まさおレポート

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2006年 ベトナムの旅(4月1日~4月3日)

2015-04-20 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

2013-12-22 初稿

2015/04/20 追記

南下してホーチミン市に入る。

ホーチミン市の統一会堂。かつてベトナム戦争の際には南ベトナム軍の司令塔であり、その後米軍撤退の後北ベトナムに占拠された歴史を持つ。

1976年に、共産主義の統一国家であるベトナム社会主義共和国が成立した後に「統一会堂」と改名された。現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、事実上の博物館として一般公開されている。(wikiより引用)

統一会堂の地下にある当時の無線装置が記念品として保存されている。無線機は立派な兵器だと再認識を。

職歴がら、こんな電柱風景にも目が行ってしまう。スパゲティー状に酷いことになっている。

ホーチミン市で立派な石造建築を発見。サイゴン大聖堂でフランス領時代に1863年から1880年かけて建設された。ネオゴチック様式とされている。意図しないフランスの文化戦略が無言であるが強く語り掛けてくる。サイゴン中央郵便局の隣にある。

これはサイゴン中央郵便局でやはりフランス植民地時代のもの。こうして立派な建築をみると郵便局と言うのは当時の植民地行政の中心であることがわかる。日本の電話局や郵便局がここまで立派であったことはない。

郵便局の中の公衆電話ボックスだが、これまた美術品のような石で出来ている。恐らく世界で最もゴージャスな公衆電話ボックスではないかと思う。

サイゴン中央郵便局内部はこのまま美術館になってもおかしくないほど見事なもの。郵便業務のほかに金融機関も入っている。

オルセー美術館 はかつて駅舎でありそれをモデルに1891年に作られたとある。仏領インドシナの郵政、通信の中心地であったという。この建物の鉄骨部分はエッフェル氏が設計したとある。すべてのインテリアが年代物でしかもクオリティーが高いので数世紀経ってもびくともしていない。

戦争博物館でみた沢田氏(*1)のピュリッツア受賞作品(*2)。この館ではトラの檻と呼ばれる獄をみる。敵の捕虜は腰までしかない高さの折に閉じ込められ、暗闇のなかでほとんどが亡くなったという。

「ライカでグッドバイ」青木冨貴子 には沢田の戦場カメラマンぶりが描かれている。無名のカメラマンが一躍世界的カメラマンになるには戦場以外にない。そして戦場へと向かわせる中毒性が描かれている。沢田は後藤健二氏とかぶさってくる。

(*1)沢田 教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、青森県出身のフォトジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で亡くなる。ロバート・キャパを尊敬していた。死後、ロバート・キャパ賞受賞。(wikiより引用)

(*2)1966年:前年9月6日、クイニョン北方のロクチュアン村で、銃弾を避けながら川を渡る母子を撮影した写真『安全への逃避』(FREE TO SAFETY)でピューリッツァー賞写真部門を受賞。日本人としては2人目。(wikiより引用)

ホーチミン市内の瀟洒なレストランで階下のチェロ、バイオリン、ピアノトリオ演奏を楽しむ。まさにふるきよき時代そのままのインテリアと雰囲気を味わう。

 

メコンデルタへの出発。おしるこ色の川を上っていく。メコン川は母なる河の意でチベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通り5000キロを通過して南シナ海に抜ける。

河口あたりでは淡水産の淡褐色をしたイルカがいたり、エイがいたりする。潮水と淡水のまじりあう地域の事を汽水と呼ぶが、こういう地域の住人の生態は奔放であって、イルカが淡水域で跳ねるかと思うとナマズが潮水におりていったりするのである。」開高健「君知るや、南の国」より。

河のおしるこ色はインドシナ半島に広く分布する紅土であるラテライトの土壌を河岸侵食するのが理由である。wiki引用。

後年、バリのプールサイドでスペイン人のガールフレンド(タイ人)からメナムは河の意味で、かつて地理などで2大河川、メコン河、メナム河と習ったメナム河は実はチャオプラヤ河だそうな)

行き交う物売りの小舟。白い袋には米でも入っているのだろうか。

天を仰いでメコン河の午睡。やや曇天気味の空の下をゆっくりと流れていくと空と河とわが身が一体になる。

レンガを焼くための燃料であるもみ殻を川から運び込む運搬人。手前の細い渡し板をバランスを取りながらわたる熟練の技。なぜか初代若乃花がはしけ運搬で足腰を鍛えたとあるのを思い出す。

こんな巨大な窯にもみ殻をくべて赤レンガを焼く。2昼夜ほど燃やし続けると聞いたが、記憶は不確か。

実はこのもみ殻からゼオライトが豊富にとれる。しかしコスト高が欠点だそうだ。

沸石[1](ふっせき、ゼオライト、zeolite)とは、天然に産する鉱物グループ。
アルミノケイ酸塩のなかで結晶構造中に比較的大きな空隙を持つものの総称でもあり、分子ふるい、イオン交換材料、触媒、吸着材料として利用される。現在では、さまざまな性質を持つ沸石が人工的に合成されており、工業的にも重要な物質となっている。by wiki

川の沿岸にある飴工場を見学する。おおきな銅鍋に砂糖を煮て右横に見えるポン菓子(米を圧力をかけて焼くとポンと跳ねる)にまとわせるとベトナムで人気の菓子が出来上がる。

米粉を蒸気で蒸し、すぐさま広げて乾すと大きな半透明の米粉の皮、つまりライスペーパーが出来上がる。女性の左手にもたれているのが半透明のライスペーパー。これを乾かしてお菓子や料理にと様々な用途に利用する半製品の出来上がり。

ライスペーパーは米を原料に薄いシート状に加工したものを乾燥したもの。ベトナム語ではバインチャン(bánh tráng)と呼ばれる。ベトナム料理やタイ料理では生春巻きの具を包むために用いられる。米を砕いて乳液状にしたものを布の上に丸く広げ、熱水蒸気によって蒸し上げてから乾燥させて保存する。wikiより。

 

竹ひごでできたざるにライスぺーパーを張り付けて乾かしているところ。ひごが透けて見える。

沿岸の植物園で見た珍しい果実。バリでは見かけない。(訂正 のちにバリのホテル内で見かけた)

こんな船でメコンデルタを巡った。マンゴを売りに来る小舟から買う。

果物を売るベトナム女性。手漕ぎのさばきもどうに入ったもの。果物はバリと同じものが。

NEW WORL HOTELの室内

 


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