下記の「根拠の原理から解放された箇所がある」の意味がわからなかった。2年ぶりにこのブログ記事を眺めてふと根拠の原理とはエントロピー増大の原理ではないかと想起した。拡大する宇宙ではすべてがエントロピー増大の方向に向かっている。しかし生物のみがエントロピー縮小の方向に向かう。実に不思議で神秘な現象だと思う。
アダムが原罪を冒す、つまりイブに対して性欲を満足させたことは実は生殖という行為で個体に分散してしまった人間、つまりどんどんエントロピーが増大する一方の流れをエントロピー縮小の方向に回復するという行為としてみることができる。
そして「意志の否定」の体現者であるキリストにより、「意志の否定」にそむいた「意思の肯定者」である人々が救済されることは「根拠の原理」つまりエントロピー増大の方向が宇宙の因果律であり「解放された箇所」とはつまりアダムを救済するということだと見抜いていたと思えてくる。すごい観点であり、洞察力ではないかと。
ショーペンハウアーが熱力学のエントロピーを知る由はない。エントロピーの概念が発表されたのは1865年であり、ショーペンハウアーは1860年に亡くなっているのだから。
彼の思想体系からは厳密な意味でトンチンカンな解釈かもしれないしもっと深く知る必要があるがそんなふうに読めるのではとひとり納得している。
キリスト教が伝えようとしている大真理は、ひとつだけである。それは、最初の人間が犯した原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)により救済されるという教えである。キリスト教には、根拠の原理から解放された箇所がある。それは原罪であり、アダムが性欲を満足させたことである。これは、生殖という種族の絆により、個体に分散してしまった人間が統一を回復するというイデアを教義にしたと言える。各個体は意志の肯定としてアダムと同一であり、意志の否定としてキリストと同一である。
この想起は福岡伸一氏の次の講演録からもヒントを得ている。
生命現象は、例えば人間なら60~80年は生命の秩序を固体として維持することができます。それに対して、宇宙の大原則「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」があります。エントロピーは「乱雑さ」という意味です。
なぜ壊すことを優先するのか。それが「エントロピー増大の法則」に対抗する唯一の方法だからです。「法則」が生命現象を壊すより先回りしてわざと自らを壊し、つくり替える。まさに自転車操業です。https://www.academyhills.com/note/opinion/tqe2it000004wdhe.html
ショーペンハウワー「意志と表象としての世界」ニヒリズムからの脱却 その4
2017-05-11 13:35:08 | 映画・音楽・読書・宗教