まさおレポート

バリの風景 サヌール

サヌールの朝の海岸風景 2010-02-21


画像20090705 053
サヌールの朝の海岸風景1 滞在ホテルからの眺め 朝の6時くらい。

画像20090705 052
サヌールの朝の海岸風景2 滞在ホテルからの眺め 朝の6時くらい アグン山・・・バリ島北部に位置する火山。海抜高度3142メートルの成層火山で、バリ島内で最高所であるとともに、古来よりバリの人びとの崇拝の対象となっている・・・が望める。

サヌール沖に釣りに出かける 2010-03-13

昨日は4時に起きてサヌール沖に釣りに出かけました。バリに滞在しているのに釣りはずいぶんと久しぶりです。携帯アラーム機能を日本時間で設定してしまい、1時間早めに起きてしまいました。4時半の海岸通りはホテルが建ち並ぶ場所とそうでないところが交互にあるので、暗いところも結構あります。犬が来たら嫌だなと思いながら自転車をこいでいると24時間営業のKマートを発見したので早速その前のベンチで時間調整のために横になる。

5時半を過ぎると、まだ暗いが散歩をする人とたまに行き交う。サヌールの海がほんのりと白んで来るのがとても良い感じです。待ち合わせの場所に着いて小さなローカル船で出発します。幅は1メートルくらいで両翼に太い竹がついています。これで波の中でも安定をはかります。ヤマハのエンジンが一機装着されており、快調に沖へと向かいます。途中で夜明けがみられました。6時30分頃でしょうか。

船頭の案内してくれた場所でAさんの釣り竿をお借りして、コーチを受けながら早速釣りを開始します。最初はなかなか底の確認が難しいのですが、そのうち50メートルくらいの水深でコツンとあたる感触がわかるようになり、すぐにあたりがきます。しかし餌だけが無くなっており、なかなか本格的に食いついてはくれません。

そのうちウマズラや小魚、さらにはムラサキと呼ばれるものが2匹同時にかかり楽しくなって来ました。船頭の釣ったものも貰い受け、結構な量を持ち帰りました。6時間の船釣りでした。日差しが強く、防御していない顔が真っ赤に日焼けしてしまいました。

サヌール ご近所の食材とレストランマップ 2010-03-18

サヌールに滞在してまもなく2ヵ月に近くなる。新しい土地で最重要な問題は食材の調達とたまに出かけるレストランのマップを作成することだ。もちろんマップといっても頭の中だけで、実際に地図を作るわけではない。

生鮮食料品・・・サヌールの朝市が往復の海岸通りのサイクリングと相まってお好みだ。トマトやタマネギ、ジャガイモなど定番の野菜と卵を中心に折々のグリーン野菜をととのえる。スーパーに比べて20%がた安い。バーベキュー用の椰子殻炭もここで買う。

肉・・・ングラ・ライ空港へ向かうバイパス通り沿いにある「マクロ」が質の良い肉を揃えている。元は卸販売から出発しているのでレストランが食材を仕入れに来る。豚、牛、鶏はここで買う。サヌールにやってきた当初に行った近くのスーパーは、買った鶏肉が少し臭いがする代物だったので2度と買わない。

果物・・・マンゴやマンゴスチンはサヌールの朝市かマクロで買う。マクロはリンゴなどが特別安いときがある。1キロ80円のときがあり、3キロほど買ってジャムを作ったら市販5本分のジャムができた。

鮮魚等・・・以前はジンバランで買っていたが遠いので最近は海岸で漁師から水揚げ後を直接買う。このあたりは以前のスミニャックにはない楽しみだ。しかし時間通りにいないのが難。

マグロ・・・前述のマクロの先にマグロやメカジキを輸出用にあつかう店がある。ここで週に2回マグロのトロが入荷するので必要に応じて買ってきて貰う。かなり上質のトロがキロ500円程度。メカジキマグロも同時に買って刺身で食べたが実に旨かった。

近所のワルン・・・お隣のマ・ベンという、ローカルの魚料理が気に入っている。こちらでとれるジャンキーと呼ぶチヌ風の魚をぶつ切りにしてココナツオイルで素揚げしたものと同じ魚でスープを出す。これが新鮮な材料をつかっているのだろう、淡泊で上品で実に旨い。

海岸沿いのインターナショナルレストラン・・・たぶんイタリアン人だろうと思われる夫婦がやっている小さなワルン。味のセンスが良いので気に入っている。時に応じて揚げ豆腐やコロッケなど一寸したものを突き出し風に出してくれるのが旨い。


夜のサヌール海岸はデートスポット 2010-03-21

夜の9時過ぎに海岸を散歩してみた。土曜日の夜ということもあってか、おびただしいバイクがハントア通りから海岸に面したところに駐車している。眺めている間にも次々と若者がカップルでやってくる。そうか、ここはバリでも有数のデートスポットだったのかと納得した。

毎日遊んでくれたお姉ちゃんも学校が始まった 2010-07-12

朝起きたと同時に大きな波の音に気が付いた。海岸を眺めると満潮でしかも波が高い。石組みの突堤では波頭が砕け散っている。それでも地元の子供達が何人かはサーフィンに興じている。やや曇り空だが青空も点在し、波に陽光がきらめいている。

バリも小中学校の長い夏休み(いつも夏だが)が終わって今日から新学期が始まる。毎日遊んでくれたお姉ちゃんも学校が始まったので我が家のベビを退屈させないようにするには一苦労になる。

サヌール海岸の白砂 2010-09-09

サヌール海岸沿いに滞在しだして気が付いたことがある。ジャラン・ハントア通りを境に向かって左側は砂浜がなく黒っぽい溶岩風の岩がむき出しになっている。右側には白砂が延々と続いており、景観もよく散歩も楽しめる。これは自然に出来た分界かなと当初は思っていた。というのもバリの北側のシンガラジャやロヒナでは海岸の砂は黒い。どこかで白い砂と黒い砂の別れる場所があり、それがこのサヌールなのかと勝手に推測していた。

ある日、滞在先のホテルのゲストとの雑談の折、このサヌールは近年にJAICAや日本工営株式会社の手によって護岸工事がされた結果であることを知った。この白砂は環境を配慮して沖合から採取した砂であるという。つまり日本の護岸技術によるものと知った。

左側の黒いむき出しの海岸は地元の反対にあって工事が進まなかったと聞いた。地元というより、土地の持ち主がうんと言わなかったのだろう。地元の反対も一理あって、以前に工事が行われたが護岸工事が拙劣で返って結果が悪かったそうだ。しかし、日本の護岸工事は成功して海岸は美観を取りもどしている。これなど、例えばなにか表示板を立てるとかして日本の技術の功績をもう少しアピールしてもらいたいものだ。

サヌール湾の水平線 2011-03-10 

朝から積乱雲が立ち上り、青空がその背景に広がっている。その下にはサヌール湾の水平線が鮮やかに天と地を分けている。樹木の枝葉が老いた貴婦人が鷹揚に扇子を振るように風をうけてなびく。海は見ている間にも色模様を変えていく。少し前までは五層の縞模様だったのが今は淡い群青と珊瑚礁を映す銀色の二色に変わった。

ゆったりとした葉の揺れとツバメの俊敏さが動きのコントラストを見せる。風の流れに乗ってご詠歌風の読経が聞こえてくる。

小学生の一団から荷運び場まで 2011-04-25

朝の9時過ぎの海岸沿いの舗道を自転車で走る。白い制服を着た小学生の一団が砂浜に座り込んでお弁当を食べている。横にはMATHEMATICSと書かれた赤い教科書が置かれている。一種の遠足かなと思いながら横を通ると笑顔で一斉にこちらをみる。

パラボラ型の結婚式場が見えてくる。青みがかったアクリル板のパネルと骨組みだけで建ててあるので、内部が透けて見える。ときどき牧師とカップルが結婚式を挙げているところにぶつかる。強烈な太陽光をまともに受けるので空調なしでは温室どころの暑さではないはずだなどと余計なことが頭に浮かぶ。

砂浜に育つ樹木は圧倒的にケタパン(KETAPANG)と呼ばれるものが多い。ゴムの木の葉によく似た葉をつけて暑熱の海岸に日影と涼しさを与えてくれる。この木には長径が5センチほどのフットボール型の木の実がなり、中にはナッツ様の実がなり、リスの餌になるという。

松の木のような木肌をしているカンプルン(CAMPLUNG)と呼ばれる樹木も目につく。非常に堅く、クルクンを作るのに用いる。クルクンは村の寄合所などにある、村人に集合などを知らせる鐘のようなものだが、この固い木で作るという。

ハントァ通りに近づいてくるとヌサ・レンボガン行きの高速艇に乗るバックパックを背負うなどした旅行者の一団と行き交う。ハントァ通りを横切るとヌサ・レンボガンへ物資を運ぶ船着き場が見える。船着き場と言っても足場も何もない堤防があるだけで、その堤防の上に今日はプロパンガスボンベが数十個も並んでいた。カニのような形をしたローカル船に男たちが重い荷を肩に担いで運ぶ。足場は護岸された切り立った石があるばかりで、その上を素足でわたっていく。さらに海水に腹まで使って船に運び込む。

海岸舗道風景 田中一村を想起 2011-04-27 

ハントゥア通りから海岸舗道の入り口に入ろうとすると既に結構な長さの行列ができている。女性はイスラム風のスカーフをしているので恐らくジャワ島から来ているだろうと思われる。若者の一団、見た目には高校生、が幅2メートルほどの狭い舗道をゆっくりと歩く。男性は右手に火のついた煙草を持ってぶらぶらとさせて歩く。自転車で娘をプレスクールに送り届けるために通り抜けようとするのだが、身動きがならないくらい混んでいてなかなか進まない。火のついた煙草も混雑したところでは気になるが、高校生の煙草も誰もとがめだてしないようだ。今日はパブリックホリデイだと気がついた。

10メートルほど自転車を手で押してようやく通り抜けて快適に走りだすと、珊瑚礁の線に沿って白い大きな波が立っている。サーファーが喜びそうな形のきれいな波が崩れることなく延々と続く。しかし実際にはどこにもサーファーが見当たらない。まだ時間が早いせいかもしれない。先ほどの混雑のストレスは飛んでいき気持ちの良いサイクリングが始まる。

右手のホテル沿いの生垣には白い優雅な花が咲き、観光客の女性が熱心にカメラを向けている。私もこの花は大好きで、カメラに収めたが名前を知らない。どこかで見た記憶があると思いを巡らせると、田中一村の作品にこの花が登場する。榕樹を真ん中に据えて右手にこの花が咲き、左手に鳥がとまっているあの絵だ。榕樹もこの花もバリにあるが、光の加減か、あるいは田中一村の心象風景なのか、この絵のようには見えてこない。(後で花に詳しい人に聞くとスパイダーリリーだという。なるほどうまいネーミングだ。 中央に白い朝顔に似たラッパ状の花(副花冠)と、6本の蜘蛛の足状に出た細長い花被片(六弁花)、橙色の雄シベを持つヒガンバナ科ヒメノカリス属の半耐寒性球根植物)

プレスクールに到着して娘を置いて帰ろうとすると、今まで一度も泣いたことがないのに今日は珍しく泣き顔をしている。ひょっとしたらあまりの混雑ぶりに怯えたのかもしれないが、よくわからない。

チューブ状の波 2011-06-04

今日のサヌールの海は満潮で風が強い。100メートルほど離れた珊瑚礁の尽きるあたりでサーフィンに適した波が次々とたっている。地元の10歳前後の子供たちが朝からサーフィンを持って集まってきて、その小ぶりな波にうまく乗っている。片岡義男の「波乗りの島」で15メートルもあるチューブ状の波がテーマになっていたが、この波はそれよりずっと小ぶりで遠目には2メートルあるかないかだが、形の上では立派なチューブ状になっている。つまりトンネルができていて、そのトンネルの出口あたりにうまく乗った子供が滑っていく。

屋上から見た風景 2011-06-11

バリ人の凧好きは一度この地を訪れた人ならだれでも知っている。今頃は風がかなり強いので凧を上げて遊ぶ姿が至る所で見られる。

白い凧が高い樹木の上に引っかかって身動きが取れなくなっている。風が吹く度に少し舞い上がるが糸がからめられているだけにどうしようもなく絡め捕られたままだ。トラップにかかったキツネがもがきながら徐々に勢いを失っていくように凧も次第に糸が枝に絡まり、身動きが小さくなっていく。

鳩が屋上の手すりに一羽止まっている。左からもう一羽が飛んできて横にとまり、羽を少しふくらましてダンスを始める。もとの鳩は1メートル離れたところに離れる。さらに追う。するともとからいた鳩はさっと飛び去った。残された鳩はきょとんとして眺めていた。こんな会話が聞こえてくるような。

「ねえねえ仲良くしようよ」「わたし、その気じゃないの」「そういわずにさあ」「いやだっていってるでしょう」パタパタパタと飛び立つ。呆然と見送る。

雲が龍に見える 2011-06-18 

サヌール湾の上にかかる雲を毎日眺めているとしばしば雲が龍に見えることに気がついた。中国などの龍伝説はあるいは雲を見て思いついたのではないかと仮説をたてたくなる。ぎょろりと光る目玉は太陽が雲間から洩れてくる太陽の光がちょうど龍の目玉に見える位置から発している。口から頭にかけては灰色がかった雲が形作り、胴体は一直線に長い雲が流れ、尻尾はさらに細くなって延々と続く。写真を撮ろうと試みるが、月と同じで見た感じが出ない。このあたりカメラの目と人の目の違いを思い知らされる。(カメラの腕が悪いだけかもしれないが)

どういうわけかこの龍型の雲は晴れた日の朝方に海上にしか現れない。アグン山のあたりまでが限界で、そこからは湧き立つような群雲となり、あるいは綿菓子のようにふんわりとまとまる。

龍はアジアでは吉祥でありラッキードラゴンだが、西洋では悪魔の化身となる。東洋では龍蛇族が支配し、西洋では牛のような角を持った族が支配したので、龍蛇族の支配する東洋では聖獣、かたや西洋では牛角?族の敵であり悪魔とみなされるようになったという高橋克彦説も面白いが、それより雲からの連想の方がシンプルでもっともらしく思える。

そんなことを考えていると海岸で長々と尾をひく凧が上がりだした。これも龍を連想させるに十分な資格を持っている。そういえば日本の鯉のぼりも中国からきたものだが、現世で登竜門を超えられず龍になれなかった悲運の屈原があの世で龍になるようにとの祈りをこめたものらしい。楚の人々は批判されたために湖に身を投げた屈原に鯉を奉ってその死を悲しんだ。それが日本にも伝わり、室町時代には武運を祈ると言う意味で紙で作った鯉を奉るようになったというのが日本の鯉のぼりの起源だが、このころから日本人は悲運の人が好きだったのか。あるいは誰か歴史上の悲運の人が自らを重ねて鯉のぼりを始めた・・・。

子供たちがサーフィン 2011-06-19 

海を見ると子供たちがサーフィンに興じている。波がかなりあって怖いくらいだが土地の子供たちは平気で遊ぶ。

朝7時ごろのサヌール湾を散歩する 2011-06-30

今朝は珍しく家族で朝から散歩をする。これは朝7時ごろのサヌール湾で、この海岸舗道を往復1時間30分ほど歩いた。大型観光バスが駐車し既に泳ぎだしている人や島に向かう人々で海岸は思いのほか人出が多いのに驚いたが、今日はパブリックホリデイだと思い出した。折り返し地点のカフェで朝食をとる。三歳の娘は犬を怖がって泣いたりリスを発見したりして喜んだりで、帰り道は「疲れた」を連発していたが、なんとかビラまでたどり着くことができた。

サヌール湾に銀色の帯が一本 2011-07-31

朝9時、サヌール湾の水平線のあたりに銀色の帯が一本真横に走っている。青空が少しのぞいているが全体に白雲とややクレーの雲がおおっている。こんな空模様の時に銀色の帯が一本水平に走る。太陽が雲間から顔を出す度合いによって帯の幅と色調が変化する。

9時30分、銀色は湾全体に広がった。青空の勢力が広がっている。

サヌールの漁師が漁に出ない 2011-08-28このところ10日以上サヌールの漁師が鰹漁に出ていない様子だ。鰹のたたきどころか、自家製鰹節が切れてしまったのでうどんつゆも味噌汁も作れない。鰹節命の私は毎日のように通うが、この漁師のところにいつ行ってもいつものトロ箱に水揚げされたあとがない。漁師もいない時が多い。昨日ようやく漁師に合うことができたが新鮮な鰹は見当たらない。無口なこの漁師は多くを語らない、波と風が強いと言うだけだ。

しかし手元では鯵のような小魚を次々と流し針に刺している。明日はいよいよ漁に出る準備をしているようだ。何時に浜に帰るのかと尋ねると明日の午後三時に来てくれと言う。

サヌールは風があって涼しい日が続き、快適だが鰹魚には不向きであることをようやく知った。

サヌール湾の珊瑚は大丈夫か 2011-09-06

今日の午後は家族を連れてグラスボートに乗る。子供たちに海中の魚を見せるのが目的でタンジュンサリの前から乗り込む。

珊瑚と魚はたくさん見れたが珊瑚に気になる点が。これはひと月前にムンジャガンにいった印象が強いので一層健康度の比較が目につくのだが、サヌールの珊瑚の縁の部分が白くなっているのが目立った。これは共生する藻が死んで珊瑚の骨格がむき出しになっていることを示す。珊瑚の死骸がたまっているポイントも多い。白化していなくても全体にくすんだ色の印象で、ムンジャガンの鮮やかな色彩の珊瑚と比較するとかなりまずい状態になっているのがわかる。珊瑚に共生する微生物が珊瑚の鮮やかな色を作り出しているので、その微生物が死滅したり元気がなくなるとくすんだ色になる。

温暖化で世界の珊瑚が危険な状態になっているが、ここサヌール湾も例外ではない。しかし同じバリで温暖化の影響を受けている西部のムンジャガンの珊瑚はまだまだ健康で、だとするとサヌールのホテル群からの淡水あるいは汚水排水が影響していることになる。それなら排水規制をするとかで手を打つことができる。

魚は結構たくさん泳いでおり、珊瑚がまだ十分魚を養える状態にあるらしいことはわかるが、今なにか手を打たないと珊瑚礁が消えてしまう日も遠からずくるのではないかと気になった一日でした。

モーターパラグライダー 2011-09-30

サヌール海岸のバリビーチホテルの前に戻ってくると舗道にパラシュートとともに大型の扇風機が5台も置いてある。これは風を起こすために持ってきたのかといぶかりながら眺めているとそのうちパラシュートに乗った人が扇風機を背中に背負い、エンジン音とともにプロペラが回転を始めて上昇しかなりのスピードで海岸沿いに飛んで行き、それに続いて全機も飛行を始めた。特に先頭のリーダー格の一機は相当高度を上げていて後続の恐らく初心者とは何倍も高さが違う。高みから初心者の飛行を見守っているように見える。

モーターボートで引くパラセイリングはボートからの引綱の長さで高さも制限されるがこれならその制限を離れてかなりの高みまで上昇できそうだ。さらにボートに依存せず自分の意思で方向も変えることができる。後でモーターパラグライダー又はパラモーター(パラモーターは、パラグライダーのハーネス部分にエンジンユニットを背負い、推力を得て飛行するスカイスポーツである。by wiki )と呼ぶのだとわかったがなるほど面白い遊びを考えるものだ。一台75万円から100万円とあるから中古車なみの価格でそれこそ空中漫歩ができる。サヌール海岸で流行りだす予感が。

これは他の飛行設備に比べて安くて軽い(17キロから25キロとある)のでかなり応用が効きそうだ。それなりの課題も多そうだが大規模農園の空中散布や火災などで屋上に取り残された一人か二人の救援など、さらにはもうすでに実用されているかもしれないがピンポイントで着地しなければならない軍事の特殊パラシュート部隊にも。ただしこの場合は相当うるさいエンジン音が問題でバッテリーでプロペラを回すことになるがそれだけのパワーがあるのかどうか。

それにしてもかなりの騒音がある。四六時中やられるとちょっと迷惑で、できればもっと人里離れたところでやってもらいたい。

サヌール海岸舗道の終端にマングローブが 2011-10-01

マングローブの群生する場所でとあるパーティーがあった。以前からたまにサイクリングで出かけていたが走行中に眺めるだけだった。今回はちょっと落ち着いて周辺を観察することができた。

保護されているマングローブの林。マングローブは津波を防止することで有名。

近くの干潟ではムール貝に似た2枚貝をとる女性。

これだけを集めていた。炒めて食べるとおいしいとのことだった。「マカン ゴレン?」「ヤア」

白いブーゲンビリヤにハイビスカス。

水草と紫の花。濃い緑の葉も手入れがよいのかつややかで気持ちがよい。

しかし!このビニールゴミはなんとかならんか。これはシラサギだが、まさに「掃き溜めに鶴」

写真を撮ってバリ人の老女に叱られる 2011-10-08

サヌール海岸舗道でジュプンの花びらを砂浜に3畳分ほど日干しているのを通りがかりに見かけた。バリの花と言ってもよい、よい香りのするこのジュプンの花は地面によく落ちるので散歩しているといたるところで落花を見かける。形が整ったまま生々しく落ちており、香りも十分楽しめるのでバリ人は男性も女性もこの花びらを耳にはさんでいるのを見かけることが多い。老女がこのジュプンの落花したものを集めて干している。既に乾燥して濃い茶色に変色したものやこれから乾燥を待つものとがミックスされていて、乾ききった花から袋に詰めている。恐らくポプリのようなものを作る工房にでも頼まれているのだろうか。

珍しい光景なので老女に笑いかけると相手も笑ったのでフレンドリーな婆さんだと思い、つれあいにこの花びらの干場の光景をカメラに収めるように促した。つれあいがカメラを向けるとこの婆さんがいきなりすごい剣幕でなにかバリ語らしき言葉を発し怒り出した。あまりの剣幕にすごすごとその場を去った。婆さん、勝手にレンズを向けてごめんなさい。人物が被写体に入るる場合、風景として撮ってよい範囲がなかなか難しいなあ。しかし、今回のような場合は明らかに老女が被写体の一部になるのだから身振り手振りで一言断るべきであった。外国人側(つまり私)の潜在的な傲慢を反省する。

そういえば、何年も前にキンタマーニ地方のクンニガンに招かれて祭りの賑やかな光景を次々とカメラに収めているときに、村はずれの山寺の前に集まる正装したバリ人達をとっていたところ、ある老女がこちらに向かって激しく身振り手振りで怒り出したことを思い出した。ほとんどのバリ人は寛大でにこにこしていることが多いのだが、なにかが老女を怒らせるらしい。

日本でもかつて親の世代などでは写真をとられると魂を抜かれるなどと信じている人もいたことを思い出した。写真をとられることに対する世界共通の原始的な感覚なのかもしれないなとの考えも頭をよぎった。

サヌールビーチで鮫があがっていた 2011-11-02 

午後2時前にサヌールビーチで人だかりがあり、ふとみると鮫が台の上に乗せられている。鮫の種類はわからないが灰色で2メートルはある。漁師に聞いてみると沖の方を指し、釣り糸を手繰る動作をしたのでスナッパーでも釣っていた時にかかったのだろう。カメラを持ってこなかったことをくいるがあとのまつりで、できるだけ観察をすることにした。

体高は15センチ程度で尾はすらりと長く伸び50センチはあるだろうか。体長2メートルに比して尾が長いことに気がつく。鰓の縦穴は人工的に設計しジュラルミンで形成したように美しい。歯は大きいものでは1センチから奥へ行くほどに小さくなり黄ばみや欠けもなく純白に輝いている。鮫の歯は次から次から新しくベルトコンベヤのように奥から生えてくることで知られるが、その生来の仕掛けのせいでこの純白とシャープに尖った歯を維持している。

これだけの歯で噛みつかれるとまづ獲物を逃すことはない。鯛やその他の大型漁も鋭い歯を持つがここまで何層にもなる歯は持たない。鯛や鮭など歯のあの鋭さだけで捕獲に十分だと思うのだがこの鮫だけはさらに一層捕獲能力に磨きをかけたもので、その流線型の体型や縦に3本入った鰓の人口構造物に見えるデザインとあわせて鮫だけになされた過剰なほどの進化が不思議に思われ、又一種の美にまで至っていることに感心する。

この看板笑える 2011-11-21 

買い物帰りに見かけた看板、これ実はタトゥ(刺青)の店です。no pain no gain(痛みを我慢しないとクールなタトゥは得られないよ) が秀逸です。もっともこの手の言い回しには事欠かないバリです。no money no honey(金がないと嫁さんもらえねえ) というのも昔からあります。いずれにしてもこの語呂合わせが旨い。

森の異界 2011-12-10

森の異界に紛れ込んだのかと思った。

2012-04-13

サヌール舗道 2012-05-01

毛並みの長い中型の黒い雑種犬が割合交通量の多いタンブリンガン通りを渡ろうとしている。いつも見かける犬だがなかなか利口で車の動線をよく観察しながら落ちついて渡る。道路沿いでたまに犬のはねられたムクロをみかける。脚を骨折した犬も見かける。バリの犬は子どもの時からこうした残酷な試練を経て何割かの犬が生き残る。

双子の姉妹が頭に果物をのせて売り歩く。この姉妹は毎日サヌール舗道からタンブリンガン通りを結ぶ道を朝から夕方まで、暑い日差しの中を一日に何回も恐らく数十キロもまわり歩く。その勤勉さに感嘆するがいまだ彼女たちから果物を買ったことは無い。それでもにこにこと笑いかけてくる。

いつもジュプンの落花を拾い集めている婆さん、歯は抜け落ちて、枯れたような風情で歩いている。拾い集めては砂浜に乾くまで干す。すっかり乾いて黒く変色したものを線香屋に売る。キロ300から400円くらいらしい。この花は素晴らしい芳香をもつので、線香の匂いもすばらしい。日本のお彼岸などでお墓に煙っているあの臭い線香とは比較にならない。みやげもの売り場の線香でなく土地の人が家の門にある小さな祠風の祭壇に供えるものにはっとするくらい素晴らしい薫のものがある。人工のまぜものなし、100%ジュプンなのだろう。

船から男が大きな魚をつかんで上がってくる。6キロはありそうなピンクの魚で、バリではしょっちゅう見かける。見かけは旨そうだが一度刺身にしたが大味であまりうまくないので買わない。同じ種類でも味は色々あるのかもしれないが、食指が動かない。フライにすると生臭さが消えるのかもしれないが。経験上バリでも魚の値段は見事に味に比例する。キロ400円以上の魚が旨いと思うが偏見が入っている可能性も。

顔なじみになったワルンやお店の人たちが4歳の娘に声をかけてくれる。当初はあいさつを返すことが判らなかったらしいが、何回もおしえてようやくあいさつを返すことができるようになった。さて困るのは、日本語で話しかけてくる正体不明の男などで、単なるフレンドリーなものもいるのだが、たいていはトランスポートのお誘いやなにやかやの意図があるのだろう、どこに住んでいるのか、何年住んでいる、子どもの学校はどこだとかむやみに質問を投げかけてくるうざい連中もいる。娘によくしらない人には挨拶をかえさなくてもよいと教えるのは難しい。そのうち空気でおぼえるのだろうか。

 

難破船とウミガメ 2016-03-16 

水平線の両端に見えるのが難破船。右が既に1年以上放置されている。左は昨日難破したばかりの船。2011-10-02

難破船の古株を拡大すると。既に船体の胴に赤さびがすごいことになっている。

1846年オランダ軍がバリに バリ島サヌール沖の難破船引き上げ要請に乗じてバリ サヌールに軍隊を上陸させ、ブレレンとジュンブラナを制圧するという歴史を思い出す。

これは昨日難破したばかりの船。漁船のようにも見えるが。それにしてもこのあたりは珊瑚礁の突起がでて航行が難所。慣れない漁師が入り込んだのだろうか。

ウミガメの赤ちゃん 2011-10-02

人だかりがするので近寄ってみるとウミガメの赤ちゃんが今から海に戻っていくところ。プリ・サントリアンプリ・サントリアン

懸命に泳ぐ。

もう前足を挙げて慣れたもの。

遠き山に日は落ちて 2011-12-02

一日の終わりに三歳の娘を連れて散歩する。ところどころ茜色にそまる雲に見とれる。

日の終わりには雲も気を緩めていろいろな表情を見せる。

夕暮れに憩う人々も雲の下で穏やかなひと時を

海面も夕暮れは豊かな表情を見せてくれる。

たちまち黄昏が深くなり、三日月が椰子の木の上に控えめな輝きを。

サンセットへとまっしぐらに急ぐ直前の輝き。

通りがかるとバンド演奏が 2011-12-05

いつもの海岸舗道を娘を乗せて走っているとバンド演奏が聞こえてきた。自転車を止めて少しの間聞き惚れる。生の音楽に飢えているので彼らの演奏する音色と音楽がすごく胸にしみた。特に左端の小ぶりのサックスがなんとも。テレマカシ!

干潮でむき出しになった海藻の緑が美しい

黒い胴に白い顔の犬を浅瀬で洗う。犬の上機嫌が伝わってくる。

この花は鮮度のよいあいだにぼたりと落ちる。

まぶしい海上と気持ちのよい緑陰

いつみても樹が踊っているように見える。

 

雲間から太陽が出る瞬間はいつもドラマティック。

日曜の夕方 2014-01-12 

屋台の立ち並ぶサヌール舗道 親子ずれがのんびりと散歩を楽しんでいる。

夕なずむアグン山に見とれる父親と二人の息子

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「バリ島 食べ物・暮らし (日本・世界の食べ物含む)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事