紀野一義のyoutube講演メモ 見宝塔品の続きです。
ほとけの眉間の白毫は右回りに巻いていて、そこから白光を発すると十方の世界の分身の諸仏がはせ参じる。そのとき海も山もなくなって大振動する。紺色のガラス状になった大地に宝珠の木が並んでいる。
華厳経はお寺の建築、維摩経は人間ドラマ、般若経は哲学、法華経 はほとけのドラマととらえている。インドの各地方で特色をもって結集された。
日本海側太平洋側瀬戸内側みんな異なる。糸魚川両側の違い、小さな日本でもそうなのだから広大なインドはもっと異なる。地方ごとに結集された経で説かれるほとけが同じであるとの宣言が必要で、その証明のために見宝塔品が説かれた。
原始仏教経典と大乗経典は同じ仏陀からでている。原始仏教のほとけが集合して本当だと証明する必要があった。それが見宝塔品です。2022・3・16・1421
釈尊は虚空の中に至って右手で七宝の扉を開く。お金を受け取るときは左で。インドではお金は不浄。門を開け多宝如来が現われる。
現れたほとけはミイラのように身は干からびながら膝の上に座り瞑想に沈んでいるように見えた。これは意表をついた描き方です。比当初は生き生きとした習慣だった。そのうち干からびて見えるように変化したことのメタファと考える。仏塔のなかで閉じ込められていたのでは本来の仏教といえないとのメッセージだ。
特定しにくいので如という。如来は絶えず動いていないといけない 。
この場で釈迦が半座を譲り多宝如来が並ぶ、これを二仏両座という。これは大迦葉の伝説が紛れこんでいるのではないか。
祇園精舎の側で長い間林住していた後に釈迦のところに戻ってきたら誰も大迦葉を知らずに席を譲らなかった。釈尊が半座をあけられた。「お前とはどちらが先に出家したのかな」結局座らなかったのですが大迦葉はそれだけの資格を持っていると考えられた。
その後釈迦が命を終わろうとするとき大迦葉に云われた。弥勒仏の世になったとき山から弥勒仏に袈裟を渡しなさい。
過去7仏の身近な話に飛ぶ。
七仏とは
毘婆尸仏
尸棄仏
毘舎浮仏
倶留孫仏
倶那含牟尼仏
迦葉仏
釈迦牟尼仏
この中の倶留孫仏の観音様をある娘さんが磨いたりぬったりした。するとこの観音様が怒ってか娘さんに憑りついた。苦しくてならない。そこで紀野先生にお願いしなさいと言われて相談してきた。 元に戻しなさいと言い、元に戻ったら苦しいのがなくなった。こんな風に倶留孫仏は現在にも残っているんですね。
釈迦が街にいったときあるバラモンが尋ねた。仕事と礼拝が両立できないほど時間がないと。釈迦が「わたしのところにきて礼拝すれば二人の人(釈迦と大迦葉)に礼拝したことになる」つまり時間が節約できると。
クシナガラで釈迦はキノコで中毒なさり死んだ。塔が埋まっている バンヤンの木の下に白い色が塗ってある。木がちょうど塔の頭にあたる位置にあるので子供が気を付けるようにとのことだ。
(わたし)これはどこかで見た記憶がある。バリ島だったか。
空中に多宝塔があるとは過去でも未来でもない素晴らしい現在を而今と言った道元に通じる。
見宝塔の後ろに提婆達多品がくっついている。本来は独立な品ではなかったが後世にあらたに品として付けくわえられた。そう大事な章ではないが見るべき点も多い。
提婆達多は釈尊の従弟で性格の激しい、また頭のよい人であったと推測できる。釈迦に対抗できると考え、老齢になった釈迦に教団を私に任せなさいと迫った。
5つの戒律を守りなさいと迫ったこと。
1 林の中に住め
2 乞食であれ
3 立派な衣をきてはいけない
4 屋根のないところに住め
5 肉を食ってはいけない
釈迦は殺すところをみなければよい、魚はよい、供養されれば食べてもよいといった緩やかな戒であり、提婆達多はピューリタンみたいなものだ。こういう人間は曲者で精神的に欠陥があると見た方がよい。極端で特別なことをする人は気を付けたほうがよい。
釈迦は提婆達多に「おまえには教団を任すことはできない」と宣言したのちに反逆していく。釈迦は舎利弗に破門を告示せよと命じる。舎利弗よ、かつては提婆達多を讃えたので嫌がる。釈迦は舎利弗に「昔はそうだったが今はそうではない」
情に溺れてはいけない、立派な仕事をしないと切り捨てなければいけない、これでなきゃ教団は続いていかない。会社も団体も同じですね。
法華経だけは提婆達多を善知識とする。法華経以外は裏切り者の代表として扱う。
反逆者だったのでそれなりにすぐれたところがあった それくらいの人がいないと腐ってしまうのではないでしょうか、最期はどっかで切ることもある。
かつて神田寺で友松氏のもとにいたとき、ある男が「法然の再来」と友松氏を持ち上げていた。「あんなことを言わせないように」と氏にいったが「まあ ほっときなさい」と。そのうち半年くらいでこの男はいなくなった。最後はどんな死に方をしたのでしょうかね。こういうのは役にたたない。イエスのユダみたいな存在ですね。
日蓮上人の弟子にも松が谷の法難で命を張って助けたなかに後年に裏切った弟子が何人もいた。裏切りはつきものだ。
提婆達多品は性差別として批判されるがそうではない。
五障のために女性は梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏陀になることができないと舎利弗が主張することは誤解をまねいてきた。
変性男子つまり女がいったん男にならないと成仏できないとは本来は変性女子、男がいったん女にならないとだめともいわなければならない。
紀野一義氏は「人間が今のままで仏になるというのは無理、一旦は完全に否定していくことを教えている。 今のままでなんとかならないか、それは無理だ。」と解釈している。
あるいは釈迦の言葉ではなく、仏教本来の思想ではない。ヒンドゥー教の影響から出てきた考え方とされる。 当時女性軽視のヒンドゥー教がインドを覆う中、釈迦は以下のように説かれたとされる。
人にはいろいろの種類がいる。心の曇りの少ないものもあれば、曇りの多いものもあり、賢いものもあれば、愚かなものもある。(中略) また人には男女の区別があるが、しかし人の本性に差異があるのではない。男も女も道を修めれば、然るべき心の道筋を経て悟りに至る(仏陀になる)であろう。
— パーリ『律大品』115より by wiki
と考えた方がすっきりする。