【「国民の憲法」要綱 シンポジウム詳報(2)】サッチャーの文民統制見習え
2013.5.16 07:58
≪前 文≫
田久保氏「前文は、最初に憲法全体の性格、最後に決意を表明し、その間で日本の歴史と特徴、意気込み、尊重する価値観、国家目標の『(◆)独立自存の道義国家』を書いた。文学的、哲学的な響きを持つ名文だ」
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第一条(国柄) 日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である。
第二条(国の元首) 天皇は、日本国の元首であり、国を代表する。
第三条(皇位の継承) 皇位は、皇室典範の定めるところにより、皇統に属する男系の子孫がこれを継承する。
第四条(天皇の権能、内閣の補佐および責任)
2 天皇のすべての国事行為および公的行為は、内閣がこれを補佐し、その責任を負う。
第七条(天皇の国事行為および公的行為)
2 天皇は、左の公的行為を行う。
一 伝統に基づく皇室祭祀を行う。
第八条(皇室典範の改正) 皇室典範の改正は、事前に皇室会議の議を経ることを必要とする。
第一四条(国旗および国歌) 日本国の国旗は日章旗、国歌は君が代である。
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国民統合の「象徴」男系維持
≪第一章 天皇≫
≪第二章 国の構成≫
百地氏「現行憲法の問題は、個人があって国家がなく家族がないことだ。国家には2つの側面がある。1つは権力機構で『ステート』。これに対し、歴史的、伝統的な国民の共同体『ネーション』がある。合わせて『ネーションステート』。歴史的な共同体の上に政府が存在するのが近代国家だ。
『国民の憲法』はこの国家観を前提に、第一章で国民共同体としての国家とそれを象徴する天皇、第二章で近代国家の3要素の国民、領土、主権を定めた。
『憲法は権力を縛るものだ』という議論があり、確かに立憲主義は国家権力の乱用を防ぐものだが、それが全てではない。権力機構に対応する憲法の中にも、権力を縛る制限規範と権力そのものを付与する授権規範がある。
国民共同体としての国家を考えると、『国のすがた・かたち』としての憲法が必要だ。『コンスティチューション(憲法)』は国体、国柄という訳語の方がふさわしいとされる。その意味での条文が日本国憲法には存在しない。
そこで、『国民の憲法』第一章は第1条で、わが国の(◆)国柄を明記した。国家は歴史的連続性と空間的広がりで成り立っている。その国家の永続性と国民統合の象徴が天皇。まさに国民共同体としての国家、国柄を示す規定だ。
日本は立憲君主国だ。戦後『共和制だ』という議論もあったが、そうした論議の余地をなくすために、立憲君主国であること、天皇が元首で国を代表することも明記した。立憲君主の特徴は『君臨すれども統治せず』。建前としては権能を持っているが、実際は内閣の輔弼(ほひつ)や助言によって行う。現行憲法は建前の権限まで剥奪し丸腰にした。それでは権威も保てない。『国政に関する権能を有しない』という条項から天皇は一切、政治に関わってはいけないかのような誤解もある。これらを改めた。
天皇の公的行為、いわゆる象徴行為も明記した。国会開会式でのお言葉は、現行憲法でも認められるが、共産党は違憲だとして出席していない。公的行為と明記し、国家、国民のための祈りである宮中祭祀(さいし)も公的行為とした。
第二章では『国の構成』を明らかにした。国家の目的は『国は、その主権と独立を守り、公の秩序を維持し、かつ国民の生命、自由および財産を保護しなければならない』とした。
国民主権も明記したが、現行憲法では国民一人一人が全能かのような誤解がある。そこで、主権は代表者や憲法改正、国民投票法を通じて行使するとした。
『国旗は日章旗、国歌は君が代である』とも明示した。『とする』より、確立しているものを確認するので『である』がよい。
ちなみに聖徳太子は十七条の憲法。『国民の憲法』は117条の憲法。『いいな憲法』と読める」
大原氏「『象徴』という言葉は国民に受け入れられているため採用した。皇位継承は、現行憲法では『世襲』とあるだけ。(◆)女系でも同一の血統なら世襲だとの議論があり混乱を招いている。男系に限定するため『男系の子孫』とした。『男系の男子孫』という意見もあるが、過去に男系の女性天皇が10代8人いた。将来は男系の女性天皇まではあり得るという含みだ。
皇室典範の改正は国会の単純な議決で決まることになっているが、皇室の存在や地位の変更に関わる事柄に皇室が関わらないのは不適切だ。皇室の意向も配慮できるよう皇室会議の議を経ることとした」
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サッチャーの文民統制見習え
第一五条(国際平和の希求) 日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国が締結した条約および確立された国際法規に従って、国際紛争の平和的解決に努める。
第一六条(軍の保持、最高指揮権) 国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する。
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≪第三章 国防≫
田久保氏「国家の柱は政治、経済、国防。日本の政治は一流とは言えず経済はまだ一流だが、国防はどうか。自衛隊は憲法に規定もない。その欠陥が現れているのが国民感情だ。27年前、沖縄県で20歳の自衛隊員が革新派に妨害され、成人式に遅刻した。防衛省の事務次官は認証官だが、制服組のトップは違う。ある首相は『私が自衛隊の最高指揮官とは知らなかった』と言った。
『国民の憲法』は軍の保有を定めた。軍は(◆)シビリアンコントロール(文民統制)で政治家が判断をする。サッチャー首相は(◆)フォークランド紛争で、軍が反対する決断を下した。これが本当の文民統制で、何のたれ兵衛が歴史観が違う論文を書いたからクビを切れ、というのは違う」
佐瀬氏「現行憲法第9条は日本の防衛、安全保障を考える原点、一丁目一番地だ。解釈がなくても意味が明瞭でなければならない。だが、入り組んだ解釈なしでは、白か黒かも分からない。現行憲法制定時、米国は徹底的な非軍事化を追求した。日本は『(◆)芦田修正』で『自衛権は保有する』との解釈を生み出す余地を確保したが、第9条は論争点であり続けている。
言いたいことは『国民の憲法』の第15、16条に結実している。戦争放棄は消失し『国際紛争の平和的解決に努める』が入った。第16条は軍の保持を定めた。『軍』と表記する前には自衛軍、国防軍、国軍のどれにするかで議論があった。
重要な問題の第1点は、自衛権の保有に言及していないことだ。国家が自衛権を保有することは、非保有を謳わない限り自明だ。国連憲章第51条は個別的・集団的自衛権を国家固有の権利としている。わざわざ言及するのは同義語反復だ。
第2点は、現行憲法第9条の欠陥が、前文の国際社会についての幻想性と双生児の関係にあることだ。前文では、国際社会は『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている』とある。絵空事のような文言だ。『国民の憲法』は『われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する』とした」
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