ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

国家再建のためのメモ

2008年11月24日 | 教育・文化

 

これまでこのブログでも何度か書いた記事で、国家の再建に関わる事柄について、備忘録をかねてメモ書きしておこうと思う。後ほど、さらに論点を深めることができればいい。

一、腐敗し堕落した政党政治の再構築。選挙談合型利権屋政治から、政界を再編して理念追求型の自由党と民主党の政治へ。自由主義者は自由党へ民主主義者は民主党へ。自由主義は資本主義の立場に近く、民主主義は社会主義の立場に近い。二者相互の緊張関係と切磋琢磨でいずれも国民ために尽くす国民政党であること。国会議員の定数削減をはかり、政治家をモラルと見識における真の選良に限る。日本の政治をまともな「政党政治」に値するものにして行くこと。

一、立憲君主国家体制の追求。自衛隊と防衛省をそれぞれ国防軍と国防省に発展改組すること。同時に国民皆兵制度を確立する。封建時代は武士階級だけだったが、民主国家においては全国民すべてが国防の権利と義務と責任とを担う。

一、大学、大学院の改革。―― 官僚、政治家の資質低下、マスコミや教育の退廃と堕落、今日の国民におけるカルト、新興宗教の蔓延の傾向は、いずれも小中高教育の根幹をなす大学および大学院の教育能力の劣化、退廃によるところが大きい。公教育がその防波堤になりえていないためである。大学・大学院におけるヘーゲル、カント哲学の再興による弁証法教育、哲学科学教育を確立すること。教育立国を実現する。文部科学省、教育委員会、日教組を解体し、教育革命によって、根本から国民教育を再建してゆく。

一、国家体制、憲法の研究。とくにイギリスの立憲君主制国家、スイス、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノールウェイなどの欧州、北欧諸国の政治経済制度、国家行政機構、憲法、学校教育、宗教などの研究。国会内に専門的な研究チームを立ち上げて本格的な研究に取りくませ、日本の道州制の実現に向けた指針を与える。明治維新以来の日本の国家体制の再構築のために都道府県制から道州制へと転換する。その際に、道や州は経済実力的には北欧諸国の一国に相当するものとして市民社会を構成する。

一、政治風土、政治文化の改革。とくに自民党政治家に見られるような、飲み食い、飲酒のなれ合いもたれ合いの湿った政治家の世界に、合理と能率の乾いた風を通すこと。二世三世議員の輩出も同じ文化的な土壌が゛背景にある。政治家の会合での飲み食いは原則廃止(せいぜいお茶・コーヒー程度)し、政治家・官僚の記者会見も、演説テーブルを使って原則立ったままで行う。座ったままでの記者会見は行わない。

一、社会資本の整備と充実を図る。道路やダム、その他の「箱もの」建設業やその他すでに衰退産業となった地方のローテク産業などスクラップアンドビルドの転換を図り、新規産業分野の開発と、産業構造の根本的な改革をはかる。雇用対策、不景気対策として取り組むべきは、ハイテク、バイオ、自然エネルギーなどの新事業の発掘、電気ガス水道などのライフラインの地中一括埋め込みなどの社会資本充実事業、都市農村の景観改善事業、ビオトープなどによる河岸美化と管理など。アメリカニューディール政策並に、不況対策の国家的プロジェクトとして実行する。

一、二兆円にものぼる定額給付金などの無効無策の経済対策ではなく、雇用機会と税収増加の見込める新規産業、夢ある未来産業の研究開発に取り組む。給付金は国民から自立心を失わせ、依頼心を増長させるだけ。政治家と官僚は夢と実ある政策研究にそのない頭を絞れ。

 

 

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ソフトバンク孫正義氏にみるグローバリズム

2008年11月03日 | ニュース・現実評論
 

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ソフトバンク、お披露目

ソフトバンク孫正義氏にみるグローバリズム

ソフトバンク社はパソコンやインターネットの普及にともなって発展してきた会社である。この会社を率いてきたのは孫正義氏である。かって電信電話事業が旧国鉄と同じように電電公社という特殊法人による独占的な企業体だったころから電気通信事業に新規参入し、さまざまな規制の壁と闘いながら、インターネット事業の開拓において先駆的な役割を担ってきた。

ソフトバンク社の経営者として孫正義氏が登場してきた時代の背景は、小泉元首相が郵政民営化を掲げて登場してきたときと重なっている。それはアメリカの金融資本が、日本の証券市場において利益を獲得するために、日本の商業慣行や閉鎖的とされた金融システムに国際標準規格を持ち出して、強く国際化グローバル化を迫り要求してきた時代と軌を一にする。

大蔵省の護送船団方式にあぐらをかいて遅れをとっていた日本の金融システムや旧郵政省の傘下にあって巨大化した郵便局銀行、簡易保険と旧電電公社に代表される通信事業などは、官僚行政によって保証された独占事業のゆえに、国内的にも消費者や国民の要求に応えられないようになっていた。

すでに巨大銀行と化した郵便局に預けられた国民の膨大な預貯金は、財政投融資資金として、また国会の規制の届かないもう一つの国家予算として特別会計に組み入れられ官僚の裁量のままだった。また、とくに自民党の経世会族議員らに仲介されて不況下の公共事業対策として、赤字国債の購入などに当てられ、その資金は地方の土木建築業者らに垂れ流しされた。そのために放漫赤字財政を招き、それが幾世代に渡ってつけ回しすることになるほどに背負いきれない赤字財政になっていた。

そうした中で小渕恵三元総理大臣が「世界の借金王」とうそぶきながら過労で病死したこともそれほど昔のことではない。政治家や官僚たちは、国民全体の奉仕者であるべきという日本国憲法の規定に反して、むしろその「利権集団化」が進行し、天下りや口利きなどによる搾取と寄生化が一段と深刻になった。

バブル経済の崩壊後に、「失われた十年」として何ら効果的な政策を打ち出せなかった旧来の自民党政治家に代わって、「自民党をぶっ壊す」と言いながら登場した小泉元首相は、自由競争と市場原理の信奉者である竹中平蔵慶応大教授を特命大臣に任命し、金融機関に国税を投入してようやく不良債権問題に決着のめどをつけたのである。アメリカ・グローバリズムの申し子竹中平蔵氏は、アメリカ留学中に学んだ経済学理論によってその使命を果たし、崩壊の危機にあった金融機関を公的資金の導入によって不十分ながらも立て直した。

その竹中平蔵氏が「小泉郵政民営化総選挙」の折りに、Tシャツに「改革」と白く染め抜いた、かっての ライブドアの社長、ホリエモンこと堀江貴文氏を応援して歩いたことはまだ記憶に残されている。堀江貴文氏は 自民党の公認を得て、岡山県の亀井静香候補の地元から刺客候補として立候補していた。その堀江氏は落選はしたが、氏が若き経営者として絶頂期にあったとき、一月の家賃が二百万数十万円もする六本木ヒルズの高級マンションに住まい、「金で買えないものは何もない」などと週刊誌に語ったことも記憶にあるはずである。この堀江貴文氏などが、伝統的な日本の文化、価値観から外れたアメリカグローバリズムの悪しき申し子であったことは明らかである。竹中平蔵氏などにも、国税の賦課を免れるために、住民票を国外に移したとかいう噂もある。

確かに、アメリカから吹いてきたグローバリズムの風は、預貯金者のサービスに背を向けたままで閉塞していた日本の金融業界や、インターネットなどの電気通信事業に風穴を明け、たとえ外圧的にではあれ、事業の効率化と消費者へのサービス向上に寄与したことは明らかである。

一方それにともなって、国民の間に経済格差が広がり、階級格差ともいえる貧富の差が、また、ワーキングプアーと呼ばれるような、労働行政の欠陥の犠牲者も増えている。本来は、小泉元首相の実行した「規制緩和」――しかし、それも中途半端な――のあとに、安倍元首相などが十分なセーフティーネットを構築すべきはずだったのに、それにも失敗している。

いずれにせよアメリカ発のグローバリズムは、その住宅投資銀行やリーマンブラザースなどの経営破綻によって引き起こされた金融危機で明らかになったように、アメリカの金銭崇拝文化と分かちがたく結びついている。破産した投資銀行の社長が従業員の犠牲の上に、何百億ドルの報酬を手に入れることなど、とうてい日本の企業文化とは相容れないものである。先の堀江貴文氏などは、愚かにもこのアメリカグローバリズムの波に乗って、率先してアメリカの金銭崇拝文化の信者になった一人にちがいない。

グローバリズムの到来は避けることはできない。問題はそれに付随するアメリカニズム、その利己的な金銭崇拝文化から、伝統的な価値観、生き方としての文化など、どのようにして日本の文化防衛を果たして行くかである。

携帯電話市場で快進撃を続けているらしいソフトバンク社の孫正義氏が、コマーシャルに登場する女優のお二人に、一台一千万円もする携帯端末をプレゼントしたそうである。しかし、孫正義氏にも頭を冷やして考えてほしい。子供の学校給食費さえ払えない家庭が増大しているなかで、ダイヤを散りばめた携帯電話端末がどういう意味を持つか。日本の文化にそうしたマモニズムを、金銭崇拝を助長するような行為は、日本の先進的な経営者として倫理的にも正しいのだろうか。孫正義氏にそれを問うことははたして無意味か。

また、そもそも戦後生まれの女優のお二人にも、対価のないプレゼントを拒むだけの気位を彼女たちに期待するのも無理な話か。

ただ、心ある日本人に訊ねてみたいことは、プレスリーの崇拝者、小泉元首相によって持ち込まれたアメリカグローバリズムから日本の伝統的な価値観、文化をどのように防衛してゆくか、という問題である。

 

 

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