直後に訪れた芦屋ではコンクリート防護壁が無残に崩れ、知人がメディアの無神経さに血相を変えて怒っていた。
かつてのブログ記事より引用。
職場でテレビを見た記憶は
3.阪神淡路大震災 1995年1月17日に出勤すると東京―大阪間の通信ケーブルが途絶していることを知った。まだ大地震の影響だとは気がついていない。その後対策本部室が設けられ、その部屋でテレビに映る甲子園付近の高速道路が二つにおれている映像や神戸市内が炎上している映像を繰り返し流していた。
筆者著作記事より引用
<1月17日午前5時46分に阪神淡路大震災が発生する>
その日の朝、大地震が発生したことなどなにも知らないで会社に着くと高速道路化の光ファイバが断線で不通になっているとの報告があった。しかし社のスタッフも事態の深刻さはまだ感じられない。そのうち高速道路裂断の映像が映し出されてようやく驚愕の大地震が阪神地方一帯を襲ったことが判明する。NTTの大開局が炎上する様子も何回となく流れた。通信も大きな影響を受けたがNTT関係者の必死の努力で比較的短期に復興する。
後日に大阪府豊中市に住む兄と電話で話をしたがその日の早朝、空が異様に光ったと電話口で語った。
その後、神戸の街は新しく生まれ変わり、復興は成功したようだ。16年後に襲った東日本大震災と福島第一原発事故も復興が成功する事を祈る。(別稿で阪神淡路大震災については記述)
FB筆者コメントより引用
高速道路裂断で分離帯の光ファイバが切れ、西日本が不通となり、対策に忙殺されました。非常時には回線借用でNTTも電力系も日本テレコムも協力的であり、惻隠の情を感じましたね。
その後に訪れた芦屋の惨状は今もくっきりと脳裏に浮かびます。