まさおレポート

新電電メモランダム(リライト)14 NTTの再編議論延期と「政府措置」

 

<政府措置>

1990年3月に当時の郵政省(現総務省)から「政府措置」が発表された。これは日本電信電話株式会社法附則第二条の規定のより、「政府は1990年(平成2年)3月末までにNTTのあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること」とあり、これに従って発表されたものであった。以降、新電電各社とNTTの接続問題は折につけこの「政府措置」が大きな影響をもつことになる。

<電電公社民営化と臨調>

1982年(昭和57年)に臨調答申があり、①電電公社の合理化を推進する②独占の弊害の除去③巨大経営体の規模の適正化等の問題点から、組織再編成を行った上で民営化するのがふさわしい旨の指摘があった。

しかし、上記の3つの民営化の理由は国鉄や専売公社にもそのまま当てはまるいわば一般論であり、電電公社に対して特に上記の3理由が世間で切実に問題視されていたとは言い難く、下記の鈴木氏の話に見られるように臨調側からみても本音は電電公社の民営化は他の2公社に比べて切実ではなかったようだ。三公社としてひとくくりにされた中での指摘と勧告であり、電電公社民営化は優先度は低かった。電電公社側から見た民営化要望の本音は以下のインタビューで明らかなように、ひとえに経営の自由である。

「毛深い絨毯の中にある塵をひとつひとつ取れと言わんがばかりの介入を受ける。これでは効率的な経営ができない。もっと経営の自由がほしい」とあるように「独占の弊害の除去」を期待する臨調側とは同床異夢の中で電電公社側が熱心に進めた民営化だと言える。大きな変革をおこすときに常に付きまとう思惑の違いという普遍的に起こることがここでも起きている。自らが望んだ効率的な経営は結果的に常に外部圧力によりなされてきたと言える。民営化の結果、誰からの圧力にもよらず、自主的に大きく変えたのは社長以下経営陣の役員報酬ではなかろうか。これは世界の通信系トップ企業の役員報酬に比べて低すぎる水準だったのが是正されたことでもあり、非難されることではないのだが、同床異夢の根源にはこんな思惑もひそんでいると考えることは今後の参考になる。外部圧力にせよ、民営化によりスリムになり、効率化されたのは事実だ。

<電電公社側が民営化を求める>

株式会社旭リサーチセンター取締役会長・鈴木良男が株式会社東京リーガルマインド代表取締役 反町勝夫氏から受けたインタビュー記事 (http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v267/16_19.pdf)では電電公社側が民営化を求めた事情が明かされる。

鈴木 電電公社は、民営化が最も難しかろう、という気持ちがありまし た 。ところが 、トップの真藤恒総裁の方から民営化について強い要望を投げかけてこられ た の で す 。電電はそれまで国家の機関として、損益を考慮しない資本投入によって通信網を広げてきたわけです。「すぐつく電話」、「すぐつながる電話」を目標としていた時代がようやく終わりを告げ 、いよいよ事業経営の時代に入ろうかという時期です 。そうなったとき、今までの財務体質、経営体質で維持できるのか。民間出身の真藤氏の頭の中には、そのような思いがあったことでしょう。あるいは臨調の公開ヒアリングに出られた電電公社の方が、「郵政省の介入が甚だしい」ということを 盛んに 訴えられ たこともあります 。「毛深い絨毯の中にある塵をひとつひとつ取れと言わんがばかりの介入を受ける。これでは効率的な経営ができない。もっと経営の自由がほしい」と。

1982年1月に報道された電電公社近畿電気通信局で発生した巨大な経理不正事件もその事件の原因に公社体質を上げる関係者もいる。あまりにもがちがちの会計のために交際費等の金が自由にならないということから必然的に起きる不祥事だとの説明である。この不正経理事件当時の会計検査院職員であった大学教授が述懐している。(これは経理不正事件の言い訳としてはかなり身勝手な言い訳に見えるが)

1982年4月19日には郵政省が「電電公社の経営形態に伴う支出の増加について」を発表して民営化を牽制しているが、電電公社真藤総裁は翌々日の1982年4月21日には郵政省の発表に反論して民営化しても赤字にならないことを記者会見で強調するという素早い行動を見せた。この応酬からも電電公社側が民営化を促進している当時の事情が伺える。

<電電公社民営化と5年後の見直し>

1985年(昭和六十年)の電電公社民営化改革は以下の原則で行われた。①組織再編成は行わず民営化する。 ②NTTのあり方は五年以内に再検討する。 ③日本電信電話株式会社法附則二条でNTT成立の日から五年以内つまり1990年平成二年三月末までに「必要な措置」を講ずることを政府に対して義務づける

国鉄の民営化の目玉である地域分割は電電公社の1985年民営化時点では採用されなかった。この点からも、競争導入による独占の弊害除去よりもむしろ「会社の自由」が勝ちを収めた風に見える民営化ではあったが、その後は日本電信電話株式会社法が新たにNTTを束縛する法律となった。初代社長に就任した真藤氏にとって、この日本電信電話株式会社法が不本意であったことは事実で、当時NTTの課長であった私も真藤氏が民営化の直後に社内放送で社員に残念そうに話すのを聞いた。(当時氏は既に高齢のためにぼそぼそとしたしゃべり方で非常に聞きとりにくいものであったが)真藤氏は5年後の見直し時点でこの会社法の廃止を期待していたのではないかと思っている。1988年に発覚したリクルート事件で真藤氏は自ら廃止したかった日本電信電話株式会社法違反に問われるという結果になり、5年後の見直しを待たずして逮捕、退任に追い込まれた。

<5年後の見直しに対する電気通信審議会答申>

郵政省は1988年3月に電気通信審議会にNTTの在り方を諮問し、2年間の検討を経て1990年3月2日に答申を得た。これによると郵政省あるいは審議会の判断は下記のようであり、民営化に一定の成果があがったと見た。しかし、「いまだ競争全体が完全に熟した状態になっていない」と留保条件をつけて今後の推移をみる姿勢を示した。答申をみると

①1985年(昭和六十年)の電気通信制度の改革以降、多くの新しい会社が通信の分野に参入し 相次いで料金値下げがなされる等の一定の成果があったと評価した。(筆者注 東京―大阪間はNCCは1990年当時240円、NTTは280円。郵政省は新電電育成のため、NTTの料金を高止まりさせているのではないかとの批判や疑問が国会で取り上げられ、3月19日からNTTの遠距離料金が330円から280円に下がったが、当初の計画では300円で、郵政省はもっと下げられるのじゃないか と促したとの郵政反論もあった。)

②市内網つまり電柱に張り巡らされた加入者のネットワーク網に接続して初めてビジネスが成り立つ構造を指摘。市内網の競争導入はなかなか困難であり、接続ルールを早急に策定する必要があると言いたいのだろう。

③いまだ競争全体が完全に熟した状態になっていないと判断した。(筆者注 料金値下げで一定の成果はあるものの、いまだNTT地域独占など競争条件が十分でない諸条件が残っている)

要約すると、民営化後、遠距離料金が下がり続けており、まだまだ下がり続けるという進行過程にあり、一方地域は依然として独占が続いているので分割は見合わせてもう5年間様子を見ようとの結論であった。1985年の民営化後わずか3年の1988年に審議会に再検討を諮問するというのでは諮問する前から結論は見えており、がそもそも無理があったと言うべきだろう。

<NTTの在り方見直しの代替措置としての講ずる措置>

上記の電気通信審議会答申を受けて、1990年3月末に政府は以下の決定を行い、1990年予定のNTTのあり方見直し、つまり再編成は5年後に「必要な規制緩和について実施する、政府として講ずる措置」の推進状況を見て検討することになった。本来「講ずる措置」は「政府は1990年(平成2年)3月末までにNTTのあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること」とあり、再編成とセットで講ぜられる措置と読むのが自然だが、政府は「講ずる措置」のみを実施することにした。 このあたりは政府特有の作文能力で、常にこうした文書はある種の思惑(つまり別の読みをしても結果としておかしくないという文書)を秘めているので心して読まなければならない。

政府は1990年3月30日に「講ずる措置」で下記の決定を見た。

1.公正有効競争の促進を図る。 

①NTTが長距離事業、地域別事業制を導入、徹底してその収支状況を開示するよう措置する。これを受けてNTTは初めて長距離、地域事業部ごとのコストデータを整備することになる。その結果として接続料金の基礎データが整備されることになる。

②移動体通信業務を一両年内を目途にNTTから分離して完全民営化する。これを受けて1991年8月にドコモの前身である エヌ・ティ・ティ・移動通信企画(株)が設立されることになる。


③接続の円滑化=POIの設置が円滑に進まない問題などを改善する。これは県内複数のPOI設置にNTTが積極的に応じない問題を指しているが、これは後に一県一POIとして新電電側思惑とは反対の方向で整理されることになる。さらにその後には任意の加入者交換機にPOI設置を認めるなどの大幅な改善が見られことになる。

POIの設置と関連して回線数の設定も新電電側に頭の痛い問題であった。POIの回線容量は前年に締め切られるために年の途中で顧客が増えて急に回線を増やそうとしても通常価格では無理で、例えば半年先に回線を手当てしてもらうためには「特急料金」という特別な設備料金を払うことになる。この制度は長く存続し、後にソフトバンクがIP電話をはじめて急激に顧客を獲得していくときにも必要回線予測が難しく、手当てに困難を生じた経験がある。

④内部相互補助の防止 長距離事業と地域別事業の相互補助を防止する、あるいは異なるサービス間での相互補助を防止することをうたっている。NTT長距離事業部門は常に黒字であり、地域事業部門を常に補助するかたちで経営が成り立っていた。地域事業部門に補助を行わないと基本料をあげる措置をとらなければならず、この内部相互補助は当然のこととして行われていた。従ってここでの内部相互補助の防止とは文字通りの意味でとらえてはおかしくなる。異なるサービス間での内部相互補助防止と理解していた。

欧米のレギュラトリー関連では頻繁に「subsidiary」の禁止として登場する概念で、新電電各社もこの防止を訴えていた。ようやく日本でもこの政府文書として「subsidiary」防止=内部相互補助の防止の文言が登場した。 

⑤情報流用の防止 NTTの顧客情報データベースは地域別事業部が持つが、これらの顧客情報を長距離事業部が利用できる立場にあると公正な競争が妨げられる。新電電各社に加入しているという顧客情報が長距離事業部門に流れると、その営業部門が加入状況を示すデータを使って効率的なシャーン=churnが可能になるため、不公正な競争となる。

10年後、極めて短期間であるがNTTコミュニケーションズの社員と一緒に仕事をする機会があり、彼らのこうした情報流用などに対する企業倫理感があまり育っていないことを痛感する現場も見聞することになる。要はかつての電電公社の仲間意識がそのまま残っており、営業上の必要に迫られればかつての同僚や後輩に電話を掛けて例えば顧客情報などを教えてもらうのが当然と言う意識が多くの社員に残っていた。さてそれからさらに10年たった現在では改善されただろうか。

⑥ディジタル化の前倒し=ID送出の完全実施 電子交換機D70ではID送出機能つまり新電電各社の事業社コードID4ケタを送出する機能を持つが、クロスバー交換機では機能改造を行わなければ送出機能を持たない。電子交換機を100%にするか、存在するすべてのクロスバー交換機に機能改造を施すかいずれかの早期達成を求めている。3年後の1993年7月26日 全NTT交換機のID発出機能化を完了する。

2.NTTの経営の向上等を通じて、国民、利用者の利益の増進を図る。NTTにおいては徹底した合理化案を自主的に作成し、これを公にして実行する。

NTTの抱える団塊世代の余剰人員の合理化を主として指している。こうした政府圧力がなければNTTの自助努力で自ら労働組合(全電通、後に情報労連)に働きかけて解決をはかろうとする能力は全く無かったと言ってよい。NTT接続問題といい、合理化施策の推進と言い、政府圧力を受けて確かに改善されたが、果たしてこのあまり前向きとは言えない受け身の姿勢のみでNTT経営者として歴史の評価に耐えられるのだろうかとの疑問が以下の事実を見るにつけ消えることはない。

この後のNTT経営者が如何に合理化の推進に意を注いだかはその後の歴代の社長児島、和田、三浦各氏が労務畑の出身であったことにもうかがうことができるがやはり経営のトップが労働畑に偏ると言うのはいびつである。顧客ではなく組合のほうに顔が向いていたということなのだろう。

後に1996年にNTT社長になった宮津氏のスピーチでは団塊の世代の社員が異常に余っており、配置転換も退職もままならないので自然退職の年がくるまで何とか新規事業を創生して余剰要因を吸収してしのぐしかないと悲愴な意見を正直に述べていた。

3.我が国の電気通信全体の均衡ある発展を図る=必要な規制緩和について実施する。この「必要な規制緩和」とは郵政は具体的に何を意味していたのだろうか。

4.NTTが行う株主への利益還元についても配慮する=株主の納得や協力が得られるなど幾つかの前提を満たすことが必要。 これは最後にきているが実は最も言いたかったことではないか。端的に言うとNTT再編成問題を先送りする理由となったNTT株価の低迷に対して、株価をさらに下げるようなことはしないという宣言だろう。

5.措置の結果を踏まえNTTのあり方について1995年(平成七年)度に検討を行い、結論を得る。

6.電気通信審議会に所要の諮問を行っていく。

<政府とNTTの思惑>

上記の政府措置の決定はいずれもその当時新電電各社と接続上問題になっていた事項を改めて指摘したもので、進行中のこうした懸案問題はいずれ再編成を待たずとも解決するものとして、その進展の結果次第では分離分割問題は沙汰やみになる可能性も考えた節がみえる。「NTTにおいては徹底した合理化案を自主的に作成し、これを公にして実行する」とあるようにNTTが今後自主的に頑張れば分離分割案はおさまりますよと政府が言っている風にも見える。

政府はこの時点ではNTT法の廃止を含む完全民営化を嫌い、そのために分離分割を極めて慎重に扱ったのだろうか。結果的にNTTは10年後再編成されるが持ち株会社を設立することで特殊会社を維持し、又、この持ち株会社方式はNTTの希望にある面で沿う形にもなり、政府のコントロール下に置くことに成功している。1999年になされた持ち株会社方式による決着は完全民営化を巡っての政府とNTTの妥協の産物のようにも見えてくる。

NTTの自主性を尊重するという事に関して国会で質疑があり、郵政省は「NTTは国民の共有財産として形成されてきた電気通信ネットワークを電電公社から承継して非常に公共性の高い事業を営む特殊会社としての性格を有する。 自主性といってもその範囲は決して無限定というものではない。法律の規定によっておのずからなる内在的な制約がある。例えばNTTの重要な財産の譲渡に当たっては郵政大臣の認可にかかる 」 と回答している。

当時のNTTの経営形態であっても自主性と完全民営化を取り違えてはいけないと主張して政府の管理下にあることを念押ししており、当時の郵政省の分離分割議論はあくまでポーズであり、実際に分離分割議論が進み、後のJRに見られるように完全民営化へ舵がとられる(したがって天下り先がなくなるあるいは少なくなる)のを恐れていたようにも見える。後年、ホールディングカンパニーのもとに分離するという中途半端な再編成を実施したのも、天下り先確保のための手段として完全民営化を阻止するという観点からみると政府にとって妥当な着地だったと思えてくる。

<JRは既に完全民営化>

この年、NTTは分割再編成を先延ばしにされたが、その後のJRとの対比が興味深い。本州3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)は1993年(平成5年)から順次一部株式の上場を実施したため、特殊会社としての規制が経営の足枷となることが懸念された。そこで、平成13年(2001年)6月22日法律第61号により、本州3社は正式に本法の対象から外され、法律上民間会社と同等の扱いとなった。その後、本州3社は全株式を上場し、完全民営化を達成している。ただし、改正附則により国土交通大臣が「本州3社が配慮すべき指針」の公表、事業経営への指導及び助言、勧告及び命令を行う旨を明記し、一定の権限を保持し続けている。国土交通省から本州三社への天下りはNTTに比べて副社長等の主要ポストが各段に少ないことはこのあたりの事情を裏づけている。

<余話1>シャーンあるいはチャーン:ミルクをかき混ぜると壺の内側に成分がへばりつくことから来た用語で、短期間に次々と同種のサービスを別のブランド、企業に乗り換える顧客又は乗り換えること。日本ではケーブルテレビの業界でよく使われる。

<余話2>POIからの回線容量では全国ベースの予測を行い回線申し込みを前年度にすませておかなければばらない。ソフトバンクもIP電話を開始した頃は県によって大きな過不足が生じた。特急料金を払っても3か月後にしか回線が手当てできないので困った挙句、回線に余裕のある某社に孫正義氏と回線の融通をお願いしに行ったことがある。 相手がNTTから借りている料金に少し色を付けた程度を想定していたら、その会社の電話料金表による金額を示されて話にならなかったこともあった。

<余話3>内部相互補助防止である総務省主催の聴聞会の一場面を思い出す。長期増分費用方式が導入されて、交換機の加入者ポート設備が本来NTT地域会社の負担すべき費用だとなって、それまで接続料金に含まれていた費用から加入者料金へ費用転嫁すべきだとの話になった。NTT東の三浦社長に陪席していた有馬取締役が「基本料をあげざるを得ない」と色をなして反論した。実はこれは総務省の弱みをついた反撃であった。基本料を上がる→国民の反対が凄くなる→総務省が困る。

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