まさおレポート

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NTT法の行方と危惧を過去の通信事業史から考えてみる その1

2023-09-26 | 通信事業 NTT法廃止と課題

 以下整理されていない、頭に浮かんだままをメモした。いずれ書き改めるための備忘録としてお読みいただきたい。


1985年眞藤氏がNTT初代社長になって全社員に一斉放送で挨拶と訓辞をおこなった。自席でその声を聞いたのだが、75歳と老齢のしわがれ声でとても小さい声で話した。内容が聞き取れないときもあったが誠実な話ぶりで妙に印象に残った話を記しておく。日本の通信業界に多大な貢献をしながらNTT法により痛恨の一撃をくらうことになる。

次の言葉は自らの行く末の予言のように聞こえてくるではないか。

NTTが民営化されたがNTT法は残った。このNTT法が残ったことの意味の大きさに殆どの社員は気づいていない。しかしやがてこのNTT法の存在が大きな意味を持ってくることを諸君は知ることになるだろう。 1985年眞藤氏がNTT初代社長に就任し全社員に一斉放送での言葉

NTT法の行方とその影響力についてこの言葉ほど凄みのあるものはない。


「眞藤総裁、大それたことを考えてるんですが。絶対に競争相手がいないと通信産業はよくならない。そういう会社を実は作ろうと思ってるんですがご承認いただけますか」と千本氏が直訴する。眞藤総裁はにたっと笑いながら「そんなものおまえ、俺が推奨できるわけねえだろう・・・だけど俺は黙認してやるよ」と答えた。

テレコムの歴史を変えた一瞬だ。「民営化は万能薬ではない」「大事なのは競争状態を作ることだ」「事業の独占を放置したまま民営化すると、逆に民業圧迫になる」と後に語っているが既に当時から一貫した競争促進のためのNTT法との考えを持っていたことがわかる。

「大事なのは競争状態を作ることだ」と第二電電企画に対してマイクロ回線の使用許可を与えたことや足回り回線接続料金を公衆料金と同額とした政治的ともに言える判断があり眞藤総裁は「稲盛さん 頑張りなさいよ 応援してあげるから」と東京大阪間マイクロ回線の使用許可書を与える。

「NTT法廃止は万能薬ではない 大事なのは日本の国際競争力を作ることだ」今ならそういう言葉が聞こえてきそうだ。


LCRは孫氏とフォーバル大久保秀夫氏との共同開発だ。

「その晩は、魂を売ったという気持ちでいっぱいでした。『本当にこれでよかったと思う?』と孫さんに聞くと、彼は『みじめですね、大久保さん』とつぶやくだけでした」

こうして2人は意を決する。翌朝、稲盛の出社を待ち構えて契約の破棄を直談判したのだ。稲盛は激昂したものの、書類は返してくれた。PRESIDENT 2014年8月4日号

それはそれとして孫氏にとってもNTT法が出発点であったことがわかる。


「リクルートがをNTT経由で購入した本当の理由は、日米貿易摩擦問題回避に協力したもので、NTTは単なる素通しである。」との江副氏の回顧は当時の米国の外圧の凄さを示す。当時のNTTは政府ともども米国の外圧に苦しんでいたのだ。この外圧がNTT民営化とNTT法成立の圧力となった。日本国憲法の成立と同じ運命を辿っている。

国際政治と民営化、NTT法は密接に絡み合っていた。NTT法の行方を考える時に議論の表には出てこないが真に影響力のあるポイントを抑えなければ道を間違うおそれがある。参考にすべきだろう。


基本的にNTT法廃止は賛成だが過去の歴史から見て慎重に進めないと大変なことにもなる。
思いつくままに、整理しないままに、重みも考えずに順不同にざっと予見を述べてみると以下の点が挙げられる。なお、いずれもNTT法に関係する歴史的事例だ。ここから何かを読み取って欲しい。
 情報通信審議会の答申も政権のもとでは大きな変更を余儀なくされるという例である。株価と財源の観点からは財務省や政治家の影響をも受けざるを得ない。

齋藤情報通信審議会委員は国会で意見陳述し、審議会では「独禁法の改正という大テ-マにまで踏み込んでの議論は避けた」との審議会討議事情が語られている。

斉藤参考人は、この陳述の場で以下のように持ち株会社に賛意を表明している。

「現在は、全体の流れの中で持ち株会社ということもあり得べし 電話サービスを中心とする在来の通信サービスを堅持していくということが必要な反面、さらに不明確な将来に向かって多様な発展をしていくような新しい技術とサービスの展開が必要であるということでございまして、全体を一丸にした発展ということと、それから多様性というものを二面に持つということが当面の間重要で 両方をうまく組み合わせた現在の考え方。 答申の将来に向けた方針にも沿っており 当面予想される過渡的な不安定を解消する 。」(140- 衆 - 本会議 平成09年04月18日 斉藤参考人)

巨大な圧力に屈した感があるが、一方では将来の見直しを必要とする次の陳述もある。

「将来にわたって、情報通信産業の状況を的確に判断し、その時点に即した処置が必要になる。正確な予見というのはだれにもできない」(140- 衆 - 本会議 平成09年04月18日 斉藤参考人)

いずれにしても当時の情勢下での財務省、郵政省、政府と答申との妥協の産物ではある。NTT法廃止の行方はいずれにしても妥協の産物に落ち着くと予測してそう外れないだろう。


今日の携帯電話代理店の隆盛は当時の光通信などの代理店に始まると言ってよい。今後NTT法規制緩和で新たなビジネスチャンスをつかむのは誰だろうか大変興味がある。1986年MOSS協議の結果、自動車電話にNTT以外の新規事業者の参入が決まる。DDIと、IDOが参入を表明。2月18日には日本移動通信IDOが設立を発表する。DDIはTACS方式、IDOはNTT方式を採用することになる。

この時に日本側で交渉の任に当たった郵政省奥山次官は後に稲盛氏に迎えられてDDI社長に就任する。こうした交渉の経緯を奥山次官から直接聞いていた稲盛氏はその有能ぶりに惹かれたに違いない。

NTT法廃止の行方は優秀な役人が現れ、しかるべき企業に天下りしていくことになるだろう。


1980年代に米国は日本に対し貿易摩擦の争点として通信機器の調達を盛んに迫ってきた。日本の保護主義を古い価値観としてグローバリズムのもとに価値観の変更を迫ってきた。しかし現在NTTの持つ国際競争力を高めようとするNTT法廃止の行方はグローバリズムとは相反するものだ。NTT法廃止の行方はグローバリズムを否定する方向に向かっているということを覚悟しなければいけない。

NTT法ができる時に長期増分費用方式のように米国から政治的に押し潰されるとは誰も予測できなかった。NTT法では政府が大株主であり大株主の意向には逆らえなかったのだ。NTT法規制緩和で近い将来こうした問題が逆転する。そうした危惧を全て洗い出しておく必要がある。


光の道提案の理論武装がお粗末であったために町田氏の攻撃でぼこぼこにされた。NTT法廃止を含む規制緩和では必ずこの議論が沸き起こるに違いない。ライバル各社は今からぜひ理論武装の準備を怠らないで欲しい。
 

国防の観点からは表立って議論されなかったが恐らく潜在的に重要なポイントになるであろうと推測される。いつものことながら表立って議論されないこの国防的観点がNTT法の行く末を決定する。

NTTの研究所には一部の世界先頭集団がいるという。しかしベル研と比較するのは酷であり、国益を守るという壮大なNTT法の視点からは物足りなさを感じてきた。ところが昨今のIOWN構想はそのような疑念を吹き飛ばしてしまう様相を呈している。NTT法廃止の大きな原動力になることは間違いなかろう。


なぜクリームスキミングと言われるのか、つまりいいとこ取りと言われるのか。面倒な市内足回り回線を離島や僻地にまで義務化するユニバーサルサービス義務をNTT法に明記している。この義務を新電電各社は負わずに収益性の高い県間通信のみを扱ったからだ。一応肯ける論であると思う。NTT法規制緩和でこのような問題の対処を十分に考えておくべきだろう。

1977年から1979年にかけてカラ会議やカラ出張あるいは一般人にはなじみのない特別調査費という勘定科目で12億余万円もの裏金をねん出した金を組織的に金をプールして全電通への接待や部内外幹部への飲み食いに使っていたという大事件で、南町奉行と称する社内の人物なども紹介され、連日賑やかに報道されていた。実際にはこの事件が電電公社の総裁を外部から迎え入れる世間の空気を一気に盛りあげる役目を果たした。眞藤氏は1981年に同社出身の土光敏夫名誉会長(当時)に請われ、北原氏を押さえて旧日本電信電話公社総裁に就任が決定した。脚本家不在のままNTT法成立の準備が静かに進行していた。

後年、石原慎太郎氏が月刊誌「文藝春秋」へ寄稿し、その記事の中でロッキード事件と田中角栄氏に触れ、その事件の背後にある米国の陰謀を匂わせる内容を書いていた。CIAから対日本工作にかなりの金が出ていたとも記していた。田中角栄氏は死ぬまで「自分は(対米追随派に)はめられた」と考えていたらしい。前述の変化は石原氏の指摘と矛盾しない。

対米追随派に都合の良いNTT法廃止にならないよう背景には十分に気をつけなければならない、頭の片隅に置いておく必要がある。


第二次世界大戦後の日本においての最大の企業犯罪であるとも言われるこのリクルート事件を理解する補助線としてNTT法を眺めてみる。この事件からNTTの民営化の理由、米国の外圧に対抗する政府とNTT、眞藤社長誕生と終焉の理由、新電電の新規参入と電気通信事業法の関係、NTT法とリクルート事件の関係が極めてリアルに見えてくる。

眞藤氏はリクルート事件で逮捕され有罪判決が下ったが、これはNTT法違反によるものだ。言い換えればNTTは他の民間会社と同じでNTT法がなければ逮捕されなかったことになる。そう考えるとこのときの挨拶は実にすごみを帯びてくる。

あなたはNTTを純粋な民間会社だと思ってるでしょう。・・・NTTの職員は準公務員なんですよ。・・・確かにわたしはNTTを民間会社だと思っていた。「リクルート事件・江副浩正の真実」P113

江副氏は眞藤恒さんを囲む会などに参加していたと答えているが、ここから江副氏は切実に新規参入を欲していたことが伺える。しかし稲盛さんに参画を要請するが相手にしてもらえなかったために第二種電気通信サービスのVANに進出した。それが結局リクルート事件につながることになる。注目すべきは江副氏は稲山嘉寛さんを囲む会、永野重雄さんを囲む会、三重野康さんを囲む会などいずれもNTT法の恐ろしさを知らない財界人ばかりであることで、「政治献金は企業にとって必要なことである」ということを学んでしまったことだ。

NTT法はNTTが政治家と政治資金で癒着することを防いでいたのだ。このことに留意してNTT法の行方を考える必要がある。
 中曽根氏の先見性は工事部門の子会社化という中途半端な形でお茶を濁されたが、このアイデアをもっと徹底して地域インフラの解放にいたるまで形を追求していればと思うと残念であるが、当時はだれもこのアイデアの素晴らしさに着目をしていなかったし、現時点でも変わっていない。
 
NTT法廃止とセットで議論されるに違いない地域インフラの解放も 中曽根氏のような先見性のある政治家が待望される。

NTT法がなければNTTにも日本テレコムと同じく外資に切り刻まれルという悪夢が襲った可能性はある。​​そんなバカなという話が罷り通るのがグローバル経済の恐ろしいところだ。NTT法廃止もそこまで考えたものが必要だ。仮に日本テレコムがNTT法の精神をよく理解していたのであれば結果として切り刻まれることにはならなかった言えるのではないか。


第三条 今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない。

しかし時代は米中の桎梏により大きく変わった。「電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて」いては国は危ないのだ。この観点からNTT法は即刻改められなければならない。NTT経営陣の主張するのはもっともなのだ。


電電公社のほうは国鉄とは異なり、黒字経営でした。そのため、あえて、民有化することはないという議論も起きましたが、全国一本化のこのようなものは民営化しなければならないという考え方がまず第一にありました。しかしながら、分割する必要性は感じられませんでした。 中曽根 自省録p179

電電公社側から見た民営化要望の本音は経営の自由である。「独占の弊害の除去」を期待する臨調側とは同床異夢であり、電電公社は経営の自由を得るために民営化を熱心に進めた。

「毛深い絨毯の中にある塵をひとつひとつ取れと言わんがばかりの介入を受ける。これでは効率的な経営ができない。もっと経営の自由がほしい」と。

同床異夢から無意味な分割が飛び出したのであり、政治力学の渦の中で何か不都合なものがNTT法廃止論から妥協の産物としてとび出さないようして十分注意しなければいけない。



続く

 

 


 

 

 

 


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