる制約>に一定の歯止めを掛けたと考えていたものと思います。このことは、その前にある<本心の自由は人の内部に存在する者であり、もとより国法の干渉する区域の外にあり、そして国教をもって偏信を強いるのは、もっとも人知自然の発達と学術競進の運歩の障害になるものであり、何れの国も政治上の威権を用いて、教門無形の信依を制壓しようとする権利と機能とを持ち得ない。

本条は実に維新以来取る進路に従い、各人無形の権利に向けて濶大な進路を与えた>から読み取ることができます、 このことを以てしても、明治憲法が<内心の自由>の一類型である「信教の自由」を排除するのではなく保護しなければならないが、他方、それが持つ<危険性>を十二分に認識していたのです。さすがの<英知>を感じ取ることができます。


◆◆◆ 国会 ◆◆◆

(1)
日本は「両院制」を採っている。現行憲法の制定の時点では、アメリカは「一院制」を提唱したが、なぜか「両院制」となってしまった経緯がある。
 憲法学者にも「参議院の独自性がどこにあるかわからない」などと揶揄されている始末である(「日本国憲法(第2版) 松井茂記 有斐閣 2002年7月30日出版」)。

 両院制は、3つの型がある。

1.連邦型 連邦国家(アメリカ、ドイツなど)において見られ、<議員>が、第1院(下院)は各州の人口比例によって選出され、第2院(上院)は人口に関らず各州から2名ずつ選出される

2.貴族院型 第1院(下院)は貴族、職能代表などによって選出され、第2院(上院)は各選挙区から1名ないし数名選出されるイギリス、戦前の日本で見られた制度で、民意によって選出された第1院(下院)の横専防止することに目的がある。

3。民選議会型 第1院(下院)、第2院(上院)とも各選挙区から1名ないし数名選出される 日本で見られる制度で、第2院(上院)は第1院(下院)の横暴を防止する、あるいは、地域代表、職能代表を以って構成される独自性を有することに目的がある(「憲法(第2版) 辻村みよ子 日本評論社 2004年3月1日出版」)。

 このうち、民選議会型は機能が重複するので、あまり意味がない。このことは、現在の「参議院」を見れば、すぐに理解されるであろう。また、日本は連邦国家でもなく、連邦型を採用すればいたずらに地方対立を生む可能性もあり、しかも、「一院制」との差別化の利点が見出し難いということがあり、採用しがたい。

(2)
 最後の「貴族院型」も現在、貴族が存在しないので、職能代表ということになるが、この定義と配分が困難で実現は難しい。ただ、数の横暴から来る第1院(下院)を第2院(上院)が牽制するのは意味がある。明治憲法がこの点に着目したのは意義があった。

 この貴族院型が、現代の「民主主義的議会制度」から不必要あるいは弊害であるというのは誤りである。これを考えるために、イギリスの貴族院を見てみよう。これまでは、貴族院議員は、貴族(世襲・一代)によって構成されていたため、保守的で「保守党」支持者が多く、議論は沈滞していた。ところが、1999年の改革で、世襲議員を減らし一代議員を増員した結果、「労働党」支持者が増加し、議会での議論は盛んになった。

「金銭問題(予算関係など)が第1院(下院)の専権事項であるなど第2院(上院)に制約があるが、司法制度などの重要法案には第2院(上院)に<先議権>があり、また、政府の提出法案がしばしば修正を余儀なくされているなど、第2院(上院)の独自性が確保されている(「イギリスの政治 川勝平太など 早稲田大学出版会 1999年12月15日」)。国民から「貴族院」を廃止せよ、という声は少なくなっている。

 伊藤博文もこのような貴族院型を理想としていたと考えられる。この貴族院型が、現代の「民主主義」に反するなどと即断しては(辻村みよ子 前掲書)ならない。職能代表との定義と配分について知恵を出せば、現在の「参議院」も存在価値が出てくる。

 今のままでは<存在価値>を見出せない。
 なお、「国会議員」、選挙区の<代表>ではない。伊藤博文の「憲法義解」で指摘するとおり、「全国民の代表」である。現行憲法にも規定がある(43条1項)。実態は全く違っている。

出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm


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憲法義解7

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 第七章 補足 ■■■

第七章 補足


◆◆◆ 第七十三条 ◆◆◆

第七十三条 将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし(将来にこの憲法の条項を改正する必要がある場合は、勅命を以て議案を帝国議会の議に付さなければならない)
この場合に於いて両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非ざれば議事を開く事を得ず出席議員三分の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず(この場合、両議院は各々総員の三分の二以上出席しなければ、議事を開く事は出来ない。出席議員の三分の二以上の多数を得られなければ、改正の議決をする事は出来ない。)

慎んで思うには、憲法は我が天皇が親しくこれを制定し、上は祖宗に継ぎ下は後世に遺し、全国の臣民及び臣民の子孫達にその条則を遵由させ、それによって不磨の大典とするところである。故に憲法は紛更を相容れない。
ただし、法は社会の必要に調熟してその効用を為すものである。故に国体の大綱は、万世に亘り永遠恒久であり移動すべきでないといえども、政制の節目は世運とともに事宜を酌量して、これを変通するのはまたやむを得ないことである。本条は、将来に向けてこの憲法の条項を改定する事を禁じていない。そして、憲法を改定するために更に特別な要件を定めた。

通常の法律案は、政府よりこれを議会に付し、或いは議会がこれを提出する。そして、憲法改正の議案は、必ず勅命によってこれを下付するのは何故か。憲法は天皇の独り親ら定めるところである。故に改正の権は、また天皇に属すべきだからである。改正の権は既に天皇に属する。そして、これを議会に付するのは何故か。一たび定まった田移転は、臣民とともにこれを守り、王室の専意によって、これを変更する事を望まないからである。議院においてこれを議決するのに、通常は過半数の議事法によるのに、必ず三分の二の出席と及び多数を望むのは何故か。将来に向けて憲法に対する慎守の方向を付持するためである。

本条の明文によると、憲法の改正条項を議会の議に付せらるるに当たり、議会は議案の外の条項に連及して議決する事は出来ない。また、議会は直接又は間接に憲法の主義を変更する法律を議決し、本条の制限を逃れる事は出来ない。


◆◆◆ 第七十四条 ◆◆◆

第七十四条 皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず(皇室典範の改正は、帝国議会のぎを経る必要はない)
 皇室典範を以て此憲法の条規を変更することを得ず(皇室典範によって、此憲法の条規を変更する事は出来ない)

慎んで思うには、憲法の改正は既に議会の議を経るの必要とする。そして皇室典範は、独り其の議を経るのを必要としないのは何故か。蓋し、皇室典範は皇室の事を制定する。そして、君民相開かれるという権義に渉るものではない。もしそれ、改正の必要がある場合には、これを皇族会議及び枢密顧問に付する条則のようなものは、また典範においてこれを制定すべき物であり、そして憲法にこれを明示する必要は無い。故に、この条にこれをあわせて掲げないのである。

ただし、皇室典範の改正により直接又は間接に、この憲法を変更することが現出すれば、憲法の基址は容易に移動すると言う不幸が無いように保たせようとする。故に、本条は特に憲法の為に保証を存する至意を示したのである。


◆◆◆ 第七十五条 ◆◆◆

第七十五条 憲法及び皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず(憲法及び皇室典範は、摂政を置いている間は、之を変更する事は出来ない)

慎んで思うには、摂政を置くのは、国家の変局であり、その常態では無い。故に、摂政は統治権を行う事は、天皇とことなら無いといえども、憲法及び皇室典範の何等の変更もこれを摂政の断定に任せるのは、国家及び皇室における根本条則の至重である事は、もとより仮摂の位置の上にある。そして、天皇の外には誰も改正の大事を行う事は出来ないのである。


◆◆◆ 第七十六条 ◆◆◆

第七十六条 法律規則命令又は何等の名称を用いたるに拘わらず此の憲法に矛盾せざる現行の法令は総て遵由の効力を有す(法律・規則・命令又は何らかの名称を持ちいていても、此憲法に矛盾しない現行の法令は、総て遵由の効力を有している)
歳出上政府の義務に係る現在の契約又は命令は総て第六十七条の例に依る(歳出上、政府の義務に関わる現在の契約、又は命令は総て第六十七条の例による)

維新の後、法令の頒布は御沙汰書、又は布告及び布達と称える。明治元年八月十三日に法令頒布の書式を定めて以後、被仰出御沙汰等の文字を用いるのは行政官に限り、その他の五官[神祇官、会計官、軍務官、外国官、刑法官]及び府県は申達の字をもってする。五官府県において重立である布告は、行政官に差出し議政官が決議の上、行政官より達せさせた。五年正月八日達に、今より布告に番号を附し各省の布達もまた同様にさせた。これより始めて布告布達の名称に区別をつけた。

六年七月十八日達に、布令中掲示すべき物とそうでない物とを区別し、布令書の結文の例を定め、各庁及び官員に達するのは、これは総て相達又は「此旨を相心得べし」とし、全国一般に布告するのは「これ皆布告」とし、華族或いは社寺に達するのは「これ皆華士族へ布告」又は「これ皆社寺へ布告」とする。その各庁及び官員に達するものは掲示しなくても良い。これは人民に対する布告と官庁訓令とを区別した始めである。

十四年十二月布告布達式を定めて、布告は太政大臣奉勅旨布告とし、布達は太政大臣より布達し並びに主任の卿がこれに連署する。同月三日布告に法律規則は布告をもって発行する。従前の諸省限りの布達した条規の類は、今より総て太政官より布達する。これは諸省布達の制度を廃止し、及び始めて諸省卿の連署の制度を定めた。十九年二月二十六日の勅令に、法律勅令は上諭をもって布告し、親署の後に御璽をして内閣総理大臣及び主任の大臣がこれに副署する。

閣令は内閣総理大臣がこれを発し、省令は各省大臣がこれを発する。以上を総括するに、医師依頼の官令に御沙汰書といい、布告といい、布達というのは、その文式によって称呼したものである。その法といい[戸籍法の類]律といい[新律綱領の類]令といい[徴兵令・戒厳令の類]条例といい[新聞条例の類]律例といい[改定律例の類]は総て皆人民に公布し遵由の効力を有する条則をいうの義であり、その間に軽重とするところはない、そして十九年二月二十六日の勅令に至って、始めて法律勅令の名称を正したのも、何を法律とし何を勅令とするのかに至っては、未だに一定の限界があるわけでは無い。

八年の元老院の章呈に元老院は新法設立、旧法の改定を議定するといい、十九年二月二十六日の勅令に法律の元老院の義を経るのを必要とするものは、旧によるという。然るに八年以後、布告の中に何を指して法律とすべきかは、未だ明白となっていない。従って元老院の立法の権限もまた明確とならない[十一年二月二十日、元老院の上奏による]。十九年以後、勅令で院義に附するものもまた多い。要するに憲法発布の前に当たっては、法律と勅令とは、その名称を殊にして、その事実を同じくするものであるのに過ぎない。

そして名称によって効力の軽重を区別すべきなのは、十九年以前の布告と布達と時によって区別し、時によって区別しなかった事と事ならない。
故に憲法の指定するところに従い、法律と命令との区別を明らかにしようとするのは、必ず立法議会開設の時期において、その始を履むことを得るように、そして立法議会開設の前に当たっては、法律・規則・命令その他何らかの名称を用い、何らかの文式を用いたとしても、これをもってその効力の軽重を判断する縄尺とする事は出来ない。
前日の公令は、憲法施行の日よりその法令の前文、或いは条章に限り効力を失うべきである。

前日の公令は今日に現行して、将来に遵由の力があるものの中に就いて、更に憲法の定めるところによる時は、必ずその法律であることを望むものであり[第二十条兵役、第二十一条租税の類]、今過去に泝って一々これに法律の公式を与え、もって憲法の文義に副わせようとするのは、形式に拘り徒に他事を為すのに過ぎない。故に本条は、現行の法令条規を総て皆遵由の力をあらしめるのみならず、その中で憲法において法律をもってこれを望むものは、法律として遵由の力があるものであり、もし将来において改正の必要がある時は、その前日に勅令布達をもって公布した・しないに拘わらず、総て皆法律をもって挙行する必要のある事を知るべきである。


出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm

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憲法義解6

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 第六章 会計 ■■■

第六章 会計

会計は国家の歳出歳入を整理するところの行政の要部であり、臣民の生計と密接に関連を為すものである。故に憲法は殊にこれを慎重して、帝国議会の協賛及び監督の権限を明確にする。


◆◆◆ 第六十二条 ◆◆◆

第六十二条 新たに租税を課し及び税率を変更するは法律を以て之を定べし(新に租税を課し、及び税率を変更するには、法律を以て之を定めなければならない)
 但し報償に属する行政上の手数料及びその他の収納金は前項の限りに在らず(ただし、報償に属する行政上の手数料、及びその他の収納金は、前項の限りではない)
 国債を起し及び予算に定たるものを除く外国庫の負担となるべき契約をなすは帝国議会の協賛を経べじ(国債を起債し、及び予算に定めたものを除く外の国庫の負担となる契約を結ぶ時は、帝国議会の協賛を経なければならない)

新に租税を課するに当たっては、議会の協賛を必要とし、之を政府の専行に任せないのは、立憲政の一大美果として直接臣民の幸福を保護するものである。蓋し、既に定まった現在の税の外に、新に徴税額を起し及び税率を変更するに当たって、適当な程度を決定するのは、専ら議会の公論に依頼せずにする事は出来ない。もし、この有効な憲法上の防範がなければ、臣民の富資はその安固を保証する事が出来ない。

第二項の報償に属する行政上の手数料及びその他の収納金とは、各個人の要求により又は各個人に利益を与えるための行政の事業又は事務に対して上納させるものであり、普通の義務として賦課する租税とその性質を殊にする物をいう。即ち、鉄道の切符料・倉庫料・学校の授業料の類は行政命令で之を定める事が出来き、必ずしも法律に依る必要はない。ただし、行政上の手数料という時は、司法上の手数料とその類を異にすることを知るべきである。
第三項の国債は、将来国庫の負担義務を約束するものである。故に新に国債を起債するには、必ず議会の協賛を取らなければならない。予算の効力は一会計年度に限る。故に、予算の外に渉り将来の国庫の負担たるべき補助保証及びその他の契約をなすのは、全て国債と同じく議会の協賛を必要とする。


◆◆◆ 第六十三条 ◆◆◆

第六十三条 現行の租税は更に法律を以て之を改めざる限りは旧に依り之を徴収す(現行の租税は、更に法律を以て改めない限りは、旧の法律に依って租税を徴収する)

前条で既に新に課する租税は、必ず法律を以て之を定めるべきことを保明した。そして、本条は現行の租税は、更に新に定めた法律を以て之を改正しない限りは、全て従前の旧制及び旧の税率に依遵してこれを徴収すべきことを定める。蓋し、国家はその必要とする経費を供するために、一定の歳入があることを要す。故に現行の租税に属する国家の歳入は、憲法に由って移動しないのみならず、憲法は更に明文を以て之を確定した。

附記:之を欧州各国を参考にすると、毎一年に徴税の全てを議会の審議に付するのは、その実多くは無用の形式であるにも拘らず、一般に理論の貴重する所である。ある国の憲法は、租税議決の効力は一年に限り、明文を持って之を更新するので無ければ、一年以外に存立しないことを掲げている。今、その由って来る所を推究するに、その一は欧州中古各国の君主は、家事を持って国務と相混じ、家産を以て国費に当て、私邑を封殖してその租入を取り、以て文武の需要に供給していたが、その後、常備兵の設置、軍需の鉅大になったことと及び宮室・園囿の費用とに因り、内庫欠乏するに至り、国中の豪族を招集し、その貢献を徴し、それによって歳費を補給する方法を取った。これは欧州各国における租税の起源は実に人民の貢献寄付であるに過ぎない[ウィッテンベルグ憲法第百九条に王室財産の収入で足らない時は、租税を徴収して国費を支給すべしというのは、その一證である]。

故に国民の承諾を経るのを必要とし、承諾が無ければ租税無しといえる約束を以て国権の大則とするに至った。これは、歴史上の沿革より来たものである。その二は、主権在民の主義により、国民は全部の租税に対し、専ら自由承諾権を有し、国民で租税を承諾しない時は、政府はその存立を失うのを自然の結果とすべしといえる極端な論より来たものである。よくよく、この歴史上の遺伝と架空の理論とは、両々抱合して各国の憲法上に強大な勢力を有し、牢固にして破る事が出来なくなるに至ったにも拘らず、顧みてその実際如何と問うに至っては、英国に在っては地租、関税、物産税、印紙税は当久に之を徴収し、固定資金に払い込むものの計は、歳入の全部の七分の六になる[ダイシー氏による千八百八十四年の統計によると歳入全額八千七百二十万五千百八十四ポンドであり、その内千四百万ポンドは毎年議決により徴収するものとし、その名名千参百万ポンド余りは経常法により徴収する]。

これは、昔日の因襲と及び法律の効力により経常不動の歳入として、毎年議に付する事を必要としないものである。ドイツは憲法第百九条により、現租は旧によるという条規を実行している。彼の理論の巣窟であるところのフランスにおいても、その著述者の言によると毎年租税を議するという原則は依違の間に之を施行するのに過ぎない[ポリーツ氏の財政学第三版第二巻七十五ページから七十六ページ]。そして、その殊に毎年討議して税率を定めるところの直税のごときもまた、既にその不便を論ずる者あり。蓋し、之を立国の原理に求めると、国家の成立は永久であり、仮設の物ではない。

故に国家がその永久の存立を保つための経費を大局は毎一年に移動をなすべきではない。そして、何人も及び何等の機関も必要経費の源を杜塞して、国家の成立を妨げる権利はない。彼の欧州各国の中古の制度の如きは、国家常存の資源は王室の財産に在って、租税ではない。故に人民は随意に納税の諾否を毎一年に限る事が出来るが、近世国家の原理が漸く論定を得るに至って、国家の経費は租税の正供に資るべく、そして殊に国家の存立に必要な経常税の徴収は、専ら国権によるものであり、人民の随意なる献饋に因るものでない事は、既に疑いを容れるべき余地はないのである。

我国は上古より国家の経費は、之を租税に取り中古三税[租・庸・調]の法を定め、国民に対して均しく納税の義務を課し、正供の外に徴求の道を聞くことは無かった。現在の各種の税法は皆、常経があって毎年移動の方法に由るものでない。今、憲法において現行税を定めて経常税となし、その将来に変更がある場合を除くほかは、全て旧に依り徴収させるのは、国体に原つけ之を理勢に酌み、紛更を容れないものである。


◆◆◆ 第六十四条 ◆◆◆

第六十四条 国家の歳出歳入は毎年予算を以て帝国議会の協賛を経べし(国家の歳入歳出は、毎年予算を帝国議会の協賛をへなければならない)
 予算の款項に超過し又は予算の外に生じたる支出あるときは後日帝国議会の承諾を求むるを要す(予算の項目の額から超過したり、予算の外に生じた支出がある時は、後日帝国議会の承諾を求める必要がある)

予算は会計年度の為に歳出歳入を予定し、行政機関をその制限に準拠させる。国家の経費に予算を設けるのは、財政を整理する初歩の発動である。そして予算を議会に付し、その協賛を経、及び予算により支出した後に超過支出及び予算外の支出を議会の監督に付し、事後承諾を求めるに至っては、これを立憲制の成果とするのに足りる物である。

予算の事は、大宝の令に見るところはない。徳川氏の時に各官衙に定額があって、そして予算はない。維新の後旧慣により国庫又は各庁において逐次出納するのに止まった。明治六年大蔵省において始めて歳入出見込み会計表をつくり、太政大臣に提出した。わが政府の予算を公文書とするのは、これを始とする。七年にまた同年度の予算会計表を作り、それいご逐年に予算の科目及び様式を改良して、十四年に会計法を頒布するのにいたって漸く整頓に就き、十七年に歳入出予算条規を施行し、益々成緒を見る事が出来た。十九年に勅令をもって予算を発布した。これを式により予算を公布する初となる。

そして、予算の制度は実に会計上必要な準縄となるに至った。本条は更に進んで予算を議会に付する制度を取ろうとする。蓋し、予算を正当明確にさせ、また、正当明確である事を公衆に証明し、及び行政官衙が予算を遵守する必然の義務を実現させるのは、これを議会に付するよりもっとも緊切なる効力を見るものはない。

ここに弁明を要するのは、各国において予算を一つの法律と認めた事これである。よくよく予算は単に一年に向けて、行政官の存衆すべき準縄を定めたものに過ぎない。故に予算は特別の性質により、議会の協賛を要するものであり、本然に法律ではない。ただ、しかる故に法律は予算の上に前定の効力を有し、そして予算は法律を変更する作用をなす事が出来ない。予算を以て法律を変更するのは、予算議定権の適当な範囲を越えるものである。

彼の各国において予算を以て法律と称えたのは、或いは予算の議定を過重して議院無限の権とするにより、また或いは凡そ議院の議を経るものは、全て法律を称呼するの誤りを踏むによるに過ぎない。よくよく法律は、必ず議会を経るという事ができる。そして議会の議を経るものは、必ず法律と名づけるという事は出来ない。なぜならば、議会の承諾をへるが、その特別の一時に限り普通に遵由させる条則でないものは、もとより法律とその性質を殊にするからである。

第二項の歳出の予算の款項に超過するものがあるか、又は予算の外に生じた費用の支出を行った時は、議会の事後承諾を求めるのは政府がやむを得ざる処分において、議会の監督を要するからである。蓋し、精確な予算は、過剰であるよりもむしろ不足が出てくるのは、往々にして避けられない事実である。各大臣は、予算に拘束されて既に不要となった予定の政費を支出する責任を有しない如く、やむを得えざる必要により生じた予算超過、及び予算外の支出を施行するのもまた、憲法禁止するところではない。

何となれば、大臣の職務は独り予算に関する国会の協賛により指定されるのみではなく、寧ろ至高の模範である憲法及び法律に指定されたものでる。故に憲法上の権利又は法律上の義務を履践するために、必要な供需あるときに際して、大臣は予算に不足を生じ又は余山中の正条にない故を以て、その政務を廃する事は出来ない。そして、やむを得ざる超過及び予算外の支出は適法であることを失わない。

よくよく、適法の事であり猶、事後承諾を要するのは何故か。行政の必要と立法の監督をして両々並行互相調和させる所以である。蓋し、国家もまた一個人と同じく乱費冗出の情幣があるのを免れない弱点であるが故に、予算の議決款項を細密に履行するのは、これを以て政府の重要義務としない事は出来ない[英国千八百四十九年三月三十日の衆議院の議決にいう、国会経費の科額を決定した時は、その経費をその目的の為に委任された額を超過しないように注意するのは、責任及び監督に当たる各省の義務であると]。そして、やむを得ざる超過支出及び予算外子出があるのは、異例の事とし、もし議会において乱費違法の情幣を発見し、その必要性が認められない時は、法律上の争議を定気することが出来ないとしても、政事上の問題を媒介することが出来る。但し、財政上政府の既に支出した費額及び政府の為に生じた義務については、その結果を変動することが出来ないのみ。

予算款項の超過は、議会において議決した定額をこれて支出したことをいう。予算外に生じた支出とは、予算に設けた款項の外に四件出来ない事項の為に支出したことをいう。[ドイツ検査院章程第十九条にいう、憲法第百四条にいう予算超過とは、予算において各項の流用を許し、この項の少支出を以て彼の項の多支出を補充出来るものを除く外、第九十九条に従って既に確定した会計予算の各款各項又は、議院の承認した特別予算の各項に違う多額の支出をいう。予算超過及び予算外の支出の証明は翌年に両議院に提出して、その承諾を受けるべしと。これは、その憲法第百四条の遺漏を補注し並びに予算超過を推して予算外の支出に及ぼすものである。]

附記:予算超過の支出は、各国の会計において実際に免れないところである。英国千八百八十五年の収入支出監督条規として、議院の議決する所による毎年の決算は、最後に下院の決算委員会においてこれを審査し、各科目に付き議決の金額に超過した支出がある時は、立法の認可を経べしといっている。[「コックス」氏による。氏はまたその事実を著していう、国会の議定費額は予算調整の当時にあっては十分余裕あるようであるが、実際に欠乏を告げ、次年度において不足を補給する費目が少なからずあると。蓋し、英国は事後承諾及び補充議決の両種の方法を行うものである]。

ドイツは事後承諾の方法を取り、そして憲法にこれを明言している。イタリアは半ばに現年度における予算修正の方法を取り、半ば事後承諾の方法を取っている[千八百六十九年の法]。フランスは予算に定めた経費で、当然の理由によって不足を生じたものは補充費とし、予見出来ない事項または予算に定めた事務で既定の区域の外に拡張するものは非常費とし、補充費非常費は全て法律を以てこれを許可すべきものとし、国会閉会の場合においては参議院の発議により内閣会議を経て、命令を以て仮にこれを許可し、そしてその命令は次回の国会において承諾を受けるべきものとした[千八百七十八年法]。


◆◆◆ 第六十五条 ◆◆◆

第六十五条 予算は前に衆議院に提出すべし(予算は、先に衆議院に提出すべし)

本条は、予算議案を以て衆議院に最先の特権を付したものである。蓋し、予算を議するのは、政府の財務と国民の生計とを対照し、両々顧応し豊倹の程度を得させることを要する。これは衆民の公選により成立する代議士の職任において、もっとも緊切であるとするところである。


◆◆◆ 第六十六条 ◆◆◆

第六十六条 皇室経費は現在の定額に依り毎年国庫よりこれを支出し将来増額を要する場合を除く外帝国議会の協賛を要せず(皇室経費は現在の定額を毎年国庫より支出し、将来に増額を必要とした場合以外は、帝国議会の協賛を必要としない)

第六十四条に予算は帝国議会の協賛を経る必要があることを定めた。そして、本条は皇室経費の為に、その例外を示すものである。
慎んで思うには、皇室経費は天皇の尊厳を保つために、書くことの出来ない経費を供給する、国庫の最優先の義務である。その使用は、一に宮廷の事に係り議会の問うところではない。従って、議会の承諾及び検査を必要とされないべきである。皇室費額を予算及び決算に記載するのは、支出総額の成分を示すものに過ぎないのであり。これを議会の議に付するものの一款とするわけではない。そして、その将来増額を必要とするに当たり、議会の協賛を必要とするのは、その臣民に負担させる租税と密接な関係を有するので、衆議に諮ろうとするのである。


◆◆◆ 第六十七条 ◆◆◆

第六十七条 憲法上の大権に基づける規定の歳出及び法律の結果により又は法律上政府の義務に属する歳出は政府の同意なくして帝国議会これを排除し又は削減することを得ず(憲法上の大権に基づく規定の歳出、及び法律の結果により、又は法律上政府の義務に属する歳出は、政府の同意がなければ帝国議会がこれを排除したり、又は削減する事は出来ない)

憲法上の大権に基づく規定の歳出とは、大一章に掲げた天皇の大権による支出、即ち行政各部の官制・陸海軍の編成に要する費用、文武官の俸給、並びに外国との条約による費用であり、憲法施行の前と施行の後とを論じない。予算提議の前に既に定まっている経常費額を成すものをいう。法律の結果による歳出とは、議院の費用、議員の歳費・手当、諸般の恩給・年金、法律による官制の費用及び俸給の額をいう。法律上政府の義務に属する歳出とは、国債の利子及び償還、会社営業の補助又は保証、政府の民法上の義務又は諸般の賠償の類をいう。

蓋し、憲法と法律とは、行政及び財務の上に至高の標準を示すものであり、国家は立国の目的を達するために、憲法と法律とを最高の主位を占領させ、そして行政と財務とをこれに従属させた。故に予算を審議する者は、憲法と法律に準拠し、憲法上及び法律上国家の制置に必要な資料を給備するを当然の原則としなければならない。その他、前定の契約及び民法上又は諸般の義務は、均しく法律上必要が生じる者とする。もし、議会が予算を審議するに当たり、憲法上の大権に準拠する規定の額、又は法律の結果により及び法律上の義務を履行するのに必要な歳出を、廃除・削減をすることが有れば、これは即ち国家の成立を破壊し、憲法の原則に背く者とする事といえる。

ただし、規定の歳出という時は、その憲法上に体験に基づくにも拘わらず、新置及び増置の歳出は議会において議論のする自由がある。そして政府の同意を経た時は、憲法上規定歳出、及び法律の結果により又は義務に必要であるといえども、法律及び時宜の許す限りは省略・修正することが出来るべきである。

附記:「ボーリウ」氏の著論によると、スウェーデンにおいては国会が歳出を削減し現在建設している事業を継続するのに足らない場合においては、国王の認許を得ずにこれを決議する事が出来ない[スウェーデン憲法第八十九条]。その他、ドイツの各邦において、議会は憲法上の義務又は法律及び民法上の義務によって生じて必要とされる歳出を、拒む事は出来ない主義を掲げるのは「ブラウンシュ、ワイヒ」憲法第七十三条、「オルデンブルヒ」憲法第百八十七条、「ハノーフル」憲法第九十一条、「サクソン、マイニンゲン」憲法第八十条がこれである。また、一たび予算で定めた経費は、その事項及び目的が消滅しない間は、国家井ノ承諾なしに増加する事が出来ない。政府の承諾なしに削減することが出来ないことを定めるものは「アルデンブルヒ」憲法第二百三条がこれである。これは全て各国の旧慣又は成文に存在するものであり、そして近世国家原理の発達と符合するものである。終わりに附記して参考に備える。


◆◆◆ 第六十八条 ◆◆◆

第六十八条 特別の須要に因り政府は予め年限を定め継続費として帝国議会の協賛を求むることを得(特別な須要に因り、政府は予め年限を定めて、継続費として帝国議会の協賛を求めることが出来る)

歳費は毎年に議定するのを常とする。蓋し、国家の務めは活動変遷して、一定の縄尺をもって概律してはならない。故に国家の費用はまた、前年を以てこう年に推行してはならない。ただし、本条は特別に須要がある場合に対して例外を設けるのは、陸海軍費の一部又は、工事製造の類は数年を期してその成功を見るべきものであり、議会の協賛によって数年にわたる年限を定める事が出来るのである。


◆◆◆ 第六十九条 ◆◆◆

第六十九条 避くるべからざる予算の不足を補う為に又は予算外に生じたる必要の費用に充つる為に予備費を設くべし(避ける事の出来ない予算の不足を補うため、又は予算外に生じた必要な費用に当てるために、予備費を設けなければならない)

本条は予備費の設によって予算の不足、及び予算外で必要な費用を補給することを定める。蓋し、第六十四条は予算超過及び予算外支出に付き、議会の事後承諾を求めるべきことを掲げた。そして、その超過及び額外支出は、どのような財源によってこれを供給するべきかを指示していない。これは、本条に予備費の設置を定める必要とするところである。

附記:各国の予備費の設置を参考にするに、オランダにおいては各章に予備費五万「フロリン」を置き、また政府一般の為に五万「フロリン」を置き、これに依って議決科目の不足を補給するために備える。イタリアの千八百六十九年の会計法は、予算の中に予備費を設ける事を掲げ、予算定額の避ける事が出来ない不足に対応するために、二項の定額を許可している。

一つは、義務と及び命令により生ずる経費を支弁するための予備費とし[四百万「フランク」]、二つめは、別に一行を為すべき余地出来ない経費のための予備費とする[四百万「フランク」]。その第一予備の使用は会計検査院の登記を経て大蔵長官が施行し、第二予備費の使用は大蔵長官の発議により内閣会議を経て勅令でこれを定める。ドイツは、各省に予備費を置き、更に大蔵省に非常予備費を置く。これは全て予算の不足と予算外の必要を補充するために、予め設けるものである。瑞典は予見出来ない場合に備えるために、国債局の収入により二種の予備金を設け、第一種は国家の防御又は重要・緊急な事件に備え、第二種は戦時の費用に備える。これに対しては、別に法律がある。


◆◆◆ 第七十条 ◆◆◆

第七十条 公共の安全を保持する為緊急の需用ある場合に於いて内外の情形に因り政府は帝国議会を招集すること能はざるときは勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得(公共の安全を保持する為、緊急に必要がある場合に、内外の情勢によって政府は帝国議会を招集することが出来ない時は、勅令によって財政上必要な処置を行う事が出来る)
 前項の場合においては次の会期に於て帝国議会に提出しその承諾を求むるを要す(前項の場合には、次の会期に於いて帝国議会に提出し、その承諾を求める必要がある)

本条の解釈は、既に第八条に具わる。ただし、第八条と異なるところは、第八条は憲法において議会が開会していない時は、臨時会の招集を必要としない。本条は、議会が開会指定ない時は、臨時会の招集を必要とする。そして、内外の情勢により議会を召集出来ないときに限って、始めて議会の叶同を待たずに必要な処分を行う事が出来る。蓋し、本条は専ら財政に関する事を更に一層の慎重を加えている。

所謂、財政上必要な処分とは、立法議会の協賛を経るべきものであり、そして臨時・緊急の場合の為に協賛を経ずに処分をする事をいう。
臨時財政の処分で将来国庫の為に義務を生じる物は、議会の事後承諾を得ない時は、どのような結果を生ずるのだろうか。議会が承諾を拒む事は、将来に継続する効力を拒むことであり、その既に行った過去の処分を追廃するわけではない[第八条の説明で、既に詳らかにした]。故に勅令により既に生じた政府の義務は、議会がこれを廃する事は出来ない。よくよく、事がもしこのような事態に至ったならば、国家不詳の結果として見為すことが出来る。これは、本条が国家の成立を保護するために至って、やむを得ざる処分を認め、また議会の権を存崇して、もっとも慎重な意を致すところである。


◆◆◆ 第七十一条 ◆◆◆

第七十一条 帝国議会に於て予算を議定せず又は予算成立に至らざるときは政府は前年度の予算を施行すべし(帝国議会において、予算が議決されず、又は予算が成立しない時は、政府は前年度の予算を施行しなければならない)

議会が自ら議定の結局を為さずに閉会に至った時は、これを予算を議定しなかったとする。両議院の一つにおいて予算を廃棄した時は、これを予算が成立に至らなかったとする。その他、議会が未だ予算を議決せずに、停会又は解散を命じられた時は、再び開会する費に至るまで予算が成立しない場合とする。
議会において予算を議定せず、又は予算成立に至らなかった時は、その結果は大きな者としては国家の存立を廃絶し、小さな者としては行政機関を麻痺させるに至る。千八百七十七年、北米合衆国において国会が陸軍の予算を議定する事を遷延したために、三月の間兵士の給養を欠くことになった。同年オーストラリアに於いて「メルボルン」の議院は、予算の全部を破棄した。

これは民主主義の上に結架する国々の状態であり、わが国体のもとより取るべき処ではない。ある国において、このような場合、一つには勢力の判決するところであり、議会に拘らず政府の専意に任せて財務を施行するような事も(ドイツ千八百六十二年より六十六年に至る)また、非常の変例であり、立憲の当然とするところではない。わが憲法は国体に基づき、理勢に酌み、この変状に当たり前年の予算を施行する事により、終局の処分をする事を定めた。

出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm


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憲法義解5

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 第五章 司法 ■■■

第五章 司法

司法権は法律の定める所に依存し、正理・公道をもって臣民の権利の侵害を回復し、及び刑罰を判断する職司とする。昔は政治が簡朴で各国の政庁の設置は、未だ司法と行政の区別がなかった事は、史籍の証明するところである。その後、文化が進み、人事がますます繁きにいたって、始めて司法と行政との間に職司を分割し、その構成を異にし、その畛域を慎み、互いに相干渉しないことによって、立憲の政体至って大いに進歩をさせた。


◆◆◆ 第五十七条 ◆◆◆

第五十七条 司法権は天皇の名に於いて法律により裁判所之を行ふ(司法権は天皇の名により法律によって裁判所が行う)
裁判所の構成は法律を以て之を定む(裁判所の構成は法律によって定める)

行政と司法の両権の区別を明らかにするために、ここに之を約説する。曰く行政は法律を執行し又は公共の安寧と秩序を保持し、人民の幸福を増進する為に便宜の経理及び処分を為すものである。司法は権利の侵害に対して、法律の基準により之を判断するものである。司法にあっては、専ら法律に従属し便益を酌量しない。行政にあっては、社会の活動に従って便益と必要途によって、法律は其の範囲を限割して区域の外に濫越するのを防止するのに止まるだけである。行政・司法の両権は、その性質を異にすることは、このようなことである。故に行政の官あって司法の職を分かたなければ、各個人民の権利は社会の便益の為に随時移動することを免れなくなり、そしてその流幣は遂に権勢威力の侵犯を被るに至る事になる。

ただ、そうであるが故に裁判は必ず法律に依る。法律は裁判の単純な準縄である。そしてまた、必ず裁判所によりこれを行う。ただし、君主は正理の源泉であり司法の権もまた、主権の発動する光線の一つであることに外ならない。故に裁判は必ず天皇の名において宣告し、それによって至尊の大権を代表する。

裁判所の構成は必ず法律をもって定め、行政の組織と別にする。そして司法官は実に法律の基址に立、不覊の地位を有する者である。
わが中古の制度である刑部省の設置は、他の各省とともに太政官に隷属し、そして刑部卿は「鞫獄定刑名決疑○(言偏に獻)良賎名籍囚禁債負(訴えをただし、刑を決め、判決を下し良民との戸籍・囚禁・負債)」の事を掌る。判事は、刑部卿に属し「案覆鞫状断定刑名判諸争訟(鞫状(=尋問調書)を審査し、刑を決定し、諸々の訴訟に判決を下す)」事を掌る。これは民刑二事をあわせて一省に管轄させた。武門が盛んになると、大柄は一たび移り、検断の権は検非違使に帰し、武断をもって政治を行い封建の際には、概ねその陋習を因襲し越訴をもって大禁となるに至った。維新の初に刑法官を置き、司法の権は再び天皇の統攬に帰す。四年始めて東京裁判所を置く。

裁判の為に専任の庁を設けるのは、これをもって始となる。この年、大蔵省の聴訟事務を改めて、司法省に属す。五年、開市場裁判所を設けた。続いて司法裁判、府県裁判、区裁判の各等裁判を置き始めて控訴覆審を許可した。八年、大審院を置き、もって法憲の統一を主持するところとし、司法卿の職制を定めて検務を統理し、裁判に干預しないものとした。これより後、漸次改革して裁判の独立を期する針路をとった。これを司法事務沿革の概略とする。

欧州で前世紀の末に行われた三権分立の説は、既に学理上及び実際上で排斥された。そして司法権は、行政権の一支派として均しく君主の統攬するところに属し、立法権に対してこれをいう時は、行政権は概括の意義をもち、司法は行政の一部であるに過ぎず、更に行政権中に就き職司の分派を論ずる時は、また司法と行政と各々その一部を占めるものである。これは、蓋し近時の国法学者が普通に是認するところであり、ここでは詳細に論じることをしない。ただし、君主は裁判官を任命し、裁判所は君主の名義をもって裁判を宣告するのにかかわらず、君主自らは裁判を施行しない。不覊の裁判所をして専ら法律に依遵し、行政威権の外にこれを施行させる。これを司法権の独立とする。これは、三権分立の説に依るのではなく、不易の大則であることを失わない。


◆◆◆ 第五十八条 ◆◆◆

第五十八条 裁判官は法律に依り定めたる資格を具ふる者を以て之に任ず(裁判官は法律で定めた資格を具える者を任命する)
 裁判官は刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外其の職を免ぜらるることなし(裁判官は刑法の宣告、又は懲戒処分に由る以外は、その職を罷免される事はない)
 懲戒の条規は法律を以て之を定む(懲戒の条規は、法律で定める)

裁判官は法律を主持し、人民の上に衡平の柄を執ろうとする(天秤ばかりを以ている姿を想像してください)。故に専科の学識及び経験は、裁判官としての要件である。そして臣民がたのみとし、その権利財産を託するのは、また実にその法律上正当な資格があることを頼むのである。故に本条第一項は、法律をもってその資格を定めるべきことを保明したのである。

裁判の公正を保とうと期待するなら、裁判官が威権の干渉を離れ、不覊の地に立ち、勢位の得失と政論の冷熱をもって牽束(拘束されること)を受けないようにしなければならない。故に裁判官は、刑法又は懲戒裁判の判決により罷免されることを除いて終身その職に有る者とする。そして裁判官の懲戒条規はまた法律を以て之を定め、裁判所の判決をもってこれを行い、行政長官の干渉する所とはならない。これは、憲法において特に裁判官の独立を保明するところである。
その他、停職・非職・転任・老退における詳節はすべて法律の掲げる所である。


◆◆◆ 第五十九条 ◆◆◆

第五十九条 裁判の対審判決は之を公開す但し安寧秩序又は風俗を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得(裁判の対審(民事の口頭弁論、刑事の公判手続き)・判決はこれを公開する。但し、安寧と秩序及び風俗を害する恐れがある時は、法律により又は裁判所の決議により、対審の公開を停止する事が出来る)

裁判を公開し、公衆の前で対理口審するのは、人民の権利に対してもっとも効力がある保障となる。裁判官が自らその義務を尊重し、正理公道の代表とならせるのは、蓋しまた公開の助けに依るものが大いにある。わが国は従来白栖裁判の慣わしが、久しく慣用するところであったが、明治八年以来始めて対審・判決の公開を許したのは、実に司法上の一大進歩である。

刑事の審理に予審がある。ここに対審と言えば予審はその中に含まれない。安寧・秩序を害するとは、内乱外患に関する罪及び嘯聚教唆(多くの人を集めそそのかす事)の類の人心を煽起刺衝(煽りたて刺激する事)する者をいうのである。風俗を害すとは、内行の事を公衆の視聴に曝す時は、醜辱を流し風教を傷つけるものをいうのである。安寧・秩序又は風俗を害する恐れありというのは、それが果たして害が有るのか無いのかを判定するのは、専ら裁判所の所見に任せるのである。法律によるというのは、治罪法・訴訟法の明文に由るのである。裁判所の議決を以てというのは、法律の明文が無くても、裁判所の議を以てこれを決める事が出来るのである。対審の公開を停止するという時は、判決宣告は必ず公開するのである。


◆◆◆ 第六十条 ◆◆◆

第六十条 特別裁判所の管轄に属すべきものは別に法律を以て定む(特別裁判所の管轄に属すべきものは、別の法律によってこれを定める)

陸海軍人の軍法会議に属するのは、即ち普通の司法裁判所の外における、特別裁判所の管轄に属するものとする・其の他、商工の為に商工裁判所を設ける必要があるに至っては、また普通の民事裁判の外に特別の管轄に属するものとする。凡そこれは全て法律を以て、これを規定すべきであり、命令を以て法律の除外例を設ける事は出来ない。

もしそれ、法律の外において非常裁判を設けて行政の勢威を以て司法権を侵蝕し、人民の為の司直の府を褫奪(奪うこと)するような事は憲法が認めないところの事である。


◆◆◆ 第六十一条 ◆◆◆

第六十一条 行政官庁の違法処分に由り権利を傷害せらたりするの訴訟にして別に法律を以て定めたる行政裁判所の裁判に属すべきものは司法裁判所に於いて受理するの限りに在らず(行政官庁の違法処分により権利を侵害されたという訴訟で、別に法律を以て定めた行政裁判所の裁判に属するべきものは、司法裁判所において受理するものではない)

行政裁判は行政処分に対する訴訟を裁判する事をいう。蓋し、法律は既に臣民の権利に向けて一定の限界をなし、以てこれを安定し揺るぎなくさせた。そして政治の機関である者もまたこれに服従しなければならない。故に行政官庁で、その職務上の処置により法律に違い又は職権を越えて臣民の権利を傷害した場合は、行政裁判所の断定を受けることを免れない。

よくよく訴訟を判定するのは司法裁判所の職任とする。そして別に行政裁判所があるのは何故か。司法裁判所は民法上の争訟を判定することを当然の職とし、そして憲法及び法律をもって委任された行政官の処分を取り消す権力をもっていない。なぜならば、司法権が独立を必要とするように行政権もまた司法権に対して均しくその独立が必要とされるからである。

もし、行政権の処置に対して司法権の監督を受け、裁判所が行政の当否を判定取捨する任にいたならば、即ち行政官は正に司法官に隷属するものであることを免れない。そして社会の便益と人民の幸福を便宜的に経理する余地を失う。行政官の措置は、その職務により憲法上の責任を有し、従ってその措置に抵抗する障害を除去し、及びその措置により起こった訴訟を裁定する権を有すべきは、もとより当然であり、もしこの裁定の権を有しない時は行政の効力は麻痺消燼して、憲法上の責任をつくすのに理由がなくなってしまう。

これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の一つである。行政の処分は、公益を保持しようとする。故に時には公益の為に私益を枉げることがあるのは、また事宜の必要にいずるものである。そして行政の事宜は、司法官の通常慣熟しないところであり、これをその判決に任せるのは、危道であることを免れない。故に行政の訴訟は、必ず行政の事務に密接練達なる人を得てこれを聴理しなければならない。これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の二つめである。ただし、行政裁判所の構成は、また必ず法律をもってこれを定める必要がある事は、司法裁判所と異なるところはない。
明治五年司法省第四十六号達は、凡そ地方官を訴えるものは全て裁判所において行わせたが、地方官吏を訴える文書が法廷に集まり、にわかに司法官が行政を牽制する幣端を見るに至った。七年第二十四号の達は、始めて行政裁判の名称を設け、地方官を訴えるものは、司法官に於いて具状して太政官に申稟させた。これは一時の弊害を救うに過ぎず、そして行政裁判所の構成は、これを将来に期待した。

本条に行政官庁の違法の処分というときは、法律又は正当な職権に由る処分は。これを訴える事が出来ないことを知るべきである。例えばこれは、公益の為に所有を制限する法律に処分を受けるものは、これを訴えることが出来ない。本条にまた、権利を障害された者という時は、単に利益を傷害された者は、請願の自由が有り行政訴訟の権利がないことを知るべきである。例えばこれは、鉄道を敷設する工事があり、行政官は規定の手続きに尊由して、その路線を定めたのに地方の人民が他の路線を取る利益があるとして、これを争う者がある。これは、その争いは単に利益に属して権利に属さないが故に、これを当該官庁に請願する事が出来るが、これを行政裁判に訴える事は出来ない。


出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm



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憲法義解4

2012年04月30日 | 憲法論資料

■■■ 第四章 国務大臣及び枢密顧問 ■■■

第四章 国務大臣及び枢密顧問

国務大臣は輔弼の任にあり、勅命を宣奉して政務を思考する。そして枢密顧問は重要な諮詢に答え枢密の謀議を行う。国務大臣と枢密顧問は天皇の最高の輔翼者である。


◆◆◆ 第五十五条 ◆◆◆

第五十五条 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず(国務の各大臣は天皇を輔弼し、その責任を負う)
凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す(全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である)

国務大臣は、入っては内閣に参賛し、出ては各部の事務に当たって大政の責に任じられる物である。凡そ大政の施行は必ず内閣及び各部により、その門を二つにしない。蓋し立憲の目的は主権の使用を正当な軌道に由らせるとするのにある。即ち公議の機関と宰相の輔弼に依る事をいう。故に大臣の君に対しては、努めて奨順匡求の力を致して、もしその道を誤った時は、君命を藉口してその責任から逃れる事は出来ない。
我国は、上古大臣・大連が輔弼の任にあった。孝徳天皇の詔に夫君於天地間而宰萬民者不可独制要須臣翼(天地の間で万民を治めるのは一人では出来ない、必ず臣の助けが必要である)と言われた。天智天皇の時に始めて太政官を置き、爾来太政大臣左右大臣は政務を統理し、大納言は参議する旨を宣べ、中務卿は詔勅を審署し、太政官は中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内の統べ、官制の粗が備わった。その後、重臣は専ら関白(政務を行い意見を言上する)し、宮禁の中では蔵人の小臣が王命を出納し、院宣・内旨或いは女官の文書をもって大事を下行するのに至った。そして朝綱は全く廃れた。維新の初に摂関及び伝奏・義奏を廃し、また特に宮中に命令して内議・請謁の禁を厳しくし、尋ねて太政官制を復活させた。明治二年七月左右大臣・参議及び六省を置く。四年太政大臣を置く。六年十月参議が諸省の卿を兼任する。その後、また更に改革を経て十八年十二月に至って太政大臣・参議・各省の卿の職制を廃止し、更に内閣総理大臣・外務・内務・大蔵・陸軍・海軍・司法・文部・農商務・逓信の十大臣をもって内閣を組織した。蓋し大宝の制度に依る時は、太政官は諸省の上に冠首とし、諸省はその下の分司であった。諸省の卿の職は太政官符を施行するのに過ぎず、そして事を天皇より受けて重責に任ずる者ではなかった。維新の後、歴次潤色を経て十八年の詔命に至り、大いに内閣の組織を改めて、諸省大臣により天皇を奉対して、各々その責に当たらせ、統括する責任に内閣総理大臣を当て、一つは各大臣の職権を重くし担任するところを知らしめ、二つは内閣の統一を保ち多岐分裂の弊害を無くさせた。
欧州の学者で大臣の責任を論ずる者は、その説は一つではなく、各国の制度もまた各々趣を異にする。或いは政事の責任の為に特別に糾弾の法を設けて、下院が告訴をして上院が裁断するというのがある[英国]。或いは大審院又は特に設けた政事法院に委ね裁断の権をもって行う物もある[ベルギーは下院が告訴をして大審院が裁断する。オーストリアは両院が告訴をして特置政事法院が主として政事の罪を裁断し、あわせて刑事の罪を裁断する。ドイツは憲法に正条があり、そして糾弾断罪の別法を未だに設けていないのでこれを実行していない]。或いは政事の責任を刑事と分離して裁決の結果は罷免剥職に止まるとするものがある[アメリカ及びバイロン千八百四十八年法]。或いは謀反・贈賄・乱費及び違犯は憲法の類で指定し、特に大臣の責任とするものがある[アメリカ・ドイツ・ポルトガル及びフランス千七百九十一年・千八百十四年の憲法。ベルギーの国会は大臣責任の刑名を指定する非を議論した]。或いは君主に対する責任とし[オランダの一宰相は予め君主に対して責任が有ると言えども、人民に対しては責任が無いと主張した]、或いは人民即ち議院に対する責任とする[フランス・ベルギー・ポルトガルの国の憲法は国王の命令は、大臣の責任糾治を解く事が出来ない事を掲げた]。全てこれを論ずるに、憲法上の疑義であり未だに一定の論決を経ないことは、未だに大臣責任の条より甚だしいものでは無い。蓋し、これを正理に酌み、これを事情に考査するに大臣は憲法により輔弼の重局に当たり、行政上の強大な権柄を掌有し、独り奨順・賛襄の職にあるばかりでなく、匡救矯正の任にいる。宜しく躬をもって責に任ずべきである。もし大臣が責に任ずる義がなかったならば、行政の権力は容易に法律の外に踰越する事が出来る。法律は徒に空文に帰してしまう。故に大臣の責任は憲法及び法律の支柱である所である。但し、大臣の責は其の執る所の政務に属する。そして刑事の責ではない。故に大臣は其の職を終わる時は、其の責を裁制する者は、専ら一国の主権者に属す。ただし、これを任ずるものはよくこれを退くべきである。大臣を任し、またこれを退け、またこれを懲罰する者は、人の主人でなければ、いずれかが敢えてこれに預かろうか。憲法は既に大臣の任免を君主の大権に属させた。その大臣の責任の裁制を議院に属させないのは、もとより当然の結果である。但し、議員は質問により、公衆の前で大臣に答弁を求めることが出来る。議院は君主に奏上して意見を陳疏する事が出来る。そして君主の材能を器用するのは、憲法上その任意に属すと言っても、衆心の向うところはまたその採酌の一つから漏れないことを知るべき時は、これもまた間接に大臣の責任を問う者ということが出来る。故にわが憲法は、左の結論を取るものである。第一に大臣は、その固有の職務である輔弼の責に任ず。そして君主の代わりの責に任ずるのではない。第二に大臣は、君主に対して直接に責任を負い、また人民に対して間接に責任を負うものである。第三に大臣の責を裁判する者は、君主であり人民ではない。なぜならば、君主は国の主権を有するからである。第四に大臣の責任は、政務上の責であり、刑事及び民事の責と相関渉する事無く、また相抵触し及び乗除することはない。そして、刑事民事の訴えはこれを通常裁判所に付し、行政職務の訴えはこれを行政裁判所に付すべきであり、それ以外の政務の責任は君主により懲罰の処分に付されるべきである。
内閣総理大臣は、機務を奏宣し旨を承けて大政の方向を指示し、各部を統督しないところはない。職掌は既に広く、責任は従って重くしないことは出来ない。各省大臣に至っては、その主任の事務に就き、各別にその責に任ずるものであって、連帯の責任が有るわけではない。蓋し、総理大臣各省大臣は、均しく天皇の選任するところであり、各相の進退は一に叡旨により、首相が各相を左右する事は出来ない。各相はまた首相に繋属する事が出来ないからである。彼の或る国において内閣をもって団結され一体となし、大臣は各個の資格をもって参政するのではなく、連帯責任の一点に偏傾するようなことは、その弊害は或いは黨援連結の力が遂に天皇の大権を左右することになる。これはわが憲法が取るところではない。もし国の内外の大事に至っては、政府の全局に関係し各部の選任するところではない。そして、謀献・措画は必ず各大臣の共同により、互相推委する事は出来ない。この時に当たって各大臣を挙げて全体責任の位置を取るのは、もとよりその本分である。
大臣の副署は左の二様の効果を生じる。一に法律・勅令及びその他の国事に係る詔勅は、大臣の副署によって始めて実施の力を得る。大臣の副署がない物は、従って詔命の効力なく、外の物に付けて宣下したとしても所司の官吏がこれを奉行する事は出来ない。二に大臣の副署は、大臣が担当する権能と責任の義を表示するものである。蓋し、国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠である。そして副署によって其の義を昭明にするのである。ただし、大臣の政事の責任は独り法律をもって、これを論じてはいけない。また道義の関わる所でなくてはならない。法律の限界は、大臣を待つための単一の範囲とするのに足りない。故に朝廷の失政は、副署した大臣が其の責任から逃れられないことは、もとより論争がないのみならず、即ち議に預かる大臣は署名しなくても、また其の過ちの責任を負わなくて良い分けではない。もし、専ら署名の有無をもって責任のあるところを判断しようとするなら、形式に拘り事情に戻るものであることを免れない。故に副署は大臣の責任を表示すべき物であるが、副署によって始めて責任が生じるわけではない。
大宝公式令によると、詔書案がなり、御-画-日を終えて中務卿に給わる。その御画日があるものは、中務省に留めて案として別に一通を写し、中務卿・宣、中務大輔・奉、中務少輔・行と署名し、太政官に送る。太政官において、太政大臣、左右大臣及び大納言の四名が署名して覆奏し、「外部に付して施行させる」と請う。御-画-可され、その御画可があるものは、官に留めて案とし、さらに謄写して天下に布告する。蓋し、審署の式は尤も慎重を加えた。維新の後、明治四年七月勅書に加名印するのをもって太政大臣の任とした。但し、宣布の詔の多くは、奉勅の署名がないのは、草創の際で未だ一定にいたらないからである。十四年十一月に各省卿の其の主管の事務に属する、法律・規則及び布達に署名をする制度を定めた。十九年一月に副署の式を定た。公文施行の法は、ここに至って蓋し大いに備わった。

[「御画日」とは・・・詔書に天皇陛下が手を加えられるのは、「日付」と「許可」だけです。他の部分は、様式に沿って、事前に書かれています。
「御画日」は、この陛下が手を加えられた「日付」の事で、「御画可」は、陛下が裁可された場合に書かれます「可」の事です。]


◆◆◆ 第五十六条 ◆◆◆

第五十六条 枢密顧問は枢密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応へ重要の国務を審議す(枢密顧問は枢密院官制の定める所によって、天皇の諮詢に応え重要な国務を審議する)

慎んで思うには、天皇は既に内閣に寄ってもって行政の揆務を総持し、また枢密顧問を設けてもって詢謀の府として聡明を裨補して、偏聴がないように期そうとする。蓋し、内閣大臣は内外の局に当たり、敏給捷活をもって事機に応じる。そして、優裕静暇で思いをこめ慮を凝らし、これを古今に考えて、これを学理に照らして、永図を籌画して、製作に従事するに至っては、別の専局を設けて練達・学識がある人を得てこれに任せる。これは他の人事と均しく、一般の常則に従って二種の要素を各その業を分かつ。蓋し、君主はその天職を行うに当たり、謀ってそして後にこれを決断しようとする。即ち、枢密顧問の設置は、実に内閣とともに憲法上至高の輔翼となる。もしそれ、枢密顧問にして聖聴を啓沃し偏らず徒党を組まず、そしてまたよく問疑を剖解する補益をなすに至っては、果たして憲法上の機関に任せるべく、且、大きなものには緊急勅令又は戒厳令の発布に当たり、小さなものには会計上の法規の他に臨時処分の必要がある類のものを諮詢して、その後に決行するのは即ち為政に慎重を加える所であり、この場合においては枢密顧問は、憲法又は法律の一つの屏翰である任にいるべきである。枢密顧問の職は、このように重いものである。故に凡そ勅令で顧問の議を経るものは、その上諭においてこれを宣言するのが例式である。但し枢密顧問は、至尊の諮詢があるのを待って始めて審議する事が出来る。そして、その意見の採択はまた全て一に至尊の聖裁によるのみである。
枢密顧問の職守は、可否を獻替し必ず忠誠をもってし、隠避するところなく、そして審議の事は細大となく至尊の特別の許可を得るのでなければ、これを公洩する事が出来ない。蓋し、枢機密勿の府は、人臣が外に向て誉をもとめる地ではない。


出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm


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憲法義解3

2012年04月30日 | 憲法論資料
■■■ 第三章 帝国議会 ■■■

第三章 帝国議会

第三章は帝国議会の成立及び権利の大綱を挙げる。蓋し、議会は立法に参与する者であり、主権を分かつ者ではない。法を議論する権能はあるが、法を定める権能はない。そして、議会の参賛は憲法の正条において附与する範囲に止まり、無限の権能が在るわけではない。
議会が立法に参与するのは、立憲の政における要素の機関たるところを以てである。そして、議会は独り立法に参与するのみならず、あわせて行政を監視する任務を間接に負うものである。故にわが憲法及び議院法は、議会のために左記の権利を認めた、一に言うには「請願を受ける権」、二に言うには「上奏及び建議を行う権」、三に言うには「議院政府に質問し厳命を求める権」、四に言うには「財政を監督する権」これである。もし、議会が果たして、老熟着実の気象に基づき平和静穏の手段を用いて、この四条の権能を適当に使用する事を愆らないときは、権力の偏重を制し立法行政の際に調和平衡して善良なる臣民の代議たるに負かされるべきである。


◆◆◆ 第三十三条 ◆◆◆

第三十三条 帝国議会は貴族院衆議院の両院を以て成立す(帝国議会は、貴族院と衆議院の両院で成立している)

貴族院は貴紳を集め、衆議院は庶民から選ぶ。両院合同して、一つの帝国議会を成立し、全国の公議を代表する。故に両院はある特例を除く外、平等の権力を持ち、一院で独り立法の事を参賛する事は出来ない。以て、謀議周匝にして与論の公平を得る事を期待する。
二院の制度は、欧州各国が既に久しく因襲するところであり、その効績を史乗に徴験し、そしてこれに反する一院制をとるものは、全てその流禍を免れないことを証明した。[フランス1791年及び1848年、スペイン1812年憲法]近来、二院制の祖国に於いて論者却りて、その社会の発達の淹滞障碍であるとの説を為すものがある。抑々二院制の利益を主持するものは、既にこなれた論があり、今ここに引挙する必要がない。但し、貴族院の設置は王室の屏翰をなし、保守の分子を貯存するのに止まるものではない。蓋し、立国の機関において、もとよりその必要を見るものである。なぜならば、おおよそ高尚な有機物の組織は、独り各種の元素を抱合して、成体をなすのみでなく、また必ず各種の機器によって中心を輔翼させる。両目は各々その位を殊にしたなら、視力の角点を得られない。両耳は各々その方向を異にしていなければ、聴官の偏聾を免れない。故に元首は一つ出なくてはならず、そして衆庶の意思を集める機関は、両個の一つが欠けてはならない事は、あたかも両輪のその一つを失ってはならない事と同じである。その代議の制度は、公議の結果を収めようとする。そして、勢力を一院に集め一時の感情の反射と一方の偏向とに任して、相互牽制によりその平衡を維持するものが無ければ、いずれかその傾流奔注(傾き流れた水が勢いよく注がれる)の勢いが容易に範防(堤)を踰越し、一変して多数圧制となり、再度変じて横議乱政とならない事を保障するものがあろうか。これ、その弊害は、かえって代議の制度が無い時よりも猶、甚だしきものがある。故に代議の制度を設けるのであれば、これを設けて二院にしないのであれば、必ず偏重を招く事を免れない。これは、即ち物理の自然に原由するものであり、一時の状況を以てこれを掩蔽するべきでは無い。要するに二院の制度の代議法においては、これを学理に照らし、事実に徴して、その不易の機関であることを結論する事が出来るべきである。彼のある国における貴族院の懶庸(ものぐさで平凡)にして議事延滞の弊害があることを論ずるごときは、これは一時の短所を摘発するのに過ぎず、そして国家の長計に対しては、その言説に価値が有るとは見なさない。


◆◆◆ 第三十四条 ◆◆◆

第三十四条 貴族院は貴族院令の定むる所に依り皇族華族及び勅任せられたる議員を以て組織す(貴族院は貴族院令の定める所により、皇族・華族及び勅任された議員をもって組織する)

貴族院議員は、その或いは世襲である、選挙または勅任であるに拘わらず、均しく上流の社会を代表する者である。貴族院にその職を得るときは、政権の平衡を保ち、政党の偏帳を制し、横議の傾勢を支え、憲法の強固を助け、上下調和の機関となり、国福民慶を永久に維持するために、その効果を収めることが多い位置にいようとする。蓋し、貴族院は貴冑によって立法の議に参頂させるのではない。また、国の勲労・学識及び富豪の士を集めて、国民の慎重・練熟・耐久の気風を代表させ、抱合親和してともに上流の一団をなし、その効用を全くさせる所以である。その構成・制規は貴族院令に具わるので、憲法にこれを列挙しない。


◆◆◆ 第三十五条 ◆◆◆

第三十五条 衆議院は選挙法の定むる所に依り公選せられたる議員を以て組織す(衆議院は、選挙法に定める所によって公選された議員により組織する)

衆議院の議員は、その資格とその任期とを定めて、広く全国人民が公選する方法を取る。本条の議員選挙の制規をもってこれを別法に譲るのは、蓋し選挙の方法は時宜の必要を将来に見るに従い、これを補修するための便宜を図るためである。故に憲法はその細節に拘わることを欲しない。
衆議院の議員は、全て皆、全国の衆民を代表する者である。そして衆議院の選挙に選挙区を設けるのは、代議士の選挙を全国に一般化させ、及び選挙の方法を簡便にするために他ならない。故に代議士は、各個の良心に従い自由に発言する者であり、その所属選挙区の人民のために一地方の委任使となり、委嘱を代行するものでは無い。これを欧州の史乗を参考にすると、往昔の議会はその議員である者が、往々にして委嘱の主旨に依り一部の利益を主張して、全局を達観する公義を忘れ、従って多数を以て議決とする大義の大則を放棄するに至る者が往々にしてあった。これは代議士の本分を知らない過ちによる。


◆◆◆ 第三十六条 ◆◆◆

第三十六条 何人も同時に両議院の議員たることを得ず(誰も、同時に両方のの議院の議員になる事は出来ない。)

両院は、一つの議会であり、分けて両局とし、その成素を殊にし、平衡相持する位置にいる。故に一人で同時に両院の議員を兼ねるのは、両院分設の制度の許さないところである。


◆◆◆ 第三十七条 ◆◆◆

第三十七条 凡て法律は帝国議会の協賛を経るを要す(全ての法律は、帝国議会の協賛を経る必要がある)

法律は国家主権より出る規範であり、そして必ず議会の協賛を経る必要があるのは、これを立憲の大則とするからである。故に議会の議決を経ない物は、これを法律とする事は出来ない。一院が可決しても、他の一院が否決する時は、またこれを法律とする事が出来ない。
附記:「どのような事を法律を以て定める必要がありや?」というような問題に至っては、一つの例言を以て、これを概括するのは難しい。ドイツの普通方を公布させる勅令に「本法は別段の法律によって定めない国民の権利義務を判明すべき条規を包括する」という。また、バイロン1818年5月26日憲法の第七章第二条に「人身の自由または国民の財産に関する普通の法を発布し、或いは現行法を変更したり、解釈したり、廃止したりするには、国会の共同を必要とする」という。然るに学者の多くは、法律の区域は権利義務もしくは自由財産に止まるべきで無い事を駮し、且つ事物を以て法律と命令との区域を分割しようとするのは、憲法上及び学問上の試験において、一つもその結果を得られ無いことを論じた。蓋し、法律及び命令の区域は、専ら各国の政治発達の程度に従う。そして唯憲法史を以てこれを論断すべきのみである。ただし、憲法の明文により特に法律が必要とされるものは、これを第一の限界として、既に法律を以て制定されたものは、法律でなければこれを変更する事ができないものは、これを第二の限界とする。これは、立憲各国で同じである。


◆◆◆ 第三十八条 ◆◆◆

第三十八条 両議院は政府の提出する法律案を議決し及び各々法律案を提出することを得(両議院は、政府の提出する法律案を議決し、及び法律案を提出する事が出来る)

政府において法律を起草し、天皇の命によりこれを議案とし、両議員に付するときは、両議院はこれを可決し、これを否決し、又はこれを修正する事が出来る。もし、両議院に於いてある法律を発行するのを必要とする時は、各々その安を提出する事が出来る。そして、甲議院がこれを提出し、乙議院がこれに同意し又はこれを修正して可決した後、天皇の裁可がある時は法律となり、このことは、政府の起案と異なる事は無い。
至尊は議会における召集・開閉の勅命及び法律裁可の他、会期中全て国務大臣により議案及びその他往復に当たらせる。故にこれを政府の提出という。


◆◆◆ 第三十九条 ◆◆◆

第三十九条 両議院の一に於て否決したる法律案は同会期中に於て再び提出することを得ず(両議院の片方で否決された法律案は、同じ会期中に再び提出する事は出来ない)

再議の提出は、議会の権利を既存するだけでなく、また、会期遷延して一時に拘滞する弊害が予想される。故に本条にこれを禁止する。既に否決を経た同一の議案を以て、その名称文字を変更して再びこれを提出し、本条の規定を避けるのは、また憲法の許していない所である。
君主の裁可を得ない法案は、同一会期中に議院より提出することが出来ないのは、これがもとより元首の大権に対する事理の当然の事であり、更に言明を必要としない。但し、建議の条において、その再び建議することを禁止することを掲げるのは、提出議案の裁可の有無は至尊の勅命により、そして建議採納の有無は政府の取捨に存在するからである。その間には、もとより軽重の差が有り、従って予め疑義が判明する必要の用を見るからである。


◆◆◆ 第四十条 ◆◆◆

第四十条 両議院は法律又は其の他の事件に付各々其の意見を政府に建議することを得但し其の採納を得ざるものは同会期中に於て再び建議することを得ず(両議院は、法律又はその他の事件について、各々その意見を政府に建議する事が出来る。但し、政府が採納しなかった建議は、同じ会期中に再び建議する事は出来ない)

本条は、議院に建議の権利が有ることを掲げるものである。上条で既に両議院に各々法律案を提出する権利を予め与えた。そして本条でまた法律に付いて意見を建議することが出来ると言えるのは何故か。議院は自ら法律を起案してこれを提出すると、或いは某の新報を制定すべく、某の旧法を改正又は廃止すべきことを決議し、成案を具えず単にその意見で政府に啓陳し、政府の取る所となるときは、その起草制定するのに任ずるという、両様の方法に就いて議院にその一つを選ばせるものである。蓋し、これを欧州に参考するのに、議院自ら議案提出の権利を有するのは、各国においても同じである(スイスを除く外)。但し、議院自ら多数に依頼して法律の条項を制定するのは、往々議事遷延と成条の疎漏出あり首尾完整ならないとの弊害を免れない。寧ろ政府の委員の熟練に依任するのに愈れるにしかず。これ各国学者のこれを実際に徴験してその特質を論ずるところである。
議会は立法の事に参頂するのみでなく、あわせて間接に行政を監視する任を負うものである。故に両議院は又は立法の外の事件に付いて意見をもって政府に建議を利幣得失を論白する事が出来る。
但し、法律又はその他の事件に拘わらず、議院の意見で政府により採納されないものは、同一会期中に再び建議することを出来なくさせるのは、蓋し、紛議強迫に渉るみちを防ぐためである。


◆◆◆ 第四十一条 ◆◆◆

第四十一条 帝国議会は毎年之を召集す(帝国議会は毎年召集する)

議会を召集するのは専ら天皇の大権である。然るに本条で毎年召集することを定めるのは、憲法において議会の存立を保障するためである。ただし、第七十条に掲げる場合のようなものは非常の例外である。


◆◆◆ 第四十二条 ◆◆◆

第四十二条 帝国議会は三箇月を以て会期とす。必要有る場合に於いては勅命を以て延長することあるべし(帝国議会は会期を三箇月とする。必要有る場合には勅命で延長することが有る)

三箇月を会期とするのは、議事が遷延して期間が乏しく成る事を防ぐためである。やむを得ざる必要が有ったときに会期を延長し閉会を延期するのは、また勅命による。議会自らこれを行う事はできない。
議会を閉会した時は、会期の事務が終わる事を告げるもの、とし特別の規定がある場合を除くほかは、議事が既に議決した、未だ議決されていないを問わず、次回の会期に継続する事は無い。


◆◆◆ 第四十三条 ◆◆◆

第四十三条 臨時緊急の必要有る場合において常会の外臨時会を召集すべし(臨時・緊急の必要がある場合は、常会の外に臨時会を召集すべし)
臨時会の会期を定むるは勅命による(臨時会の会期は勅命により定める)

議会は、一年に一会を開く。これを常会とする。憲法に常会の時期を掲げないと言っても、常会は毎年の予算を審議する利便を採用する。故に冬季に開会するのを定例とする。そして常会の外に臨時・緊急に必要がある時は、特に勅命を発令して臨時会を招集する。
臨時会の会期は、憲法では之を限定しない。そして、臨時召集する勅命の定める所に従う。また、その必要如何による。


◆◆◆ 第四十四条 ◆◆◆

第四十四条 帝国議会の開会閉会会期の延長及び停会は両院同時に之を行うべし(帝国議会の開会・閉会・会期の延長及び停会は、両院同時にこれを行わなければ成らない)
 衆議院解散を命ぜられたるときは貴族院は同時に停会せらるべし(衆議院が解散を命じられたときは、貴族院は同時に停会されなければ成らない)

貴族院と衆議院は、両局であり、一揆の議会である。故に一議院の義を経ずに、他の議院の成義で法律としてはならない。また、一議院の会期の外に他の議院の会議を有効にしてはならない。本条に両院は必ず同時に開閉始終するのを定めるのは、この義による。
貴族院の一部は世襲議院をもって組織する。故に貴族院は停会するのであり、解散してはならない。衆議院の解散を命じられたときは、貴族院は同時に停会を命じられるのに止まる。


◆◆◆ 第四十五条 ◆◆◆

第四十五条 衆議院解散を命せられたるときは勅命を以て新に議員を選挙せしめ解散のひより五ヶ月以内にこれを招集すへし(衆議院の解散を命じられたときは、勅命を以て新に議員を選挙させ、解散の日より五ヶ月以内に召集すべし)

本条は、議会の為に永久に保障を与える。蓋し、解散は将に旧議員を解散して、新議院を招集しようとするものである。そして憲法で、もし議院解散の後に新に召集する時期を一定にしないときは、議会の存立は政府の随意で廃止するところに任してしまうことになる。


◆◆◆ 第四十六条 ◆◆◆

第四十六条 両議院は各其の総議員三分の一以上出席するに非されば議事を開き議決を為すことを得ず(両議院はそれぞれ、その議院の三分の一以上出席しなければ、議事を開き議決する事が出来ない)

出席議員が三分の一に満たないときは、会議を成立させる員数に足らない。故に議事を開く事が出来ず、議決を行うことが出来ない。
総議員とは、選挙法に定めた議員の総数をいう。三分の一以上出席しなければ、議事を開くことが出来ないときは、三分の一以上が召集に応じなければ、議院の成立を告げることが出来ない事を知るべきである。


◆◆◆ 第四十七条 ◆◆◆

第四十七条 両議院の議事は過半数を以て決す。可否同数なるときは議長の決する所に依る(両議院の議事は過半数で決まる。可否が同数であるときは、議長の可否で決まる)

過半数を以て決を挙げるのは、議事の常則である。本条の過半数とは、出席議員に就いてこれをいう。両議院平分して各々同数を得る場合に当たって、議長の見るところにより決をなすのは、事理宜しく然るべきである。但し、第七十三条における憲法改正の議事は令が意図する。また、議院において議長及びその他の委員を選挙することに付いては、特に定める多数及び委員会の規定は、各その規則に依るべきであり本条は干渉しない。


◆◆◆ 第四十八条 ◆◆◆

第四十八条 両議院の会議は公開す但し政府の要求又は其の院の決議に依り秘密会と為すことを得(両議院の会議は公開とする。ただし、政府の要求又は、其の院の決議によって、秘密会とする事が出来る)

議院は庶民を代表する。故に討論・可否はこれを衆目の前に公にする。ただし、議事が秘密を要するもの。外交事件・人事及び職員委員の選挙又は、あるいは財政・平成、あるいは治安に係る行政法のような場合は、その変例とし、政府の要求により又は各院の決議により秘密会とし、公開を取り止めることが出来る。


◆◆◆ 第四十九条 ◆◆◆

第四十九条 両議院は各々天皇に上奏することを得(両議院は各々天皇に上奏する事が出来る)

上奏は、文書を上呈して天皇に奏聞する事を言う。或いは、直後に奉対し、或いは慶賀吊傷の表辞を上り、或いは意見を建白し請願を陳疏するなどの類は全て其の中にある。そして或いは文書を上呈するのに留まり、或いは総代をもって観閲を請いこれを上程するのも全て相当の敬礼を用いなければならず、逼迫・強抗で尊厳を干犯しないようにしなければならない。


◆◆◆ 第五十条 ◆◆◆

第五十条 両議院は臣民より呈出する請願書を受くることを得(両議院は臣民より呈出された請願書を受け取る事が出来る)

臣民は、至尊に請願し又は、行政官衙に請願し、議院に請願することは、全て其の意に従う事が出来る。その議院に在っては、各人の請願を受けてこれを審査し、或いは単にこれを政府に紹介し、或いはこれに意見書を附して政府に報告を求めることが出来る。但し、議院は必ずしも請願を議定する義務があるわけではなく、政府は必ずしも請願を許可する義務があるわけでもない。もし、それ請願が立法にかかわるものは、請願をもって直ちに提出法律案の動議としてはいけないといっても、議員はその請願の主旨により通常動議の方法に従がって行う事が出来る。


◆◆◆ 第五十一条 ◆◆◆

第五十一条 両議院は此の憲法及び議院法に掲ぐるものの外内部の整理に必要なる諸規則を定むることを得(両議院は、この憲法及び議院法に掲げられているものの外、内部の整理に必要な諸規則を定める事が出来る。)

内部の整理に必要な諸規則とは、議長の推選、議長及び事務局の職務、各部の分設委員の推選、委員の事務・議事規則・議事記録・請願取り扱い規則・議院請暇規則・紀律及び議院会計の類をいう。そして憲法及び議院法の範囲内で議院が自らこれを制定するのに任される。


◆◆◆ 第五十二条 ◆◆◆

第五十二条 両議院の議員は議院に於いて発言したる意見及び表決に付き院外に於いて責を負うことなし但し議員自ら其の言論を演説刊行筆記又は其の他の方法を以て公布したるときは一般の法律に依り処分せらるべし(両議院の議員は議院において発言した意見及び法決について、院外で責任を負うことはない。但し、議院自らがその言論を演説・刊行・筆記及びその他の方法で公布したときは、一般の法律により処分される)

本条は、議院の為に言論の自由を認める。蓋し、議院の内部は議員の自治に属する。故に言論の規矩を越え徳義を紊し、又は人の支持を讒毀するような事は、議院の紀律により議院自らがこれを制止し及び懲戒すべきであり、そして司法官はこれに干渉すべきでは無い。議決は法律の成案を作ろうとする。そして議員の討論は異同相摩して、それを一つに帰結するための資料をなすものである。故に議院の議はそれによって、刑事及び民事の責任を問うべきでは無い。これは、一つは議院の権利を尊重し、二つ目は議員の言論を十分に価値あるものとする。但し、議員自らが議院の言論を公布し、その自由を行使してこれを外部に普及した場合は、動議と駁議とを問わず、全て法律の責問を免れる事は出来ない。


◆◆◆ 第五十三条 ◆◆◆

第五十三条 両議院の議員は現行犯罪又は内乱外患に関する罪を除く外会期中其の院の許諾なくして逮捕せらるることなし(両議院の議員は、現行犯の罪又は内乱外患に関する罪を除くほかは、会期中にその院の許諾なしに逮捕されることはない)

両議院は立法の大事を参賛する。故に会期の中は議員に予め例外の特権をもって議員の不羈の体面を持たせ、その重要な職務を全うする事が出来るようにさせる。もしそれが、現行犯の罪又は内乱外患にかかわる罪に至っては、議院の特典の庇護するところでは無い。会期中とは召集の後閉会の前をいう。非現行犯及び普通の罪犯は、議院に通牒し、その許諾を得え後にこれを逮捕し、現行犯及び内乱外患に関わる罪犯は先ず逮捕して、その後に議院に通知すべきである。


◆◆◆ 第五十四条 ◆◆◆

第五十四条 国務大臣及び政府委員は何時たりとも各議院に出席し及び発言することを得(国務大臣及び政府委員は、何時でも各議院に出席し、発言する事が出来る)

議会の議事に当たって、議場で弁明することは大臣の重要な任であり、万衆に対して心胸を開いて正理を公議に訴えて、嘉謀を時論に求めてその底蘊を叩き遺憾ないようにさせる。蓋し、このようで、なければ立憲の効用を収めるに足りない。但し、出席及び発言の権利は、政府の自由に任せ、或いは大臣自ら討論し又は弁明し、或いは他の委員に討論・弁明させ、或いは時宜に適さないことによって討論・弁明を行わないことが出来る。これは全てその意に随う。


出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm

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憲法義解2

2012年04月30日 | 憲法論資料
■■■ 第二章 臣民権利義務 ■■■

第二章 臣民権利義務

第二章は第一章に続き臣民の権利及び義務を掲げる。蓋し、祖宗の政治は、もっぱら臣民を愛重して、名づけて大宝(おおみたから)の称号をもってした。非常の赦しの時に検非違使を使わして、囚徒を抑える言葉に、公御財(おおみたから)となし御調物(みつぎもの)を備え進と云った。[江家次第]歴世の天子の即位の日には、皇親以下天下の人民を集めて、大詔を述べられ、その言葉に集まり侍る皇子等、王、臣、百官の人等、天下公民、諸々聞きなさいと詔され、史臣が用いる公民の字は即ち「オホミタカラ」の名称を訳した。その臣民にあって、自ら称えて御民と云う。天平六年に海犬養宿禰岡麻呂が詔に答えた歌に ミタミワレ、イケル、シルシ、アリ、アメツチノ、サカユルトキニ、アヘラク、オモヘハト 詠んだのはこれである。蓋し、上にあっては愛重の意を邦国の宝をもって表し、下にあっては大君に服従し自ずと顕れて幸福の臣民とする。これはわが国の典故旧俗に存在し、本章に掲げる臣民の権利義務もこれを源流とするのに他ならない。よくよく中古、武門の政治は武士と平民との間に等族を分かち、甲者(武士)を公権の専有者として、乙者(平民)の預からない事としたのみならず、その私権をあわせて乙者が享有(生まれながらに持っていること)する事が全く出来なかった。公民の義は、これに依って減絶して、伸びる事はなかった。維新の後に、数々の大令を出し、氏族の特異な権利を廃止し、日本臣民である者が始めて平等にその権利を持ち、その義務を盡くすことを得られた。本章に掲載するところは、実に中興の美果を倍殖して、これを永久に保ち明らかにするものである。


◆◆◆ 第十八条 ◆◆◆

第十八条 日本臣民たるの要件は法律の定むる所に依る(日本臣民であるための条件は法律の定めるところによる)

日本臣民とは、外国臣民とこれを区別するための言葉である。日本臣民であるものは、各々法律上の公権及び私権を享有している。この臣民である条件は、法律で定める必要があある。日本臣民であるには、二種類あり、第一は出生によるもの。第二は帰化又はその他法律の効力によるものである。
国民の身分は、別の法律で定める所による。但し、私権の完全な享有と、公権はもっぱら国民の身分に随伴するので、特に別の法律で定める旨を憲法に掲げる事を怠らない。故に別の法律に掲げる所は、即ち憲法の指令するところであり、また憲法における臣民権利義務の係属するところである。
選挙、被選の権、任官の権の類を公権とする。公権は憲法又は其の他の法律でこれを認定し、もっぱら本国人の享有するもので、外国人に許さないのは各国の普通の公法である。私権に至っては、内外の間に懸絶の区別をしたのは、既に歴史上の往時に属し、今日では一・二の例外を除く外は、各国でも大抵、外国人を本国人と同ようにこれを享受出来るようにする傾向がある。


◆◆◆ 第十九条 ◆◆◆

第十九条 日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応じ均しく文武官に任ぜられ及び其の他の公務に就くことを得(日本臣民は法律命令の定める資格に応じて均しく文武官に任命され、及びその他の公務に就くことが出来る)

文武官に登用任命し、その他の公務に就くのは、門閥(出身)に拘わらず、これを維新改革の美果の一つとする。往昔は門地で品流を差別され、時には官が家に属し、族によって職を世襲し、賎類の出身者は才能があっても顕要の職に登用されることが出来なかった。維新の後、陋習を一掃して、門閥の弊害を除き、爵位の等級は一つも官に就く事の平等性を妨げる事はない。これは、憲法で本条が保ち明らかにするところである。但し、法律命令で定める相当の資格、即ち年齢、納税及び試験での能力の諸般の資格は、官職及び公務に就くための条件であるのみ。
日本臣民は、均しく文武官に任命され、その他の公務に就く事が出来るというときは、特別の規定がある場合を除き、外国臣民にこの権利を及ぼさないことを知るべきである。


◆◆◆ 第二十条 ◆◆◆

第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す(日本臣民は法律の定めに従って、兵役に就く義務がある)

日本臣民は日本帝国成立の分子であり、共に国の生存独立及び光栄を守る者である。上古以来わが臣民は、事ある時に自分の体や家族などの私事を犠牲にして、本国を防御することを以て丈夫の事とし、忠義の精神は栄誉の勧請と共に人々の祖先以来の遺伝に発し、心肝に浸透して、一般の気風を結成した。聖武天皇の詔に言うには大伴佐伯の宿禰は、常に言っているように、天皇の朝廷を守り仕える事に自己を顧みない人たちであり、汝等の祖先が言い伝えてきたことのように『海行かば水積く屍、山行かば草生す屍、王の辺にこそ死なめ、のどには死なじ(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草が生える屍になろうとも王のお側近くで死のう、それ以外ののどかな死に方はしない)』と言い伝えている人たちだと聞いている」と。この歌は、即ち武臣の相伝えて以て忠武を教育することの成せる事である。大宝以来軍団を設け、海内の壮丁で兵役に堪えうる者を募る。持統天皇の時に国毎に正丁の四分の一を取っ他事は、即ち徴兵の制度がこの事により始まったことを示している。武門執権の時代に至って、兵と農の職を分離し、兵武の事を以て一種族の事業とし、旧制が久しく失われていたが、維新の後、明治四年に武士の常職を解き、五年には古制に基づいて徴兵の例を領行して、二十歳に達した全国男子は陸軍海軍の兵役に当たらせて、平時の毎年の徴員は常備軍の編成に従って、それ以外に十七歳より四十歳までの人員は、悉く国民軍として戦時に当たって臨時召集する制度とした。これは、徴兵法が現在行われている所である。本条は、法律の定める所によって、全国臣民を兵役に服する義務を執らせ、類族門葉に拘らず一般にその士気身体を併せて平生に教育させ、一国の勇武の気風を保持して、将来失墜させないようにすることを期するのである。


◆◆◆ 第二十一条 ◆◆◆

第二十一条 日本臣民は法律の定める所に従い納税の義務を有す(日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務がある。)

納税は、一国が共同して生存するための必要に供応する者であり、兵役と均しく臣民の国家に対する義務の一つである。
租税は古言に「ちから」と云い、民力を輸送するという意味であり、税を科するのは「おふす」と云い、各人に負わせるという意味である。祖宗は、既に統治の決意をもって国に臨まれ、国庫の費用はこれを全国の正供にとる。租税の法律の由来は、久しく孝徳天皇が祖・庸・調の制度を行い、維新の後に租税の改正を行う。これを税法の二大変革とする、その詳細は書籍に備わっているので、詳らかにこれを注釈することはしない。蓋し、租税は臣民が国家の公費を分担する物であり、徴求に供応する献饋の類ではない。また承諾に起因する徳澤の報酬でもない。
附記:フランスの学者は、その偏理の見方で租税の意味を論じている。千七百八十九年にミラボー氏がフランスの国民に向って国費を募る公文に言うには「租税は、受けた利益に報いる代価である。公共の安寧の保護を得るための前払いである」と。エミル・ド・ヂラルヂン氏は、説を発表して言うには「租税は権利の享受、利益の保護を得る目的のために国と名づけた一会社の社員より納める保険料である。」と。これは全て民約主義に淵源し、納税で政府の職務と人民の義務とを相互交換する物とするものであり、その説は巧みであると言っても、実に千里の誤りであることを免れない。蓋し租税は、一国の公費であり一国の分子である者は均しくその共同義務を負うべきである。故に臣民は独り現在の政府のために納税するべき物ならず、前世、過去の負債のためにも納税しなければならない。独り得た利益のために供給すべきだけでなく、その利益を享受しなくてもこれを供給しなければならない。よくよく経費は所及ばず倹省してほしいと思い、租税は所及ばず薄くあって欲しいと思う。これはもとより政府の本務であり、そして議会が財政を監督し、租税を議定するに於いて立件の要義もまたこれに他ならない。しかるに、もし租税の義務を以てこれを上下相酬の市道であるとし、納税の諾否はもっぱら受ける利益と乗除相関る者とするなら、人々は自らその胸の臆に断定して、年祖を拒む事が出来てしまう。そうなれば、国家の成立が危殆にならないようにと思っても、危殆に瀕してしまう。近頃の論者は、既に前節の非を弁論して余蘊なからしめ、そして租税の定義は僅かに帰着するところを得た。今、その一・二を上げると、「租税は国家を保持するために設けるものである。政府の職務に報いる代価ではない。なぜならば政府と国民との間には、契約が存在しないからである」(フランス、フォスタン・エリー氏)「国家は租税を賦課する権限がある。そして、臣民はこれを納める義務がある。租税の法律上の理由は、臣民の純然たる義務にあり、国家の本分とその目的とに欠くべからざる費用があるのに従って、国の分子である臣民はこれを供納しなければならない。国民は無形の一体として、国家である自個の職分のために資需を供すべく、そして各人は従ってこれを納めなければならない。なぜならば、各人は国民の一個の分子であるからである。彼の国民及び各個の臣民は、国家の外に立、その財産の保護を受けるための報酬であるとして、租税の意味を解釈するのは、極めて不提である誤説である」(ドイツ、スタール氏)ここに記載して、参考に当てる。


◆◆◆ 第二十二条 ◆◆◆

第二十二条 日本臣民は法律の範囲内に於いて居住及び移転の自由を有す(日本臣民は、法律の範囲内で居住と転居の自由がある)

本条は居住及び移転の自由を保明する。封建時代は藩の国境を画り、各々関柵を設けて人民が互いに其の本籍の外に居住することを許さなかった。並びに許可無く旅行及び移転をする事が出来ず、その自然の運動及び営業を束縛して、植物と同ようにさせた。維新の後、廃藩の挙と共に居住及び移転の自由を認め、凡そ日本臣民であるものは、帝国国内において何れの地を問わず、定住したり借住して寄留したり及び営業する自由を改めた。そして憲法に其の自由を制限するためには、必ず法律によって行い、行政処分の外に存在することを掲げたのは、これを貴重する意思を明らかにするためである。

以下、各条は、臣民各個の自由及び財産の安全を保明する。蓋し、法律上の自由は臣民の権利であり、その生活及び知識の発達の本源である。自由の民は文明の良民として、国家の昌栄を翼賛する事が出来るものである。故に立憲国家は皆、臣民各個の自由及び財産の安全を貴重な権利として、これを確保しない事は無い。但し、自由は秩序ある社会の下に生息するものである。法律は各個人の自由を保護し、また国憲の必要より生じる制限に対して、其の範囲を分割し、両社の間に適当な調和をなすものである。そして、各個臣民は法律の許す範囲において其の自由を享受し、綽然として余裕があることを得られるべきである。これは憲法に確保する法律上の自由なるものである。


◆◆◆ 第二十三条 ◆◆◆

第二十三条 日本臣民は法律に依るに非ずして逮捕監禁審問処罰をうくることなし(日本臣民は法律によることなく、逮捕監禁審問処罰を受けることはない)

本条は人身の自由を保明する。逮捕監禁審問は、法律に書かれている場合に限り、かかれている規定に従って、是を行う事が出来る。そしてまた、法律の正条によることなく何らの所為に対しても処罰する事は出来ない。必ず、此ようにして、其の後に人身の自由は、始めて安全であることを得られるべきである。蓋し、人身の自由は、警察及び治罪の処分と密接な関係を有し、其の間には分毫の余地もない。一方においては、治安を保持し罪悪を防御し及び検探糾治するのに必要な処分が素早く強力であることに拘らない。他の一方においては、各人の自由を尊重して、其の限界を峻厳して威権が蹂躙しないようにするのは、立憲制度においては、もっとも至重な要件とするところである。故に警察及び司獄官吏は法律に依らないで人を逮捕し、または監禁し、または苛酷な所為を施した者には、其の罰を私人より重くさせ[刑法第二百七十八条・第二百七十九条・第二百八十条]、そして審問の方法に至っては、またこれを警察官に委ねず、必ずこれを司法官に訴えさせ、弁護及び公開を行い、司法官または警察官が被告人に対して罪状を供述させるために凌虐を加えるものには重さを加えて処断する[刑法二百八十二条]。凡そ処罰の法律の正条に依らなければ、裁判の効力は無い物とする[治罪法第四百十条、刑法第二条]。これは全て努めて周囲緻密の意を致して臣民を保護し、そして拷問及びその他中古の断獄は歴史上の既往の事績として、復元、時には再生することを出来なくする。本条は更にこれを確保し、人身の自由を安固の途轍に入らせた。


◆◆◆ 第二十四条 ◆◆◆

第二十四条 日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪はるることなし(日本臣民は、法律に定められた裁判官の裁判を受ける権利を奪われる事は無い)

本条はまた、各人の権利を保護するための要件である。法律により構成・設置された裁判官は、威権の権勢を受けず、両造の間に衡平を維持し、臣民はその孤弱貧賎に拘わらず勢家権門と曲直を訴廷に争い、検断の官吏に対して情状を弁護することを得られる。故に憲法は法律に定めた正当な裁判官以外に特に臨時の裁判所または委員を設けて、裁判の権限を侵犯し各人のために其の権利を奪うことを許さない。そして各人は独立の裁判所に倚頼して、司直の父とする事を得る。


◆◆◆ 第二十五条 ◆◆◆

第二十五条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外其の許諾無くして住所に侵入せられ及び捜索せらるること無し(日本臣民は法律に定めた場合を除き、その許諾無しに住居に侵入されたり、捜索されたりする事は無い。)

本条は、住居の安全を保明する。蓋し、家宅は臣民各個の安静の地である。故に私人は、家主の承諾無く他人の住居に侵入する事が出来ないのみならず、警察司法及び収税の官吏、民事または刑事または矯正の処分を問わず、凡そ法律に指定した場合以外及び法律の規定に依らずに臣民の家宅に侵入し、または捜査することが有れば全て憲法の見地から不法の所為と看做すところであり、刑法により論じられることを免れるべきではない。[刑法第百七十一条、刑法第百七十二条]


◆◆◆ 第二十六条 ◆◆◆

第二十六条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外親書の秘密を侵さるることなし(日本臣民は法律で定められた場合以外は、親書の秘密をおかされる事は無い)

親書の秘密は、近世文明の惠賜の一つである。本条は刑事事件の捜査または戦時及び事変及びその他の法律の正条で指定された必要性の有る場合の他は、信書を開封しまたは破棄して、その秘密を侵す事を許さないことを保明する。


◆◆◆ 第二十七条 ◆◆◆

第二十七条 日本臣民はその所有権を侵さるることなし(日本臣民は、所有権を侵される事は無い)
 公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る(公益の為に必要な処分は法律で定めた所による)

本条は所有権の安全を保明する。所有権は国家の公権の下に存率する物である。故に、所有権は国権に服属し、法律の制限を受けなければならない。所有権はもとより不可侵の権利であるが、無限の権利ではない。故に、城壁の周囲線から一定の距離において建築を禁止するのは、賠償を必要としない。鉱物は鉱法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定した条則に依らしめ、鉄道線より一定の距離において、樹木を植えることを禁止し、墓域より一定の距離においては、井戸を掘ることを禁止するような類は、全て所有権に制限があることの証徴であり、そして、各個人の所有は、各個人の身体と同じく国権に対して、服属する義務を負うものであることを認知するのに足ものである。蓋し、所有権は私法上の権利であり、全国統治の最高権のもっぱら公法に属するものと抵触するところはない。[欧州においてオランダの「グロシュス」氏は、その万国公法において、「君主はその国土に最高所有権を有する」説を称えた。近頃の国法学者は、その意を取り、そして国土の主権の意味を以て最高所有権の名に変えた。]。
上古で臣民は私地を献じ、罪があって領地を官に没収され、私地の売買を索める事は史籍に見える。孝徳天皇大化二年、処々の屯倉及び田荘を廃止して兼併の害を除き、そして隋唐の制度に倣い、班田の制度を行ったが、その後、所領荘園の弊害がしきりに行われて、封建の勢を成し、徳川氏の時に至って、農民は概ね領主の小作農であるに過ぎなくなった。維新の初、元年十二月に大令を発して、村々の地面は全て百姓の持地であるべきことを定めた。四年に各藩籍を奉還して、私領の遺物の跡をを始めて絶った。五年二月に地所の永代売買の禁止を解き、又地券を発行し、六年三月には地所名称の通達を発し、公有地・私有地の名称を設け、七年には私有地を改めて民有地とし、八年に地兼に所有者の名称を記載した。[地兼の雛形に「日本帝国の土地を所有する者は、必ずこの券状を有するべし」]。これは全て欧州にあって、或いは兵制改革を用いて領主の専権を廃棄したり、或いは莫大な金額を用いて小作農のために権利を償却した者であり、そして、わが国においては、各藩の推譲によって容易に一般の統治に帰し、以てこれを小民に惠賜することを得た。これは実に史籍にあって、以来各国にその例を見ないところであり、中興新政の紀念たるものである。
公共の利益のために必要なときは、各個の人民の意思に反して、その私産を収用し需要に応じさせる。これは即ち、全国統治の最高主権を根拠にするものであり、そして、その条則の制定は、これを法律に属させた。蓋し、公益収用処分の要件は、その私産に対して相当の補償をすることにある。そして、必ず法律を制定することを必要とし、命令の範囲外であるのは、憲法が証明する所である。


◆◆◆ 第二十八条 ◆◆◆

第二十八条 日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す。(日本臣民は、安寧秩序を乱さず、臣民の義務に背かない限り、信教の自由が有る)

中古に西欧で宗教に勢いがあった。これを内外の政事に混用して、流血の禍を発生させた。そして東方諸国は、また厳法峻刑をもって、これを防禁させようと試みたが、四百年来、信教の自由の説が始めて萌芽を発し、フランスの革命、北米の独立に至り、公然の宣告を得て、漸次各国がこれを認める所となり、現在各国政府は、或いはその国教を有し、或いは社会の組織又は教育において、仍一派の宗教に偏祖することに拘らず、法律上は一般に各人に対して信教の自由を与えている。そして、異宗の人を戮辱し、或いは公権私権の享受に向けて差別を設ける陋習は、既に史乗の過去の事として[ドイツの各邦に於いては1848年までしきりにユダヤ教に向けて政権を与えなかった]、またその跡を留めないまでになった。これは、信教の自由はこれを近世文明の一大美果として見ることができ、そして人類のもっとも至貴至重である本心の自由と、正理の伸長は数百年間の沈淪茫昧の境界を経過して、すべてに光輝を発揚する今日に達した。蓋し、本心の自由は人の内部に存在する者であり、もとより国法の干渉する区域の外にあり、そして国教をもって偏信を強いるのは、もっとも人知自然の発達と学術競進の運歩の障害になるものであり、何れの国も政治上の威権を用いて、教門無形の信依を制壓しようとする権利と機能とを持ち得ない。本条は実に維新以来取る進路に従い、各人無形の権利に向けて濶大な進路を与えた。
但し、信仰帰依は専ら内部の心識に属すと言っても、更に外部に向って礼拝・儀式・布教・演説及び結社・集会を行うに至っては、もとより法律又は警察上、安寧秩序を維持するための一般の制限を尊ばなければならない。そして、何れの宗教も神明に奉事するために法憲の外に立って国家に対する臣民の義務を逃れる権利を持たない。故に内部における信教の自由は、完全であり一つの制限も受けない。そして外部における礼拝・布教の自由は法律・規則によって必要な制限を受け、及び臣民一般の義務に服従しなければならない。これは憲法の裁定するところであり、政教が相互に関係する界域である。


◆◆◆ 第二十九条 ◆◆◆

第二十九条 日本臣民は法律の範囲内に於いて言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有す。(日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会及び結社の自由がある)

言論・著作・印行・集会・結社は、全て政治及び社会の上に勢力を行う物であり、そして立憲国家は、それを利用して罪悪を行い又は治安を妨害する者を除く外は、全てその自由を与えて思想の交通を発達させ、かつ人文の進化のために有益な資料としない事はない。但し、他の一方においては、これらの所為は容易に乱用すべき鋭利な器械である故に、これに由って他人の栄誉・権利を障害し、治安を妨げ、罪悪を教唆するに至っては、法律によりこれを処罰し、又は法律を以て委任する警察処分により、これを防制する事が出来るのは、これまた公共の秩序を保持する必要からである。但し、この制限は必ず法律により、そして命令の区域外にある。


◆◆◆ 第三十条 ◆◆◆

第三十条 日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規定に従い請願を為すことを得(日本臣民は敬意と礼節を守り、別に定めた規定に従って、請願を行う事が出来る)

請願の権利は、至尊仁愛の至意により、言路を開き民情を通ずる所以である。孝徳天皇の時代に鐘を懸けて櫃を設け、諫言憂訴の道を開かれた。中古以後の歴代の天皇は朝殿に於いて百姓の申文を読ませ、大臣・納言の補佐により親しくこれを聴断された。[嵯峨天皇以後はこの事は廃れた。愚管抄]これを史乗で考えると古昔の君主は、全て言路を洞通して冤屈を伸ばし解くことに勤めない事はなかった。蓋し、議会が未だ設けられず、裁判聴訴の法が未だととのはない時に当たって、民言を要納して民情を疎通することは、独り君主の仁慈の威徳であるのみならず、また政事上の衆思を集め鴻益を広める必要から出るものである。今は、諸般の機関が既に整備され、公議の府もまた一定のところあり、そしてなお臣民の請願の権利が存在し、匹夫・匹婦の疾苦の訴えと、父老の献芹の微衷とで九重の上に洞達し、阻障しないようにする。これは憲法が民権を貴重して民生を愛護し、一つの遺漏なきことが終局の目的とすることによる。そして、政事上の徳義はここに至って至厚であるということが出来る。
但し、請願者は正当な敬意と礼節を守るべく、憲法上の権利を乱用して至尊を干涜し、又は他人の隠私を摘発して、徒に讒誣を助長するような事は、徳義上のもっとも戒慎すべきところであり、そして法律・命令または議院規則により規定を設けるのは、このような事をさせないためである。
請願の権利は、君主に進める事に始まり、そして推し広げて議院及び官衙に呈出するのにおよぶ。その各個人の利益に係ると、また公益に係るとを問わず、法律上の彼我の間に制限を設けない。


◆◆◆ 第三十一条 ◆◆◆

第三十一条 本章に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於いて天皇大権の施行を妨ぐることなし(本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない)

本章に掲げた所の条規は、憲法において臣民の権利を保明するものである。蓋し、立憲主義は独り臣民のみが法律に服従するわけではなく、また、臣民の上に勢力を有する国権の運用を法律の検束を受けさせることにある、ただそれゆえに臣民はその権利・財産の安全を享有して、専横不法の疑懼を免れることができる。これを本章の大義とする。但し、憲法は、なお非常の変局のために非常の例外を掲げる事を怠らない。蓋し、国家の最大の目的は、その存立を保持する事にあり、練熟な船長は覆没を避け、船客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄させる。良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ざる時機に当たって、その一部曲を棄てる事ができる。国権は危難の時機に際して、国家及び国民を救済して、その存立を保全するために唯一必要な方法があると認められるときは、断じて法律及び臣民の権利の一部をぎせいにして、その最大の目的を達しなければならない。これは、即ち元首の権利であるのみならず、また、その最大の義務である。国家にもし、この非常権がないならば国権は非常時に際して、その職を全うする根拠がない事になる。
各国の憲法に或いはこの事を明示し、或いは明示しないに拘わらず、その実際において存立を保全する国権の権力を認許している。なんとなれば、各国全て皆、戦時のために必要な処分を施行するのは、疑う事の出来ない事実であるからである。但し、常変の際、間髪を入れることはできない。その必要でない時に徒に非常権に推托して、臣民の権利を蹂躙するような事は、各国の憲法が決して許さないことである。蓋し、正条に非常権を掲げ、及びその要件を示すのは、非常の時機のために憲法上に空缺を残すことをしないためである。ある国においてこれを不言に付すのは、臨機の処分を憲法の区域外に置き、議院の判決に任せ、その違法の責任を解こうとすることである。そして、近世の酷方角を論ずる者甲の方法のもっとも完全な事を賛称する。


◆◆◆ 第三十二条 ◆◆◆

第三十二条 本章に掲げたる条規は陸海軍の法令又は紀律に抵触せざるものに限り軍人に準行す。(本章に掲げた条規で、陸海軍の法令又は紀律に抵触しない物に限って、軍人にもこの章に准じて行う)

軍人は軍旗の下にあって、軍法軍令を恪守し、専ら服従を第一の義務とする。故に本章に掲げた権利の条規で、軍法軍令と相抵触する物は、軍人に通行しない。即ち現役軍人は集会・結社を行って軍制又は政事を論じる事は出来ない。政事上の言論・著述・印行及び請願の自由を有しないのも同じである。

出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm


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憲法義解1

2012年04月30日 | 憲法論資料
■□■□■ 伊藤博文著『憲法義解』の現代語訳(HISASHI)■□■□■


■■■ オロモルフによるまえがき ■■■

 以下は、インターネットにおける論客のお一人であるHISASHIさまによる、伊藤博文著『憲法義解』(大日本帝國憲法義解)の現代語訳(口語訳)です。
 昨今、現行憲法の改正についての議論がさかんになされておりますが。
 現行の憲法は占領下において占領軍が策定して施行された憲法であるため、その改正の手続きや考え方につきましても、さまざまな意見があります。
 現憲法をもとにして、その一部を改正するという意見もありますし、現憲法はいったん廃止して、明治に伊藤博文らによって策定された大日本帝國憲法(通称明治憲法)を改正する形式をとるべきだ、という意見もあります。
 読売新聞の案は前者のようですし、維新政党・新風の案(当保存頁に有り)は後者の意見による案です。
 どのような形にせよ、日本の近代的憲法は明治憲法にはじまるのですから、これの解読は議論する人の必須と思います。
 明治憲法の解説書としてもっとも有名なのは伊藤博文による『憲法義解』ですので、これを読むことから始めるのが、憲法改正論議の正統的な方法だろうと思います。
 しかし明治の文章であるため、我々素人には読みにくく、なかなか意味がくみ取れません。
 そこで、HISASHIさまに、その現代語訳をお願いしましたところ、多忙な時間をさいて連載して下さいました。
 これを読んでオロモルフが感じた最大のことは、
「伊藤博文たちが、『古事記』『日本書紀』にはじまる日本の歴史古典を十二分に研究して、それらを踏まえて上で、欧米の憲法を勉強して、明治憲法をつくっている点」
 ――でした。
 明治憲法といいますと、戦後は一般的に封建的とか軍国主義的とか、そういう話しかありませんので、本訳文はまことに啓蒙的であります。
 HISASHIさまに厚く御礼申し上げます。

 なお、法律の専門家である解法者氏による解説(連載中に発表されたもの)も、巻末に掲載させていただきました。
 解法者さまへも感謝いたします。


■■■ HISASHI氏による序文 ■■■

 本日より、お約束の憲法義解(伊藤博文著)の現代語訳を試みて行きます。原点は、国立国会図書館収蔵の書籍で、これは国立国会図書館のHPにある「電子図書館の蔵書」の「近代デジタルライブラリー」で読む事が出来ます。

・国立国会図書館HP
 URL:http://www.ndl.go.jp/index.html

なお、今回の試みは、オロモルフ様のHPの掲示板と私のHPの掲示板で行います。

・オロモルフ様のHP
 URL:http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/

・私のHP
 URL:http://www.nn.iij4u.or.jp/~yoshida0/index1.html

 さて、現代語訳とは言うものの、出来るだけ原書の雰囲気を大切にしたいと思い、熟語に付いては、国語辞典で引けるようなものに付いては、そのまま使用しています(単なる手抜きか?)。また、訳文で所々おかしい所(表現として不適切な部分)が有るかもしれませんが、私の力量不足ですのでご容赦下さい。十分な訳文では決してありませんが、原文を読んでいただく時の一助になればと思っています。

 また、私は憲法の専門家ではありません(法律の専門家ですらない)ので、法の解釈に付いては、ご容赦下さい。(まぁ、どう思うぐらいは言えますけれども)


■■■ 伊藤博文による序 ■■■

 謹んで思うには、皇室典範は歴聖の遺訓(歴代の天皇が残された教訓)を受け継いで記し、後世へ常軌しめしおくるもので有る。帝国憲法は、国家の大経を綱挙(大綱を掲げること)して、君民の区別を明確にする。意義は精確で明らかであり、日や星のように文理は奥深く、書かれた言葉の美しさを誉め称えるところは無い。これは全て、遠くまで見渡した大いなる計画で、ひとえに聖裁によるところで有る。博文、密かに属僚とともに研磨考究した事を、余さず記録して筆記とし、原稿を判り易く繕写して、名づけて義解という。敢えて大典の解説や説明とするのではなく、いささか備考の一つに付け加えられる事を冀うだけである。もしそれ、精通し類推して意味を押し広めて解き明かす事は、後の人に望む事であり、博文の敢えて企てる所ではない。謹んで書き記す。

明治二十二年四月 伯爵 伊藤博文


大日本帝国憲法義解

 謹んで思うには、わが国の君民の区別は既に建国の時点で定まり、中世ではしばしば、変乱を経て、政綱の統一を緩めてしまったが、大命が下り維新において皇運が盛んになり、貴い詔を公布して立憲の大いなる計画を宣言され、上は元首の大権を統一し、下は股肱の力を広げ、それは臣下の輔弼(助け)と議会の翼賛(力添え)によって組織は各々その所を得る。そして臣民の権利及び義務を明らかにして、益々その幸福を進める事を確信する。これは全て祖宗(歴代の天皇陛下)の遺業であって、その源を解き明かして、その流を通すもので有る。


■■■ 第一章 天皇 ■■■


◆◆◆ 第一条 ◆◆◆

第一条 大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す(大日本帝国は、万世一系の天皇によって統治される。)

 謹んで思うには、神祖(神として祭られている先祖)が建国されて以来、時には盛衰が有りはしても、世の中に治乱が有りはしても、皇統一系の貴い位の盛んである事は、天地とともに有り終わりが無い。本条は憲法の最初に立国の大義を掲げて、我が日本帝国は一系の皇統とともに終始し、今も昔も永遠にあり、一があって二がなく常があって変がないことを示して、それによって君臣の関係を永遠に明らかにする。
統治は、大位(天皇の位)に就いて大権を統べ、国土と臣民を治めることである。古典には天祖の勅を挙げて、「瑞穂国(日本)は我が子孫が王となるべき地である。皇孫よ行って治めなさい」といわれた。また、神祖を称えて祭り始御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といわれた。日本武尊の言葉に「私は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)で大八島国(おおやしまのくに)を知ろしめす(治めておられる)大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の御子」とある。文武天皇(もんむてんのう)即位の詔に「天皇の御子が次々に継いでこられた大八島国を治める順」といわれた。また、天下を調査し平穏にされ、公民に恵みを与え慰撫された代々の天皇は、皆、このことによって伝国の大訓とされ、その後の「御大八州天皇(おおやしましろしめすすめらみこと)」ということで、詔書の例式とされた。所謂「しらす」とは即ち統治の意味に他ならない。蓋し、歴代の天皇はその天職を重んじ、君主の徳は八州臣民を統治するためにあって、一人一家に享奉する私事では無いことを示された。これは、この憲法のよりどころであり、基礎とするところである。
倭が帝国の領域は、古に大八島というのは淡路島[即ち今の淡路]、秋津島[即ち本島]、伊予の二名島[即ち四国]、筑紫島[即ち九州]、壱岐島津島[津島、即ち対馬]、隠岐島佐渡島をいう事は、古典に記載されている。景行天皇が東の蝦夷を征伐し、西の熊襲を平定し国土が大いに定まった。推古天皇の時には百八十余の国造があり、延喜式に至り六十六国及び二島の区画を載せた。明治元年、陸奥出羽の二国を分けて七国にし、北海道に十一国を置く。ここにおいて全国合わせて八十四国とした。現在の国の境は、実に古の所謂大八島、延喜式の六十六国及び各島、並びに北海道沖縄諸島、及び小笠原諸島とする。蓋し、土地と人民とは国を成立させる根本であり、一定の国土は一定の我国を成り立たせ、そして、一定の憲章がその間で行われる事により、一国は一個人の如く、一国の国土は一個人の体躯の如くをもって統一完全な領域をなす。


◆◆◆ 第二条 ◆◆◆

第二条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す(皇位は皇室典範の定めに従って、皇統の男系の男性子孫が継承する。)

 謹んで思うには、皇位の継承は祖宗以来、既に明快な遺訓があり、皇子孫に伝え永遠に変わる事が無い。もし継承の順序に至って新たに勅定する皇室典範において、これを細かな点まではっきり記載し、それを皇室の家法とし、さらに憲法の条章にこれを掲げる事を用いないのは、将来、臣民の干渉を要れないことを示している。
皇男子孫とは、祖宗の皇統における男系の男子をいう。この文は皇室典範の第一条と同等である。


◆◆◆ 第三条 ◆◆◆

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず(天皇は神聖であり、侵してはならない)

 謹んで思うには、天地が別れて神聖位を正す[古事記]。蓋し、天皇は天が許された神慮のままの至聖であり、臣民や群類の上に存在され、仰ぎ尊ぶべきであり、干犯(干渉し権利を侵すこと)すべきではない。故に、君主は言うまでも無く法律を敬重しなければ成らないが、法律は君主を責問する力は持っていない。しかも、不敬をもってその身体を干涜(干渉し冒涜すること)のみならず、指差して非難したり議論したりする対象外とする。


◆◆◆ 第四条 ◆◆◆

第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う(天皇は国家元首であり、統治権を統合して掌握し、憲法の規定により統治を行う)

 謹んで思うには、統治の大権は、天皇がこれを祖宗から受け継ぎ、子孫に伝える立法行政百揆の事など。おおよそ国家に臨御し(帝位について治めること)、臣民を綏撫(安心するように抑えしずめること)するところの者は、一に皆、これを至尊に全てその綱領を集めるのは、例えば人の身に四支百骸(手足と骨)があって、精神の経絡は全てその水源を首脳に取る事と同じで有る。故に大政の統一は、あたかも人心が二つも三つも無いのと同じで有る。ただし、憲法を親裁し君民が共に守る大典とし、その条規に尊由して誤らず取りこぼさずの盛意(有難い思し召し)を明らかにされるのは、即ち自ら天職を重んじて世運と共に永遠の規模を大成する者で有る。蓋し、統治権を総攬するのは、主権の「体」である。憲法の条規によってこれを行うのは「用」である。「体」があって「用」が無ければ、これを専制に失ってしまう。「用」があって「体」が無ければ、これを散漫に失ってしまう。
附記:欧州で最近、政治理論を論ずる者の説に言うには、「国家の大権は大別して二つで有る。立法権・行政権であり、司法権は実に行政権の支派である。三権各々その機関の輔翼によってこれを行う事は、ひとえに皆元首に淵源する。蓋し、国家の大権は、これを国家の体現で有る元首に集めれば、これによってその生機を持つことが出来なくなる。憲法は即ち国家の各部機関に向けて適当な定分を与え、その経絡機能を持たせるものであって、君主は憲法の条規によって、その天職を行う者で有る。故に彼のローマで行われた、無限権勢の説はもとより、立憲の主義ではない。そして西暦18世紀の末に行われた三権を分立して君主は特に行政権を執行するとの説の如きは、国家の正当なる解釈を誤るもので有る」と。この説は我が憲法の主義と相発揮するに足る物があるので、ここに附記して、参考に当てる。


◆◆◆ 第五条 ◆◆◆

第五条 天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行う(天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する)

 謹んで思うには、立法は天皇の大権に属しており、そして、これを行使する時は必ず議会の協賛の上で行使する。天皇は、内閣に起草させ、或いは議会の提案により、両院の同意を経た後に、これを裁可して始めて法律を作る事が出来る。故に至尊は独り行政の中枢であるばかりでなく、また立法の淵源でもある。
附記:これを欧州の状況を参考すると、百年以来、偏理の論(偏った理論)が時の移り変わりと投合して、立法の事を主として議会の権利に所属させ、或いは法律を以て上下の約束として君民共同の事柄とすることを重点にするのは、要するに主権統一の大義を誤るもので有ることを免れない。我が建国の体にあって国権の出所は、一があって二が無いのは、たとえば、主の一つの意思は、よく百骸(体全体)をしし指使(指揮して人を使うこと)するようなもので有る。議会の設置は、元首を助けて、その機能を完全にし、国家の意思を精錬強建(よく鍛え、強くすること)にしようとする効用を認めるのにほかならない。立法の大権は、もとより天皇の統合掌握されるところであり、議会は協翼参賛(共同し力をあわせて賛同すること)の任にある。本末の関係は厳然として、乱れるようなことをしては成らない。


◆◆◆ 第六条 ◆◆◆

第六条 天皇は法律を裁可し其の公布及び執行を命ず(天皇は法律を裁可して、その公布と執行を命じる)

 謹んで思うには、法律を裁可し、形式に則って公布させ、執行の処分を命令する。裁可によって立法行為を完結し、公布により臣民尊行の効力が生じる。これは、全て至尊の大権である。裁可の権限が至尊に属するもので有るときは、裁可しない権限もこれに従う事は、言わずと知れたことで有る。裁可は天皇の立法における大権の発動するところで有る。故に議会の協賛と経ていると言えども、裁可が無ければ法律として成立しない。蓋し、古の言葉に「法を読みて、宣(のり)とす」と播磨風土記に云う。大法山[いま、名勝部岡]品太天皇(ほむたのすめらみこと)[応神天皇]「この山において大法を宣られた。故に大法山という。」との言葉は、古伝遺族を徴明(しるしを明らかにする)する一大資料で有る。そして、法律は即ち王言であることは、古人が既に一定の釈義があって、誤る事は無い。
附記:これを欧州の論を参考してみると、君主が法案の成議を拒む権限を論ずる者、その説は一つではない。英国においては、これにより君主の立法権に属し、三体[君主及び上院下院をいう]の平衡の兆證とし、仏国の学者は、これにより行政の立法に対する節制の権限とする。控えめに見て彼の所謂、拒否権は消極的な主義であり、法を立てる者は議会であり、これを拒否する者は君主で有る。或いは、君主の大権により行政の一偏に局限し、或いは君主は立法の一部分を占領させる論理に出る者であるに過ぎない。我が憲法は、法律は必ず王命によるという積極的な主義を取るもので有る。故に裁可により始めて法律として成立する。それは、ただ王命による故に、従って裁可しない権限もあり、これは、彼の拒否の権と似ているが、実は天と地の差があるものである。


◆◆◆ 第七条 ◆◆◆

第七条 天皇は帝国議会を召集し其の開会閉会停会及び衆議院の解散を命ず(天皇は帝国議会を召集し、その開会・閉会・停会及び衆議院の解散を命じる)

 謹んで思うには、議会を召集するのは、もっぱら至尊の大権に属する。召集によらず議員自らが会集するのは、憲法の認めるところでは無い。そして、その議論・議決する全ての事は、効力が無い。
 召集の後の議会を開閉し、両院の終始を制御するのは、また均しく至尊の大権による。開会の初、天皇自ら議会に臨み、または特命勅使を派遣して勅語を伝えさせるのを形式とし、そして議会の議事を開始するのは、必ずその後に行う。開会の前・閉会の後において議事を行う事は、全て無効にする。
 停会は、議会の議事を中断させることで有る。期限のある停会は、其の期限を経て会議を継続する。
 衆議院を解散するのは、さらに新選の議員に向って、与論の所属するところを問う事とで有る。これに貴族院を対象にしないのは、貴族院は停会すべきであり、解散すべきで無いからで有る。


◆◆◆ 第八条 ◆◆◆

第八条 天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避くる為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代わるべき勅令を発す
この勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すべし若議会に於て承諾せさるときは政府は将来に向て其の効力を失うことを公布すへし
(天皇は公共の安全を保持し、その災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合は、法律に代わる勅令を発する
この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない)

 謹んで思うには、国家の一旦急迫が発生した時や国民に凶荒な疫病が発生したり、その他災害が発生した時は、公共の安全を保ち、その災厄を予防救済するために力の及ぶ限り必要な処分を施さなければならない。この時に議会が偶々開会していなければ、政府は進んでその責任を司り勅令を発して、法律に代え手抜かりの無いようにするのは、国家の自衛と保存の道において、もとより止むを得ざるものである。故に前五条において立法権の行用は議会の協賛を経てと言ったのは、その常の状態を示したのであり、本条に勅令を法律に代える事を許すのは、緊急時の為に除外される例を示す物で有り、これを緊急命令の権とする。よくよく緊急命令の権は憲法の許すところであり、また憲法のもっとも乱用を戒めるところである。憲法は公共の安全を保持し、又は災厄を避けるために、緊急で必要な限りこの特権を用いることを許し、そして利益を保護し幸福を増進するという通常の理由により、これを乱用することを許さない。故に緊急命令は、これを発令するときに本条に準拠することを宣言する事を形式とすべきである。もし、政府がこの特権に託し容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の法律を破壊するに至る事があれば、憲法の条規は空文に帰し、一つも臣民の為に保障をなすことが出来なくなる。故に本条は、議会にこの特権の監督者としての役割を与え、緊急命令を事後に検査して之を承諾させる必要のある事を定めた。
本条は憲法の中で疑問の一番多いものだ。今、逐一問いを設けて之を解釈しようと思う。
第一、この勅令は法律の欠けている部分を補充する事に止まるのか、又は現行の法律を停止し変更し廃止する事が出来るのか。
曰く、この勅令は既に憲法により法律に代わる力を持っている時は、おおよそ法律が出来る事が出来るのは、すべてこの勅令の出来る事である。ただし、次の会期において議会がもし承諾しなかったときは、政府はこの勅令の効力が失われる事を公布すると同時に、その廃止又は変更した法律をすべ元の状態に戻さなければならない。

第二、議会において、この勅令を承諾するときは、その効力はどのようになるのか。
曰く、更に公布しなくても、勅令は将来に渡って法律としての効力を継続する。

第三、議会において、この勅令の承諾を拒むときは、政府は更に将来効力を失う旨の公布しなければならない義務を負うのは何故か。
曰く、公布によって始めて人民が尊由する義務を解く事が出来るからで有る。

第四、議会はどのような理由により、その承諾を拒む事が出来るのか。
曰く、この勅令が憲法に矛盾し、又は本条に掲げた要件(緊急かつ議会が閉会中)を満たしていない事を発見した時、又はその立法上の意見によって承諾を拒む事が出来る。

第五、この勅令を政府がもし次の会期に議会に提出しなかったとき、或いは議会が承諾を拒んだ後、政府が廃止するとの命令を発令しない場合は、どのようになるのか。
曰く、政府は憲法違反の責任を負う事になる。

第六、議会がもし承諾を拒んだときは、以前に遡って勅令の効力の取り消しを求めることが出来るのか。
曰く、憲法は、既に君主が緊急勅令を発して法律に代える事を許している。その勅令が存在している間は、その効力を有する事は当然で有る。故に議会がこれを承諾しないときは、単に将来法律として継続して効力を持つ事を拒む事が出来るだけであり、そして、過去に拒否の効力を及ぼす事は出来ない。

第七、議会は、勅令を修正した後承諾する事が出来るのか。
曰く、本条の正文によれば議会は、これを承諾するか承諾しないかの二つに一つを選ぶ事が出来るだけである。だから、これを修正する事は出来ない。


◆◆◆ 第九条 ◆◆◆

第九条 天皇は法律を執行するために又は公共の安寧秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更する事を得ず(天皇は、法律を執行するため、又は公共の安寧と秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発令するか発令させる事が出来る。ただし、命令で法律を変更する事は出来ない)

 謹んで思うには、本条は行政命令の大権を掲げたもので有る。蓋し、法律は必ず議会の協賛を経て、そして命令はもっぱら天皇の裁定によって出る。命令の発令するところの目的は二つ有る。一つは、法律を執行するための処分並びに詳説(詳しい説明)を既定する。二つ目は、公共の安寧・秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為の必要において行う。これは全て行政の大権により、法律の手続きによらずに一般尊由の条規を設ける事が出来る。蓋し、法律と命令とは、均しく臣民に尊守の義務を負わせるものである。但し、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更する事が出来ない。もし、双方が矛盾する事態になったなら、法律は常に命令の上に効力を有すべきである。
命令は、均しく至尊の大権による。そして、その勅裁にでて親署を経るものを勅令とする。その他、閣省(内閣と省庁)の命令は、全て天皇大権の委任による。本条に命令を発令し、または、発令させるというのは、この両方の命令を兼ねて言い表している。
前条に掲げた緊急命令は、法律に代わる事が出来るが、本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、又は、法律の欠けている部分を補充する事が出来るけれども、法律を変更し、及び憲法に特に掲げて法律を要するところの事件を既定する事は出来ない。行政命令は常に用いる物であり、緊急命令は変事に用いるものである。
附記:これを欧州の論を参考にすると、命令の久息を論ずるものは、その主義は一つだけではない。
第一にフランス・ベルギーの憲法は、命令の区域をもっぱら法律を執行するのに止め、そしてドイツの憲法は、またこれを模倣したのは君主の行政の大権を狭局(狭い局所)の範囲の中に制限するという誤った考えである事を免れない。蓋し、所謂行政はもとより法律の条規を執行するのに止まらず、なんとなれば法律は普通準縄の為にその大則を定める能力があって、そして様々な事物の活動に対して、逐一それに応じた処置を指示する事は出来ないのは、あたかも一個人の予定する志は、行動の芳香を指導すべきだと言っても、変化は極まりない事情に順応して、その機宜を誤らないのは、また必ず臨時の思慮を要す事と同じである。もし、行政で法律を執行する限りの所で止まらせると、国家は法律が欠けた部分において当然職責をつくすための根拠がない事になる。故に、命令は独り執行の作用に止まらず、時宜の必要に応じて、その固有の意思を発動することである。
第二に法理を論じる者は、安寧・秩序を保持する事が、行政命令の唯一の目的とする者があるのは、これまた行政の区域を定めるのに適当な釈義を欠く者である。蓋し、古の欧州各国政府は、安寧を保持するのを最大の職責とし、内治においては、ひとえに仮初に主としたのであり、人文が漸く開け政治が益々進むに及んで、始めて経済及び教育の方法により、人民の生活及び知識を発達させ、その幸福を増進する事の必要性を発見するに至った。故に行政命令の目的は、独り警察の消極的手段に止まらず、更に一歩を進めて経済上で国民を富殖し、教育上でその知識を開発する積極的手段を取る事を務めなければならない。但し、行政はもとより各人の法律上の自由を犯すべきではない。その適当な範囲で勤導扶掖して、その発達を喚起すべきである。行政はもとより法律が既に制定した限界を離れないようにして、法律を保護し、それにより国家の職責を当然の区域の内につくすべきである。


◆◆◆ 第十条 ◆◆◆

第十条 天皇は行政各部の官制及び文武官の俸給を定め文武官を任免す但し此の憲法又は他の法律に特例を掲げたるものは各々其の条項に依る(天皇は、行政各部の官吏の制度、及び文武官の俸給を定め、文武官を任免する。但し、この憲法、又は他の法律で特例を既定した場合は、その条項に従う。)

 謹んで思うには、至尊は建国の必要から、行政各部の官局を設置して、その適当な組織及び職権を定めて、文武の人材を任用したり罷免したりする大権を執る。これを上古に見てみると神武天皇が大業を定めて国造・県主をおいた事が立官として始めて歴史にみえるものである。孝徳天皇が八省を置いた事で、職官が大いに整備された。維新の初に大宝律令の官制は旧式であるため、職官を増減した。その後、数度の更新拡張を経て、官制及び俸給の制度を定められた。そして、大臣は天皇が親しく任免し、勅任以下の高等官は、大臣の上奏により最下を経てこれを任免する。均しく全て至尊の大命に出ないものは無い。但し、裁判所及び会計検査院の構成は、勅令によらず法律でこれを定め、裁判官の罷免は裁判により行うのは、憲法及び法律の掲げる特例によるものである。
官を分割し職を設ける事は、既に王者の大権に属するときは、俸給を給与することも、大権に付属すべきである。
附記:これをドイツの歴史上の事柄を検討すると、昔、官吏の任免はもっぱら君主及び長官の随意に任せていて、十七世紀になって帝国大裁判所の裁判官は、裁判によらなければその官を免ずる事が出来ないとし、この原則を帝国参事官にも適用した。その後、十八世紀に至って行政官吏の任職もまた、その確定権利に属すると言う節が行われ、往々にして、各国が法律に採用するところとなったが、十九世紀の初に、官吏は俸給について確定の権利が有るといっても、その職についてこれを有することなし。故に俸給又は恩給を与えて、その職を罷免するのは、行政上の処分でたるという主義を論じる者が有る。この論理は、主にバイエルンの官吏の職制法の掲げる所である。政府は、懲戒裁判によらずに行政上の便宜によって、官吏の官階及び官階俸を残して、その職務及び職務俸及び職服を解くことを得させた。[1818年法]。ただ独り英国は、ドイツ各国とはもともと異なっていて、ある一部の官吏を除く他は、君主の随意に文武官を任免する特権があるものとしているのは、今も昔の通りである。


◆◆◆ 第十一条 ◆◆◆

第十一条 天皇は陸海軍を統帥す(天皇は陸海軍を統率する)

 謹んで思うには、太祖は実に神武(神の武力)をもって帝国を建国し、物部・靫負部・来目部を統率して、後を継いだ歴代の天皇も内外に事が起これば、自ら兵を率い征討を自ら行い、或いは皇子皇孫を代わりに行かせ、そして臣連の二造はその副将である。天武天皇は兵政官の長をおき、文武天皇は大いに軍令を修め、三軍を統率するのに大将軍が一人いる。大将の出征には必ず節刀を授ける。兵馬の権は朝廷にあり、その後は兵事が武門に移り、政治の大綱がそれによって衰えた。
今上中興の始め、親征の詔を発して、大権を総攬し、それ以後兵制を改革し、長年の悪弊を洗い除き、帷幕の本部を設け、自ら陸海軍を統率された。そして、祖宗の光り輝く功績を再びその昔にかえすことが出来た、本条は兵馬の統一は、至尊の大権で、もっぱら帷幄の大令に属すことを示している。


◆◆◆ 第十二条 ◆◆◆

第十二条 天皇は陸海軍の編成及び常備兵額を定める(天皇は陸海軍の編成と常備軍の予算を定める)

 謹んで思うには、本条は陸海軍の編成と常備兵額もまた天皇が親裁する所であることを示している。これは、もとより責任大臣の輔翼によるといっても、帷幄の軍令と均しく至尊の大権に属すべきであり、そして議会の干渉受けないものである。所謂編成の大権は細かく言えば、軍隊や艦隊の編成及び管区・方面から兵器の備用、給与、軍人の教育、検閲、紀律、礼式、服制、衛戍、城塞及び海防、守港並びに出師準備の類、全て大権の中にある。常備兵額を定と言うときは、毎年の徴員を定めることもまた、その中にある。


◆◆◆ 第十三条 ◆◆◆

第十三条 天皇は戦を宣し和を講じ及び諸般の条約を締結す(天皇は宣戦布告を行い、講和条約を結び、その他の条約を締結する。)

 謹んで思うには、外国と交戦を宣告したり、和親を講盟したり、条約を締結したりする事は、全て至尊の大権に属し、議会の参賛は不要である。これは、一つ目は君主は外国に対して国家を代表する主権の統一を欲し、二つ目は和戦及び条約の事は、もっぱら時機に応じて謀は迅速であることを尊ぶことによる。諸般の条約とは、和親、貿易、連盟の約束をいう。
附記;欧州の旧例では、中古各国の君主は、往々にして外交の事を自ら行い、英国のウイリヤム三世のごときは、自ら外務長官の任に当たり当時の人は、その外交事務に長じたことを賞賛した。近年立憲主義が漸く進歩したことにより、各国の外交の事務は、責任大臣の管掌に属し君主はその輔翼によりこれを行う事は、他の行政事務と同じになった。ナポレオンがフランスの執権であった時、両国の講和の所管を作り、直ちに英国の君主に送ったが、英国はその書簡を受けて、外務執政(外務大臣)の書によって、これに答えた。今日国際法においては、慶弔の親書を除く外は、各国交際条約の事は、全て執政大臣を経由することを列国は是認している。本条の掲げた所は、もっぱら議会の干渉によらず天皇は、その大臣の輔翼により外交事務を行う事を言っている。


◆◆◆ 第十四条 ◆◆◆

第十四条 天皇は戒厳を宣告す(天皇は戒厳を宣告する)
 戒厳の要件及び効力は法律を以て之を定(戒厳の要件及び効力は法律によって定める)

 謹んで思うには、戒厳は外敵・内変の時機の臨んで常の法律を停止し、司法及び行政の一部を挙げて、これを軍事的処分に委ねるものである。本条は戒厳の要件及び効力を法律の定めるところとし、その法律の条項に準拠して、時に臨んでこれを宣告したり、又はその宣告を解除したりするのは、至尊の大権に帰す。要件とは、戒厳を宣告する時機及び区域における必要な範囲及び宣告するために必要な規程をいう。効力とは、戒厳を宣告した結果により権力の及ぶ限界をいう。
包囲した地にあって、戦権を施行し臨時に戒厳を宣告することは、これをその地の司令官に委ね、処分してのちに上申することを許す。これは法律において便宜的に至尊の大権を将帥に委任するものである。[十五年三十号布告]


◆◆◆ 第十五条 ◆◆◆

第十五条 天皇は爵位勲章及び其の他の栄典を授与す(天皇は爵位、勲章、及び其の他の栄典を授与する)

 謹んで思うには、至尊は栄誉の源泉である。蓋し、功績を賞賛し、労に報い、卓越した行いや善い提案を表彰し顕栄の品位記章及び殊典を授与するのは、もっぱら至尊の大権に属する。そして臣下が盗み弄ぶ事は相容れないものである。わが国の太古は簡単で素朴な世の中で、姓(かばね)を用いて貴賎を分けていた。推古天皇が始めて冠位十二階を定めて諸臣に分け賜れた。天武天皇は四十八階を定められ、文武天皇は賜冠を廃止して変わって位記を用いた。大宝令が掲載するところ、おおよそ三十階。これは今の位階の始まりであり、また勲位十二等は武功を賞し、及び孝弟力田の人に賜った。中古以降は武門の専権の時代で、賞罰の事柄は幕府に移ったといっても、叙授の儀典は朝廷に属する事は失われず、維新の後に明治二年には位制を定めて一位より九位に至る。八年には勲等の賞牌の制を定め、十七年には五等爵の制を定めた。これは全て賞奨を明らかにして顕栄の大典を示すものである。


◆◆◆ 第十六条 ◆◆◆

第十六条 天皇は大赦特赦減刑及復権を命す(天皇は、大赦、特赦、減刑及び復権を命令する)

 謹んで思うには、国家は既に法廷を設け、司法を置き正理公道で平等に臣民の権利を保護させる。そして、なお法律が未だに諸般の事情を事細かに出来ず、時には犯人の事情により同情すべき者がある。立法および司法の行為により、不足を補えないことを恐れる。故に恩赦の権は、至尊の情け深い特典で法律の及ばないところを補い、民に温情を得られない者が無いようにするためである。
大赦は、特別の場合に特別な恩典を施行するものであり、一つの種類の犯罪に対してこれを赦す。特赦は一個人の犯人に対してその刑を赦す。減刑は、既に宣告された刑を減ずる。復権は既に剥奪された公権を復ことである。

第四条以下第十六条に至るまで、元首の大権を列挙する。よくよく元首の大権は、憲法の正条でこれを制限する他は、及ばない所が無い事は、あたかも太陽光線の遮蔽の外に映射される所が無いことと同じである。これはもとより、逐一列挙されることによって存在するわけでない。そして憲法に掲げる所は、既にその大綱を挙げ、またその節目の中の要領を羅列して標準を示すに過ぎない。故に貨幣鋳造する権や度量を定める権などは、いちいちこれを詳らかにする必要がなく省略しているだけで、これらを包括する所のものである。


◆◆◆ 第十七条 ◆◆◆

第十七条 摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る(摂政を置くのは皇室典範の定めるところによる)
 摂政は天皇の名に於て大権を行う(摂政は天皇の代理として大権を行使する)

 謹んで思うには、摂政は天皇の職務を代わって行う。故に凡そ至尊の名分を除く外は、一切の大政全てを天皇の代理として行い、及び大政に付いてその責務を任される事は天皇と同じである。但し、第七十五条の場合に制限する所が合うことを除けば、「天皇の名に於いて」というときは、天皇に代わってといえるのと同じである。蓋し、摂政の政令は即ち天皇に代わりこれを宣言し布告することである。
摂政を置くのは、皇室の家法による。摂政として王者の体験を総攬する事は、こと国憲に係る。故に後者はこれを憲法に掲げて、前者は皇室典範の定める所による。蓋し、摂政を置くことの逃避を定めるのは、もっぱら皇室に属すことであり、そして臣民が容喙することでは無い。よくよく天子に違例の事があり、政治を自ら行うことが出来ない事は、稀に見る変局であり、そして国家動乱の機会もまた、往々にこういった時期に内在している。彼の或る国では、両院で協議し摂政を設ける必要性を議決することを憲法に掲げるような事は、皇室の大事を民議の多数に委ね皇統の尊厳を干渉し冒涜する糸口を啓く者に近い。本条は、摂政を置く要件を皇室典範に譲り、これを憲法に載せないのは、もっぱら国体を重んじ、僅かなことにも用心して大事を防ぎ兆を慎む。

出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm

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