バリ島ワヤン夢うつつ 梅田英春の中の「夢に現れた人形」で梅田英春氏が体験した不思議現象に言及している。大変興味深いのでメモしておきます。
ある夜、いつものように下宿に戻り、天井からぶら下がった電球の明かりをつけ、その下で いくつかの人形を使ってリヤンの練習をしていた。この日は大雨だったせいか、途中、突 然、家中の明かりが消えた。いつものことである。なぜか激しい降雨は停電を誘発する。 ろうそくに火をつけるのが面倒だった私は、暗闇の中、手探りで人形を片付けて、することもなくすぐにベッドに入った。何時だったかはまったく覚えていない。バリの暗闇は、瞬時に時間の観念を 喪失させてしまう。ただ天井に打ち付ける激しい雨音だけが響いていた。
真夜中、私はこれまでに見たことのないような夢を見て飛び起きた。 あまりの驚きようで、私 は床に足を下ろしたとたん、寝ている間に浸水した雨水で足のくるぶしまで浸かってひんやりと した感覚を覚えたが、そんなことよりも私は物の怪におそわれたように懐中電灯を手探りで探しだし、寝る前にワヤンの練習をしていた壁を真っ先に照らした。そして私は、ワヤンの支え棒の部分が雨水に浸かった一体の人形を見つけ出したのだった。
片付けたつもりだった人形を、一体 だけ壁に立てかけたまま暗闇の床の上に置き忘れてしまっていた。 私の見た夢は、濡れている何者かが私に助けを求めるものだった。しかし、その助けを求める 声がひじょうに悲痛であったことを今もなお鮮明に記憶している。私は起きた瞬間、きっと私の愚かな行為から、取り残された人形が私の夢の断片に入り込んで、私に助けを求めたワヤンであることがわかっていた。
中略
もちろんワヤン人形にも魂が宿っている。 しかし、それをよみがえらすことができるのはダラン である。 人形箱に収められたワヤン人形のことをラジェグさんはよく「眠っている」と表現した。 だからこそふたを開けるとき天界、地上昇、地下界に住むあらゆる人形を眠りから覚ますために、ダランは必ず木製のふたを軽く三度たたく。 その瞬間、人形たちは箱の中で一瞬にして目覚 め、ふたが開けられるやいなや、輝く太陽を象徴するランプの赤々と燃える炎に照らされていっ 視覚を失い、驚きのあまり、瞬きを繰り返すのだろう。つづいてダランは、人形のたくさん 入った箱の側面をチュパラという木槌で何度も連打する。 私にはそれが、「さあ、皆起きるのだ。 そして、しばし古代インドの世界に戻るのだ。さあ、目覚めよ。 目覚めるのだ」と、ダラン が心の中で人形たちに敬意をこめて唱え続けているように思えてならない。
一つの演目で使う人形がわずかであっても、ダランはふつう百数十体以上の人形を一つ残らず 箱から取り出して、スクリーンの両側に立てる。 使われない人形たちは観客になって、ダランの 一挙一動を見守るのである。きっとそれは生命を与えられたすべての人形への敬意なのだろう。 私が放置したワヤン人形はすでにペジェン村のダランによって用いられていた人形であり、い わゆる「魂」が吹き込まれていた。つまりこの人形は、生きていたのだ。だからこそ、人形はそ の所有者である私の夢の中で、「助け」を求めたに違いない。
その夜、私は相当なショックと興奮で、朝まで眠れなかった。もしこれがほんとうに人形のメ ッセージであれば、私にとって初めてのバリの超自然的体験だったからだ。
中略
バリ人でも、ヒンドゥー教徒でもないため、神がしたりするような超自然的体験はでき ないと考えていたが、とうとう私も現地の人びとと同じ宗教体験ができたのだ。