まさおレポート

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孫正義がゆく

2021-10-07 | 通信事業 孫正義

わたしは2001年から2005年まで孫正義に身近に接し、折に触れて孫さんが「竜馬がゆく」に感銘を受けていることを感じていた。それも中途半端なものではなく、彼の心の深いところに沈潜してビジネスから生活まで行動をを律していることを感じ取っており、おそらく現在にいたるまで変わっていないと思う。

孫さんの志は「竜馬がゆく」の「世に生を得るは事を成すにあり」に触発されたものであり、「竜馬がゆく」を孫さんの背後にみることで彼の原点と行動原理である「志」を浮き彫りにできるに違いないと思った。

野田一夫氏は志を孫さんに説いたと語る。孫さんが「事をなす」ことを一言で表した志を座右の銘とするのは野田一夫氏に依ったのかもしれない。

あるいは孫さんは「竜馬がゆく」の次の「ただ一片ののみをもっていた若者にもとめた」の一節からかもしれない。竜馬が暗殺されるシーンを描く前におかれた一節だ。

筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片ののみをもっていた若者にもとめた。(竜馬がゆく 八巻)

本著作全般を「竜馬がゆく」を補助線のように見て記した。この章では「竜馬がゆく」と孫さんのふるまいを各章のエピソードに先駆けてまとめて記してみた。


2017年6月1日にホテル雅叙園東京で龍馬没後150年高知県立坂本龍馬記念館巡回展「土佐からきたぜよ! 坂本龍馬展」が開催された。その場で孫さん自身が竜馬へのあこがれを語っている。

「ソフトバンクのロゴマークですね、龍馬の海援隊の二本線の旗のしるしから生まれたんですけども、そのぐらい私が坂本龍馬にあこがれている。

今、日本はまさに、当時の幕末の状態ではないかなと。この20年間くらい、日本はもうほとんど、GDPが成長してない。国全体が活力を失っている。

日本をもう一度よみがえらせる、日本の夜明けをもう一度迎える、そういうためには、龍馬のような、高い志、また高い志に多くの若者たちが結集してですね、この世の中をもう一度活性化させると、そういう想いが、大切なんではないかな、と思います」

孫正義2011LIVEより


司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は戦後のドグマ無き世を歴史上の人物坂本竜馬を通してどう生きるかを問うた作品だ。

司馬遼太郎はそれを「天命」として従来の天皇史観や武士道に置き換わる至高の価値とした。中学2年15歳のときに読んだ孫さんは心から共鳴し、あたかも作品上の竜馬が乗り移ったかのように見えるほど傾倒した。次の家庭教師との会話はそのいきさつをうつす。

「君は何か小説を読んでるか」と家庭教師が尋ねる。

「いやいや、小説なんて僕はあんまり読まんですけん。生徒会の会長だとか、野球、サッカー、剣道などのスポーツ一心だったから、小説なんて女みたいなこと、とてもわしは出来ん」と孫さんが素直に答える。

「いや、でも何か読むだろう」と家庭教師がさらに突っ込む。

「実はヘルマン・ヘッセの車輪の下を読んだことはありますけん」と孫さんは答える。

「なんや、君は男のくせに読んでる内容が暗いな」と九州もんらしい家庭教師が追い込む。

「男らしい小説なんてあると」と孫さんは質問する。

「司馬遼太郎の竜馬がゆくを読まんかい。それでお前は男になれる」これで決まりだ。家庭教師は本来言いたかったことをここで宣言する。


孫さん自身の語りに耳を傾けよう。

「私自身が、どういうきっかけで、その高い志を持って人生を歩みたいというふうになったかということですが、一冊の本があります。15歳のときに読んだ「竜馬がゆく」であります。

この司馬遼太郎さんの書いた「竜馬がゆく」この本を読んで、衝撃を受けたんですね」

竜馬がゆくを読み始めたらそのまま徹夜の連続で一気に8巻まで読み最後の竜馬が暗殺されるところは涙がぼろぼろ出て人生観が一気に変わり差別、国籍、人種問題とかで一回しかない人生を悩むことがどれほどつまらないことか、ちっぽけな人間だということに気づいたという。おそらく次の一節だろう。

それから二日後、竜馬が中岡慎太郎とともに京の宿で死んだ旨の報が、三岡のもとに入った。あの夜、ほぼ同時刻に、竜馬の霊は天に駆け登ったのである。竜馬がゆく 第八巻


孫さんはさらに竜馬に影響を受けた志を熱く語る。

「もう一度、龍馬のほうに戻ります。何を成すために自分は生まれてきたのか。事を成す、その事ってなんなのか。

自分にとっては、事業家になりたい。自分の人生、一生をかけるのにそういう仕事ってなんなのか。

人々がやってないこと、新しいこと、人の役に立てること、一番になれること。儲かること。

自分が継続して好奇心を持ち続けられること。意欲を持ち続けられること。多くの人々に役立つこと。常に何か技術革新があって、そういうような業界じゃないと、自分の心が熱くならない。
情熱さめてしまいます。

私にとっての事を成す、私自身の決断が「デジタル情報革命」であります」

世に生を得るは事を成すにあり 竜馬語録

孫さんは「竜馬がゆく」を読んで「自分の、あるいは自分の家族の私利私欲とかではなく、もっとでっかく人生を燃えたぎらせたい、ひきちぎれるほど頑張ってみたい、何か多くの人々を助けたい、何百万何千万の人々に役立ちたい。人々に貢献したい。その想いだけが強烈にめばえてしまった」と述べている


孫さんは20代の終わり頃肝炎で余命を宣告されるほどの状態になった。そのときに「竜馬がゆく」を10数年ぶりに読み返したという。

「竜馬がいく」を読みふけって残る与えられた命を天命に捧げようと思った」と孫さんは述べている。20代の頃の漠然とした「天命」が余命を宣告される状態のなかで「情報革命」となって昇華した。

竜馬のいおうとしているのは、人間の文明の発展というものに参加すべきだ、そうあれば、三上ヶ岳の不滅の燈明のように、その生命は不滅になるであろう、といいたいらしい。
「それでおれは死なぬ。死なぬような生きかたをしてみたい」竜馬がゆく 第4巻

孫さんが切望する300年存続する企業というのも「生命は不滅になるであろう」からきているのではないか。


人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。竜馬語録

孫正義の大風呂敷は自他ともに認めるところだが、孫さんは人から大風呂敷と言われることが嫌いではない。この大風呂敷を自らを鼓舞するバネにしている。

2000年にソフトバンクが赤字を続けていて、株価も低迷していた。いつ黒字にするのかと株主やマスコミから盛んに問われていた時期でもあり、孫さんの回答はいつも

「いつでもその気になれば黒字にできる」

「ちまちました数億単位の黒字」

に興味はない。豊かな果実をどんと実らせるから待っていてほしいとのメッセージだ。通常の経営者なら株主のプレッシャーに辟易とし、一日でも早くとにかく黒字にしてプレッシャーから解放されたいと願うものだろう。

当時のソフトバンク株価は800円近辺で底値をさまよっていた。来る人来る人が株価の低迷を嘆き、「早く元に戻してくださいよ」と訴えていた。孫さんは株価変動グラフを見て

「見事な正規分布です」

と言ったり、

「ソフトパンクです」

と自虐ネタにして笑っていたが、株主は気が気でなかっただろう。

同じノリで他のADSL事業者が2年3年をかけて50万程度の獲得を目指しているとき、サービス開始後3ヶ月で100万加入を目指すと宣言した。

当時の口癖は「時間を金で買う」で周囲からは生き急いでいるのではないかと思えるほどに何事にも過剰なほどの迅速を求めた。


議論に夢中になると、羽織の紐を解き始め、それを口にくわえてニチャニチャ噛みながらやる。ヒモはべっとりと濡れ、さらに興にはいると、グルグルと回すものだから、房からツバが飛ぶのだ。司馬遼太郎「竜馬が行く」

議論に恍惚となる竜馬の性癖を描いた一節だが孫さんも恍惚となるところは変わらない。

ADSLのパラソル営業などの新戦略を語るとき、光ファイバーによる事業展開を考えるときなど自らホワイトボードの前に立ち、誰もが半信半疑で(いや疑いの方が大きいかもしれない)孫さんを見つめるなかで持論の正しさを細かな数字を使って計算しながら証明していき、必ずと行ってよいほど絵を描いて説明する、そしてその絵がなかなか味がある。

説明が長時間にわたると孫さんの表情は例えではなく恍惚となってくる。こうした作業に熱中するとき快楽物質エンドルフィンがふんだんに出ている。わたしはこれこそが孫さんの成功の秘密ではないかと思う。

このころ流行った社内ジョークは「細かいところは社長が説明します」細かい数字を自ら計算してボードに書き記し恍惚となっていく。自ら細かいところまでプランニングするので誰よりも詳しくなっていく。


偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。竜馬語録

野田一夫氏が孫さんの謙虚さについて語る。

「孫君は、国際ビジネスの世界で他を圧するほどの威風堂々という体格の持ち主ではないし、風采だって小柄だし、とくに良いわけではないだろう。だが、大事なのはあれだけの実績を出し続けているにもかかわらず、謙虚であり続けてきたことだ。

こんな姿は決して戦略的に見せているのではない。彼の本質的なキャラクターなのだ。それこそが孫君の最大の秘密と思うのだ」

NTTとの接続に関する実務会議、TTC標準化会議の下部委員会、DSL作業班、名義人問題の実務者打ち合わせ、思い出せばきりがないほど現場の交渉に孫さん自ら参加して陣頭指揮を執ってきている。人によっては相手を構わず議論することはリーダーとしての立場をわきまえないと非難されるかもしれない。

NTT東西の課長を相手に社長室で2時間も真剣に議論するかと思えばNTT東西の社長にも直接交渉に出向き、まったく同じ調子で議論する。(言葉使いまで同じで、大臣やFCC高官など誰に対してもあまり変わらない。後年トランプやプーチンとも話をするがおそらく同じだろう)

電話セールスやパラソル営業では、地方に優れた派遣社員やアルバイトがいると聞くと、現地で熱心にその人のノウハウや意見を聞く。同時に役所の本省のトップの事務次官にも電話で噛みつく。

これは孫さんが

「偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい」龍馬語録

ということをどこかで肝に銘じたからか、偏見を持つなはあるいは天性のものかもしれない。これも世界的に見て実に特異な経営者のスタイルと言える。


人情の機微も「竜馬がゆく」仕込みだと思わせる場面に何度も遭遇した。「竜馬がゆく」では寝待の藤兵衛や人切り以蔵、冴などを相手に人情の機微をみせる竜馬が描かれる。

下記の例もそのひとつだろうと思っている。

2001年から2005年当時の昼食と夕食は殆ど会議での仕出し弁当で会議参加者と同じ弁当を食べる。会議は12時を回ることは日常であり、常に日本橋周辺の弁当が出た。夕方は7時をすぎると弁当が入り口のテーブルに山積みされていた。鳥飯丼風や寿司弁当、近所の名店玉ひでの親子丼、とんかつ弁当などボリュームのあるものが提供されていた。

人は腹が減っては良い知恵が浮かばないということを知っていたこと、そして自らの健康を考えて不規則になりがちな環境で極力規則正しい食事を心掛けていたことなどを合理的に考えてのことだろうが、一緒に同じ飯を食って議論するということの効果を熟知しており、何よりも優先していた気がする。


女性だからと遠慮しないのは男女差別意識がなく当分の見識を求める表れだろう。

世界通信サミットの準備会合に孫正義氏が出席したときのあるエピソードを思い出す。総務省で行われた準備会合には麻生総務大臣をはじめ、総務省幹部、通信業界のトップが集まっている。

その会議で世界通信サミット親善大使としてキャスターの久保純子氏が選任された。その挨拶に立った久保純子氏が

「私はコンピューターもインターネットも得意ではないが」と何気なく発言をした。

孫さんは挙手をして発言を求め

「そんなことでは親善大使として困る。もっと勉強して世界の女性代表と伍していくため、努力し、勉強してほしい」と発言した。

女性であろうが男性であろうが甘えを持たずに仕事をしてほしいとの姿勢があらわれている。性差別をもたない孫さんの裏返しの発言だと理解していた。

竜馬の姉で男勝りの乙女姉さんの影響かも知れないとの思いがわたしの脳裏をかすめた。


この世に生まれたからには、己の命を使い切らんといかん。竜馬語録

「竜馬がゆく」の竜馬はどこか生き急いでいる、そして人間のおかしみが随所に漂う。 生き急いでいると感じたエピソードを次に紹介したい。

2003年NTT西の上野社長を訪れたときのことだった。大阪城の近くに孫さんを乗せた車が差し掛かった。道路の反対側に薬局がちらっと見えたと思った瞬間いきなり車を止めさせた。

孫さんは車が行き交う中を一人で車が行きかう道路の向こう側に渡った。何事かと心配し待っていたわたしに風邪薬アンプルを2本飲んで帰ってきたと言った。2本飲んだから早く治るわけでもないのだがと内心おかしかった。

その帰り、30分早い便があるとわかると乗り換えるため伊丹空港内の南ウィングから北ウィングへ駆け足で移動することになった。結局その便は1時間遅れという皮肉な結果になった。荷物を抱えて伊丹空港内を30分走る孫さんの姿はなにかしらおかしみがあった。

ADSLサービス開始直後、わたしの席は孫さんの仮設社長室の出口からすぐのところにあった。顧客のサービス開始には毎日NTT東西に工事を依頼しなければならない。とにかく一件でも多く発注する。そのため席にやってきては日に10回程度も進捗を尋ねてくる。

時に社内が迅速についていけず、これがADSLサービスや携帯事業の開業時のシステム不具合などのつまずきを生む。現場に少なからず困惑をまきおこしながらも生き急ぐ孫さんに引っ張られてドラマは進む。なにより彼自身の不眠不休のストイックな行動力でついて行った。

ボーダフォンを巨額で買収して世間を驚かしたのもこの迅速、時間を金で買うことの端的な表れ、スティーブ・ジョブズのもとに迅速に飛ぶ、米国スプリント買収も時間を金で買うというところから出ている。


刀などより、これからはこれぜよ「竜馬がゆく」

「竜馬が行く」の文中、竜馬が子分の陸奥宗光に「刀などより、これからはこれぜよ」とピストルを見せる。

早速陸奥がそれをまねてピストルを持ち歩くようになり、竜馬にほめてもらいたくてそれをみせると、今度は胸中より、「これからはこれぜよ」と万国公法を見せるという場面がある。

万国公法は当時の国際公法で、国際標準と考えてよい。

竜馬の海援隊が他藩の船と衝突し、その処置に万国公法によったという「いろは丸事件」は孫さんの口から会議の席で度々聞いた。

「いろは丸事件をしってるか。竜馬の海援隊は万国公法で交渉を有利にした」と孫さんは言う。

ADSL干渉問題でNTT東西はじめイー・アクセスやアッカなど先行他社と摩擦を生むことになったときに出た言葉だ。

ADSL規格に当時の日本標準規格ANEX- C(アネックス シー)を採用せず、北米標準のANEX A(アネックス エー)を大胆に採用することや、ADSLモデムを海外から国際調達する。北米標準のANEX Aが万国公法なのだ。

国際規格は海外で多く使われ、大量生産されているために特に台湾製など廉価である場合が多い。国際規格製品を海外から大量購入することはコストを場合によっては50%近く引き下げることが可能であり、顧客の月額料金を大幅に引き下げることができる。

しかし、日本標準のANEX-Cは先行する巨大サービスであるNTT東西のISDNとの干渉を避けるための規格であり、それをあえて北米標準のANEX A方式を採用することは他社では考えられない。

さらに当時既にADSLサービスを開始していた他社たとえばアッカが基幹回線網にATM網を採用していたのに対し、ソフトバンクはIP網をいち早く採用した。

これも竜馬がゆくの万国公法と考えるとすんなりと頷ける。


奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。竜馬語録

2000年には総務省でNTTの局舎建設の遅延に怒り、役人の前でガソリンかぶる宣言をした。ADSLユーザ-に対する「解約縛り」つまりサービスが遅れたために解約しようとするが、その解約処理すら遅れが目立ち、それに対する苦情が増え、ある日孫さんは総務省の苦情担当の室長に呼ばれて出向いたことがある。

孫さん自身の口から語ってもらおう。

日本のインターネットは、先進国で世界一遅い。これは恥ずかしい。

名もいらない、金もいらない、地位も名誉もいらない、命すらいらない。そんな厄介な男はいない。そんな男は打ち負かそうにも負かせられないわけ。

値段はNTTの8分の1。世界一安い。そんなブロードバンドを提供したわけです。まさに「なんもいらん」という状態。

これを発表した日、ひと晩で申し込みが100万件を突破した。お客さんを半年以上待たせて、むちゃくちゃ言われた。詐欺師! どうしてくれるんだ!と。
総務省に乗り込んでいって、それでもうガーンと机叩いて、NTTの総務省の担当課長と、ここでわしゃ灯油かぶる、と。

総務省のあんた方が言うてくれんと、あの独占的にメタル回線を持って、独占的に局舎を持ってる彼らが繋いでくれない。これはもう明らかに独禁法違反だ。待たしてる100万人のお客様に申し訳が立たない。


此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり申候。龍馬の手紙

「竜馬がゆく」によると竜馬は勝海舟を斬り、逆に魅了されて師事する。又、松平春嶽に可愛がられた。孫さんもシャープの佐々木元副社長やマクドナルドの藤田さんなどに可愛がられている。

米国留学先でも教授たちに可愛がられて自動翻訳機の特許をとる発明をしてる。


衆人がみな善をするなら、おのれ一人だけは悪をしろ。逆も、またしかり。英雄とは、自分だけの道を歩くやつの事だ。竜馬語録

アメリカや中東、サウジアラビアの政府系ファンドやAppleらが出資する10兆円規模のビジョンファンドを設立し、「薩長同盟」になぞらえる。

「龍馬が薩長同盟をするのに経済の力で利を結びつけたように、僕にとってのビジョンファンドも経済面のメリットからある意味刺激を受けて派生していったということ」

と孫さんは述べている。


三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎は竜馬を「妙に、人間といういきものに心優しい」とみている。

癪だが、おれより人間が上品だ。あいつが、おれに優っているところが、たった一つある。妙に、人間といういきものに心優しいということだ。「竜馬がゆく」巻3

ヤフー元社長井上氏の葬儀で「人間といういきものに心優しい」孫さんの人柄がでている。

「井上君が社長室長で、米国とかいろんなところに出張に行った。両手に重たい荷物を持っていたんだけど、信号待ちの四つ角でふと気付くと、両手に持っているのは僕で、悠々とたばこを吸ってたのが井上君だった。

たまりかねて井上君に、井上君、1つぐらい持ってくれんか。って言ったら、ちょっと僕、腰が痛いんですよねって。仕方ないから、僕は両手でかばんを持ち歩きました」(産経Webより )


四、五十人も人数が集まれば、一人ぐらい異論家はいる。いるのが当然でもある。その一人ぐらいの異論を同化できぬおのれらを恥じろ。「竜馬がゆく」 

2001年のある日曜出勤の日、孫さんとKさん、私とIさん4人で昼食をとりに出かけた。目当ての「鯛めし」は開いておらず、ロイヤルパークホテルの寿司屋にはいった。

「僕はウニとか苦手なんだよ」と言いながら孫さんはあることを話はじめた。

「彼は世界的に見ても、ビルゲーツの次くらいに天才だ、とくにコンパイラを作れるのはよほどの才能がないと無理だ、ビルゲーツも数学的な頭脳はぴか一だがTはその上だ」と驚くようなことを言い出す。

「Tの話に海外ADSLメーカはみな最初は反対していた。そのうち、彼の言っていることは正しいと理解しだした。

彼はLSIの中の専門的なことまで専門家と太刀打ちできるのだ。
彼は、言っていることが凡人には理解されない、しかし、よくじっくり考えるとあたっていることが多い。

経営の話は別で、俺の方があたっているけどね。みんなも彼は一見無茶を言っているようだがじっくり理解者になってやってくれ」

孫さんはここまで人を信じることができる。

このTさんとは経営会議などでちょっと信じられないやりとりを繰り広げる。

「だまれ T だまれ だまれ だまれ、お前は技術では上だが経営は俺のほうが上だ、だまれ」

と青筋を立てて怒りだす。しかし本気で怒っているのではないことが出席者の誰の目にもあきらかなのだ。あえていえばじゃれ合っているという風にも見える。

「そんなこといっても孫さん、それはだめです。むちゃくちゃです。」とTさん。

「まだいってるのか」と孫さん。

こんな応酬が夜9時過ぎからの会議で10分近く続くのだ。会議メンバーは正直うんざりしているがなかば楽しんでいる風もある。


義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。竜馬語録

2003年にNTT西と激しい交渉を行っていた。緊急に話したいことがあり孫さんはNTT西の森下社長を電話に呼び出した事がある。

森下社長はたまたま先代社長の社葬に出席中だった。常識的には遠慮して控える、失礼にあたるといってもよいかもしれないのだが「後で電話がほしい」と構わずに相手に伝言する。

どうせ人は死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまにその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬ。 

当時そのやり取りを見ていたわたしは孫さんの死生観を感じたものだった。

「仮に自分の身は朽ち果てたとしても、自分の命が朽ち果てたとしても、維新という事が成されれば、それはそれで立派に事を成せり。僕はそう思ったんですね」孫正義2011LIVE

 

 


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