まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

「バリ島物語」 一瞬にして残忍性と異常とに転じ得る 

2009-11-12 | バリ島 舞踏・レゴン・ケチャ・ガムラン

バロンダンス
「バリ特有のものです。・・・神懸かりと魔術とクリス(短剣)踊りとその他いろいろなものが混ざっていて、・・・一種の守護神です。・・・我々(注 オランダ人)はいつもバリ人について判断を謝る危険があるんです。彼らは大変礼儀正しく、大変穏和で、大変よく服従し、子供っぽい向こう見ずな性格を持っています。それが一瞬にして残忍性と異常とに転じ得ると言うことがバロンをみるとわかるのです」

バリ人の侍従がオランダからの役人にバロンダンスを説明する下りだ。このダンスはバリのいたるところで観ることができる。ホテルのショーで、あるいは村の観光向けの劇場で、あるいは村々のお祭りでの催しにと。

バリ島物語の著者は、このバロンダンスの説明を借りて、ププタンに現れたバリ人の奥深くにある性情を暗示しようとしているように思える。ププタンはこの著書の主題であり、100年前に起きたバリ人のオランダ軍に対する集団自決だ。しかし集団自決とバロンダンスでの自らの胸を剣で刺すという自虐的行為形が似ているかというと、実は似て非なるものではないか。何が違うのかはもう少し考えてみる必要があるが。

「悪の主みたいなものです、・・・死の女神ドゥルガの化身なのです、ドゥルガはほかのときにはシバ神の妻として現れるのですが」

ドゥルガの登場に対して、侍従が解説を加えている。このあたりになってくるとどちらが正でどちらが悪か観ている方には区別がつかなくなってくる。バロンが聖獣で頭では正義を表していると理解してるのだが、勝負の決着が最後までつかないので、知識と先入観なしにみると、どちらが正か悪かわからなくなるのもバリ舞踏劇の特徴かと思う。

「次の瞬間一つの叫び声が上がると短剣の踊り手が一斉に荒々しく突進して、ランダに飛びかかった。反りをうった剣をまっすぐに突き立て、死と殺人と狂気とを眼に漂わせて。・・・ランだが手を上げると、男達は・・・死んだように横たわった。しかしランダもまた、ある神秘の力の犠牲となった。」

ここにも勧善懲悪は見られない。善も悪も同等の価値として存在するのか。

「この獅子の足が触ると、彼らは一人一人起ち上がった。短剣の両刃の切っ先を持ち帰るや彼ら自身に向けた。・・・なおも深く、なおも激しく短剣を胸に突き立てた。」

私にはこの解釈はまだ出来ていない。なんとも不思議な行為だ。何故自分自身の胸に突き立てるのか。

「バリ島物語」 その2 バガバッド・ギータの詩句

「バリ島物語」 その3 神懸かりなど

バリ島物語 その4 テーマ別拾い読み

バリ島物語 その5 拾い読みその2

バリ芸術に及ぼしたシュピースの足跡 11426文字
<form class="form form__entry--delete" action="https://blog.goo.ne.jp/admin/entries/bulk_delete" method="POST"> 荒俣 宏の「南方に死す」とバリ</form>
 バリの風景 舞踏
<form class="form form__entry--delete" action="https://blog.goo.ne.jp/admin/entries/bulk_delete" method="POST">オダラン(寺院創立記念日)を初めて見る</form>
バリ島物語 火の玉
バリ島物語 ラカのうちに祖先が生まれ変わる
「バリ島物語」 他の世界の思いに耽る
「バリ島物語」バガバッド・ギータ 精霊に終わりなし。永遠にして不死なり
ケチャダンスは音声のみによるトランス効果
 

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。