御船千鶴子 福来友吉は最初の透視実験(1910)から3年後、43歳(1913)、東京帝大助教授職の時に、大学から休職命令
「量子力学」における「観測者」
「量子力学」の生みの親の一人であるハイゼンベルグは、ある本の中で、「これまでに知られている物理学の法則は、今後も不変であり、修正を許さないであろう。しかし、この法則を適用する場合、その適用範囲を超えてはならない」
1907年に米国の内科医ダンカン・マックドューガル「魂の重さ」を測る実験
物理学の「エネルギー保存法則」が、人の「生」から「死」への遷移において破れている「物理世界」が閉じた世界ではないことが示唆される。
科学者がこれらのテーマに踏み込むと、「主流科学」の世界での自分の地位を危うくすることになる。福来友吉の時代 現在でもその様な状況は海外でも同じだと言えるだろう。
5億年後の地球上最初の「生命」の誕生、その後、ダーウインの「進化論」による「生命の進化」、そして、「生命の進化の樹」の一つの枝である「動物」枝、その中の「ほ乳類」の枝の一つに大きな脳を持った「人類」の誕生、となる。「人類」の誕生は、全くの偶然の、たぶん、大変に幸運な偶然の産物である、と教えている。
福来の念写実験の霊媒・三田光一「千里眼事件」
鈴木光司の「リング」の中で山村志津子(貞子の母)と彼女の超能力を研究していたT大学助教授伊熊平八郎が超能力の公開実験中に新聞記者たちから「インチキだ!」と糾弾
伊熊のモデルが福来 志津子(あるいは貞子)のモデルが御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子