まさおレポート

新電電メモランダム(リライト)10 転職後に知る役人の世界

<転職後に知る役人の世界>

新電電の一社日本高速通信株式会社に転職して企画部に所属した。その仕事がら郵政省(現総務省)や建設省(現国土交通省)それに通産省(現経産省)と接する事が多かった。郵政省(現総務省)は電気通信事業の監督官庁として許認可業務申請やNTT接続問題を中心とした通信制度問題の改善依頼や相談などに、建設省(現国土交通省)は日本高速通信株式会社の主要株主であり、東名高速道路を主とする高速道路の中央分離帯の下に埋設された溝内の光ファイバ設備の実質的オーナー(*1)として、通産省(現経済産業省)は日本高速通信株式会社の主要株主トヨタ自動車株式会社との関係が深く、トヨタからの出向者がトヨタ時代のよしみで何かと挨拶に出かけるのに同行する機会があった。さらには通産省は省の監督範囲であるIT産業政策の関連から、極めて密接に関連する電気通信産業の周辺にも監督範囲を取り込もうとする意志もあり、何かと関心を寄せてくる。

(*1)当時の財団法人道路施設協会が名目上のオーナー。現在は高速道路交流推進財団 1965年に財団法人道路施設協会として設立され、1998年の法人分割時に財団法人道路サービス機構に改称された。かつては日本全国各地の高速道路上のSA・PAの管理・運営を一手に引き受けていたが、道路関係四公団民営化に伴い、2006年4月1日付けで、一部を除き、ネクセリア東日本、中日本エクシス、西日本高速道路サービス・ホールディングスに事業を承継し、現名称に改称した。(by wiki)

NTTデータ通信株式会社勤務はコンピュータ・オンラインシステムの開発で現場マネジメントの第一線にいた。そのため役人の世界とは全く縁も接触も無かったのだが、日本高速通信株式会社に転職してから急激に役人との仕事上の接触が多くなった。それまで無縁であったのが始めて接することになったので当時の中央官庁の役人に対して新鮮な印象や驚き、批判と敬意を伴う感慨も得た。記憶にある各種のエピソードは20余年前の事であり、今から見てすべて時効である。そういう事実や感想もあったという生の記録も重要だろうと思い、記録しておきたい。現時点では恐らくかなり変わっていると推測する。

<勤勉で使命感に満ちた人達だが>

彼、彼女ら中央官庁の役人達は実に勤勉で使命感に満ちた人達であった。これが総合印象である。日本の政治システムが官僚テクノラートに依存して機能してきたということは彼らに接してみて肌で感じることができた。良い印象や感想も沢山あるが、違和感を覚えたり反発を覚えた記憶もある。転職して電気通信制度問題の仕事に就くまでは世間で若干の揶揄も含めてつかわれる「お上」という言葉を単に新聞や各種の著作物の上で、つまり頭の中だけで観念的に理解していたのだが、自ら電気通信の世界で体験したシーンをいくつか列挙してその雰囲気を表現してみたい。

シーン1 年末年始の挨拶・その他社長就任等の挨拶 企業の社長をはじめとして白髪まじりのあるいは頭が薄くなった年配の経営幹部が官庁のフロアをぞろぞろと関係する課長達に挨拶をして回るシーンにはよくお目にかかった。その反対に役人が監督する企業に挨拶して回るというのは珍しい。何か新しい法制度が出来て啓発の必要(*2)を感じたときは例外である。ちなみに米国のFCC(連邦通信委員会)にも何回か訪問したが、「たまたま僕は政府のこのポジションにいるだけなんだから」とでもいいたげな対応で民間企業人と雰囲気も接し方も変わらない。官僚特有の雰囲気を醸し出している人物は、そんなに大勢の人に出会ったわけではないが、少なくとも出会ったFCCスタッフにはいなかった。そもそも「お上」という日本語に対応する英語が無いのでは無かろうか。もっとも当方もFCC監督下の米国通信企業として訪問したのではないのであるいは「よそ行き」の顔だったのかも知れない。役人が「お上」という感覚は日本や中国では強く感じたが、米国やヨーロッパではそういう感想を持たなかったのは、彼ら役人が民間企業との間をキャリアの形成のなかで頻繁に行き来する事が多いためだろう。

(*2)新電電の長いキャリアの間(17年)の間に3回ばかり役人の方から事業者の方へ訪ねてきた記憶がある。最初は基盤整備法の関連で無利子融資の説明だった、2回目は無線によるラストワンマイル用周波数の利用促進だった。三回目は一種二種の撤廃を含む電気通信事業法の大幅改正前。

シーン2 1990年代の前半頃のある日、建設省(現国土交通省)に行ったときのこと、日本高速通信株式会社に多少なりとも関係する課の課長補佐に挨拶にいった。机の前に立って挨拶の声を掛けても、こちらの声は聞こえているはずだが、資料作成に集中しているふりをしてろくに顔を上げもしない。最後まで顔を上げずになにやら曖昧な声を発しただけだった。希なケースかもしれないが民間では考えられないこういった傲慢な対応をする役人もいた。他にも企業を一段下に見ていると感じられる目線や言動が目立つ感違い若手課長氏もいたり、この省にはこの種の傲慢タイプ氏が他省に比較して多い印象を受けた。建設業者を相手にダムや橋梁河川工事、高速道路工事など巨額の発注を監督することと、この様な態度が関係するのだろうか。

シーン3 役所では一仕事終わった後や特定の曜日を決めて課の親睦のために庁内で一杯飲む事が恒例になっていだ。出前の鮨や酒、ビールを持ち込んでオフィスで飲み会を開く。その費用はその課の誰かが監修した政府系出版物の印税などのプール金、民間セミナー業者が開催する講演の謝礼金のプール金など、あるいは電気通信事業者が盆暮れなどに手土産に置いていくビール券を換金するなどの積み立て金でまかなうのだが、それでも足りない場合は、監督下の電気通信事業に無心するのが恒例化していた。若いキャリアがその役を仰せつけられ、各企業に電話してくる。

若いうちからそんな風潮を特に反省もなく受け入れて無感覚になっていくことを危惧したものだ。新人の頃に倫理観のまともなものがいてこうした風潮にいやな顔でも見せれば確実に出世街道から外されていく。かくして役人は自らの保身の上からもそうした倫理観は鈍磨されていき、幹部になる頃にはこうした企業側のもろもろの「好意」はすっかり当たり前の行為となる。企業側も企業側で、そんな依頼を受けたおりには酒のつまみのかわきものを大量に買い込んでいそいそと差し入れに伺う。役人が何回か不祥事で逮捕されて過剰接待の綱紀粛正が厳しくなりいつの頃からか差し入れなどの督促の風習はやんだ。しかし若い時から先輩幹部にこうした明治以来の「おねだり」感覚を肌で教え込まれることが役人の不祥事が絶えない原因の一つであると思う。かくして幹部になると役人は大なり小なりそういった傾向を持つに至る。(なかには実に潔白な役人もいたことも付け加えておかなければバランスを欠く)

2001年当時電気通信事業部長を務めた鈴木康雄氏がNTTコミュニケーションズからタクシー券をもらって私用に使ったことが報道されたが、こうした事件なども、若い時からの役人の世界にどっぷりつかっていればごく当たり前の行動であり、たまたま報道されたのが運が悪かったくらいの感覚だったのではないか。こうした不祥事が発覚しても、その後2009年には鈴木康雄氏は事務次官に就任しているように、タクシー券不祥事はその後の出世に大きな影響をおよぼしてはいない。こうしたことを役人は脳裏に刻んでいき、いびつな倫理感覚を学んでいく。若い時から植えつけられるもので根深いものがあるのではないか。天下り問題も渡りもこうした役人特有の帳尻あわせのいびつな倫理観の延長線上にあると思う。

シーン4 しばしばというのではないが時折、課長が椅子に深く座り仰向いて寝ている姿をみることがあった。事情を知っている者にはこの課長氏は決して怠けている訳ではなく、国会答弁の作成や待機などの事情で眠れなかった睡眠時間の埋め合わせをしているとの察しはつくのだが。民間企業ならどこか別室で仮眠してくるのだが、中央官庁はそれよりもむしろ席で仮眠する事を良しとする風潮がある。しかしその姿勢からは官庁を訪問する各企業に対する対等の敬意は少なくとも感じ取れない。

NTTデータ時代にも前夜の深酒が過ぎ、部下からは見えないようにするためか(ほとんど効果はない)椅子を窓に向けて寝ている不届きな幹部が大阪に一名いたが、官庁の課長氏の職場での眠りは事情が違う。彼らは長時間の勤務を苦にもせずに実によく働き、毎日深夜に帰る。

俺たちはここまで心身をすり減らして国民のために働いている。だからこれくらいのことは許されるという勝手な思いが根にあるのだろう。役人時代は24時間働いても民間より給料が安いという思いが常にあり、どこかでそうした元をとってもバランスの一種だとの言い訳がどこかにあるに違いない。天下りや「渡り」を当然の権利として共有する感覚も、あるいは福島原発事故で明らかになったように天下り体質からくる電力会社に対する規制の甘さもこの反省なき「報酬バランス」の精神風土から生まれたものだとみる。報酬バランスとは「同期の連中の方が成績が悪かったのに俺の方が報酬が低い」事を補うための勝手な正当化の論理であるが、この考え方を払しょくするのは意識の問題であるだけになかなか難しい。

原発事故の広報を一手に引き受けた西山英彦審議官が省内のセクハラスキャンダルで更迭されたのも「これだけ国民のために苦労しているんだから、ストレス解消しなければ身がもたない。少しくらいのセクハラくらい大目にみろ」的な自己の言い訳があったのだろう。

シーン5 もう時効になるが、日本高速通信に勤務している頃、ある役人からトヨタ車を購入したいので販売店を紹介して欲しいと頼まれた事があった。日本高速通信株式会社はトヨタからの出向者が大勢いたので価格面で便宜を計って欲しいという期待があったのだろう。当時も大蔵や厚生省で不祥事が頻繁に起こっている時代であったにもかかわらずこうした期待を前提に紹介を監督下企業に依頼するすることに全く違和感を持たないという事実には、あらためて驚いた。長い期間のうちに起きたごく一例であるが。

シーン6 これも時効だが、餞別を持って行く企業も企業だが受け取る方も受け取る方だと思ったこともあった。電気通信事業部長クラスが地方局長などへ転出する場合には現金を包んだ餞別を渡す場合があった。断るのかなと思ってみていると平然と何食わぬ顔で受け取っていた。こうした感覚麻痺は役人の世界に蔓延していたのか、たまたまその役人がそういう体質であったのかは不明であるがその後の役人不祥事のニュースに接すると、少なくとも監督下の企業からまとまった額の餞別をもらって特段の違和感を感じない風土はあったのだろうと思わざるを得ない。

シーン7 リッチな企業経営者と私的な交際関係を結びたがる経産省役人もいた。宴席を要求し、その席で露骨に経営者の自宅に招いて欲しがったり、ゴルフの有名コースに招待して欲しがったりと、監督官庁の幹部役人としての節度などどこかに忘れてきたような場面もあった。

シーン8 事務次官経験者数名を含む一団も加わったある視察旅行に出かけたことがある。みなさん、さすがに事務次官にのぼりつめるだけあって人柄は魅力的なのだが、官僚組織のヒエラルキーがかくも村社会的なのかと感じ入った記憶がある。彼ら同士の会話が飛行機の中や食事の席で聞こえてくるのだが、所属する省の役人の奥さんの人柄から家族関係の諸事情まで実に細かくよく知っているのに驚きを通り越して違和感さえ感じたものだった。この省内の強固な村的一族意識がある場合はすざましいガンバリズムのエネルギー源となり、あるときは「省益有って国益なし」の批判を浴びることになる。

目についた批判的なシーンばかり書き連ねたが、総じて役人は実に有能で実によく働く。さらにはエリートとしての使命感もある。立居振る舞いも極めてクリーンで人間として立派な役人もいた。役人でなくとも民間で十分に能力を発揮して頭角を現すだろう人も多い。有能な政治家も官僚出身が多い。しかし中央官庁を巨大独占企業として見るとやはり独占企業特有の構造的におかしいところがある。

上記のシーンも煎じ詰めると、役人の働きと収入がその時々で一致していないとの意識が潜在下にあり、天下りや「渡り」、あるいはかつては田中角栄の贈答作戦で有名になった政治家からの盆暮れの付け届けや接待で帳尻を合わせようとするところから来たものだと理解している。しかしデフレ下の昨今では民間と役人の給与格差は逆転しており、事実ではないが、古い地質がそのままとどまった地形のように役人の意識として残存しているに違いない。天下りや「渡り」で自分の人生の総収入高に帳尻を合わせる意識は時に発覚する不祥事と根を共通にしており、そうしたいびつな感覚が省内に長くいるうちに矯正される機会もなく沁みつくものと思われる。

<感心した役人の仕事>

現在のブロードバンド事業隆盛の端緒を作った真の立役者は誰か。私は当時の郵政省、現在の総務省ではないかと考えている。そして政府のルール作成が、ある産業分野の活性化を招いた例の一つとして特筆されるべきではないかと考えている。それほど総務省が2000年 8月31日に電気通信審議会から適正であると答申を受けた「コロケーション条件の整備に係る電気通信事業法施行規則の一部改正」はブロードバンド事業に対して出色の貢献ぶりであった。行政のルール策定はいつも現実より若干後追いになるものと古今東西、相場が決まっているがこのルール策定は数少ない例外になるだろう。

当時ADSL事業に多くの企業が参入したが、このルールをみて参入を決めたといった経営者もいた。NTT局舎コロケーションに関してADSL事業を展開するために必要なルールが33項目について、細部にわたり定められていた。コロケーションとは、NTT局舎のなかに、ソフトバンクBBなど他事業者の設備を設置する事を意味する。

33項目の詳細は総務省のホームページ

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/pressrelease/japanese/denki/000831j609.html

を参照して欲しいが、その整備振りの一端に触れていただきたいので、詳細な条件等を省略し、骨子のみを以下に示す。

1.NTT局舎に空き場所があるか、空き場所の寸法や周辺設備の状況、その他接続全般に関して積極的に情報の開示をすべし。

2.コロケーション申し込みは簡素な様式で。回答には具体的なコロケーションの場所及びその選定理由を付し、選定場所は接続点から最短距離にあること。早急に工事費用の概算を提示すること。

3.他事業者(ソフトバンク等)がコロケーション回答の確認のために必要とする局舎立入りを、簡素な手続きで受け容れること。

4.NTT設備との接続工事についてソフトバンクBB等の自前工事の客観的な条件を予め公表し、不当に厳しい安全性の要求や有償の立会いを極力行わない。

5.コロケーションに関する標準的期間は東西NTT自身の社内手続きよりも時間がかからないこと。

6.コロケーションに関する費用は低廉な料金設定にし、算定方法、算定根拠を明確化すること。又、適正な費用の按分等により公平であること。見直し後の立会い費用の遡及適用にも言及している。

7.DSLサービスを電話加入名義とDSL利用申込名義とが異なるという理由のみで、加入者への加入申込の補正などを求めることなく申込を拒絶することがないようにすること。

まさに、ADSLに多くの企業が参入後、問題になりそうな事項をほとんど押さえたルールとなっている。

<余話1>

後年、役所から深夜帰宅の役人に対してなじみのタクシー運転手が冷えた缶ビールを提供し、しかも盆暮れにはプレゼントまで渡していたという事件がメディアを賑わした。こんな状況の中ではタクシーで帰るときにビールを出してくれればなかなか抵抗できるものではないと同情もするが、しかし乗車時のビールにさらに盆暮れに運転手からプレゼントを平然と受け取る感覚はやはり非難されるべきだろう。この反省なき精神風土はどこか卑しいが、冷えたビールの魅力に抗するのはなかなか難しい。

深夜の官庁の前にはタクシーがなじみの客を待っている。タクシードライバーは役人の顔と帰宅先まで知っている。黙って乗り込めばビールが出て道順を指図しなくても眠り込んでもきちんと送り届けてくれる。深夜帰宅が多い大企業や新聞社などの前には常にそういった馴染み客の顔と住所を知っているドライバーがいるのでそうした習慣を知らないで乗り込み、訳知り顔のドライバーから自らの住所を知られていたり、同僚の住所まで知っていたりすると驚くと同時にプライバシーを覗かれているようで極めて不快になる。

ソフトバンクが日本橋にあったころ、会社の仲間が深夜タクシーに乗り込むと同僚の名前や住所まで得意げに話す運転手がいて不愉快になり、件の運転手に怒って「どうしてそんなプライバシーを侵すようなことを平気で言うんだ。不愉快だ」と途中で降りたという話も仲間から聞いたことがある。

<余話2>

 事務次官経験者から「友人が今度国政選挙に出る。会社にあいさつに出かけるのでよろしく」とお願いされたことがある。結局その候補者は会社には来なかったが「公私混同」という言葉が脳裏に浮かんだ。

<余話3>

役人の世界ではないが、かつての電電公社の時代も餞別文化がまかり通っていたという昔話をある先輩から聞いたことがある。地方の幹部になって数年たち、本社などに帰ることになると、それまで関係した電話局などに転任のあいさつ回りに出かける。すると各電話局長は特別調査費などの勘定科目で調達した少なからぬ金を餞別として手渡す習慣があったという。

NTTデータ通信本部の草創期(1970年頃)にも周囲でこうした習慣を見聞したことがあり、近畿電気通信局の不正経理事件などでもこうしたことがらが明るみに出た。こうした伝説に近い話も古い体質の残る公社や役人の巨大組織には多いにありうる話だろう。

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