「砂川事件」最高裁判決は、多くの憲法学者たちが、「統治行為」論で、駐日米軍の違憲性判断を回避した判決として紹介している。それにもかかわらず、木村草太教授が、『憲法と自衛隊』において、「砂川事件」最高裁判決を統治行為論として読んでいないことは、私は評価したい。http://agora-web.jp/archives/2029642.html もっとも木村教授の意図は、安保法制には訴訟リスクがある、「政府の側が、『裁判所はどうせ見逃してくれるだろう』と考えているとしたら、見通しが甘すぎます」(86頁)、という脅しのようなものをかけることにあったようだが。
 
しかし木村教授が、「砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)と述べている点については、私は疑問を呈する。少なくとも、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を否定したところは、全くない。合憲性を前提にしていたと考えるのが自然だ。http://agora-web.jp/archives/2032483.html
 
すでに指摘したことがあるが、現代の憲法学者は、砂川判決が集団的自衛権は合憲だ、という議論を展開していないことをもって、砂川判決は集団的自衛権を認めていない、という結論の根拠にしようとしているように思う。しかしそれは典型的なアナクロニズムの陥穽である。1959年砂川判決が、1972年内閣法制局見解を明示的に否定していないことは、前者が後者と同じ立場に立っていたことの証明にはならない。なぜなら1959年の人々は、1972年の内閣法制局の見解を知らず、別の時代の思潮に生きていたからだ。明示的に集団的自衛権を合憲だと主張していなくても、当然合憲であろうと推察している場合は、ありうる。1959年当時、集団的自衛権は違憲だ、という議論それ自体がほとんど存在していなかったのだから。
 
木村教授は、砂川判決は、「日米安保条約に基づく米軍駐留の合憲性を判断したもので」、「『憲法9条の下で許される「自衛のための措置」の中には「他国に安全保障を求めること」が含まれる』と言ったのみ」だと主張する(8182頁)。木村教授は、さらに、砂川判決が憲法92項が自衛隊の合憲性を認めているか否かは事件解決とは無関係だという趣旨のことを言っていることをもって、「個別的自衛権行使の合憲性すら判断を留保しているのですから、砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)、と、率直に言って、論理を超越して、感情に訴える印象論の話を前面に出して、自己の判決解釈の正統性の根拠にしようとする。
 
注意して、この木村教授の言説を見てみよう。砂川判決は、92項の「戦力」は、「わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」と述べた。米軍は、日本が指揮権・管理権を持っていないがゆえに、92項違反になりえないという論理である。木村教授は、これをもって、砂川判決は「他国に安全保障を求めること」の合憲性を示した、と解説する。
 
ところが木村教授は、日本国憲法は集団的自衛権を認めない、と主張する際に、憲法73条が定める内閣の権限に集団的自衛権が含まれえないのは、「行政権」が「国内支配作用」=「国家が国民を支配する作用」だけにかかわるものだからだ、と主張していた。つまり個別的自衛権だけは「国家が国民を支配する作用」なので合憲だが、集団的自衛権はそのように言えないので違憲になる、という主張である。
 まとめてみよう。
木村教授によれば個別的自衛権だけは「国内支配作用」である。ところで在日米軍は日本の管理権が及ばないものである。もし日本の管理権が及ばないものに対する攻撃をもって日本が個別的自衛権を発動して武力行使をするとしたら、それは「国家が国民を支配する作用」とは言えないので、木村教授にしたがえば、そのような仕方での個別的自衛権の発動は、違憲だということになる。つまり木村教授によって、日米安全保障条約にもとづいて駐留する米軍への攻撃を持って個別的自衛権を発動するのは、違憲でなければならない。つまり米軍基地への攻撃があっても、日本は何もすることができない。
 米軍は日本の管理下になくても、米軍が使っている土地は日本の領域内にあるので、個別的自衛権発動でいいのだと主張するとしたら、結局、日本にできるのは米軍が使っている土地を守ることだけで、米軍を守ることはできない、そのようなそぶりを見せたら違憲だ、ということになる。もちろん実際には、米軍を守らず、土地だけを守る、などということは、机上の空論でしかない。
 こうして木村教授は、日米安全保障条約が依拠する前提を否定しようとしているのだが、そのことは自分自身では語らない。
問題の整理すら、行わない。ただ一方的に仮想敵を侮蔑する言葉を並べるだけである。
 
砂川判決の直後に新安保条約を調印した岸内閣の閣僚は、次のように説明していた。

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「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。」 (岸信介首相)

「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」 (林修三内閣法制局長官)

「国際的に集団的自衛権というものは持っておるが、その集団的自衛権というものは、日本の憲法の第九条において非常に制限されておる、・・・憲法第九条によって制限された集団的自衛権である、こういうふうに憲法との関連において見るのが至当であろう、こういうふうに私は考えております。」(赤城宗徳防衛庁長官)

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これらの国会答弁が、前年の砂川判決をふまえたものであったことは、間違いないだろう。つまり同時代の政治家は、砂川判決を、木村教授が読むような仕方では、読まなかった。同時代の思潮の中に置かれてみれば、砂川判決が、集団的自衛権を否認していないことは明らかだったのだ。
 ただ、現代のイデオロギー対立の中で自分に都合の良い固定された結論を先においてから、推論を組み立てる者であれば、砂川判決が何か違うものであるかのように声高に言ってみたくなる、それだけのことだ。
 
木村教授は、どういうわけか砂川判決が集団的自衛権にふれた部分を全く無視する。しかし、実際の判決が言ったのは、次のようなことであった。

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「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。

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砂川判決が参照し、承認しているのは、1951年日米安全保障条約の次のような文言である。

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平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

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結局、木村教授の議論が錯綜しているように見えるのは、1950年代・60年代当時の人々が素直に認めていたこと、つまり日米安全保障条約は日本の集団的自衛権の権利行使の論理がなければ成り立たない、ということを、何とかして認めないように画策しているためである。
 1950年代・60年代の
人々は、集団的自衛権を何とかして否定しなければならない、という脅迫観念にとらわれていなかったので、柔軟にその権利を行使する日本の姿について語っていくことができた。木村教授は、集団的自衛権を否定しながら、砂川判決は否定せず利用しようとする。そこで自衛権発動の仕方が混乱して見えてしまうとしても、そのことを決して自ら語ろうとはしない。
 
砂川判決の憲法解釈や、その依拠する世界観を、イデオロギー的に批判するのは自由だろう。だが砂川判決の我田引水的な読解を、多勢に無勢で強引に押し切ろうとするのは、知的に誠実な態度だとは言えない。

<続く>