アーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終わり』は、異星人オーバーロードによる地球支配を描きながらも、その背後にあるテーマは「人類の進化と宗教の変遷」だ。
本作で「地球上のすべての偶像崇拝的宗教が支持されなくなり、東洋の素朴な宗教のみが残った」と明言されている。
「仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教といった偉大な宗教はすべて消え去る、無数の小さな宗派だけがあった。」
この記述を読み解く上で、最も重要なのはオーバーマインド(Overmind)の概念である。オーバーマインドとは、人類が最終的に到達する「集合意識体」であり、個々の人間の意識が統合され、物質的な存在を超越した純粋な精神的存在へと昇華することを意味している。この概念は、仏教の「無我(アナッター)」や「解脱(ニルヴァーナ)」と極めて近いものがある。
ここでは、『幼年期の終わり』における宗教の変遷を仏教的観点から考察し、オーバーマインドへの統合が仏教における「解脱」と同一である可能性を探る。
オーバーマインドに統合された人類は、個の意識を失い、より高次の知性へと昇華する。これは、仏教の根本教義である「無我」と深く関係している。
オーバーマインド:個のアイデンティティは消え、純粋な意識が集合体となる。
仏教の無我:自己という概念は幻であり、執着を捨てることで解脱できる。
どちらも、「個の消滅による宇宙的な存在への帰一」というテーマを持つ。
オーバーマインドは物質的存在を超越し、肉体を持たない純粋な知性体である。仏教においても、物質世界(色)は「空(くう)」であり、涅槃(ニルヴァーナ)とは物質的執着から解放されることである。
オーバーマインド:物質的世界から完全に離れ、宇宙の知性の一部となる。
涅槃(ニルヴァーナ):生死や物質の束縛を超え、永遠の安らぎへ至る。
どちらも「物質世界を超えた究極の意識状態」である点が共通している。
オーバーマインドは「進化(より高次の存在への昇華)」として描かれるが、仏教の解脱もまた「悟りへの到達」という点で進化的プロセスと捉えることができる。
オーバーマインド=知性の進化
涅槃(ニルヴァーナ)=意識の解放
「進化」と「解脱」は異なる言葉で表現されるが、どちらも「個を超えた意識の完全な自由」を意味しており、最終的な到達点は同じではないかと考えられる。
作中では、「偶像崇拝的宗教が支持されなくなった」とある。ここでの「偶像崇拝的宗教」とは、次のような特徴を持つものと推測される。
人格神を信仰する宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の一部、大乗仏教)
啓示を基に絶対的な教義を持つ宗教
奇跡や超自然的な現象を前提とする宗教
オーバーロードの到来によって、科学的真理が完全に証明され、「神の存在」が否定されたため、こうした宗教は意味を失い、自然に消滅していったと作者アーサーcクラークは考えた。
一方で、「東洋の素朴な宗教のみが残った」とされる。これは、仏教や道教、儒教といった「神を中心としない宗教」を指していると考えられる。
仏教(特に初期仏教・唯識・禅)
神を信仰するのではなく、「個の意識の解脱」を目指す。
「空(くう)」の概念が、オーバーマインドとの親和性を持つ。
道教
「道(タオ)」の概念は、宇宙の流れに調和して生きることを意味する。
これはオーバーマインドの支配を受け入れる態度と一致する。
オーバーマインドは「個の意識の解脱」と「宇宙的な意識の集合」を象徴しており、それに適応しやすい宗教が生き残ったと作者アーサーcクラークは考えた。
本作において、人類は最終的にオーバーマインドへと統合され、個としての存在を消滅させる。これは、唯識や初期仏教が説く「無我」や「解脱」と極めて近い概念であり、「進化」=「解脱」と捉えることができる。
さらに、偶像崇拝的宗教が否定され、東洋の素朴な宗教のみが残るという展開は、人格神への信仰が意味を持たなくなる未来を示唆しており、「初期仏教的な悟り」こそが究極的な真理であるというメッセージを持っている可能性が高い。
『幼年期の終わり』は、「人類の進化」を描いた物語であると同時に、「初期仏教的な解脱の寓話」としても読むことができる。
つまり、本作は「科学と初期仏教思想が融合した、壮大な悟りの物語」ではないだろうか。
以上がわたしの『幼年期の終わり』における作者の意図の解釈だが、私は大乗仏教がこのようなものとは考えていないことをお断りしておく。あくまでも作品と作者の意図の理解としてそのように考えてみただけである。