ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立

2012年07月04日 | 政治・経済



メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立


ロシアのメドベージェフ首相が日本の北方領土である国後島を訪問したそうだ。日本の国際競争力の低下、経済の低迷によって国際的な地位がさらに低下して行く一方で、小沢一郎氏が民主党を離党して、野田首相があわてふためいている。こうした国内事情を見透かしたように、ロシアの実効支配を見せつけるかのようなメドベージェフの示威的な訪問だった。

自民党政権時代末期に軽量級のリリーフ首相が年毎に交替したあと、民主党政治家たちによる「子供たちの政治ごっこ」はなお継続している。こうした日本の現在の状況を見れば、諸外国からこれほどの侮りの扱いと軽視を受けたとしても、身から出た錆として文句も言えないのではないか。「一国の政治はその国民の民度の現れに過ぎない」というのは、言い古された西洋の諺である。

ロシアは首相や政権幹部たちの相次ぐ訪問によって、北方領土を日本に返還する意志のないことを明確にした。もういい加減にロシアに対して「北方領土返還という幻想」を日本も捨て去ったらどうだろうか。ロシアには日本に領土を返還するつもりはさらさら無いのだから。

それとも「もう一度日露戦争をやるつもりか」とロシアに領土返還を迫れるかどうか。さもなければ北方領土は戻ってこないと思った方がよい。北方領土返還は幻想に終わる。「本気になって北方領土を取り戻す気も能力ももはや日本人にはない」とロシア人は見透かしているからである。それとも第二次日露戦争をやり抜く覚悟が現代の日本人にあるか。

太平洋戦争の敗北で腰を抜かされた敗戦後の日本が、今なお国家の体を為していないことは言うまでもない。北朝鮮に拉致された同胞をですら半世紀近くも放置したままで、ミサイルを撃ち込んでも拉致された国民を取り返そうという気概すらも見せないような国家と国民を他国が尊敬するはずもない。メドベージェフらが見下げたとしてもやむを得ないのではないか。

とは言うものの、第二次世界大戦であれだけの国家総力戦を戦って敗北した極東の小国が、辿らざるを得なかった戦後の運命にはやむを得ない面もある。国家の面目と栄光を回復するには、一世紀や二世紀は要するのかもしれない。それも民族の資質次第である。

戦後のGHQ政策と共産主義によって、国家への信頼を完全に喪失した世代が去り行き、舞台からいなくなるまでは真の国体は戻ってはこない。その国家回復の象徴とは、アメリカ駐留軍の国内からの完全撤退である。日本の国内からアメリカ兵士が一名たりともいなくなるまで、それまでは日本の敗戦後は終わらない。

北方領土の回復も現状では絶望的であり、それ以上に困難なことは日本の真の独立である。日本国の独立と北方領土の回復がいずれも幻想に終わらないことを祈りたいものである。これら幻想を現実にする障害になっているのはもちろん日本国憲法とアメリカとである。アメリカ合衆国の一州としての日本の属国化はアメリカの国策だった。

それでも一縷の望みがあるとすれば、それはアメリカの国家財政の破綻である。経済の破綻によって「世界の警察官」としての役割をアメリカが放棄せざるを得なくなるとき、極東や欧州からアメリカ合衆国が駐留軍を縮小し撤退せざるを得なくなるとき、その時こそが日本が真に独立を回復する時である。

中国の共産党政府が崩壊して中国大陸が民主化され、旧ソ連が崩壊したときのようにチベット、ウィグルなどが独立したとき、そしてアメリカが財政破綻して、アメリカ国民が国外に軍隊を駐留させる意欲と気概を失うとき、かってのモンロー主義のようにアメリカが北米大陸に回帰せざるを得なくなるとき、そのときこそが日本国の独立回復の好機である。日本国の真の独立のための条件を、こうした国際情勢の変化に見据えて、静かに長き忍耐をもってその準備を万端に整えるべきである。そのときまでは、メドベージェフに交渉のテーブルにつかせることはできない。



メドベージェフ首相、国後島へ到着 「ロシアの領土にとって重要な一部」http://sankei.jp.msn.com/world/news/120703/erp12070316260006-n1.htm


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