まさおレポート

豊中市上新田小学校の校舎跡地の風景 奇遇

ある掲示板でふと目にした記事によって過去の記憶が蘇る。その掲示板には私と同時代に豊中の農村で子供時代を過ごしたというちょっとした記述があった。兎を追ったこともあるという。小学校のクラスの半分は農家の子供たちであったとも書かれている。ひょっとしてこれは私が過ごした豊中市上新田小学校のことではないのかと思う。しかし、箕面に集団で兎狩りにいったとも書かれているのでこれは経験がない。やはり近隣の小学校のことだろうかとも考えている内に記憶はその頃に戻り、追憶の風景の中をさまよい出す。

豊中市上新田小学校の校舎自体は今でも保存されている。大阪府の保存校舎に指定されているのかして今から50年ほど昔の木造校舎のたたずまいをそのままに残している。もちろん現役の校舎ではない。そのあたりは全く往事の面影はなく、高速道路が架かり大型団地や商業ビルが建ち並ぶ街にすっかり変貌している。50年の年月はかくも風景を変貌させるのかと改めて思う。今やこのあたりに「兎おいしかの山」はどこにも存在しない。

数年前に通信会社に勤めていた私は仕事で大阪のとあるNTT局舎を訪れた。ある大きな交渉事のためには現場作業をみておく必要が生じ、数あるNTT局舎のなかで指定された局に新大阪からタクシーで向かった。しばらくして周りの風景にどうもかすかに見覚えのあることに気がついた。ひょっとしてこのあたりは私が小学校の時に見た風景ではないか。急いで住所表示をみるとやはりそうであった。同級生たちがこのあたりの村に多く住んでおり、よく遊びにいった通りだ。思いもよらない偶然の懐かしい訪問に興奮した私はNTT局舎での仕事のあとに、小学校跡地によってみた。

少し離れたあたりの風景は山野から高速道路の通る街に返信を遂げているのに、この小学校跡地のあたりにはわずかばかり往事の面影を残していた。小学校の裏には雑木に覆われた小さな川が確かにあった。このあたりではな垂れ小僧共の様々なドラマも繰り広げられたことを思い出す。

この小学校舎が保存指定建築になったのは、当時の木造建築の校舎モデルとして貴重であるためだとの説明があった。なるほど現在の目でみると映画のセットのように見える。平屋で教員室や音楽教室があり、教室は別棟でやはり木造平屋であったがそちらの方は取り壊されたのだろう。当時の先生方が廊下を往来する姿が記憶の風景に立ち現れた。

大好きな担任の教師が宿直の時にはしょっちゅう遊びに来てはいろいろな話を聞かせてもらった。話の内容はほとんどというか全く覚えていないが、当時家庭環境まで含めていろんなことがうまくいかず、精神的肉体的に最悪であった12才の私に面倒がらずに思いやりをもってよく相手をしてくれたものだと思う。わずか一年にも満たない間の在校であったがその恩は生涯忘れられない。

それにしても大阪には千を超すNTT局舎があるはずだ。そのなかでよりによって指定された局舎が懐かしい小学校跡地の近辺だとは。さらにタクシーが裏道に違いない細い道を通ってくれなかったらこんな奇遇はあり得なかった。

懐かしい先生 

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