まさおレポート

新電電 メモランダム25(第2版) 郵政省の研究会

NTTとの接続問題では少し問題が大きいと郵政省が研究会を開催する。問題の規模に応じて電気通信審議会の研究会であったり事業政策課長やデータ通信課主催であったりといろいろだが接続交渉の問題解決に重要な役割を果たしてきた。潜在的に各種審議会や研究会は省庁の意志推進の隠れ蓑だと言われたり、各委員はご用学者が採用されるとかの批判を見ることはあったが、実感としては誠実に対応して機能してきたと思う。

研究会を開催するには動機が3種類存在した。一つは郵政省の各課がなんらかの意志を持っており、その推進の為に関係者を集めて開催する研究会がある。データ通信課の蝶野課長(当時)がNTT、新電電各社の通信事業者を集めてNTTの専用線品目の整理を図ったのがこのケースとして思い出される。当時NTTの専用線品目には50ボーや検針用専用線など技術革新のため既に全く使われていないものも散見され、これを廃止したかったためだが、これはNTT、新電電その他で特に利害がぶつかることもなくすんなり整理が決まった。

他の一つは新電電から接続要求が出されていても当事者同士では協議が進展せず新たなルール化が必要な場合だ。1996年ごろケーブルテレビ会社がケーブルを利用した電話サービスを推進し始めた。当初は特別な枠の番号を利用していたが顧客やタイタス・コミュニケーション株式会社からNTT電話番号をそのまま利用したいという番号ポータビリティーの要求が高まった。後年携帯電話番号の番号ポータビリティーで一躍有名になるのだが、顧客がすでに持っている電話番号をそのまま新通信会社に持って行けるサービス技術も固定電話ではそれほど必要性が認識されていなかった。

既に長距離通信会社として新電電三社が顧客数を伸ばし基盤を固めていたが、これらの会社のサービスはあくまで長距離電話であり、顧客の電話番号には関心がなかった。ジュピターテレコム株式会社とタイタス・コミュニケーション株式会社がケーブルテレビと電話、その後インターネットの総合サービスに乗り出す1996年頃になって、すでに参入済みの東京電力の通信会社に加えてラストワンマイル等で呼ばれる地域電話網の新規参入がなされた。

新電電各社は固定電話番号ポータビリティーに関心がほとんどなく、東電の通信会社もネットワーク構成の違いから積極的でない。当時マイナーなタイタス・コミュニケーションズ株式会社の番号ポータビリティー実現要求を受け入れて推進の道を開いたのは定かではないが電気通信審議会の特別部会だったと思う。米国の番号ポータビリティーの潮流をいち早く反映して推進した委員がいたのだろう。固定電話番号ポータビリティー研究会が開催されることになった。

日本で実現可能な方式がいくつか俎上に挙げられ、議論された。ここでも共通信号網を使ってNTT交換機データベースを直接参照するという方式は費用と安全確保の観点から見送られ、リダイレクト方式と呼ばれる、本来標準機能として持っている2重電話番号の機能、つまり改造の不要な方式が採用された。原理としては2重電話番号を付与して表向きの番号と裏番号を用意し、宛先電話番号を収容局(この場合、タイタスコミュニケーションの例でいえば、柏電話局)まで信号網から問い合わせがあって変換電話番号つまり裏番号を戻してもらうという方式が採用された。

研究会の最終段階では改修費用の概算がNTTから提出された。ソフトウェアの改造が不要とはいえ、全国ベースでのデータ設定が必要とのことで、この時も実現不可能な金額が提示された。会議の席上、これを一蹴したのは斉藤主査だったと記憶している。結果的には実現可能な金額の提示となり実現の運びにまでなった。鮮やかな研究会運営であり、記憶に残っている。このリダイレクト方式による番号ポータビリティーは固定電話では採用も一社だけでありそれほど脚光も浴びなかったが、その方式自体は携帯電話番号ポータビリティーに引き継がれ、現在の携帯電話普及におおきな役割を演じている。

最後に郵政省の大きな政策課題を諮問する電気通信審議会の特別部会などの研究会(!1)があり、この類では「地域電話料金の在り方に関する研究会」が最初に接した研究会だった。この研究会で既に電話料金の基本料金部分が地域によってことなる(3級取扱所・・・加入数40万以上、2級取扱所・・・加入数40万~5万、1級取扱所・・・加入数5万未満)事の是非を議論されていた。都市部ほどNTT局舎の収容回線数が多く、その分基本料金が高くなることに対して理屈の上からは地域ごとに基本料金がいくつも存在することの説明はつかないと結論されながらも、結局現状維持の提案で終わったと記憶している。問題が国民生活に直接つながると主婦連代表の委員が猛反対して両論併記で腰砕けに終わったためだ。やや近視眼的な発言と主張ではなかったか。NTTの再編成問題を研究する部会も大きなテーマの代表例である。これは又、別途取り上げてみたい。

研究会の委員に選任されるのは利害が直接関連する事業者の他に、有識者として大学の先生と場合によっては消費者団体の代表が選ばれる。専門性が高いこともあり選任される先生方は固定される傾向にある。つまり研究会は各種開かれるが、先生方の顔ぶれは共通していることが多かった。こうした研究会では事務局つまり郵政省スタッフの書いた資料の筋書きに従って議論を重ねるが、おおむねそれほど鋭い意見の対立はなく、先生方から質問がいくつかあって議事は進んでいく。議論の中身が相当に専門性が高いので自らの専門分野に話題が移ると適当な質問だけをして後はだんまりを決め込む委員も中にはいたが、おおむね真剣な議論をされていた。しかし予習をされてこないとついていけないようなテーマもあり、そういう場合は事務局のペースで進められてしまう。

後年、ソフトバンクBBのADSL方式を巡ってシリアスな問題が発生し、この解決のために研究会が開催された。第一回研究会で孫正義社長は研究会委員の人選に問題がありと強く主張した。おそらくこうした研究会の人選について発言した最初の例だろう。それまで各種の研究会では委員の人選の段階で、ある程度の結論が予想されていた。つまり最初から黒白がついていたのではという不満がくすぶっていたが、確かにそういう面があったし、現在もあり得るだろう。これらの事務局サイドの予断的運営を許さない方法として、この孫正義方式も有効であるが、いつもいつもこの問題で紛糾してはかなわない。

もっと有効な方法は委員の発言を国会の質疑のようにことごとく速記録として発表することであろう。重要な方針決定の参考になり極めて重要な研究会であるが、発言者の発言記録が残らないという点が最大の問題である。そうするとおのずからNTTより、中立、新電電よりの発言が注目され、偏った意見の委員は淘汰されていくだろう。もちろん不勉強で発言しない委員も同様に淘汰される。速記費用が馬鹿にならないのであれば録音のみでも公開すべきだと思う。

直接見聞した範囲で全般的に研究会の印象を言えば、委員の各先生方はそれほど事務局の方針に従順ではなかったし、事前の説明時に何らかのコメントを出す場合も多いので、独走を許すことは少なかったし、元NTT社員が教授になって委員に収まっている場合でも中立的な意見を持っていた方が多かったと思う。しかし専門以外の分野は発言を遠慮されるあまり、議論の本質について積極的発言されない先生方もいたように思う。

後年のことだが東大教授の醍醐委員が電気通信審議会の接続問題小委員会委員に再任され無かったときには少なからず驚いた。NTT東西で異なった接続料金を認めることを推進しようとしたため、それに反対するNTTが後押しする郵政省幹部とぶつかったためと聞いている。醍醐教授が日本橋箱崎にあるソフトバンク本社に直接来社され、その無念さとその後の対応策などをお話しいただいたこともあった。

(!1)郵政大臣は、昭和63年3月、電気通信審議会に諮問を行い、2年間五十数回にわたる審議を経て、2年3月2日、「日本電信電話株式会社法附則第2条に基づき講ずるべき措置、方策等の在り方」について答申を受けた。これなど最大規模の研究会といえる。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「通信事業 NTT・NTTデータ・新電電」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事