まさおレポート

新電電メモランダム(リライト)18 ダイヤルQ2と伍堂さん

 

1991年、日本高速通信株式会社に勤務していたある日のこと、上司の伍堂光雄さん(当時常務)に呼ばれて席の前に座ると、彼の幅広い人脈のなかの一人のアメリカ人(友人と云えるほどの関係ではない)がNTTダイヤルQ2からヒントを得た新しいサービスを検討しているので会社として対応できるか検討して欲しいという。

この1989年から始まったダイヤルQ2はNTTの人気商品であり、大きな収入源(年間数千億円の売上高)にもなっていた。しかし同時にテレクラなどのアダルト有料情報と援助交際に利用されるなどの社会問題に対処するために1991年3月18日にはNTT「ダイヤルQ2」ホットラインを新設し、又情報提供事業者の電話回線の利用企画書をより厳しく審査するという監視を強めていた。その他、偽造テレホンカードにより公衆電話から有料情報に電話をかけて不当な情報料をNTTから受け取ると言う社会問題や不当請求事件(回線所有者自身がQ2利用していないのにNTTから請求がある)も次々と発生していた。又、ダイヤルQ2により雨後の竹の子のように発生したテレクラを媒介とする不特定多数との性交渉がエイズを蔓延させる要因になることも危惧されていた。

NTTの対応努力で1992年にはダイヤルQ2回線を利用したツーショットダイヤル事業者は事実上消滅することになるが、しかしそれまでに既に3年が経っている。NTTの経営陣はダイヤルQ2が反社会的な行為に利用されていることを充分認識していたはずであり、こうした対応を誠実に行うところに公共サービスを担う老舗としてのNTTらしさがあったはずであるが、何故即刻サービスを停止しなかったのだろう。NTT東西はようやく2014年2月28日でダイヤルQ2を終了すると発表した。利益も大きいが問題も大きいという厄介な商品との認識が既に当時からあったはずであるが。

ダイヤルQ2(*1)は1989年サービス開始したが、まもなく成人向け情報提供業者が3分300円という料金を設定し、ツーショットダイヤル番組を提供しはじめ援助交際のツールとなり、1992年当時のQ2による援助交際が1994年に摘発されるなどになった。ダイヤルQ2により「援助交際」という名の素人売春が一躍世間に知られるようになった。国会(*2)での1995年7月の五十嵐政府委員の答弁が当時の状況をよく物語っている。

(*1) ダイヤルQ2サービス問題の歴史

1989年7月10日 NTT「ダイヤルQ2」情報料課金サービスを開始した。

1991年3月18日 NTT「ダイヤルQ2」ホットラインを新設しアダルト有料情報の社会問題化に対応する姿勢。

1993年11月1日 NTT「ダイヤルQ2」情報提供型と伝言型に分けて伝言型を規制することを決定。

1994年9月1日 NTT「ダイヤルQ2」成人向きなど一部に文書による申し込みを実施。

1994年 1992年当時のダイヤルQ2を使い「援助交際クラブ」(デートクラブ)と称し、児童を使って売春(組織売春)をしていた業者が摘発されたことがきっかけで、マスコミに初めて「援助交際」の語が出現するようになる。(by wiki 1994年9月20日朝日新聞夕刊より)

1995年11月1日 NTT「ダイヤルQ2」暗証番号事前登録者のみ利用可能なパスワード制を導入。

1996年5月14日 NTT「ダイヤルQ2」弟が無断使用したQ2利用料金を巡る裁判でNTTが逆転勝訴。兄に支払いを命じる判決。

(*2)1995年平成07年03月10日 衆 - 逓信委員会 - 4号からの引用。

 ○五十嵐政府委員 ・・・わいせつな内容の番組等で・・・不適切だというような観点が一つ もう一つは、 料金も容易に高額になっていく・・・番組内容につきましては、いわゆる倫理委員会が倫理規程というものをつくりまして、その審査を行って、不適切な番組は解約してしまう 最高限度額を、三分三百円だったものを三分六十円にする 大人向けの番組あるいは不特定利用者相互間で通信を媒介する番組について、事前に申し込みがあった者だけが利用できる…以下略

伍堂さんはとにかく顔の広い人で、仕事上の必要があると人脈をたどって大抵の著名なトップに会うことができる。例えば当時の細川首相は上智大学の同期で同じゴルフ部に所属していた関係からか、青年時代から伍堂家に出入りしており、父君の伍堂輝雄氏に可愛がられていたそうで、旧知の仲だったという。

「細川君は男気のある男でね」とある時、彼が上智大学ゴルフ部に所属し軽井沢に合宿している時の出来事を話してくれた。地元か軽井沢にきている他のグループとトラブルになったらしい。そこを細川青年、後の首相はそのトラブル(たぶん因縁をつけた、つけられたの類だと思うが)で度胸と男気をみせて事なきにおさめたという。お坊ちゃん仲間の中ではこの細川氏の硬派ぶりよほど印象的だったらしく何度もこのエピソードを聞いた。

伍堂さんは長島茂雄氏とは「戌の会」つまり1934年生まれの戌年生まれの会の顔見知で、年に一回のこの会のパーティーで会うと言っていた。他に民放連の氏家さんもその「戌の会」の仲間だという。伍堂さんの親父さんは伍堂輝雄さんで、永野兄弟(永野重雄さんなど・・・)の末子で、これまた大物財界人だったが、その関係で幼少時より大物政治家や財界人に折りにふれて接してきたという。親の七光での人脈もあるが、伍堂さん自信の気さくな人柄もあって、なかなかお目にかかれない大物から銀座のバーで知り合った人たちまでとにかく幅広い人脈をもっていた。(伍堂さんは10年ほど前に既にお亡くなりになった。)

伍堂さんの話を聞いてみると、今回のアメリカ人は伍堂人脈の親しい間柄でもなく、銀座の行きつけのクラブで知り合っただけの仲間だという。きっと得意のベサメ・ムーチョかナット・キングコールの枯葉を唱って意気投合したんだろうなと思いながら話を聞く。(余談だが伍堂さんはナットキングコールの弟のフレディー・キング・コールとは昵懇で、彼が来日するたびに旧交を温めてた)

およその話を聞いただけでもかなりうさんくさいが、伍堂さんは人からものを頼まれるとNOとはいえない人柄で有名だ。少し離れた席で話を漏れ聞いていた同僚の一人は私に盛んに「やめといたほうがよい」とのシグナルを目で送ってくる。筋のよくないテーマだから断った方がよいというサインだが、常日頃お世話になっている上、人柄が気に入っている上司の伍堂さんの要請とあらば即、断るわけにもいかず、とにかく話だけでも聞いてみることにした。都内のある小ぶりなビルの一室を尋ねてみるとまだ会社のオフィスの体もなしていないがらんとした部屋に迎え入れられた。そこでその米国人から話を聞いてみると、まだ企画段階だがそのアイデアというのは次のようなもので、一言で言えば一ひねりしたプロ野球ブックメイキングビジネスだった。

・彼によれば米国では現役大リーガー選手を自分で選んで、つまり監督になったつもりで架空のチーム編成をして架空の試合で勝敗を決するギャンブルが盛んだ。同様に日本プロ野球で同じことをやりたいと考えている。この種の賭ゲームは既に米国やイギリスではポピュラーだとの説明だった。

・その架空のチームが、これまた架空の相手チームと試合をするわけだが、それぞれの試合ごとにオッズが決まっている。

・どうして架空のチームの勝敗が決するのか。それは前夜の日本プロ野球の実際の打撃成績や投手の成績を架空のチームのメンバーの成績に置き換えて勝敗を決めるという。あるアルゴリズムで勝ち負けが決まるのだという。架空チームの打撃成績や打点と投手の防御率などを絡ませて勝敗がきまるのだろう。そのアルゴリズムは企業秘密らしく詳しくは教えてもらえなかった。

・翌日のスポーツ新聞の広告蘭にその架空チームの結果を乗せる。掛金回収はダイヤルQ2と同じように情報課金したいという。賞金の支払い方法までは言及しなかったが推測では銀行振り込みにでもするのだろう。

話を聞いてみて、これは日本では非合法の野球賭博を少しひねってあるだけで、日本での実現が難しいなとすぐに思った。この頃にはダイヤルQ2業界の自主規制もすでにできていたが、それ以上に賭博は法律で禁じられている。やはりすんなりとサービス開始できるとは思えなかった。設備投資の問題の問題もあるがむしろそれ以前に決定的に違法である。こうした賭ゲームは競馬や競艇、競輪以外では認められていない刑法違反(*3)行為であると説明をした。米国人は英国のブックメイキングは合法なのだが何故日本では違法なのだと反論にもならない話を続けるが早々に引き上げた。

海外、例えば合法として認められている英国にに拠点をおいてやる事も可能だが、そうなると海外へ電話を転送しなければならないので面倒なことになる。問題が多そうで、筋のよくないことを伍堂さんに報告したところあっさりわかってもらい、お断りすることになった。特に通信政策や通信事業に影響を与えたような話題ではなく、些細な出来事だったのだが、珍しいテーマだったので今でも記憶に残っている。(伍堂さんなら実名を出しても、あの世で笑って許していただけると思い、あえてそうしました。合掌)

(*3)刑法  賭博及び富くじに関する罪

第185条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

第186条 常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。

<余話1>

省庁やデンソウなどからも役員が送り込まれていて、彼らは電話サービスでビジネスを行うポイントに不慣れなためにかつての人脈で色々な新サービスの案件の相談を軽い気持ちで受けては持ち帰ってくる。本業の電話で十分忙しいのだがむげに断るわけにもいかず話を聞きに出かけることになるが、概して特殊な設備を必要とするようなものであったり、規模があまりにも小さくて話にならなかったりする案件ばかりで商業ベースになるものはほとんどなかった。本業の県間電話以外の営業努力が極めて重要で他の特殊サービスの検討は筋がよくない事を学んだ。限られた人材を以下に有効に売り上げにつなげるかという観点が特に役人出身の経営陣には欠落していたように思う。

唯一ものになったのはカラオケ配信の会社と協力してサービスした電話回線によるカラオケ配信サービスで、指定した曲をネットワークセンターのサーバーから伝送する仕掛けであった。(これも約款上の電話料金を安くする為の工夫であり、本質的な新サービスとは言えないもので、本質は特定企業向けの割引サービスである)

<余話2>

NTTグループで手掛けた筋の悪いサービスとして、テレホンカードやダイヤルQ2以外にパチンコのプリペイドカードがある。これもやはり変造カードの出現で詐欺集団に食い物にされた。NTTデータのパチンコカードが変造カードでは1996年の1年間630億円も被害を出すことになる。社内での手柄を競うあまり、チャレンジ精神を間違えた方向に向けたことによる失敗例だと思う。

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