https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59240
近藤大介氏はカラマゾフの兄弟ゾシマ長老の悲観とユヴァル・ノア・ハラリの楽観を比較している。ハラリの楽観は「2010年には肥満とその関連病でおよそ300万人が亡くなったのに対して、テロリストに殺害された人は、世界で7697人」という数字に基づいている。戦争の恐れはあるが現実に戦争は起きていない。ゾシマ長老の悲観とユヴァル・ノア・ハラリの楽観どちらを取るかは人それぞれであり、筆者は戦争が起きていないのは一旦起きれば過去とは比べ物にならない脅威が抑止力になっているためだと考えている。一方ハラリの楽観はシンギュラリティーとAIによる進化を期待しているように思うが未だ読んでいないのでなんとも言えない。
カラマゾフの兄弟でゾシマ長老は言う。
「公平な秩序を打ちたてようと考えてはいるのだが、キリストを斥けた以上、結局は世界に血の雨を降らせるほかあるまい。なぜなら血は血をよび、抜き放った剣は剣によって滅ぼされるからだ。だから、もしキリストの約束がなかったなら、この地上で最後の二人になるまで人間は互いに殺し合いをつづけるに違いない。それに、この最後の二人にしてもおのれの傲慢さから互いに相手をなだめることができず、最後の一人が相手を殺し、やがては自分も滅びることだろう。おとなしく謙虚な者のために、こんなことはやがて終るだろうというキリストの約束がなかったら、きっとこうなっていたに違いない。」(新潮文庫 カラマーゾフの兄弟)
これは仏教の無明と同じことを述べていると読むたびに思う。
ハラリは
「前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い」(ホモ・デウス)ユヴァル・ノア・ハラリ
と言う。神性を標的とするとはAIで神性がターゲットに入ったということなのだろうか。