ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

原子力空母ジョージ・ワシントン号の横須賀米軍基地寄港

2008年09月26日 | ニュース・現実評論

 

航空母艦ジョージ・ワシントン2008年9月25日横須賀入港

航空母艦ジョージ・ワシントン


アメリカ海軍の原子力航空母艦ジョージ・ワシントン号が25日の朝、神奈川県の米軍横須賀基地に入港したことが報じられていた。今年の5月に乗組員のたばこの火の不始末?による火災事故のために、一月以上も寄港が遅れたとのことである。

例によって、労働組合や市民団体が、この空母の入港に反対して気勢を挙げていた。放射能の汚染漏れ事故などを恐れてのことであるが、そもそも入港反対派は、日米安保条約それ自体に反対している。

北東アジアの情勢は動揺を深めつつある。北京オリンピック後、上海万博後の中国国内の動向、金正日の健康悪化による北朝鮮の不安定化、それぞれの国で国内矛盾が深刻化しつつある。中国はその海軍力をとみに強めて、東シナ海から太平洋への進出と覇権を目指している。最近も日本の領海内に海上自衛隊の座視するのを尻目に中国海軍の潜水艦は遊弋出没している。

また、アメリカのテロ指定国家解除の延期に業を煮やした北朝鮮は、IEAによる核施設の封印と監視装置を取り外した。中国に近い西部海岸沿いに新たなミサイル発射台が作られているともいう。その矛先は日本である。

今回の空母ジョージ・ワシントンの寄港は、動揺を深める北東アジアの情勢下に、中国や北朝鮮さらにロシアなどに対して、アメリカが日米安保条約にもとづいて、その軍事力の存在を示して抑止効果を狙ったものである。

軍事力の均衡が唯一の平和の条件であるという現実の国際関係の中で、自国の軍事力の放棄をうたった日本国憲法による不備と空白を埋めるためには、安全保障条約にもとづくアメリカの軍事力に依拠するしかないのである。

歴史にみるように、諸国家は相互に排他的であり、つねに対立の生じる必然性におかれている。そうした現実にあって、日本国民が自国の独立の保証を自国の軍備に求めるという独立国としての当然の条件を放棄するとき、日本国はその空白を埋める代償として、アメリカに軍事力の駐留と存在を求めざるをえない。そして、この現実こそが日本国の対米従属と半植民地化の傾向の根源になっている。

日本国憲法の軍事力の放棄の規定そのものが、日本の対アメリカの従属とその半植民地化を必然的な帰結としてもたらしている。それにも関わらず、この現実を現行日本国憲法の擁護論者たちは見ようとせず、自らの自己矛盾を自覚することもない。

安全を他国に依存するという豚の安楽とモラルの退廃から抜け出して、独立国としての自由と主権を日本国民が独自の軍事に求めて行くことを悲願とするなら、日本国民は国際関係の中で諸国家の間に存在する緊張と不安の中に身を置くことを覚悟せざるをえない。それは自由と独立の代償でもある。

太平洋戦争の敗北という特殊な状況下で制定された現行日本国憲法も、以来半世紀を過ぎ、その間にGNPで世界第二位を占めるなど、国際環境も国内の政治と経済の体制も大きく変化している。そして、いずれ中国海軍とアメリカ海軍が太平洋を支配し利権を分けあおうとする中で、日本が自由と主権を守ろうとするとき、現在の日本のような「経済大国」がいつまでも軍事的、政治的弱小国であり続けることはできない。それは侵略戦争を絶対的に否定する立場とも矛盾するものではない。また日本が完全な民主主義国として世界から認知されるとき、自由と主権の独立を追求するための日本の軍事力を否定する民主主義国はないはずである。

 

 

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国家社会の改造の仕方(1)―――麻生新内閣を評す

2008年09月25日 | ニュース・現実評論

 

衆院選、11月2日に投開票…首相意向(読売新聞) - goo ニュース

きのう9月24日、麻生太郎内閣が船出した。この三年間に三つの内閣が入れ替わった。それだけ日本国のおかれている状況が国内外ともに多事多難であるということなのだろう。きのうの麻生太郎氏の総理大臣の就任記者会見では、国際、外交問題はとくに深く触れることはなかったけれども、国内問題については、現在の国民のおかれている状況について「景気への不安、国民生活への不満、政治への不信」というようにまとめておられた。的確に認識されているようだった。そして、「明るく強い国」にすることを、ご自身の使命と心がけておられるようである。

完全で理想的な国家社会というのは、イデーの世界に、概念の世界にしか存在せず、いつも現実においては理想的な国家社会というものはありえない。それを現実と取り違えるのは、ドンキホーテなどの妄想家、空想家でしかないだろう。私たちの乗り込んでいる宇宙船地球号、ノアの箱船は、時間の経過とともに、いつもほころびや破損を生じ、内在的に矛盾が発生してくる。つねに応急処置をして行かなければならない。そして、単なる応急処置では間に合わないとき、たとえば、わが国では明治維新や太平洋戦争の敗北といった事態に立ち至ったとき、その矛盾は小手先で対応できるものではなく、根本的な治療が、革命的な変革が必要とされるということである。

果たして、今日現在の状況はどうか。先の記者会見で、麻生太郎新首相が述べたように「景気への不安、国民生活に対する不満、政治への不信」があり、それはわずか三年の間に、三つの政権が入れ替わり、そのいずれも、国家行政のトップである首相の突然の辞任によるということが、その事態の困難さ、深刻さを示している。

年金、医療行政は破綻に近く、官僚には能力も清貧さも失われ、教育は崩壊して子供の学力は低下し、犯罪は凶悪化しつつある。消費者も生産者も役人も国民のモラルは失墜し、偽装偽造問題が日常的に蔓延している。緊急を要する国際問題にも的確に対応しうる能力を失っている。その象徴が、首相の突然の職務放棄である。

果たして、良識ある国民はこのような事態に立ち至って途方に暮れているようにも思える。その大多数は、市民として日常の生活に忙しく、私たちの信頼を託してせっかく送り出した政治家たちの能力は低く、官僚や役人たちを使いこなせず、役人たちは国民の監視の行き届かないところで、彼らの好きなような「行政」を行っている。国民の大多数の希望するような政治や行政をなかなか実行してくれない。

だからといって、市民国民は自衛隊を扇動してクーデターを起こすこともできなければ、チベットの市民のように市街地に出て、街頭で暴動に参加するつもりもないからである。

だから、せめてできることと言えば、現在の政治家という、まことに貧弱な手駒を使って戦いに、すなわち、少しでもよりましな政治と行政の実現にいどむしかない。そのとき、国民の手にする「政治家」という手駒が、飛車角やせめて金銀くらいの有能な手駒であれば、戦局も切り開きやすいが、たいていの場合は、歩か香車、桂馬クラスだから、なかなか勝負は上手に運ばないのである。

しかし、私たち国民は、たとえそんな無能で貧弱な手駒しかなくても、それを運命だと思って、現在に手にしうる手駒、政治家を使って戦いに、国家社会の改造に挑むしかない。私たち国民が議院内閣制という民主主義を選択するかぎり、そうした時間と手間と労力の掛かる方法で実行してゆくしかないのである。まことに民主主義とは手間暇のかかるものである。

そのときに私たち国民の行使できる武器といえば選挙権しかない。この繰り返される選挙を通じて、政治家たちをふるいに掛け、能力と倫理性においてより劣等な政治家は落選させ、より優秀な(残念ながらあくまで相対的にすぎない)政治家を当選させるという選挙のふるいに掛けて、政治家の取捨選択を行いながら、私たち国民の要求や希望を少しでも実行して行くしかない。現在もてるかぎりの政治家を手駒として使いながら、国家と社会の改造を実行してゆくしかないのだ。

そのとき、手駒として使えるのが歩や香車のような貧弱な持ち駒ばかりの政治家であっても、それを使う以外にないのである。そして、来るべき衆議院総選挙で私たち国民の使える手駒軍団としては、さしあたって現在のところ麻生太郎自民党と小沢一郎民主党しかない。私たち国民は、果たしていずれの手駒を使うべきか。

 

 

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麻生、小沢両氏の経済政策の骨子

2008年09月22日 | ニュース・現実評論

 

今日、自民党の総裁選で麻生太郎氏が自民党の総裁に選出された。これで、来るべき衆議院選挙は、麻生自民党と小沢民主党の戦いになる。私たち、いわゆる「無党派層」は両党の政策理念をよく研究、検証して、来るべき衆議院総選挙の判断の基準に考えたい。さらに詳しいマニフェストは、今後両党から提出されるだろうけれども、できるかぎり早く、両党の政策を研究し、それらに対する批判を始めた方が良いように思う。

ロイターの記者は「エコノミストは景気対策が争点と予想」という見出しを付けて、近視眼的な「景気対策」にしか注意を向けようとせず、記者にも「エコノミスト」にも、国家の理念から経済政策を論じる問題意識もその能力もないことを示している。

しかし、私たち国民は、マスコミやいわゆる識者任せにすることなく、もっと深い視点から現代日本の抱える問題点やその解決の方向を考えてゆきたいと思う。

[東京 22日 ロイター]ニュースから、

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-33878320080922

 

 ◎麻生、小沢両者の経済政策の骨格は以下の通り:

 <麻生氏「日本の底力─強くて明るい日本を作る」の基本政策(骨子)>

基本政策:

 1.経済政策

  ・政策減税・規制改革で日本の潜在力を活かす成長政策をとる。

  ・先端技術開発を一層加速する。

  ・財政再建路線を守りつつ、弾力的に対応する。

  ・歳出の徹底削減と景気回復を経て、未来を準備する税制を作る。

 2.社会保障

  ・安定的な年金財源確保のため国民的議論を進める。 

 3.教育改革

  ・教員が一人ひとりの子供と向き合う環境を作る。

 4.地域再生

  ・守るだけの農業から外で戦う農業に転換する。

  ・食料自給率を引き上げ、日本の優れた農産品を輸出する。

 5.外交

  ・日米同盟を強化しアジアの安定を求める。

  ・拉致問題の解決を目指す。

 6.持続可能な環境

  ・成長と両立する低炭素社会を目指す。

  ・わが国が持つ環境・エネルギー技術を活かし、新しい需要と雇用を生み出す。

政治改革:

 1.徹底的な行政改革を行い、政府のムダを失くす。国の出先機関を地方自治体に移し二重行政をやめる。

 2.地方分権の推進。その先に道州制を目指す。

 3.与野党間協議を一層促進し、国会審議を効率化する。

 4.自民党が内閣を支える機能を強化。

 <小沢氏「新しい政権の基本政策案」(骨子)>

 1.国民が安定した生活を送れる仕組み

    ・「消えた年金記録」は国が総力を挙げて正しい記録に直し、被害を救済する

    ・全ての年金制度を一元化し、年金の基礎(最低保障)部分は全額税で賄う

    ・後期高齢者医療制度は廃止し、医療制度を一元化する

 2.安心して子育てと教育ができる仕組み

    ・子供1人当たり月額2万6000円の「子供手当て」を支給

    ・公立高校の授業料を無料化し、大学などの奨学金制度を拡充する

 3.まじめに働く人が報われる雇用の仕組み

    ・「働く貧困層」の解消に取り組む

    ・中小企業を財政的に支援したうえ、最低賃金の引き上げを進める

 4.農業社会を守り再生させる仕組み

    ・農業者への「個別所得補償制度」を創設し、農業経営を安定させる

    ・漁業についても、同様の所得補償制度の創設を検討する

    ・安全な食料を国内で安定供給し、食料自給率を高める

    ・地域の中小企業に対し税制面で研究開発や地域資源の活用を支援する

 5.国民の生活コストを安くする仕組み

    ・全国の高速道路を無料化し、物流コストを引き下げる

    ・ガソリン、軽油の暫定税率を廃止し、増税分を国民に還元する

 6.税金を役人から国民の手に取り戻す仕組み

    ・特殊法人、独立行政法人、特別会計は原則廃止する

    ・役人の天下りを全面的に禁止し、税気の無駄遣いを根絶する

 7.地域のことは地域で決める仕組み

    ・国の行政は国家の根幹に係わる分野に限定する

    ・国の補助金は全て廃止し、地方に自主財源として一括交付する

 8.国民自身が政治を行う仕組み

    ・国会審議は、国民の代表である国会議員だけで行う

    ・与党議員を100人以上、副大臣・政務官などとして政府の中に入れる

    ・政府を担う議員が政策・法案の立案、作成、策定を主導する 

 9.日本が地球のためにがんばる仕組み

    ・温室効果ガス排出量の半減に向け、省エネルギーなどを徹底する

    ・強固で対等な日米関係を築くとともに、アジア諸国と信頼関係を構築する

    ・国連の平和活動に積極的に参加すると同時に、国連改革を推進する 

 

 

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事故汚染米問題と日本の農業政策、あるいは霞ヶ関行政

2008年09月18日 | 政治・経済

 

汚染米の早期売却を指示 農水省、各地方事務所に(共同通信) - goo ニュース

 

三笠フーズという会社が、中国から輸入した事故・汚染米を、さまざまな企業や卸会社に転売したことが問題になっている。本来なら、この「事故米」なるのものは、食料品として消費者に供給されてはならなかったものである。転売先には病院や学校まで含まれ、給食や誕生祝いの赤飯にまで供されたという。また、その他にも焼酎や和菓子の原材料にも使われたらしい。このような事件に見られる、太平洋戦争敗戦以降の日本国民の道徳的な退廃は、国民の間に国家意識のほとんど失われてしまっていることとも無関係ではない。国家意識なくして真正の倫理もないからである。

日本において毎回繰り返される商品偽装・偽造の問題の一つではある。人間から悪の問題を切り離すことはできないとは言え、現在の日本にはあまりにもこうした不正問題が多すぎるのではなかろうか。人間性悪説に立って、犯罪を誘発することのないような行政の制度設計が望まれる。これらの偽装偽造犯罪は、個々人が魔にとらわれて偶然に起こす犯罪であると言うよりも、むしろ、本質は行政の構造問題であると考えた方が正しいと思う。

こうした一連の問題の根本に政府及び行政官庁の公正さとその管理能力の問題が存在しているからである。公務員が国民や消費者のサイドに立って、すくなくとも生産者と消費者の間の中立な審判者として監督管理するのではなく、生産者の側に立つことによってみずから利得をはかり公正であるべきルールを歪めている。

汚染米のみならず、教育の汚染もある。大分県の教育委員会を舞台とする贈収賄汚職の問題で、昨日逮捕された、県教育委員会の教育審議監、富松哲博容疑者などがその端的な例である。もっとも公正であるべき教職員の人事選考で、能力ある合格水準に達した教職志望者を排除して、校長や教頭らの子息や姻戚関係者に縁故で下駄を履かせて不正に合格させる。富松某らの「教育審議監」はいったい何を「監査」していたというのか。この問題もまた政治家の二世議員を輩出する同じ文化的土壌の上に開いた醜く腐った花である。

こうした問題はいずれも、政府や行政の管理行政能力に大きく関係しているように思われる。以前にもたびたび取り上げられたC型肝炎訴訟問題で、厚生労働省の役人たちがフィブリノゲン製剤を投与されC型肝炎を発症した患者のリストを隠匿していたことがあった。また、防衛省の守屋武昌前防衛次官が出入りの業者からゴルフ接待を受けていた。その構図はまったく同じである。公務員や官僚が「国家」や「公共」などの普遍的な利益のために私心なく働くという意識はとっくに失われ、本来の「官僚」の精神もない。地位と職権を自らの私的利害のために歪めるという構図のみが残されている。

政治家や高級公務員の定数を減らし、これらを名誉職として、公的な「Noble Oblige」の高貴な公的精神をもった者だけが従事できるようにならなければだめで、現在のように、私益をむさぼる政治家や官僚を国民が馬鹿にするようでは、誰も幸福になれず世界の笑いものになるだけだ。

今回の事故米・汚染米の問題では、「三笠フーズ」のような地方の零細企業だけが人身御供にさせられている。例によってマスコミも表面的な「小さな悪事」のみを大げさに取りあげることによって、本当の真実から、「根底にある大悪」から国民の目を逸らす役割を担っている。マスコミの無力と退廃もともに問題にしなければならないのではないだろうか。

今回の事故米・汚染米の問題の背景には、日本の農業行政の根幹的な問題がからんでいる。それは国内農業の国際競争力の強化や改革に取り組もうとせず、じり貧に陥りつつある現在の農政を糊塗し続けているという自民党政府の無為無策という現状がある。

日本政府は国内農業の保護を図るために、農産物の貿易自由化に背を向けて、国内米作農家の保護を優先するという名目で――それは自民党の農林関係族議員や農協の利害と一致しているのだが――そのために、ウルグアイ・ラウンドの交渉で一定量の米の輸入を義務づけられることになった。その結果として、外国との自由な競争によることなく、汚染米や事故米の温床となるような米を中国やベトナムその他の国から一定の割合で輸入せざるをえなくなっている。そのことこそが諸悪の根元なのに、その問題の根幹にほとんど誰も触れようとせず、枝葉末節の「三笠フーズ」という中小企業のバッシングに終始している。

もちろん、この会社の不正行為を見逃せるものではないが、一方で農林水産省は、400社にのぼるこの事故・汚染米の転売先企業を公表することによって自らの作為不作為の監督責任をカモフラージュしようとしているように見える。そうした表面的で現象的な事柄に眼を奪われて、誰もこの問題の根幹にある中央集権的な農業政策、監督官庁体制の問題を論じようとしない。

現在の中央官庁が行っているような中央集権的な北海道から九州沖縄に至る細々とした輸出入業務などの管理監督実務は、地方政府に本来任せるようにすべきだろう。そして地方政府の間で消費者、国民のために競争を行わせて、中央官庁としてはそこに不正取引が行われていないか、安全衛生上に問題がないかなど管理監督業務に徹するだけでよいのである。

「市民社会」と「国家」というそれぞれの空間を峻別し、原則として「市民社会」の自治の問題は「地方政府」に任せ、「中央政府」は国防、治安、司法など、真に普遍的で根幹的な問題にのみ関与して、政治と行政における「地方」と「国家」の役割分担を(東京も「地方」にすぎない)合理的かつスリムなものにして行く必要がある。それにしても国家のビジョンを明確に語れる政治的な指導者がなぜ現れないか。連邦国家を建設するくらいの改革がなければ、現代日本の抱える根元的な矛盾は解決されない。

今日のような情報や交通の発達している時代に、北海道から九州まで各都道府県の細かな輸出入の実務にまで口を挟み、また、そこから官僚としての利得をかすめようとするから、問題が頻発して絶えることがないのである。

現在の官僚行政から不正と無理無駄の非合理を排除して行くためにも、道州制の構築を全国民の当面の主要課題として行く必要がある。現在の農業や教育行政のように、遠く離れた東京から、大阪や九州の農業や教育にまで細々と容喙することによって利権を手放そうとしないから問題が起きるのである。現在の中央官僚が握っている権限を大胆に地方に移譲して、地方政府の自治能力の養成訓練を始めなければならない。まともな地方政府の建設がいそがれるのである。

またそれは単に農林水産省のみにとどまらない。厚生労働省、文部科学省、国土交通省などすべての省庁について言えることである。今日の日本の統治行政機構は明らかに至るところ制度疲労を来している。

とはいうものの、その一方で将来の地方政府の母胎ともなるべき、現行の都道府県行政の実態といえばどうか。大分県の教育委員会の教育審議監、富松某容疑者や大阪府の第三セクターの赤字や20億円にのぼる裏金問題に見るように、現在の霞ヶ関中央政府以上に惨憺たるものである。

 

 

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「公共」と「家政」

2008年09月04日 | ニュース・現実評論

例によって、エキサイトのブログのコメントでは「内容が多すぎますので、695文字以上減らした後、もう一度行ってください。」という表示が出てしまいました。そのために、まとめて投稿するために、新しい記事にしました。

hishikaiさんの「福田康夫氏」論をあなたのブログで読ませていただきました。ギリシャの都市国家に二つの空間を見られているのは面白い視点だと思いました。近現代においてはさしずめ「国家・市民社会・家族(個人)」すなわち、「普遍・特殊・個別」の三つの空間を見るのでしょう。

確かに、福田氏には、国家体制や外交・防衛などの理念に関する問題、普遍的な問題について語る問題意識も能力もなかったのだろうと思います。それは福田氏が前総理の安倍晋三氏と同じように、氏の政治家になった本当の動機が、「たまたま政治家の二世に生まれたこと」にあったからではないでしょうか。(二世議員がこれほど支配的な立法府というのは、その国家がまさしく、いまだ封建的な後進国家であることの証明でしかないのですが、日本国民はこの事実をまだ自覚していません。病膏肓に入るですw。いぇ私は自分の国のことは客観的に見ることができるんです。あなたとはちがうんです。)

福田康夫氏はあなたのおっしゃるように、「女房」たちの「家政」に関わる、せいぜい「市民社会」の問題しか本質的に語ることができなかったようです。そして、それは単に福田康夫氏だけの問題ではなくて、多くの日本の「政治屋」の問題でもあるのだろうと思います。

実際にも衆議院に巣喰う400余名の「選良」の多くは、道路の利権や農業の助成金そして、中小企業の政策金融などの問題には極めて鼻が利きます。もちろん、それらが重要な問題ではないというのではありませんが、誤解を恐れずに言えば場合によればそれは「税金泥棒」という意味も持ちます。しかし、そうした分野がもともと得意な人たちには「地方政治」の「家政」に従事してもらい、国家の中枢である衆議院では、せいぜい現行の定数の半数以下の200人程度の、本当に「普遍的な」「公共」の問題を論じる意思と能力を持った国民の「選良」たちによって運営してもらえばよいのではないでしょうか。(参議院と衆議院の二院制やその定数問題も真剣に議論する段階に来ていると思います。)


国家の中枢であるべき衆議院の政治的能力の低下の、その原因をさらに突き詰めてゆけば、それは日本の文化の問題や、大学、大学院での政治や憲法教育の問題にまで行き着くと思います。このような「政治屋」しか日本の大学では生み育てられないのが現状です。以前にもあなたの「福田康夫氏」論のように、福田氏について論じたことがあります。日本の政治や政治家の現状を見る一つの視点としていただけるのではないでしょうか。

福田康夫氏は、辞任表明後は、「公共の世界」の問題を超えて、永遠の問題、形而上の問題を語って、政治家ならぬ「宗教家」、「哲学者」として退任されようとしておられるようです。

福田首相:メルマガ最終号は抽象的に「太陽と海と伊勢神宮」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080904mog00m010001000c.html

福田康夫氏の総裁選不出馬──日本政治の体質http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060725

福田内閣メールマガジン(第46号 2008/09/04)
                                                       
http://www.mmz.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2008/0904ya/0904souri.html

②29980908

 

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