「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は村上春樹の比喩の巧みさの展示場だ。村上春樹の比喩の巧みさをメモしてみた。
私は咳払いをしてみた。しかしそれは・・・やわらかな粘土をコンクリートののっぺりとした壁に投げつけたときのような妙に扁平な音が聞こえただけだった P13
粘土を扱ったひとならすぐにぴんと来る。
バナナを壁に投げつけたみたいな鈍くて軽い音。
私はためしに口笛で「ダニー・ボーイ」を吹いてみたが、肺炎をこじらせた犬のため息のような音しかでなかった。 P14
犬をもってくるのがイメージの喚起に効果的。
タバコを過度に吸いすぎて気管支拡張になった老人の吐息。これだと少し陰惨になる。
私目を閉じて、眼鏡のレンズを洗うように右の脳と左の脳をからっぽにした。 P19
いまならコンタクトレンズを洗うようにか。
彼女の体には、まるで大量の雪が降ったみたいに、たっぷりと肉がついていた。 P22
体につく肉と雪、だれがこの比喩を思いつくか。贅肉でも優しさのある表現。
冬眠前の母熊のようにたっぷりと肉がついていた。
彼女の首筋には・・・夏の朝のメロン畑に立っているような匂いだった。 P24
ばら園のなかに立っているでは濃厚すぎる、イチゴ畑ではあまり匂いがしなさそうだ、レモン園では甘さにかける、母乳の残り香のようなは年齢的に合わない、春はジンチョウゲ、 夏はクチナシ。 秋はキンモクセイが匹敵するがイメージの喚起ではメロンに劣る。
もの静かな動物だった。息づかいさえもが朝の霧のようにひそやかだった。 P29
夜の月のようにひそやかでは少し生臭いか。朝の露のようにひそやか。
角笛の響き・・・それはほのかな青味を帯びた透明な魚のように暮れなずむ街路をひっそりと通り抜け・・・その響きでひたしていった。 P31
これは映像や水族館などで多くの人の記憶に眠る。暮れなずむ街路を青味を帯びた透明な魚が通り抜けるなんて誰もが思いつくものではない。
膨大な無意識の記憶の中から引っ張り出してきた表現。
無数のひずめの音に覆われる。その音はいつも僕に地底から沸きあがってくる無数の細かい泡を想像させた。 P31
映像的でもあり、聴覚的でもある。旧約聖書的でもあり、ダンテの神曲を連想させる。どこの箇所がということではなくそんなイメージを喚起させるということです。神話的雰囲気を高めるわかりやすくて深い比喩。
私は懐中電灯をしっかりと右手に握りしめ、進化途上にある魚のような気分で暗闇のなかを上流へと向かった。 P43
シーラカンスのような気分で、よりもいっそう得体の知れない感がでている。進化途上にある魚とぼかすことで一層イメージが喚起される。
まるで高度な頭脳をもった巨大な発光虫がふらふらと空中を漂いながら私の方に向かってくるように見えた。 P44
これも上記と同じ効果が
私の依頼人が音を消そうが抜こうがウォッカ・ライムみたいにかき回そうが、そんなことは私のビジネスの線上にはないのだ。 P46
このあたりは村上春樹がかつてジャズ喫茶を経営していた時の経験が生きている。
スクランブルエッグみたいにではどんよりした感じ。オズの魔法使いの竜巻のように とすると激しすぎる。
ポケットから縁の無い眼鏡をだしてかけると、戦前の大物政治家のような風貌になった。 P49
これもぼかしのたとえの効果。高橋是清のような風貌という喩より一層イメージが喚起される。
北の広場には街中の沈黙が四方から注ぎ込んでくるような不思議な空気の重みが感じられる。 P65
無意識の層からやってくるイメージを言葉に置き換えるとこんな風になる。
街中の無が四方から注ぎ込んでくるような とするとネバーエンディングストーリー風に
建物のひとつひとつには際立った特徴はなく、・・・それは郵便を失った郵便局か、鉱夫を失った鉱山会社か、死体を失った葬儀場のようなものかもしれなかった。 P66
いずれも童話の世界から抜け出てきたような、際立った特徴を持たない例示が光景として浮かぶ。
サンドウィッチを食べている老人はどことなく礼儀正しいこおろぎのように見えた。 P80
わたしの大好きな比喩。単に昆虫にたとえるだけでなく礼儀正しいを加えることで笑いを誘う。
コミンスキー・メソッドの食事風景から思い浮かぶのは
「どことなく正しいマナーをしつけられたオットセイのように見えた。」
エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて私が乗るのをじっと待っていた。 P100
エレベーターは「日の名残り」の執事のように扉を開けて私が乗るのをじっと待っていた。これだと「日の名残り」を観ていない人にはぴんと来ないか。
見出し写真 Wikipedia Teleogryllus emma Hyogo