2001年の夏から冬にかけてADSL開業当時のソフトバンクBB局舎工事担当部門は繁忙を極めた。
その部門の責任者であった当時の建設本部長I氏以下の猛烈な仕事ぶりはすざましく、殆ど不眠不休で働いていた。孫さんは仮設社長室での朝のミーティングで建設本部長I氏の顔色を見て
「I君、もう今日はとにかく寝ろ」と真顔で「命令」した。
これ以上働くと建設本部長I氏が過労で死んでしまうと本気で心配してタオルを投げたのだ。
当時多くのスタッフが日本橋旧本社のすぐ裏手にあったビジネスホテル「ホテルヴィラフォンテーヌ東京日本橋箱崎」に替えの下着を1週間分もちこんで仕事をしていた。夜中であろうと日曜であろうといつ会社にいってもテーブルの上にひろげられたNTT局舎建設工事申込み関連の資料と格闘していた。
そんな懸命の努力にもかかわらず、NTT局舎工事は遅々として進まなかった。コロケーション工事を展開していくなかで大きな問題が5つあった。
NTT東西の局舎にソフトバンクBBのADSL設備を設置するに必要な場所の確保だが、確保できるかどうかの調査依頼に対して回答に時間がかかる。また、NTT局舎にはRT局(remote terminal)と呼ばれる無人のプレハブつくりのコンテナ様の局舎が全国に多く存在する。これは遠方の離島や僻地山地に電話を提供するため、メタル回線を集約して光ファイバーで伝送する中継機能を持たせた設備を設置する無人局だが、このRT局にはNTT以外の他事業者にはADSL用の局舎スペースは全くとれない。そのためにブロードバンドの展開が進まずデジタルデバイド、つまり離島や僻地のブロードバンド格差を生む主要原因のひとつになっている。
RT局はさておき実際にNTT局舎見学を行ってみての感想では、NTTの将来計画分のスペース確保は納得の措置として、NTT局舎へ出入りする工事業者(例えば日本通建などの看板がかかっているのでそれとわかる)の専用控室がかなり大きな部屋を割り当てられていたりする。他に大阪で経験した例としては銀行のコンピュータ室として貸し出されていたり、変わったところではスポーツジムとして利用されているスペースもあった。コロケーションのスペースを確保するために工事業者の控室など潤沢すぎる部屋を少し整理して、コロケーションスペースを取ってほしいとの要望もしたが、「近くのビルなどを借りるなど工夫をしたら」と逆提案される始末で頭を抱えることもあった。実際に近隣ビルを借りるとなると光ファイバー敷設や伝送装置設置用にふさわしい耐重性があるかどうかなど現実的に不可能になる。
日本交信網が柏市豊四季局でADSLサービスを始めた時は裁定申請で一躍注目を浴びた。そのときにコロケーションスペースは借りず、(あるいは借りれなかった)豊四季局の近くの駐車場にコンテナを置いて対処したことをしった。しかしこれはゲリラ的には成功してもソフトバンクのように全国ベースでコロケーション代わりに適用するにはあまりにも困難があった。
MDF(エム・ディー・エフ main distribution flame)はNTT局舎内の巨大な配線盤で、通常は加入者回線とNTT交換機をジャンパー線とよぶメタル線でつなぐ接続ボード盤の役割を持つ。各社のADSL設備はこのMDFと交換機の間に割り込んでフィルターで分離したADSL周波数帯信号を取り出した後に音声用の信号をジャンパー線で交換機側に接続しなければならない。その為にADSL用に新たな配線盤=MDFを各ADSL提供会社ごとに設置する必要がある。このADSL用MDF設置にNTT局舎のスペース余の裕がなければサービス開始をすることができない。
このMDFスペースについて、後に他社からソフトバンクBBが大量に確保しているために利用できないとして他事業者から非難され、これを受けてNTT東西も実際に利用しない場合は使用料金を課するペナルティーを発生するルールに変更した。
孫正義氏が当初のルールは費用が発生しない仕組みであったために、大量に確保したのは事実だが300万顧客獲得が採算分岐点のためにその準備としてルールに従って確保したまでの事で、非難される筋合いは全くない。イー・アクセスの千本氏をはじめとして大量確保するソフトバンクに厳しい批判が巻き起こったが悪意を持って確保したなどの非難は全くの筋違いであり、ルールの不備こそ責められるべきである。ソフトバンクはMDF確保のルールが改正された直後に、速やかに大量返却している。
エピソード 局舎電力
NTT局社内にコロケーションした各社のADSL設備に必要な電力が供給可能か否かが次の大きな問題となる。NTT局舎の電力設備の供給パワーに余力がなければ、折角の設備が稼働しない。NTT局舎の電力供給容量に余裕がないケースとして、①NTT局舎の電力会社からの受電設備の電源トランス容量が不足する場合 ②局の電力会社からの引き込み電力容量の不足 ③コロケーションスペースに配電する整流器の容量不足などがある。
①の電源トランス容量不足の場合は一段上位の容量を持つトランスへの設備変更が伴い、そのためおいそれと単独事業者のためにトランス取り換え工事を起こさない。そのため取り換え工事の見通しがたたない。又NTT自社の将来計画に併せてトランス設備容量アップを決定したとしても他事業者分まで考慮にいれるとコストが跳ね上がる可能性がある。NTTの需要に見合った段階的な増分費用ではないため、NTT東西は自社以外の原因で初期リスクを負うことになり、当然それを嫌う。こうした問題を解決するルールや策を持たないことが最大の問題であった。
②の電力会社からの容量も単純に増やせる場合は問題がないが、一定量を超えると電力引きこみケーブル(高圧線)のサイズが増大してこれを引き込む局舎壁面の穴を大きくする工事まで発生してしまう。これも又NTTがコスト負担を嫌うケースである。
③の整流器不足はNTT西で特に多発した。これにはソフトバンクが自前の整流器を調達して設置し急場をしのいだケースもあった。しかし自社で調達した中国製の整流器が運転中に異臭や異音が発生したりで非常に問題の多いしろものであった。
以上の諸要因以外にNTTの将来利用計画の電力確保が加わるため現に電力に余裕があっても電力不足として断られるケースが増えることになる。
特にNTT局舎に電力が足りない場合は厄介であった。NTT東西は自社の需要をベースにトランスや整流器など高額の電力設備投資をおこなっている。他社が局舎利用=コロケーションを申し込んできても、電力供給容量に余裕がない場合、コロケーションを断ってくる。電力不足の理由によるコロケーションの不可回答が地方の、NTT東西がまだADSLサービスしていない局で特に多かった気がしている。そしてNTT東西がいつの間にかADSLサービスを開始した後でコロケーションが可能になる。こうした釈然としない行為に対して総務省の紛争処理委員会にも公正取引委員会にも持ち込んだ。しかし当然のことながらNTTの社内事務処理などに証拠の得られるはずもなく、解決は得られなかった。この証拠不十分な差別的取扱いが本来最も厳しくルール化されるべきである。
孫正義氏は「電力設備の不足などに必要な金はいつでも出しますから」と常にNTT東西に伝えていたが、云われたNTT東西も困ったであろう。NTT東西は費用に関してすべて電気通信事業法関連のルールで動いている。そして、そのルールの下でNTT東西接続約款を作成している。この接続約款にないケースでは必要額の算出の方法がないのだ。もちろん、ソフトバンクBBが全額だすというのなら、NTT東西も了解するだろうが、いくらなんでもそれはできない。
仮に一時金をソフトバンクBBが払っても、後で、他社が利用する場合の他社負担分の料金按分のルールがない。さりとて、NTT東西も自社でリスクを負ってまで投資はできない。このジレンマを当時のルールでは解決できない。(おそらくいまも同じ状況だろう。)後から参入して利用する場合には、あえて厳密性を捨てて簡便な精算方法でも採用すれば事態は好転したと思うのだがそれもかなわなかった。
ソフトバンクの対NTT東西との争いの根源はリスク負担に起因するものと料金に関するものの2点に求めることができる。特にリスク負担に関しては、NTT東西の考え方と全く異なる。孫正義は民間経営者としてリスク負担は両社で分け合うとの考え方が根底にある。ところがNTT東西は相互接続に関してはノーリスクが原則だ。この考え方の違いが種々の争いの根にある。どちらがよい、悪いではない。相互接続ルールにリスク負担の考え方がないためである。
NTT東西では余った設備は貸すが、将来投資に対するリスクは一切負わないことが相互接続の原則だ。たとえばNCCがNTT東西から中継回線を借り受ける場合でも、一年前に申し込む必要がある。そしてNTT東西はNCCが投資回収を担保する設備投資のみを行う。
こうしたジレンマを意識して、前大阪大学大学院教授で後に放送大学教授の林敏彦氏が審議会等で指摘していたことがあった。「NTT東西の投資リスクをどう接続費用負担に反映させるか」まさにこの点の合意とルール作成をNTT東西、他社が協力して努力しなければならない今後の課題だが。