まさおレポート

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めたりっく買収の理由

2021-09-10 | 通信事業 孫正義

 

 

孫さんらしく派手にぶち上げたADSL事業だが現実には巨大な壁がいくつか立ちはだかり、この事業そのものが墜落する可能性が極めて大きかった。

最初に立ちはだかったのがNTT局舎へ設備を設置する建設計画の進捗だった。ADSL通信のためのもろもろの設備を設置する苦労を孫さん自身が後に孫正義2011LIVEで語っている。

「仮にこれで我々が、NTTという日本で一番大きな会社にチャレンジして、ぶち当たって、ぶちのめされて、ソフトバンクという会社が死んでも、孫正義という人間が死んでも、そのぶち入れた岩で、ガーンと波紋が起きてその反対側から、いや、俺も価格競争だ、俺もスピード競争だと、あのウスノロのどでかい会社が、これ今Twitterでも、Ustreamでも流れて、NTTの人も読んでるかもしれんけどね。あえて言うとくよ。あのでかーい会社が、ウスノロの会社が、これで目覚めてくれたら、あんたも同志だ!と。ライバルとしては戦ってるけど、心の底では同志だと思ってるよ、と。ちょっとフォローしとかんと。そういうことなんです」(孫正義2011LIVE より)

ADSLサービスの準備工程であるNTT局舎のコロケーション工事(NTT局舎内に設備スペースを賃貸すること)は当初から1000局単位で計画し、全国一斉ベースで開局を進めていた。NTT東西の従来の経験則による展開予測とはかけ離れた量とスピードのためにNTT東西とのコロケーション工事摩擦は起こるべくして起きた。

孫さんのADSL事業で損益分岐点が大量顧客(累積黒字化には300万顧客が必要)の獲得で成り立っているために、どうしてもやり遂げなければならない大量のコロケーション工事。

「常識的」に想定された量に対する工事稼動しか持たないNTT東西、早急に実施することにモチベーションを持たないNTT東西との激しい軋轢を事業の出発点では予想しきれていなかった。

のるかそるかの大勝負に出ている孫さんはNTTがそこまでスピード感がないとは思いもしなかったために生涯最大の恐怖を味わった。それが「あのウスノロのどでかい会社」という最大の罵倒発言につながっている。


コロケーション工事が進まないとどれほど事業立ち上げに致命的な影響を与えるか。東京メタリックの倒産をみればそれはよく理解できる。

東京めたりっくは事業展開スピードとコロケーション工事スピードのギャップで倒産した。コロケーション費用は先払いだが一方で顧客サービスが始まらず収入がない。その先行投資時期の目算が狂いついに払えなくなり倒産した。

2001年5月29日にADSL事業者のパイオニアである東京めたりっく通信の社長、東條氏が資金難を認める談話を発表した。

東條氏の回顧談

「朝日新聞の原淳二郎氏のインタビュ-を受けて資金援助を募るような話をしたところ、いきなり経営が行き詰ったというスク-プになった」

主としてNTTコロケ-ションにかかる設備投資による債務30億円で資金繰りが行き詰った。

東京めたりっくはNTTに対する支払が滞り会社が整理された、つまりNTT局舎への先行工事代と維持費(スペース費用と電力関連費用)と顧客獲得速度のギャップが債務を膨らませたことになる。倒産までの顧客が4万強という数字は2年間の成果としてはいかにも物足りない。

必ずしもNTT先行工事のせいばかりではない、東京めたりっく自身の価格設定と営業努力、NTT接続交渉の弱さも不足していたのだろうがNTT局舎工事の遅延が致命的に経営破たんに影響した。

ある日孫さんが外出先から帰ると

「決めてきたよ。これでうちも技術陣が充実する」

とスタッフに述べた。

それから間もなくの2001年6月21日にはソフトバンクが東京メタリックを4万5千の顧客とともに救済的に買収を引き受けることを発表する。

株式は額面でソフトバンクに引き取られ、NTT債務30億円はソフトバンクが引き受けたとある。東京めたりっく設立は平成11年7月とあり、東京めたりっく通信株式会社は設立後2年で幕を閉じることになった。

2001年6月21日のプレス発表
当社(ソフトバンク)の放送およびインターネット関連の事業統括会社であるソフトバンク・ブロードメディア株式会社の100%出資子会社である株式会社ディーティーエイチマーケティング(東京都中央区、代表取締役社長:橋本 太郎、以下、ディーティーエイチマーケティング)は、東京めたりっく通信株式会社の株式の一部を取得し、株式公開買付の手続きの準備に入りました。


孫さんはこのことを肝に命じ、なかば狂ったようにNTT局舎スペースの確保と設置工事を急がせた。規模と速度が命運を決すると東京めたりっくの顛末で学習していたのだ。

孫さん唯ひとりだけがNTT建設工事とADSLのNTT申込みオペレーションを中心とする接続交渉が事業成功のキーだと東京めたりっくの倒産で深く認識していた。ボトルネックを見る目は鋭い。

さてコロケーション問題が進展すると思って東京メタリックを買った結果はどうだったのか。

当初はソフトバンクBBと同じANEX-C(ADSLで用いられる伝送方式のひとつであるG.992.1 Annex C及び G.992.2 Annex C)を採用しているためにそのまま活用できると思われた東京めたりっく設備は結局ソフトバンクBBで利用できないことが判明した。(顧客に置くモデムとのインタフェ-スがわずかばかり異なっていたため)

買収に伴うめたりっく各社のNTT局舎スペ-ス利用権のみが有効にソフトバンクBBに継続されることになった。局内設備は使えないことになったがそれでもNTT局舎スペ-ス利用権の獲得は大きな成果だった。


東京めたりっくと名古屋めたりっくの社員は既にその大半が2002年に東京の日本橋、箱崎に移ってきており、彼らは特にNTTとの工事申込みオペレ-ションで活躍をしていたので、全面吸収による新たな人の動きはなかった。

大阪めたりっくの人材はソフトバンクには移らずそれぞれの道を歩むことになった。


東京めたりっくの東條元社長はウェブ上の回顧録で東京めたりっくの財産として2年にわたって蓄積したNTT局舎へのコロケ-ション展開チ-ムを挙げていた。NTT局舎のコロケ-ションが最大の苦労だったことがわかる。

名古屋めたりっくも東京めたりっくと似たような事情で吸収されたと推測するがこのあたりは実際に見聞していないのでなんとも言えない。孫さんはADSL事業の先駆者をことのほか頼りにもしていたので開業当時は何かにつけて名古屋の宮川さんに電話して相談して「宮川社長、ちょっと教えて下さい、じつはNTTに置く電力設備が必要なんですが」と丁寧語で接していた。(その後は「おい、宮川」と変わったのだが)

孫さんは名古屋めたりっくを買ったが、

「名古屋めたりっく社長の宮川氏を買ったと思えば安いものだ」

と折にふれて話していた。現在社長に就任した宮川氏を当時から相当買っていたことがわかる。

ちなみにあるノンフィクションでは東京めたりっくはサボタージュしたと書かれているが、当時をしるわたしは「そうではない」ということを記して置きたい。


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