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2017-08-05初稿
2018/4/11加筆
2003年頃から石垣島に行くたび、この島唄ライブハウス安里屋を訪れ安里勇さんの唄にしびれ、堪能し、最後には来店者全員で踊りを楽しんだ、来客の前で生ジョッキをつぎつぎと傾けるので一晩で相当な酒量になり心配するほどだった。
2回めに訪問したときは胃を全摘したせいで痩せていたが覚えてくれていて、彼の持ち船を出して釣りに連れて行ってくれた。彼は足にフィンをつけて素潜りで海中に身を翻して年齢を感じさせない動きで長い時間潜る、その長さに心配になるほどで、彼の唄う民謡の息継ぎの長さはここから来ているのだと合点がいった。
船は店の近くの小さな港に陸揚げされているのを皆で押して海に入れるところから始まる、回りにいた男たちが誰彼となく手伝ってくれる、地元ならではの船だしの光景だ。
小さな船で小さな小屋風の操縦席があり、これが唯一の波除けとなる。酢と醤油を半々で混ぜたものが瓶に詰めて置いてあり、船で手を切るなど怪我をした時はそれを傷口に塗って消毒し、魚を船でさばいたときはそれをつけて食べる、便利なものだと感心しその後にバリに長期滞在したときも同じものを作って常備した。
釣った魚は彼の店である「島唄ライブハウス安里屋」で料理してもらい、再び盛り上がった。この店の若い女性スタッフも彼の民謡に魅せられて大阪からやってきたと言う、客は地元の漁師風の男たちや大阪からやってきた中年カップルもいる、北海道から来た若い男がステージに上り、勉強中の石垣民謡を披露すると(あまりうまくないのだが)地元の客は温かい声援をおくる、ステージの終わりには地元のおばさんが踊りだす、それも腰を前後に動かすもので(もしイスラム圏の男がいたら顔をそむけるに違いない)全員それに合わせてのりのりで踊り出す。
その後、東京で還暦記念ステージがあり聴きに行った、還暦という年齢から推し量ると2005年だったが、安里さんの息子がデビューと言うか手伝いというか近くにいて、安里勇さんは照れからか息子さんをまだまだ修行の足りない半人前以下として唄など決して唄わさなかった。
写真の白いワイシャツのネクタイがその息子さんで赤いちゃんちゃんこと帽子をプレゼントされ目には涙が。