セリフではない、単なるアナウンスだが妙に深く刻み込まれた。
「家族をお探しの皆さん。1942年から44年の間にロシア戦線で行方不明になられた兵士の消息をお知りになりたい方は、右14番の窓口にお越しください。右です。繰り返します。右14番の窓口にお越しください」
プーチン この映画のこのセリフが心に染みないのだろうか。
1000㎞四方の雪
気がつくと家の中にいた
見知らぬ家 会ったこともない女
何も思い出せなかった
長い間何ひとつとして
あの家だけだった
心から頼れたのは
あの時 僕は死んだ
それで別人に
あれほど死を間近にすると
人間は感情さえ変わってしまう
何というか
確かに僕はそこに暮らした
小さな平和の中に
戦争は残酷なものだ
どうしてこんなことに
ある農夫が囁く次のセリフが凄い。ウクライナのひまわり畑の下に眠る無数の餓死した捕虜達。イタリア将校達は捕虜後に餓死へと導かれたと言う。ひまわり畑のシーンはかつてはウクライナ南部ヘルソン州とされてきたが、将校が捕虜後に大量餓死したチェルニチー・ヤール村だと最近わかった。
「ここにイタリア兵とロシア兵が埋まっています。
ドイツ軍の命令で穴まで掘らされて。
ご覧なさい。ひまわりや、どの木の下にも麦畑にも、
イタリア兵やロシアの捕虜が埋まっています。
そして無数のロシアの農民も。老人、女、子供」
2008-01-27 11:24:25
一輪のひまわりがクローズアップされ、カメラは右のひまわりに移る。あいかわらずクローズアップのままだが、次第にカメラは角度を上げてゆっくりとゆっくりとひまわり畑の全景を映し出していく。全景といっても遠くは地平線のかなたまでひまわり畑は続く。クレジットがソフィアローレン ジョバンニ マルチェロ・マストロヤンニ アントニオと紹介して映画は終わる。男女の別れと喪失の悲しみを描いた傑作だ、いつ見ても涙腺がゆるみ感動してしまいます。
数年前までは暮れの休暇に入ると必ず「ひまわり」をビデオショップから借りて見るのが恒例であったが、最近数年はこの習慣がとぎれている。そのための禁断症状がでたのか昨夜は無性にこの映画が見たくなった。しかし手元にビデオもDVDもない。それで記憶の映画上映を試みた。
第2次世界大戦のなかで新婚早々のアントニオはロシア戦線に送り込まれて行方不明になり数年間音信不通だ。最初の出会いから新婚生活までは後からの悲しみを強調する伏線のようにコミカルな描き方で、朝まで愛し合ったアントニオが卵10個分のオムレツを平らげるシーンが記憶に残っている。
兵役を逃れるために狂人を装うも見破られ、厳寒のロシア戦線で敗走中に倒れ、ロシア女に命を助けられる。(余談ながらこの厳寒のロシア戦線での敗走はヨーロッパ人には地獄さながらの思い出になっている。「愛と悲しみのボレロ」でもジョルジュ・ドン扮するポーランド?の音楽家が従軍して厳寒のロシア戦線で倒れて死ぬ。)やがて子をもうけ平和な生活を送っているところにロシアまで探しに来たジョバンニが現れるがアントニオと女の間にできた子供の泣き声を聞いてイタリアに去る。
映画はこの別れのまま終わっても十分に悲しいし感動的なラストであり、反戦のメッセージも十分に伝わるのだが、ビットリオ・デ・シーカ監督(あるいは脚本家)はさらに悲痛な結末を付け加える。何のために?喪失の悲しみを表現するためにはもう十分ではないかと思うのだが。
イタリアに去ったジョバンニのところにアントニオは訪ねてくる。しかしジョバンニは再び一緒になることを拒絶する。ミラノ駅の列車に乗り込んで北へ向かうアントニオが車窓越しにじっとジョバンニを見つめている。ジョバンニもホームで立ちすくして見送る。ゆっくりと列車はミラノ駅を出発する。ジョバンニの目からは涙があふれるがロシアから去るときの悲痛な涙ではない。受容と諦観からくる浄化の涙を流している。そうか悲痛の涙から受容、諦観の涙への移行を美しく撮りたかったのだと深く納得する。
人はあまりに耐えられない悲しみに満ちた別れ、喪失を経験するとき必然的に受容と諦観の悲しみへと移行していく。そうしないと悲しみのために自己が破壊されてしまうのだ、そして受容、諦観の涙も悲痛の涙と同様に人の心を打つ美しい作品になるということをこの映画は教えてくれるのでした。