まさおレポート

ベートーベン第九と映画「敬愛なるベートーベン」

大晦日の定番クラシックである第九について頭の中にある曲の感想を文章に表そうとするとはたと困ってしまう。音楽を言葉にすることはできないのだと当たり前のことを再認識することになる。よく「何とかを科学する」とかの特集があるが所詮は無理なことをなんとか周辺情報で格好をつけているだけなのだろう。人の音楽に対する感情や感動を表現するのはフランス料理や香水を評論するのと同様難しい。表現は比較や比喩・類似によってあるいは一般的な色を表す言葉などによって可能だが所詮人の感動には迫れない。

大晦日に限らずラトル指揮の第九はPCのライブラリーに入っているし仕事をしながらしばしば聴く。10日ほど前にもエドハリスの主演する映画「敬愛なるベートーベン」をみた。モーツアルトを描いたアマデウスに比べると見終わっての感動や充実感には劣る。アマデウスでは出だしの馬車が走っていくシーンにモーツアルト40番が使われすぐさま映画の世界に引きずり込まれていく。この馬車が石を敷き詰めた道を走るのとなんとマッチしていることか。そして最後のレクイエム演奏に向けて一気に引っ張っていかれる。

なんだか別の映画でもベートーベンの映画を使っていたなと思いめぐらすと「愛と悲しみのボレロ」でのジョルジュ・ドンがダンスシーンで第7交響曲第4楽章で踊るシーンは忘れられない。これもまた第7交響曲とジョルジュ・ドンの舞踏が最高に合ってていた。ベートーベンでも舞踏が、特に古典ではないバレーで踊れることに感動した。最後のボレロの舞踏は東京でも見たが、この7番を使った舞台は聞いたこともみたこともない。この映画の中でしか見れないのかもしれない。

古いところではスタンリー・キューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」にも第9が使われていた。凶悪の限りを尽くし刑務所に入って「ルドヴィコ療法」と称する実験的治療を受ける。目にしたくもない残虐なシーンを強制的に見させることでその行為を嫌悪させて凶悪犯罪を2度とさせないことを目的とした治療法という設定になっている。この治療の際に犯罪と同時に凶悪犯罪者の主人公の好きなベートーベンの第九を流す。未だになぜ第九なのかよくわからない。スタンリーキューブリックがこの曲を嫌いなのかもしれないし、あるいは大好きなのかもしれない。いずれにしても意識の核の書き換えを目論んでいるのだろう。

いずれの映画もベートーベンの音楽が映画の印象を左右するほどの重要な役割を演じている。この曲を年の暮れに聴きたいのだがどうも無理そうだ。

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